群馬県高崎市の平山城の箕輪城へ。(9月攻城)



一見、整備された広い駐車場に誰でもトイレが備え付けられた良く管理された城跡であるというのが第一印象である。

 

案内板もぼろっぼろのものでもなく、石! ノボリも綺麗。





搦手からの登城となる。


榛名白川と井野川に挟まれ天然の要害となっており、前橋の街を一望出来る位置にある。

木俣と言われる屋敷曲輪と馬だしの間の堀は中々のものであり、馬出し虎口に復元された櫓門に感嘆すると左手に大堀切が現れ、「あれ? なんか違う...」とそれまでの印象が一変する。


見た目きれいなお姉ちゃんとそこそこ仲良くなり、食事でもと話してると急に保険や宗教の話をしてくる感じに似ている、いや似てないか。

復元された櫓門。左右が堀切。
卓偉さんが数年前に収録で訪れた際はこの櫓門が建設中でしたね。


大堀切を降りた二の丸と馬出しの土橋下の石垣
この石垣は土橋が崩壊しない為に組まれている。


土橋を渡り二の丸へ。この二の丸自体もさほど大きくは無く、馬出しのような役割だったのでは無いだろうか。二の丸から三の丸へ、

二ノ丸まで車で登城することも出来る
公園として訪れる際はここからでも気軽に楽しめるでしょうね。

馬出し曲輪と二ノ丸間の大堀切。
草木が残るが覗き込むと深さがよくわかる。落ちたら大怪我する笑い泣き






三の丸石垣。ここは保全がよく残っている。

箕輪城の見どころは各曲輪に巡らされた深く広い堀切。迷路のようになっていて、迷い込んだら上から矢や鉄砲で狙い打ちに合う。
本丸と蔵屋敷曲輪を繋ぐ木橋を建設中、2022年2月頃に完成とのこと。
本丸奥の御前曲輪。14歳で家督を継いだ長野業盛が1566年に武田信玄に攻められた際にここで自刃したとも。(おそらく妻子や側室や従者と共に)

奥にひっそりとしているせいか、ここの曲輪だけもの悲しい空気に包まれている。
 


どこの堀切かわからない、これが迷路堀切。
綺麗に刈り取られていて、感謝。

非常に縄張りが広く、おそらく地元の方のご好意で保全されている。一部の曲輪が畑や果樹園に。

本丸は土塁が綺麗に復元されている。階段以外の所から土塁に登ったら崩れるからアカン。


ここは関東への玄関口であり、鉢形城のように1500年まで両上杉の関東騒乱で争った場所であり、1500年以降は北条・上杉・武田で争った重要拠点であり続けた故、堅固な縄張りとなっている。

初心者でも天守が無くとも、堀の深さや石垣などわかりやすい遺構なのでおすすめです。

箕輪城は復元や保全管理状態がよく、駐車場にトイレが整備されており、急な勾配もないので攻城しやすい。






でもね、個人的には肝試しで来ちゃいけないところだなぁ、と。びっくりここは。やめて。ガーン


長野県伊那市の高遠城へ。



遠州から信濃、諏訪、甲斐への抑えの城として機能していた。藤沢川と三峰川に囲われた平山城である。城の後背は三峰川が削り取った切岸となり、天然の要害である。





大手門石垣が残り、大手門は移築され、三の丸にあった高遠高校の正門として昭和59年まで使用されていた。高遠城は江戸以降、藩校としての歴史があり、そのまま高校へと教育の場として役割を担ってたのだろう。
400年近い歴史ある門を潜ってた高校生が羨ましい...いや、高校生なら「ボロいわ、ダサいわ」言うてたかもしれん。昭和59年、ガンダムや漫才ブームが一段落し、ファミコンのスパルタンXやキン肉マンタッグトーナメントで世の中の中高生は熱くなってたかもしれないし、大瀧詠一/佐野元春/杉真理のナイアガラトライアングルが音楽的にはニューミュージックが流行っていた時期だ。翌年60年に阪神の優勝、そんな時代である。
そんな時代に木造の校門は伊那市の高校生には受けなかっただろう。世はスクールウォーズブーム、櫓門よりラグビーボールである。

