ジェフ・ベック(Jeff Beck/出生名:Geoffrey Arnold Beck/1944年6月24日~)は、イングランド出身のミュージシャン、ギタリスト。日本では、E・クラプトン、J・ペイジとともに3大ロック・ギタリストの一人とされている。

 

 

 

1944年6月24日、ジェフェリー・アーノルド・ベックはロンドン南方のウォリントン(Wallington)で、姉のエセルとの双子として誕生。一家は中流階級の家庭で、両親と姉との4人暮らしだった。

 

地元の私立小学校に入学。この頃から母親によるピアノのレッスンを受ける。

12歳になるとジュニア・アート・スクールに通い始める。ロックン・ロール、ロカビリーに興味を持ったベックは、友人から3弦のガット・ギターを入手。それに満足できなくなると、ベニヤ板を使い黄色いペンキを塗ったギターを自作した。

ギターにのめり込むベックの姿を見て、母親は25ポンドのグヤトーンを買い与えた。

16歳になるとウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートに入学、学友達と最初のバンド「ナイト・シフト」を結成し、地元のクラブに出演するようになる。

 

1962年、エプソム・アート・スクールに通っていた姉から、同校に在籍していたジミー・ペイジのことを知らされ、意気投合する。間もなくベックはアート・スクールを退学、ナイト・シフトを解散し新たなバンド「トライデンツ」を結成。バンド活動の傍ら、セッション・ギタリストとして様々なセッションにも参加している。トライデンツでの音源はアルバム『ベッコロジー (Beckology)』に3曲が収録されている。

 

 

1965年、売れっ子スタジオ・ミュージシャンとして多忙だったジミー・ペイジに紹介される形で、エリック・クラプトン脱退直後のヤードバーズ(The Yardbirds)に参加する。

 

1966年、ベーシストのポール・サミュエル・スミスが辞めたヤードバーズは、後任としてペイジがベース担当として加入。やがてベースをクリス・ドレヤと交代したペイジは、ベックと2人でリード・ギターを担当、ヤードバーズはツイン・リード編成で活動する。シングル“幻の10年” (Happenings Ten Years Time Ago)を発表、カップリングは“Psycho Daises”だった。

 

この時期にバンドは「売れ線」路線とを志向し、“Heart Full Of Soul”や“トレイン・ケプト・ローリン”(Train Kept A Rollin′)などのヒットを生んだ。

 

また、この頃、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『欲望』にバンドで出演、この映画の演奏シーンでベックはギターを破壊している。

 

様々な活動やツアーを行いながら、バンドは次第にメンバー間の確執が表面化し、遂にアメリカ・ツアー時にベックはステージを放棄、12月中旬に健康上の問題を理由に脱退してしまう。

 

 

ヤードバーズ脱退後、ベックはミッキー・モストとプロデュース契約を結び、ソロ・シングル“Hi Ho Silver Lining / Beck's Bolero”を発表。“Hi Ho Silver Lining”は大ヒットし、NME誌のチャートで17位を記録する。

 

その後ベックは自身の新たなバンドを結成する。一般には「ジェフ・ベック・グループ」と呼ばれているこのバンドは、「ショットガン・エクスプレス」に所属していたロッド・スチュワート(Vo)を始め、ロン・ウッド(B)、ニッキー・ホプキンス(Pt)、エインズレー・ダンバー(Ds)が名を連ねた。バンドはこの顔ぶれでシングル“Tallyman / Rock My Plimsoul”を発表するが、程なくエインズレーが脱退、代わってミック・ウォーラーが加入し、アルバム『トゥルース』(Truth)を録音する。

 

 

 

1969年、その後表面化したメンバーの確執によりロンとミックが脱退。代ってトニー・ニューマン(Ds)、ダグラス・ブレイク(B)が加入したが、ダグラスは短期間で解雇、ロンが再加入した。

6月、2ndアルバム『ベック・オラ』(Beck-Ola)の発表と前後してニッキー・ホプキンスが脱退。さらにロンがフェイセズ加入のため脱退。ロッドも最終的にロンとともにフェイセズに加入する。

 

 

その頃ベックは、ヴァニラ・ファッジのティム・ボガート、カーマイン・アピスと接近、彼らにロッド・スチュワートをボーカリストとして加え、新たなバンドを結成する予定であった。

11月2日、カスタム・メイドのT型フォードを運転中、ロンドン南30マイルのメイドストーンで交通事故を起こし、重傷を負い3ヶ月入院。この出来事により新バンド構想は白紙となってしまう。

 

 

1970年、怪我が完治したベックは新たなメンバーを集め、再び自身のリーダーバンドを結成。日本では「第2期ジェフ・ベック・グループ」とも呼ばれている本バンドは、クライヴ・チェイマン(B)、マックス・ミドルトン(Key)、コージー・パウエル(Ds)、ボブ・テンチ(Vo)というメンバーであった。このバンドはジャズやモータウンといったブラック・ミュージックからの影響を大きく受けており、それまでのブルース路線とは異なるものだった。 

