レッグ・プレスリー(Reg Presley/出生名:Reginald Maurice Ball/1941年6月12日~2013年2月4日)は、イギリスの歌手、ソングライター。「トロッグス」(the Troggs)のヴォーカル担当。

 

 

 

1941年6月12日、レジナルド・モーリス・ボールは、英国イングランド南岸のハンプシャー州アンドーヴァーで生まれた。父親は牛乳配達人で後にバス運転手に転じ、母親はカフェを経営していた。

 

15歳で彼は学校を中退。学校を辞めるとすぐに建築業に就き、レンガ職人になった。

 

レッグの最初のバンドは友人ハワード・マンスフィールドと結成したスキッフル・グループで、マンスフィールドがリード・ヴォーカル、レッグがベースギターを担当。

マンスフィールドが脱退すると、レッグがリード・ヴォーカルに転向し、その後すぐにクリス・ブリットンがギター、ピート・ステープルズがベース、ロニー・ボンドがドラムに加わった。さらにグループは名前を「トログロダイツ」(The Troglodytes)に変更し、クラシックなラインナップが形成された。

 

 

1965年、トログロダイツはオックスフォードで行われたバンド対抗コンテストで優勝した。デモテープをロック起業家のラリー・ペイジに送ったところ、ペイジはグループ名を「トロッグス」(the Troggs)に短縮した。

同年、ラリー・ペイジは『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』の記者キース・オルサムに、リード・シンガーにふさわしい芸名を考えるのを手伝ってほしいと依頼。メディアの注目を集めるため、アルサムはボールの姓を「プレスリー」に変更することを提案した。新しい名前は『NME』誌の次の号で他のバンド・メンバーの名前と一緒に掲載された。ペイジが名前の変更をレッグ本人に伝え忘れていたため、最初レッグはグループで自分が首になったと思って激怒し、ペイジと対立した。

 

 

1966年2月11日、シングル"Lost Girl"を発売、スイスで16位とトップ20入りした。

 

4月22日、シングル“ワイルド・シング”(Wild Thing/日本では「恋はワイルド・シング」の邦題を付けられた)を発売、このシングルが全英チャートのトップ10に入った時、レッグはレンガ職人の仕事を辞めた。最終的に“ワイルド・シング”は全英2位・全米1位(1966年7月30日-8月6日/Billboard Hot 100で第1位)を記録、各国でトップ10に入り、500万枚を売り上げる大ヒットになった。

 

7月8日、シングル“ウィズ・ア・ガール・ライク・ユー”(With a Girl Like You)をフォンタナ(Fontana)からリリース、全英1位(1966年8月4-11日/イギリス公式シングルチャート)・全米29位、各国でトップ10上位を記録した。

 

7月、1stアルバム『From Nowhere』をリリース、全英6位をマークした。

 

9月30日、リード・シングル"I Can't Control Myself" b/w "Gonna Make You"を先行リリース、全米2位・全英43位。

 

12月9日、次のアルバムからの第二弾シングル"Any Way That You Want Me"を先行リリース、全英8位。

 

 

1967年2月10日、シングル"Give It to Me" b/w "You're Lying"をページ・ワン(Page One)からリリース、全英12位。2ndアルバム『Trogglodynamite』を同時発売、全英10位をマークした。

 

 

5月19日、シングル"Night of the Long Grass"をリリース、全英17位。

 

7月、バンド初のベスト・アルバム『Best of the Troggs』をリリース、全米24位。

 

10月13日、シングル"ラブ・イズ・オール・アラウンド"(Love Is All Around)を先行リリース、全英5位・全米7位・カナダ6位・南ア1位。

 

12月8日、3rdアルバム『Cellophane』をリリース。

 

 

1968年2月、ベスト・アルバム第二弾『Best of the Troggs – Volume 2』をリリース、全英44位。

同年、バンド初のライヴ・アルバム『On Tour』をリリース。

この年、シングルで全英チャートに入ったのは、"Little Girl" b/w "Maybe the Madman?"が37位、"Surprise, Surprise (I Need You)" b/w "Marbles and Some Gum" (UK); "Cousin Jane" (US)が57位を記録したのみに留まり、前年までのバンドの人気は完全に衰えた。唯一、"Little Red Donkey"が2位、"You Can Cry If You Want To"が1位に入った南アフリカ(以下「南ア」)においてだけ好調だった。

 

 

 

 

 

1969年、元プラスティック・ペニーのベーシスト、トニー・マレーがピート・ステープルズに代わった。

 

 