高遠城を信玄による信濃平定の際、諏訪氏、小笠原氏を打ち破り、高遠城も落城。以降、武田家が入り、山本勘助による大改造が行われ「後ろ堅固」な山城に変貌。本丸をグルっと囲った堀に引橋でいざとなった時に侵入を許さない、籠城出来るような作りである。


わかりづらいが10mの深さがあり、当時は水堀だったようである。
二の丸の外側に空堀が走り、外堀の役割を担っている。⬇

本丸と二の丸を繋ぐ問屋門。城下にあった門をここに移築した、城の遺構とは無関係である。
色々と間違ったことをされてるので、いつか歴史に則った縄張り復元を願いたいものである。

反対の本丸側から見ると古地図が示すような大きな枡形虎口に高麗門があったのではあったのではなかろうか。


時を知らせていた太鼓櫓、本来ここには無く搦手にあったが、明治に本丸に移築。
なんと、ここの太鼓で先程の高遠高校のチャイム代わりに使用してたとか。まさに男塾の世界である、詰襟学ラン。日本刀忍ばせてる塾生が1人くらい居たかもしれない、居ないか!



南曲輪と法憧院曲輪の橋の角の石垣。門があったと思われる。
高遠城の戦いでは織田軍滝川一益らがこちらから攻めたとのこと。

高遠城は武田信玄の父、信虎が晩年に信玄亡き後に高遠城で余生を過ごし、ここより甲斐に入ることは許されず、そのまま1574年に80歳で大往生を遂げた。その8年後、1582年に織田方による甲州征伐が始まり、先陣の織田信忠が3万、一方高遠城を守る信玄の5男である仁科盛信らがわずか3000(信長公記)。信忠は地元の僧に降伏と開城を求めるが、盛信はこの僧の耳を削ぎ落とし、追い返す。だが多勢に無勢、3000の兵は散り、盛信も自刃し、内臓を壁に投げつけ壮絶な最期となった。

ここは桜の名所で、秋も紅葉が美しい今でも伊那市民に愛される場所である。
春、桜が咲き乱れる季節にまた訪城したいものである。

武田晴信(信玄)の伊那侵攻は



織田軍の甲州征伐、高遠城の戦いは
ユキムラチャンネルの「甲州征伐」の開始30分ほどから


参考にしてくだされ。

「信虎」という映画が公開された。2021年10月22日MOVIX甲府で1週間早く先行ロードショー。

武田信玄の名は、歴史好きでなくとも上杉謙信と並びそこそこ知られた武将である。


山梨県に住んでいて、知事の名前は知らんでも信玄の名前を知らぬ者はいない。その甲州を治めてた信玄の父が「信虎」。信虎は長年、暴君で家臣の言うことを効かないうつけであった為、息子の信玄から追放を受け、各地を点々とし、最後はひっそり高遠城で亡くなったとされて来たが、武田家研究の第一人者の平山優先生の尽力で信虎の人となりがわかってきた、信玄公生誕500周年で山梨県全面支援で制作されたのが「信虎」である。(長い)



寺田農さんの演じる信虎が素晴らしいし、食事やちょっとしたいざこざの合戦も時代考証がきちんとしているから「細かい、うん素晴らしい」しかない。当然、身分が下の者が諱で主君を呼ばないし、武田家の者が謙信を「上杉」と呼ばない(これ北条氏政も謙信を''長尾''と呼ぶのよね、謙信も鎌倉時代の関東の勇の名に寄る北条と呼ばずに旧姓の''伊勢''と呼んでいた書状が残っている、つまり仲が悪い)。関東管領を認めないということで上杉と呼ばないのよ。謙信と呼ばずに「不識庵」。まぁ、色々めんどくさいからNHKの大河ドラマは端折られて、「弾正忠」「大殿」と呼ばずに「信長様ー」とかやるわけよ、当人に信長なんて失礼極まりない、切腹もの。これが諱(いみな)。
会話中、分かりにくい言葉はテロップが入ったりするから、実際会話のやり取りってこんなもんだったんだ、とか合戦てこんなもんやったんやとか、観て欲しい。馬も足が短い、日本の木曽馬だからね。日本酒も清酒ではなく、にごり酒。おお~濁ってる、濁ってる。(清酒は武勇名高い山中鹿之助の息子が開発したんだっけ)