 

1971年10月、アルバム『ラフ・アンド・レディ』(Rough and Ready)を発表。

 

 

1972年4月、スティーヴ・クロッパーにプロデュースを依頼したアルバム『ジェフ・ベック・グループ』(Jeff Beck Group)を発表、その後の活動も好調に行われた。

 

 

だが、ベックは再び「カクタス」で活動していたティム・ボガートとカーマイン・アピスに接触。

8月のアメリカ・ツアーで突如メンバーを変更して、第2期ジェフ・ベック・グループは空中分解。 バンドに残ったボガートとアピスに加え、ヴォーカリストとしてポール・ロジャース招聘を図るもこれは失敗、結局「ベック・ボガート & アピス」(Beck, Bogert & Appice)として活動を始める。

 

 

1973年2月、ベック・ボガート & アピスは唯一のオリジナル・スタジオ・アルバム『ベック・ボガート & アピス』(Beck, Bogert & Appice)を発表。

 

 

10月21日、『ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン』(Live in Japan )をリリース。

 

 

1974年、ベックとボガートの対立からベック・ボガート & アピスは自然消滅する。

なお、前年にディープ・パープルを脱退したリッチー・ブラックモアの後釜としてベックが候補に挙がっているが、実際にはオーディションに至らなかったと言う経緯がある。

 

その後、ビートルズのレコーディングプロデューサーで知られるジョージ・マーティンを迎え、アルバムを制作。当時ジョン・マクラフリン率いるマハヴィシュヌ・オーケストラの『黙示録 Apocalypse』のプロデュースでジョージが採り入れたジャズ・ロック的な手法に傾倒し、当時流行していたフュージョン色の濃い初のインストゥルメンタル・アルバムを作りり上げた。

1975年3月29日、こうして完成した、ロックからフュージョンにアプローチを図ったアルバム『ブロウ・バイ・ブロウ』(Blow by Blow) を発表。するとアメリカでゴールドディスクを獲得、全米チャート4位を記録し、セールス面でも成功を収めるという、インストゥルメンタル・アルバムとしては異例の展開を見せた。“哀しみの恋人達”(Cause We've Ended as Lovers)はスティーヴィー・ワンダーの作曲で、ロイ・ブキャナンに捧げられている。

 

 

同年、ジャズからフュージョン、ファンク、ロックと幅広いジャンルで活動するベーシストのスタンリー・クラークのアルバム『ジャーニー・トゥ・ラヴ』(Journey To Love)に2曲、ゲスト参加。

 

 

1976年5月、ナラダ・マイケル・ウォルデン(Ds)やヤン・ハマー(Key)らを起用し、またしても全編インストゥルメンタルの『ワイアード』(Wired) を発表。ジャズ・ロック的な要素を全面に出したアルバムとなった。

 

 

 

 

1978~1979年、スタンリー・クラークとともに日本及びヨーロッパでツアーを行う。

 

1980年6月、アルバム『ゼア・アンド・バック』(There and Back)をリリース。

 

 

 

1982年、イギリスの人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」が主催した「シークレット・ポリスマンズ・コンサート」で、エリック・クラプトン、スティング等と共演。

 

1983年9月、ロニー・レーンが提唱した、彼自身も苦しむ難病・多発性硬化症のためのチャリティイベント「A.R.M.Sコンサート」に、ヤードバーズ出身のジミー・ペイジ、そしてクラプトンとともに参加。いわゆる三大ギタリストが“いとしのレイラ”で奇跡の共演を果たし、話題になった。

 

 

1984年11月14日、ロバート・プラントが率いる「ハニー・ドリッパーズ」(The Honeydrippers)のアルバム『ハニードリッパーズ 』(The Honeydrippers)に参加、ジミー・ペイジとも共演した。

 

1985年7月、ソロ・アルバム『フラッシュ』(Flash)をリリース。ナイル・ロジャースやアーサー・ベイカーをプロデューサーに迎えた本アルバムでは、インストゥルメンタル・ナンバーは2曲に留まり、ベック自身も“ゲット・ワーキン”、“ナイト・アフター・ナイト”で歌うなど、ヴォーカル入りの楽曲が主体となった。インスト2曲のうちヤン・ハマー作の“エスケープ”(Escape)がグラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞。また、インプレッションズのカヴァー“ピープル・ゲット・レディ”(People Get Ready)では、旧友ロッド・スチュワートをフィーチャーし、MVでも共演し、MTVなどで話題になった。

 

 

 

 

