死後の生命、魂の永遠を考える | Yokoi Hideaki

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久しぶりに前回続きを書きます。

前回の締めくくりに

「世の不幸や誤りの原因の少なくない部分は「前世の存在を知らない」即ち「人は死んでしまえばおしまい」という自己認識の不完全にあるというのが、私の実感です。「前世や来世があると信じるか?」と質問されたら、私は「あるに決まっている」「そう確信できないのは勉強不足」と答えますが、なぜそのように確信できるのか、その根拠について次回書いてみたいと思います。」

と書きました。

 

勉強不足はやや言いすぎかもしれませんが、若いうちはともかく、ある程度の年齢になって、生き死にの問題とキチンと向き合わないのは、真面目な生き方とは言えないように思います。


そこで、今日は死後の生命の存在に疑問をお持ちの人、信じられない人のために、先ずは死後の生命の可能性を考えてもらう材料を提供したいと思います。


先ず最初に紹介したいのは死後の生命の存在を主張する2人の日米の著名医師です。

 

死後の生命を語る日米二人の医師

一人目は米国の医師エベン・アレグザンダーさんの体験談です。

名門ハーバード・メディカル・スクールで長らく脳神経外科医として治療と研究にあたってきたアレグザンダー医師は突然の奇病に襲われ、またたく間に昏睡状態に陥ります。


脳が病原菌に侵され、意識や感情をつかさどる領域が働かないなかで、アレグザンダー医師は明瞭な臨死体験を経験します。

 

その内容は日本のテレビ番組でも放送されて、話題を呼びました。その番組がYoutubeでアップされています。長々と説明するより以下を見て頂く方が早いので、下のリンクをご覧ください。

 

https://youtu.be/5YzJ9QwdLcY

 

そのアレグザンダー医師の体験談を詳細に記述したのが以下の「プルーフ・オブ・へブン(天国の証明)」です。

 

 

 

 

 もう一人、日本の医師は東京大学名誉教授で、つい最近まで東大病院の救急部・集中治療部部長として活躍されてきた矢作直樹さんです。救急医療の最前線で死と常に向かい合う立場であった矢作さんの体験はアレグザンダー医師のそれとは違う観点ですが、興味深いものです。矢作さんのインタビューもYou-tubeにアップされていますので、これをご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw

 

矢作さんの代表的な著作も以下に紹介しておきます。

 

 

 

このように日米二人の著名医師がほぼ同じ時期に生命の永遠性に関する著作を自らの体験に基づいて発刊されたのも偶然ではないような気がします。

お二人は医師です。特にアレグザンダー医師はそれまで死後の生命を全く信じておらず、自身に起こった事を専門分野の知見からなんとか説明しようとするのですが、結果として「死後の生命」、「あの世(霊界)の実在」を受け入れざるを得ないという結論に至ります。

 

上のテレビ番組でも紹介されているように、アレグザンダー医師が自分に起こった事を説明しようとして行ったのは科学的アプローチと言えますが、このような死後の生命や輪廻転生に関わる科学的探求はこれまでも少なからず行われてきました。

 

死後の生命の科学的探究 ①「生まれ変わり」調査

そのアプローチには大きくは2つあり、一つは生まれ変わりの例を※フィールドワークから調査、検証するものです。

(※フィールドワーク…調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法)

 

フィールドワークとして有名なものは米国のバージニア大学で40年にわたって行われている研究です。

同大学医学部教授であったイアン・スティーヴンソンと共同研究者は世界中から報告のあった2000以上の生まれ変わりの事例を丹念に検証し「前世を記憶する子供たち」にまとめ1987年に発表しました。

このシリーズは2冊あり、アジア版(1)とヨーロッパ版(2)が発刊されています。読み物としても興味深い報告です。スティーヴンソンの研究は弟子であるジム・タッカーが受け継ぎ、同大学の「知覚研究室」で調査が続けられています。

 

 

 

 

 

 

少し毛色は違いますが、日本でも興味深い生まれ変わり例が平田篤胤(江戸時代の著名な国学者)によって報告されています。それが「勝五郎再生記聞」です。

 

勝五郎のエピソードは小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)によって欧米に紹介され、これもきっかけとなってバージニア大学の調査が始まったとも言われています。

 

勝五郎再生記聞」については日野市の郷土資料館のホームページ(以下リンク)に秋田魁新報社が同紙に41回にわたって掲載した特集記事がアップされています。ここに生まれ変わりの研究成果が前半に網羅的に紹介されていますので、一読をお勧めします。

http://umarekawari.org/sakigake/index.html

 

死後の生命の科学的探究 ②退行催眠療法からの報告

もう一つの科学的アプローチは精神科医療の臨床例からの研究報告です。

ここでいう医療とは精神疾患の治療で行う「退行催眠」を指します。退行催眠とは精神疾患の原因であるトラウマ(心的外傷)を過去にさかのぼって追体験する治療法です。

 

