ジェシカ・シンプソン(Jessica Simpson/出生名:Jessica Ann Johnson/1980年7月10日~)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、俳優、ファッションデザイナー。

 

 

 

1980年7月10日、ジェシカ・アン・シンプソンは、アメリカ合衆国テキサス州アビリーンに生まれた。父は南部バプテスト(プロテスタント)派の牧師。母のティナは日曜学校の元教師。妹のアシュリー・シンプソン(Ashlee Simpson/1984年10月3日-)は、姉であるジェシカと同じくシンガーソングライターになる。
幼い頃からジェシカ自身シンガーソングライターに憧れていた。

 

12歳の時、ジェシカは教会の聖歌隊でゴスペルを歌い始める。

同時期に『ミッキー・マウス・クラブ』のオーディションにも参加したが、本番で緊張してしまい不合格になる。

その後、インディーズのクリスチャン・レーベルと契約するが、このレーベルが後に倒産してしまう。

夢を諦めかけていた時、祖母のジョイスが資金を出す形でデモ・アルバムを制作。

1997年、通っていたJ.J.ピアース高等学校を中退し、アルバムのプロモーションのために父と各地を回る。地道な努力の甲斐があり、アルバムは完売した。なおジェシカは高校中退後、テキサス州の学校が行っている遠隔教育を通じて General Educational Development(GED)を取得している。


その後、専門の弁護士を付けてレコード会社各社を回り、いくつものレーベルからオファーを受ける。そんな中、ソニー・ミュージックの社長トミー・モトーラと出会い、彼の前で歌声を披露した結果、即契約となる。ジェシカはこの時、モトーラの「君はこれからその心と歌声で世界を変えていくんだ」という言葉に感動し、契約を決めたという。
 

 

1999年8月30日、「21世紀のマライア・キャリー」のキャッチコピーで大々的に売り出され、シングル“アイ・ウォナ・ラヴ・ユー・フォーエヴァー”(I Wanna Love You Forever)でデビュー。米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)にて最高3位を5週連続にわたり記録する大ヒットとなり、華々しいデビューを飾る。

 

11月23日、1stアルバム『Sweet Kisses』をリリース。まだ見ぬ未来の夫に捧げたという楽曲“Heart Of Innocence”では作詞にも参加し、「結婚するまで純潔を守る」と発言した。

 

 

同年、ジェシカがナインティーエイト・ディグリーズ (98°)のツアーのオープニングアクトを務めた時、未来の夫となるメイン・ボーカルのニック・ラシェイと出会う。

 

 

2000年、全米21位全英15位を記録した“アイ・シンク・アイム・イン・ラヴ”(I Think I'm in Love with You)や、当時の恋人ニック・ラシェイ(Nick Lachey)とのデュエットで全米62位になった“Where You Are”が、アルバム『Sweet Kisses』からリカット。アルバムは、『ビルボード』誌の総合アルバム・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)25位・全英36位ながら地道にロングヒットを続け、全米で200万枚、世界で400万枚近い売り上げを記録した。

 

 

 

2001年5月25日、2ndアルバム『イレジスタブル』(Irresistible)をリリース。ダンス・ミュージック、R&Bテイストを取り入れた本アルバムは全米で最高6位を記録し、100万枚近くを売り上げた。この『イレジスタブル』は、ジェシカをブリトニー・スピアーズのような存在にしたいというレコード会社の方針に沿って作られたアルバムだったが、後にジェシカが「それは自分らしくなかった」とも語っている。ここからは、タイトル・ナンバー"Irresistible"が全米15位・全英11位をマーク。アルバムのラストには、本人が人生の一部だと語るゴスペル・スタンダード・ナンバー“His Eye Is On The Sparrow”を収録。

 

 

 

 

2002年、ナインティーエイト・ディグリーズ (98°) のメイン・ボーカル、ニック・ラシェイと結婚。

 

 

2003年8月19日、結婚後初となる3rdアルバム『イン・ディス・スキン』(In This Skin)をリリース。全米チャートで初登場10位を記録。シンプルでマイルドなバラードが多く収められ、アルバムのソングライティングにも積極的に自身が参加し、ありのままのジェシカ・シンプソンを表すような一枚となった。過去2作のアルバムは曲制作にはあまり関与していなかったため、今回のアルバムに対するリスナーの反応にプレッシャーを感じていたが、結果は大成功となる。