1970年、"The Raver" b/w "You"が南ア15位。

 

 

1972年、シングルB面の"Feels Like a Woman"が南ア7位に入った。

 

同年から1973年のツアーでは、リチャード・ムーアがブリトンの代役を務めた。

 

 

1974年、パイ・レコードでの活動を経て、トロッグスは1960年代の成功を再現しようと、ペニー・ファーシング・レコードを経営していたラリー・ペイジと再びタッグを組んだ。

 

 

1975年6月、ペイジと組んだことで生まれた、初のセルフ・タイトルとなったアルバム『The Troggs』をPenny Farthingからリリース。ここから、ビーチ・ボーイズのヒット曲のカヴァー"Good Vibrations"がカットされたが、英国ではチャート入りせず、久々にランクインした全米チャートでは102位に終わった。

 

 

1976年、アルバム『ザ・トロッグス・テープス』をリリース。リチャード・ムーアとコリン・フレッチャーは、スペインのナイトクラブを経営するために一時的に音楽を辞めたブリトンの代役を務め、レコーディングに参加した。

 

 

1982年、バンドはフランスのレーベルNew Roseで好意的な支持を得て、アルバム『Black Bottom LP』をリリース。

 

 

1990年、New Roseからの第二弾アルバム『AU』をリリースした。

 

 

1991年、トロッグスは、R.E.M.のメンバー3人との11曲からなるコラボレーション・アルバム『Athens Andover』をレコーディングした。この作品はアメリカのバンドの故郷であるジョージア州アセンズでレコーディングを実施。

 

 

1992年3月、アルバム『Athens Andover』をリリース。バンドはこの新たな露出を活かすため、“Wild Thing”の新バージョンを2曲コラボレーションした。

 

同年、俳優のオリバー・リードとスヌーカー選手のアレックス・ヒギンズとレコーディングしたがチャート・インはならなかった。

11月13日、ロニー・ボンドが死去。

 

 

1993年、テレビ番組『グラディエーター』のウルフをフィーチャーした別のバージョン"War" (by Edwin Starr featuring Shadow) b/w "Wild Thing" (by the Troggs featuring Wolf)は、イギリスのシングルチャートで69位に達した。

 

 

1994年、スコットランドのバンド「Wet Wet Wet」(ウェット・ウェット・ウェット)が“Love Is All Around”をカヴァー、ロマンティック・コメディ映画『フォー・ウェディング』(Four Weddings and a Funeral)のメイン・テーマに起用されたこともあり、全英で15週間1位を獲得、プレスリーに多額の印税が支払われた。

 

 

1998年、シングル"Let's Drink a Toast" b/w "What You Doin' Here"/"Disco Kid"をリリース。

 

 

2003年、ロマンティック・コメディ映画『ラブ・アクチュアリー』でも“Love Is All Around”が使用された。

 

 

2010年末、プレスリーは重度の脳卒中を患った。

 

 

2011年12月、プレスリーは脳卒中と思われる症状でハンプシャー州ウィンチェスターの病院に入院した。また、肺炎と心臓周囲の水腫にも苦しんでいた。妻によると、プレスリーは同年12月3日にドイツで公演中に初めて気分が悪くなり、次第に悪化していったという。「医師は、プレスリーがまた脳卒中を起こしたと考えています。体調は良くなく、どのくらい入院するか見当もつきません」と妻は語った。

 

 

2012年1月、プレスリーは肺がんと診断され、結成以来在籍していたトロッグスから退き、音楽業界からも引退することを決意したと発表した。

これによりトロッグスのオリジナルメンバーは、ギタリストのクリス・ブリットンだけになった。バンドは新しいリード・シンガーのクリス・アレンと活動を継続する。

 

 

 

 

2013年2月4日、引退発表から1年余り後、プレスリーは肺がんと、アルサムによると「最近続いた脳卒中」で亡くなった。71歳没。

プレスリーはハンプシャー州ベイジングストーク火葬場で火葬された。

 

 

 

 

2016年7月31日、アンドーヴァー・ハイストリートで、プレスリーを偲んで青い銘板が公開され、トロッグスが練習していた場所が示された。

 

 

2023年12月16日、ベースギターとバック・ヴォーカルのピート・ルーカスが73歳の誕生日に死去。



2024年現在もバンドは活動を続けており、オリジナルメンバーのうちクリス・ブリットンのみが参加している。現在、ブリットンは特定のライヴのみを行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Reg Presley」「The Troggs」

https://www.beat-net.info/troggs/

 

 

 

(関連記事)