例えば数分ごとに体を洗いたくなるような病的な潔癖症の患者がいるとします。退行催眠とは「自分の体がひどく汚れている」という強迫観念の元になっている原因である過去の出来事を催眠療法で探る治療法です。

その原因が幼いころ肥溜めに落ちた体験にあるとしましょう。あまりの恐怖から表層意識はその体験を「無かったこと」にして潜在意識の中に閉じ込めてしまいます。それがトラウマ=自分の体は汚れているという強迫観念となり、異常な潔癖症という症状に現れるのですが、この治療に退行催眠が有効なのです。

退行催眠によって原因を追体験し、意識がそれを理解すれば症状が消えるからです。

退行催眠療法の治療例の紹介例は多数ありますが、問題を「前世の体験」に焦点を当てたのが「前世療法」です。

 

退行催眠による前世の追体験を医療行為として行った成果を紹介するものにはいくつかの著名な報告、著作がありますが、ここでは代表的な2つを取り上げたいと思います。

 

前世療法(ブライアン・L・ワイス)
アメリカの精神科医であるワイスによって催眠療法中に「前世記憶」が「発見」され、その著書によって世に知られるようになりました。退行催眠療法により出産以前に遡った記憶(前世記憶)を思い出すことにより現在抱えている病気が治り、治療に効果があったことが多くのケースで紹介されています。

 

 

 

 

 

輪廻転生(ジョエル・ホイットン)(原題はLife Between Life「生と生のはざま」)
トロント大学医学部の精神科教授であったホイットンは、約30人の被験者を集め、退行催眠を用い彼らの記憶を探ります。その結果、全員に複数の前世と思しき記憶が見られ、原始時代まで遡る事が出来たケースもありました。被験者の全員が「魂には男女の性別がない」と語り、多くの被験者が現在とは違う性に生まれた経験がありました。そして全員が「人生の目的は進化し学んでいくことであり、何度も生まれ変わりを繰り返すことによってその機会が与えられている」と語っています。ホイットンの実験では、被験者が前世記憶を蘇らせると心理的・肉体的に深く癒され、治療に効果があったといいます。またホイットンの実験では、被験者が生と生の「中間領域」も語っています。被験者たちによると、この領域は「次の人生」を計画するためにあリます(原題はこの意味)。興味深いのはホイットンが被験者の前世記憶が、実在した人物のものであったことを強く示唆する状況証拠を発見し、報告していることです。中でも印象的なのは現世で夫の暴力に苦しんで精神を病んだ女性が、前世では奔放な生き方で夫を苦しめており、その前世の人物が特定できたことでした。ホイットンは仏教の因果応報という考え方が正しそうだという見解も本書で述べています。

 

 

 

なお、この「輪廻転生」には個人的にちょっとした思い出があります。この本を私に紹介してくれたのは船井幸雄さんでした。舩井先生は船井総研の創業者で、著名な経営コンサルタントですが、同時に日本のニューエイジムーブメントに大きな影響を与えた方で、舩井先生からは私も若いころ随分学ばせていただきました。

その舩井先生が一時期「死後の生命や生まれ変わりが信じられない人は、この本を読めばよい」とこの「輪廻転生」を推薦されていました。

 

先の退行催眠療法とは観点は違いますが、医師として死に関する科学的探究の先鞭をつけたという意味で欠くことの出来ない存在はエリザベス・キュープラー・ロス博士でしょう。

シカゴ大学で教鞭をとり、臨床医でもあったロスは「死後の生命」の存在の可能性を科学的、臨床的に世に問うたパイオニアともいえる存在です。彼女は臨床医としての多くの患者の死に接した経験と共に自身の臨死体験や幽霊の目撃体験などから死後の生命の存在や輪廻転生を信じるようになりました。私にはロスのたどった道が前述の矢作直樹さんと重なって見えます。

 

ロスは科学者、医師としての立場から多くの著作をあらわしてニューエイジムーブメントにも大きな影響を与えましたが、この分野の一種の古典として一読を薦めたいと思います。

 

 

 

 

以上が今回紹介したい死後の生命の実在に関する科学的研究の成果ですが、素直にこれらの著作や報告に接すれば、論理的に輪廻転生や霊界の存在を理解できるものと思います。

 

守護の神霊と霊界の存在

これらの報告、著作で興味深いのはこのブログで書いてきた守護霊の存在を紹介、示唆している点です。多くの例で個人の成長をサポートするガイド役、指導霊が存在し、節目節目、要所要所で必要に応じたアドバイスや助けを与えてくれています。

 

