相模湖と津久井湖奥から山中湖に向かう道志みちに挟まれた山合いの農村、牧野村に築かれた尾崎城へ。
この城はたまたま道志みちに相模湖から向かう際に案内板があり、見つけた城である。
春夏は谷川山系あるあるのヤマビルが多いというので、ある程度寒くなった11月に攻城した。
最初に看板があるところに駐車して良いのかわからないが、とりあえずここに止めて案内板に従い登城。
どうやら平日なら入口のスペースに駐車して良いらしい。
相模湖と津久井湖奥から山中湖に向かう道志みちに挟まれた山合いの農村、牧野村に築かれた尾崎城へ。
この城はたまたま道志みちに相模湖から向かう際に案内板があり、見つけた城である。
春夏は谷川山系あるあるのヤマビルが多いというので、ある程度寒くなった11月に攻城した。
最初に看板があるところに駐車して良いのかわからないが、とりあえずここに止めて案内板に従い登城。
どうやら平日なら入口のスペースに駐車して良いらしい。
静岡県三島市の山中城へ。静岡県と神奈川県のほぼ県境の箱根山系の1部に築かれたThe山城である。
今川家武田家と河東地区(富士川以東)を争っていた1558年に小田原城の支城として3代氏康によって築城。沼田裁量を破り、天下人太閤殿下の逆鱗に触れた氏政/氏直親子が小田原征伐に備え、最終防衛線として改修、防衛施設として、東海道を三の丸と両側から挟む様に岱崎出丸を1589年に普請。
城マニアでは有名な北条流築城術の畝堀を発展させた障子堀が多数見られる。
山中城は年間3回は行く、手近な城である。
ここは行きやすい、駐車場もある。バス便も三島駅から出ている。
東京神奈川からでも三島は新幹線なら1時間で来れる。車でも沼津インター若しくは長泉沼津インターから20分ほどで着く。
帰りは余り混まないと言われる、さわやか函南店または長泉店まで20分ほどで行ける。
さて、
なんと言っても遺構保存が良い。戦国の息吹が感じられるほど、今でも生きている城である。三島教育委員会や地元の有志の伐採や芝の管理をされてらっしゃる方に感謝。
山城の縄張りの素晴らしさを知るのに山に登らなくても良いし、石垣は無いが山城初心者にもおすすめ。
標高550mの西の丸から眺める富士山と愛鷹山、左手に拡がる駿河湾に三島の街並みは絶景である。
こういうのはどこでも見れる写真なので。
ただこのワッフル(!)の深さは4-5m、櫓台の高さは9-10mあるのでスケール感は伝わらないと思う。中島卓偉の歌の良さはCDじゃ伝わらない、ライブに来ないと届かないのと同じだ。 (これは定型文)
今は土砂の流出を抑える為に植樹や芝を植えてるが、当時は赤土粘土質の関東ローム層でちょっとやそっとでは滑って登れない。さらに何ヶ所かある貯水池からこの堀に水を回してたというのだから、もう障子堀の底は泥んこプロレスの様になる。基本、堀下は逆木(枯れた木を逆さに植えたもの、突き刺さる)や尖った竹や木の槍を剣山のように埋め込んでたりと落ちたら地獄、落ちたら上から火縄で(_・ω・)_ババァン!!。
討ち死に必至。
これが山中城の怖さ。
静岡県中部の旧名「駿河」は流れが「駿馬のように早い富士川」を指し、それが由来だそうだ。富士川より東側を河東、現在は駿東と呼ばれる。
その駿東を治め、伊豆から海の無い甲斐(山梨)へ塩を運ぶ交通の要、御坂みちを見張るように箱根山と愛鷹山に挟まれた小さな扇状台地に葛山氏の領地はあり、居館の裏側の愛鷹山山系の舌縁に詰城として葛山城はある。