1989年10月、アルバム『ギター・ショップ』(Jeff Beck's Guitar Shop)を発表、グラミー賞の最優秀ロック・インストゥルメンタル賞を受賞した。バラード“ホエア・ワー・ユー”(Where Were You)では、アーミングで音程をコントロールするという離れ技を見せた。“スタンド・オン・イット” (Stand on It)は翌1990年にホンダ・アコードのCMソングに起用された。

 

 

 

 

その後は、ビッグ・タウン・プレイボーイズとのコラボレーション作『クレイジー・レッグス』の発表や、「フランキーズ・ハウス」のサウンドトラック制作、セッション・プレイヤーとしての活動はあったものの、オリジナル・アルバムはしばらく発表しなかった。

 

 

1999年、10年振りにアルバム『フー・エルス!』(Who Else! )をリリース。サイドギターにジェニファー・バトゥンを起用し、打ち込みを多用したテクノサウンドがメインのアルバムとなった。

本アルバム発表に併せて来日ツアーを行う。

 

 

2000年、テクノロック路線をさらに押し進めた『ユー・ハッド・イット・カミング』をリリース。2年連続で来日ツアーを実施。来日時に久米宏がメインキャスターであった『ニュースステーション』にも生出演し、“ナディア”(オリジナルはニティン・ソウニー)を演奏している(ただし演奏は本番前に収録したものであった)。 

 

 

 

2003年、自身の名前を冠した『ジェフ』(Jeff)をリリース。プロ・ツールスを使用した大胆なドラムンベースを大幅に導入したアルバムとなった。“Plan B”でグラミー賞(ベスト・ロック・インストルメンタル・パフォーマンス)を受賞。

 

同年9月にロイヤル・アルバート・ホールでのデビュー40周年記念コンサートを行う。

同年インターネット上でのみ「オフィシャルブートレグ」というかたちで、ライブ・アルバム『Live at BB King Blues Club』を販売。この作品は2005年の来日に併せて『ライブ・ベック!』のタイトルで一般発売されている。1977年以来のライブ・アルバムとなり、「フリーウェイ・ジャム」や「スキャッターブレイン」といった往年の曲も収録されている。

 

2006年は世界ツアーを行い、日本ではウドー・ミュージック・フェスティバルに参加。会場で発売されていたライブ・アルバムが後に『ライブ・ベック'06』として発売された。

 

2008年に3枚続けてのライブアルバムである『ライヴ・ベック3〜ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』-Performing This Week... Live at Ronnie Scott'sを発売。2009年には、同じステージの様子を収録したDVDも発売された。

 

2010年、久しぶりのスタジオレコーディングによるアルバム『エモーション・アンド・コモーション』(Emotion & Commotion)を発表。「テクノ三部作」と呼ばれ、前三作とは違った、オーガニックで穏やかな曲調が主体で、Joss StoneやImelda May,Olivia Safeの歌心が堪能できる。母国イギリスでは、『フラッシュ』(1985年)以来25年振りに全英アルバムチャート入りして自己最高の21位に達し、アメリカでは1976年『ワイアード』以来34年振りにBillboard 200でトップ20入り。日本のオリコンアルバムチャート10位以内の当時のソロ最年長(65歳9ヶ月)保持者となった。

 

 

 

 

ワールドツアーのバンド・メンバーは、ソングライター・プロデューサーとしてグラミー賞を受賞したナラダ・マイケル・ウォルデン(Ds)、ロンダ・スミス(B)、ジェイソン・レベロ(Key)が参加。

 

 

2013年には、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの北米ツアーに参加。また、ブライアンの新作アルバムにも参加している。

 

2016年、デビュー50周年のアルバム『ラウド・ヘイラー』(Loud Hailer)をリリース。

 

 

 

 

2017年、50周年記念の来日公演を実施。

 

2019年のツアーのバンドメンバーは、ドラムがヴィニー・カリウタ、ベースがロンダ・スミス、ボーカルがジミー・ホール、そしてチェリストのヴァネッサ・フリーバーン=スミス。

 

2020年4月16日、ジョニー・デップとコラボしたジョン・レノンのカヴァー曲“孤独”(Isolation)をニュー・シングルとして公開。これが2人の継続的な音楽的コラボレーションの初リリースであることを明かした。このシングルが新型コロナ(COVID-19)パンデミックのロックダウン期間中にリリースされたことに触れ、「ジョニーと僕はしばらく前から一緒に音楽に取り組んでて、この曲は去年スタジオにいた時にレコーディングしたんだ。こんなに早くリリースするとは思ってなかったんだけど、この困難な時代に人々が経験してるすべてのつらい日々と真の「孤独」を考えると、今が皆さんに聴いてもらうのに良い時期かもしれないと判断したんだ」と説明している。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジェフ・ベック」「Jeff Beck」「ヤードバーズ」「ジェフ・ベック・グループ」「ベック・ボガート & アピス」