冒頭のアレグザンダー医師の例では現世で会う事のなかった妹さんが霊界でのガイド役として登場し、アレグザンダー医師は妹さんに導かれて霊界を巡ります。アレグザンダー医師の描写する霊界の様子も興味深いのですが、同じように霊界の様子を伝えてくれる著作を以下に2つ紹介しておきます。

 

一つはあまりにも有名ですが、スウェーデン・ボルグの「霊界」です。

 

 

 

霊界探訪で私がお薦めしたいのは五井先生のお弟子であった村田正雄さんが書かれた「私の霊界通信」です。

 

 

 

 

また、これらの内容を荒唐無稽と感じられる方も多いかもしれませんが、語られる世界観は現代物理学、量子力学の研究が示唆しているものと一致しており、その点でも科学が実在宇宙である霊的世界の一部を解明しつつあると言って良いのではないかと思います。

 

また、今回の記事のテーマに関連する映画を二つ紹介したいと思います。どちらもフィクションですが、実際の経験談や人物に基づいて構成されており、その意味で興味深い内容です。


最初はロビン・ウィリアムス主演の「奇跡の輝き」です。

https://www.youtube.com/watch?v=3GPFQJcykAg

 

 

 

 

この映画のストーリーは、交通事故で死亡した主人公が、自分の後を追って自殺した妻アニーを救うため、危険を冒して天国から地獄へと旅をするというものです。天国の描写が素晴らしく、またストーリーもよく練られています。主演したロビン・ウィリアムスは皮肉にも認知症に伴ううつ病が原因で、自死を遂げましたが、どうか天国にいてほしいものです。

 

もう一つはクリント・イーストウッド監督、マット・デイモンの「ヒアアフター」です。

この映画でマット・デイモンが演ずるのは死者と心を通わせることが出来る霊能者で、問題作、話題作を生み出し続けるイーストウッドがスピルバーグのプロデュースを得て2010年に監督した作品です。

https://www.youtube.com/watch?v=Sf9gRokFIRM

 

 

この作品は「死者と話が出来る」霊媒を軸にしたものですが、今回のブログのテーマである「死後の生命」について飯田史彦さんに触れない訳にはいかないので、最後に飯田さんの著作も紹介しておきます。


飯田さんは福島大学の経営学教授であった方です。

1996年に発刊された「生きがいの創造」は死後の生命についての文献、研究を網羅的に紹介した著作で、国立大学に勤務する経営学者が書いた本として当時大変話題になりました。

その後、飯田さんは自身が霊媒体質を持った霊能者であることをカミングアウト(?)されて、霊媒としての活動を紹介する著作も書かれています。

 

 

 

 

以上、私が紹介、お薦めしたい本や映像、映画などです。

前回のブログで私はこのように書きました。

「過去世、いわゆる前世の存在を信じている人の割合はある調査で34%になっています。
しかし信じている理由は根拠薄弱なものが多く、前世を知っている人や前世の存在を確信しているという人はそう多くはありません。」

少なくない人が死後の生命の存在を何となくは理解しているようです。

 

私はそれを確信にまで高めることはより良く生きるための大切な前提になると思います。

先ず死の恐怖との決別が可能になります。死は決して恐れるべきものではありません。

真理を知れば、愛する人との別れの痛みを和らげることも出来ます。

 

そして自分の想念や行為は自分に返ってくること、いわゆる因果応報の原理を知ることが出来ます。

更により理解を深めれば、世に不公平や理不尽などないことも理解でき、余計な不平不満からも決別できます。原因の無いところに結果は生じないからです。また望まない結果を生じさせない智慧も生まれます。

そして、それらが魂の成長に役立つことは言うまでもありません。

この現世での人生はその修行のようなものです。

 

最後に、世界平和の祈りの提唱者、五井昌久先生が著書「生きている念仏」の「生きるということ」 という章の冒頭で死後の生命について分かりやすく述べられていますので、以下に抜粋します。

 

生命がそこに生きていること
この地球界には、三十数億の人が生活しているのですが、真実に自分の生命を生ききっている人がどのくらいあるでしょうか、又生きるということの真実の意味はどういうことなのでしょうか、生きるということ生かされていることなどについてお話したいと思います。


普通いわれている、生きるということは、赤ん坊として生れ出でたその日からはじまっているわけで、その人が病気になり、或いは老衰して、只単にわずかに息づいているだけでも、息ある限りは生命がそこに生きているということになっているわけです。
そして、息の根が止まった時が死んだ、ということになるのです。ですから、如何なる聖者も、如何なる健康な人でも、いつかは、死の時期を迎えて、生きるということに終止符を打つことになっているのです。