 

同年、夫ニックとの新婚生活を描いたMTVのリアリティ番組『ニューリーウェッズ 新婚アイドル:ニックとジェシカ (Newlyweds: Nick and Jessica)』が放送開始、特大ヒットとなる。一時期影が薄くなりかけていたが、ここに来て再ブレイクする。

11月3日、『イン・ディス・スキン』から"With You"をリカット、番組とリンクしたミュージック・ビデオになっており、全米14位・全英7位をマークした。

 

 

2004年、リアリティ番組での人気が追い風となり、本業の音楽の方でも、一度圏外になったアルバム『In This Skin』も再びランクアップし、最終的に自己最高の全米2位を記録。全米だけで300万枚以上を売り上げるキャリア最大のヒット作となった。
11月23日、自身初となるクリスマス・アルバム『リジョイス』(ReJoyce: The Christmas Album)を発表、全米14位をマークした。デモ・アルバム制作のために資金援助してくれて、クリスマスが大好きだったという亡き祖母ジョイスに因み題名を付けた本アルバムは、ジェシカ自身の思い入れも強い作品となった。ここからは、 "What Christmas Means to Me"が『ビルボード』誌「アダルト・コンテンポラリー」チャート(以下「AC」)8位、"Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!"がAC20位をマーク。夫のニック・ラシェイとのデュエット曲"Baby, It's Cold Outside"や、同年に歌手デビューした実妹のアシュリー・シンプソンとのデュエット曲"The Little Drummer Boy"も収録している。

 

 

 

 

 

 

2005年、本格的な女優デビューとなる初主演映画『デュークス・オブ・ハザード』(The Dukes Of Hazzard) が公開され、全米で興行収入1位を記録する大ヒットを記録。ナンシー・シナトラのカヴァー曲である主題歌“にくい貴方” (These Boots Are Made for Walkin')をジェシカ自らが歌い、全米14位・全英4位をはじめ各国でヒット、歌手としても順調にキャリアを積んでいく。

 

11月、夫ニック・ラシェイとの破局を発表、離婚へ向けて動き出した。『ニューリーウェッズ 新婚アイドル:ニックとジェシカ』で人気を集めたカップルの破局は、全米中に衝撃を与えた。婚姻生活は約3年だった。離婚の原因については様々な憶測がされているが、真相は定かではない。

 

 

2006年8月26日、前作から3年ぶりとなるスタジオ・アルバム『ア・パブリック・アフェア』(A Public Affair)をリリース。本アルバムはソングライター、そしてプロデューサーとしてもジェシカ自身が大きく関わった意欲作となった。先行シングルとなった“A Public Affair”はマドンナの“ホリデイ”を彷彿させるポップソングで、全米14位・全英20位を記録、MVにはクリスティーナ・ミリアン等の同業者が友情出演し話題となる。しかし、アルバム発売前後に喉を痛めてしまい十分にプロモーションできなかったことや離婚によるイメージダウンの影響もあり、売り上げは前作より大幅に減少、チャート動向は全米5位に留まった。

 

 

 

2007年、アメリカのシンガーソングライターであるジョン・メイヤーとの交際が話題になったが、数か月で破局する。その後、ダラス・カウボーイズのQBトニー・ロモとの交際を開始する。
アルバム『ア・パブリック・アフェア』を、全米でのリリースから数か月遅れでイギリスやドイツなどのヨーロッパ圏でもリリース。
自身のファッションブランドである「ジェシカ・シンプソン」を立ち上げた。
 

 

2008年9月5日、アルバム『ドゥー・ユー・ノウ』(Do You Know)をリリース。今作はカントリー・ミュージックを基調とした作品になっている。ジェシカは以前よりカントリーを歌うことを希望しており、それが叶うことになった。「カントリーは自分の魅力を最大限に出せる」とも発言。全米4位になった他、アメリカとカナダのカントリー・アルバムチャートでは1位を獲得した。ここからは、"Come On Over"が全米65位に入った。