映画を見終わり、新府城へ行こうと思った。普通なら甲府の躑躅ヶ崎館だと思う、いや甲府市内混んでそうなので郊外の新府城へ。

昨年、新府城に来た際は丸馬出しが整備中で重機が入ってて見れなかった。そのリベンジマッチもあった。

新府城は「新府中城」である、「甲府」は甲斐国の府中の略である。TAKUIは中島卓偉である、カラオケのJOYSOUNDで楽曲検索する時、知ってなきゃ困る常識である。同じ様に「大きい瞳」はモーニング娘。の検索にかからない、「亀井絵里 道重さゆみ 田中れいな」の名義である。中島卓偉で調べてもPUNKやトライアングルは出てこない。 吉野家に行って「さゆ丼」と店員にオーダーして、当時キジ焼き丼が出てきたかどうかは狼(※1)の話(※2)で、試したことは無い。さゆが好き過ぎて涙を流した話(※3)も吉野家である、さゆと吉野家は切っても切れない。

ヲタクしかわからない話は置いといて、
新府城の南側は断崖絶壁で、釜無川が流れているので天然の要害で到底攻めることは出来ない。手前のゴミみたいなのが宅地だったり、白い細い線が国道20号線だったり、この断崖絶壁のスケール感伝わるだろうか。

韮崎市より鳥瞰図

新府城は家臣の反対を押し切り勝頼が命じて普請が始まったのだが、資金不足となり度重なる重税や作業普請で領民や家臣から支持されなくなった原因にもなった。

長篠の戦いで織田軍に敗れると高遠城から新府城、織田軍先鋒の信忠が武田討伐を知ると普請途中であった新府城に火をかけ、大月の岩殿山を目指した。その後の話は個々の宿題!!

【余湖くんのホームページより】



東出構と西出構。この一帯は湿地帯または水堀で防御力の弱い城西側の防御施設。
こちら側の穴山地区からの防御が弱い、未完成だった部分なのかもしれない。
この韮崎市近辺は穴山の他に長坂、甘利など武田家臣団の名前が付いた地名が並ぶ辺り、武田家の土地なのだなと思う。


西出構をさらに畑を右に見ながら進むと搦手の乾門に。枡形虎口と内側に馬出しを備えている。
水堀が堀切のように入り組んでおり、中に入るのにはグルりと回る必要がある。


縄張り図から大きな窪みがある、井戸跡である。すり鉢状で底が深くわからないらしい。
1枚目は上から井戸跡を撮影、井戸跡がひとつの堀のようになり、上から防御することが出来る。

この先の二の丸は草ぼうぼう

二の丸から出ると左側本丸方面。ここが大手道になる。

大手道を下っていくと枡形虎口になっている大手門となる。手前の土塁が低く、奥の城側が高い。恐らく手前は櫓門、奥は高麗門のような立派な門があったのではなかろうか。
重機で整備後なのでほんとに綺麗である。

三日月堀、丸馬だしは武田の城のトレードマーク。もっと深かったのだろう。
大手門を背中に、丸馬だし正面に見事な富士が聳える。意図的にこの向きに大手を築いたのだろうなぁ。

今回は本丸には行かない、すでに16時近く、山向こうに日が沈む盆地は平野部と違って日が短いのだ。故に16時以降は余り城内に居たくない。神社と城跡は16時以降立ち入るな、個人的な意見である。特に日が沈むのが早いこの時期は。
本丸には勝頼公、馬場信春や山縣、内藤らの家臣ら、富士を正面に墓碑がある。城外からそちらの方へ手を合わし、見学の感謝と鎮魂を祈った。


【補足】
※1 狼→2chのモーニング娘専用掲示板
※2 さゆ→道重さゆみの呼称。2013年(薄ら記憶)吉野家の期間限定メニューのキジ焼き丼のCMでモーニング娘。ファンがこぞって吉野家に通った、都内一部店舗で「さゆ丼」でオーダーが通ったという噂があったが真偽は知らん
※3 「俺さゆが好き過ぎてどうしたらいいかわからねえ(涙)」は握手会の帰りのさゆヲタがさゆが好き過ぎる溢れる気持ちが感動を呼んだエピソード。が、真偽は知らん。感動を呼んだかどうかも、知らん。