ところが実は、生きるということは、五十年や百年のそんな短い生命の働きの期間をいうのではないのであります。肉体が息づいているということが、そのまま生命が生きているということではないのです。肉体が息していようといまいと、存在しようとしまいと、その人の生命が生きているということには、変りはないのです。但し、生き方が変化したということはいえるのであります。


この人変なことをいうな、肉体が滅びれば、その人は死んだにきまっている、と私の著書などをはじめて読む人は、私の話していることを不審に思って、そんなっぶやきを漏らすことでありましょう。しかし、そういう人は生命というものの本質をあまりよく知らないからそういうだけで、私のいうことは真実の言葉なのです。

人間の本質
しかしながら、こういうようないい方をはじめからしていますと、戸惑う人が非常に多いと思いますので、最初に人間の本質というものから説いてゆきたいと思います。
私が毎回のように中しておりますが、人間というのは、肉体を纒った(まとった)、こうした肉体身だけではないのです。
肉体身は人間生命の纒っている一つの衣であって、人間そのものではありません。


不幸な境遇の人たちが、よくいう言葉ですが、こんなにいつも不幸なら、死んでしまった方が余程ましだ、という言葉です。死んでしまう、つまり肉体身を滅ぼしてしまえば、それで自分の不幸な境遇が消え去ってしまうと思っているそうした人の考えこそ、より不幸な考えなのであります。

死んでしまう、肉体を滅してしまえば、それで自己の意識が無くなり、自分というものの存在がすっかり無くなってしまう、と思っている唯物的な考え程、愚かしいものはありません。どのような方法で、肉体を死なせたとしても、その人自体が死ぬわけでもその人の自己意識が無くなるわけでもありません。


その人は、或る瞬間は眠りと同じように、意識を失っていることはありますが、やがて時間がたつと、失った意識が復活してくるのです。そして再び自分の存在をはっきり認識してくるのです。
そして、肉体界にいた頃の想念の渦の中に巻きこまれてゆくのであります。しかしながらその人には、最早、肉体身はありませんので、肉体身より微妙な波動の幽身の中で、その人の想念が循環し、行為となってゆくのです。

 

ところが幽身は肉体身のように循環のしかたが遅くはありませんので、非常なスピードで、その人の想念行為が、その人自身に還ってきて、自己の出している想念波動の通りの世界を、自己の環境に繰りひろげてゆくのです。

神を認めていない人は、神のない光のない世界、闇の世界を経巡ぐり、不幸の想いに把われていた人は、不幸の想念波動の世界で、翻弄されつづけるのです。死んだら楽になるどころの騒ぎではなく、肉体身での不幸などくらべようもない程の苦悩を幽体界では味あわされるのです。

私たちはその原理をよく知っておりますので、この世の不幸や災難は、すべて過去世の業因縁の消えてゆく姿と思って、自分の不幸を嘆げく想念の中にいつまでも把われていずに、世界平和の祈りの中に、そうした想念ごと入りきってしまいなさい。そうすれば、救世の大光明の慈愛の光が、あなたの不幸や災難の起ってくる過去世からの業因縁をすっかり消し去ってくれますよ、と説いているのです。

人間は光明そのものである神の分生命なのであり、宇宙神、直霊、守護神、守護言、分霊として、生きているのであって、自己の分霊だけが、只、ぽつんと、肉体々の中にあって生きているのではないのです。

 

ここにあるように、守護の神霊や神仏に、意識、心を向けることには現世の安穏を願う以上に深い意味があります。

その人の現世での心の状態(波動レベル)がそのまま後生(死んでから逝く世界)を決定します。死ねばおしまい、などというのはとんでもないことです。

 

上で紹介した量子力学の示す世界観や飯田史彦さんの臨死体験について以下のブログに書いていますので、ご興味のある方はこちらもご覧ください。

 

「引き寄せの法則」とは何か ②―森美智代さんに教えて貰った「予祝(よしゅく)」、前祝いの法則
https://ameblo.jp/institutejpn/entry-12394458862.html

 

死後の世界を信じない人は「目に見えないから、耳に聞こえないから」を理由にしているのでしょう。

目に見えない世界、ミクロの世界を扱う物理学、量子力学の世界では我々の現実世界こそが虚構のようなものであることを明らかにしています。

 

目に見えない世界の実態を明らかにするのが科学ですが、物理が専門の武田邦彦先生が死後の世界に関して面白い話をなさっていました。死とはマルチバース(多元世界)への移行と考えられるという先生の意見が述べられています。興味あれば以下をご覧ください。

https://youtu.be/axyHYon3XsU

 

死後の世界をどうしても信じられない人も、せめて「あるかもしれない」ぐらいの心構えで人生を送ることをお薦めします。

そして日本古来の「敬神崇祖」(神を敬い、先祖を崇める)を心がければ、きっとよいよい人生に導かれると思います。

 

今日の記事がお役に立てば幸いです。