 

 

 

2009年、デビュー10周年を迎える。
激太りなどのゴシップの話題ばかりが先行。過激な報道に見かねた実妹のアシュリー・シンプソンがメディアに反撃に出たこともある。
テレビ番組の企画で久々の来日も果たした。
 

 

2010年、『The Price Of Beauty』という世界の美をテーマにしたリアリティ番組を開始。
5月、元NFL選手エリック・ジョンソンと交際を始め、11月11日に婚約。
11月22日、自身2枚目のクリスマス・アルバム『Happy Christmas』を発売、全米123位を記録した。

 

 

 

2011年 自身のファッションブランドが好調で、10億ドル(約837億円)の収益を見込んだ。 

数ヶ月にわたる憶測の後、シンプソンは2011年のハロウィーンに第一子を妊娠していることを認めた。

 

 

2012年5月1日、エリック・ジョンソンとの間の第一子の娘マックスウェル・ドリュー・ジョンソンを出産し、同年マタニティウェアラインも立ち上げた。

同年、産後すぐに、シンプソンはニコール・リッチーとともにNBCのリアリティ番組『ファッション・スター』のメンターとして出演した。このシリーズはデザイナーのグループが毎週服作りを競い合うという内容で、毎週、審査員が出場者1名を排除するというもの。同シリーズは2013年に第2シーズンが放送されたが、その後NBCは放送を打ち切った。

同年、シンプソンはウェイト・ウォッチャーズと数百万ドルの契約を結び、妊娠中に増えた体重を同社のダイエット計画で落とすことを誓った。シンプソンは同社のテレビCMを撮影し、最初のコマーシャルは同年9月に放送された。

その後、母親になったことでインスピレーションを得た香水「ヴィンテージ・ブルーム」を発売した。

12月、シンプソンはジョンソンとの間に2人目の子どもを妊娠していることを認めた。この発表を受けて、ウェイト・ウォッチャーズは彼女が妊娠中に同社のダイエットプランに従うのをやめると発表した。

 

 

2013年6月30日、シンプソンは息子エース・クヌート・ジョンソンを出産した。

同年、彼女は花柄のロマンチックなボヘミアンスタイルの寝具やカーテンを含む寝室用装飾品ラインを立ち上げた。

同年、シンプソンが半自伝的コメディシリーズに出演するためにNBCと交渉中であることが発表されたが、プロジェクトは実現しなかった。
 

 

2014年7月、シンプソンとジョンソンはカリフォルニア州モンテシトで結婚した。
8月にはシグネチャーフレグランスを追加した。



2015年、シンプソンはプライマリーウェーブとの契約が正式に終了したため、新しいアルバムの制作を開始することを確認した。シンプソンはリンダ・ペリーとこのプロジェクトに取り組んでおり、2016年にそれを明らかにした。

2015年8月、シンプソンはHSNチャンネルの司会を務めながら、自身の製品を宣伝し、販売は成功した。シンプソンは、米国の小売店で販売されているワークアウトウェアのウォームアップブランドを立ち上げた。

 

 

2016年8月には、ワークアウトウェアのウォームアップブランドを拡大して、トレーナーも含め、今後はこのラインにもっと力を入れていくとコメントした。


2018年9月、シンプソンは3人目の子供である娘を妊娠したことを発表した。

 

 

2019年3月19日、娘バーディー・メイ・ジョンソンを出産した。


2020年2月2日、シンプソンは回想録『Open Book』をリリースし、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストでトップとなり、発売初週にすべてのプラットフォームで59,000部以上を売り上げた。この本の中で、彼女はニック・ラシェイとの結婚、ミュージシャンのジョン・メイヤーとの関係、幼少期に経験した性的虐待、アルコールや処方薬への依存、体重を減らすプレッシャーなどについて語った。これが彼女のボディイメージの問題を引き起こした。この本の一部として6曲の新曲がリリースされ、2010年の『Happy Christmas』以来の音源リリースとなった。

 

 

 

2021年、プロモーション・シングル"Particles"をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジェシカ・シンプソン」「Jessica Simpson」

 

 

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