須藤 晃(すどう あきら/本名同じ/1952年8月6日~)は、日本の音楽プロデューサー、音楽ディレクター、作家。

 

 

 

1952年8月6日、須藤 晃が生まれる。富山県射水郡小杉町(現:射水市)出身。

 

少年時代は石川啄木や寺山修司に憧れて詩人志望であった。

 

富山県立富山中部高等学校を経て、東京大学文学部英米文学科卒業。

 

 

1977年、CBS・ソニー入社。高久光雄のもとで制作アシスタントに就任、当時は矢沢永吉の担当だった。

 

 

その後、同社の音楽ディレクターとして、浜田省吾、尾崎豊、村下孝蔵、橘いずみ(現・和)、玉置浩二らを担当。その傍ら、自身も作家として活動する。

 

 

1980年7月1日、村下孝蔵(むらした こうぞう/1953年2月28日-1999年6月24日)の1stアルバム 『汽笛が聞こえる街』がCBS・ソニーから発売、デビュー・シングル“月あかり”を収録。須藤はプロデュースを担当。 

 

 

1981年4月21日、村下孝蔵の2ndアルバム『何処へ』を発売、“春雨”収録。須藤プロデュース。 

 

11月21日、浜田省吾の14枚目シングルとして“悲しみは雪のように”が発売。9月21日発売のアルバム『愛の世代の前に』からのリカットだが、アルバム収録のテイクとはヴォーカルやコーラス・アレンジ、ミックスが異なっており、表記にはないが厳密には「シングル・レコード・ヴァージョン」といえる。

 

 

1982年4月21日、村下孝蔵の3rdアルバム『夢の跡』が発売、“帰郷”、“ゆうこ”を収録。須藤プロデュース。オリコン48位。 

 

 

 

1983年2月25日、村下孝蔵の5thシングル“初恋”が発売。須藤プロデュース。オリコン3位。

 

8月25日、村下孝蔵の6thシングル“踊り子”と4thアルバム『初恋〜浅き夢みし〜』が同時発売。“踊り子”はオリコン24位、『初恋〜浅き夢みし〜』はオリコン2位をマークした。

 

 

12月1日、尾崎豊(おざき ゆたか/1965年11月29日-1992年4月25日)が1枚目シングル“十五の夜”と、1stアルバム『十七歳の地図』を同時発売してデビュー。全曲の作詞作曲を尾崎が行い、プロデュースは須藤が担当、以降もこのコンビで多数の作品をリリースしてゆく。

 

 

 

1984年12月8日、村下孝蔵の5thアルバム『花ざかり』が発売、オリコン37位“少女”、同50位“夢のつづき”収録。須藤プロデュース。オリコン21位。 

 

 

 

1985年1月21日、尾崎の4thシングル“卒業”が2枚目アルバム『回帰線』からの先行シングルとして、自身初の12インチ・レコードで発売、自身初めてのオリコン・シングル・チャート入りとなる8位を記録した。

 

3月21日、尾崎豊の2ndアルバム『回帰線』が発売、オリコン1位。

4月21日、ECHOES1枚目のアルバム『WELCOME TO THE LOST CHILD CLUB』が発売。井上鑑との共同プロデュース。

10月21日、尾崎豊の5thシングル“DRIVING ALL NIGHT”が発売、須藤プロデュース。オリコン9位。

 

11月28日、尾崎豊の3rdアルバム『壊れた扉から』が発売、オリコン5位。 

 

 

1986年7月2日、村下孝蔵の6thアルバム『かざぐるま』が発売、“ねがい”、オリコン79位“かざぐるま”を収録。須藤プロデュース。オリコン28位。

 

9月4日、浜田省吾の10thアルバム『J.BOY』が発売。今日に至るまでコンサートの定番曲として演奏され続ける表題曲“J.BOY”(作詞・作曲:浜田省吾、編曲:板倉雅一 and 江澤宏明)のクレジットは浜田のセルフ・プロデュースだが、Wikipediaの須藤晃の項では須藤によるプロデュース曲として挙げられている。

 

 

1987年10月21日、村下孝蔵の7thアルバム『陽だまり』が発売、オリコン61位“陽だまり”、“哀愁物語 -哀愁にさようなら-”収録。須藤プロデュース。オリコン33位。

 

10月21日、尾崎豊の初ライヴ・アルバム『LAST TEENAGE APPEARANCE』がCBS・ソニーから発売、須藤は共同プロデュース。オリコン2位。

 

 

1988年10月21日、村下孝蔵の8thアルバム『恋文』が発売、“風のたより”を収録。須藤プロデュース。オリコン24位。

 

 

1989年11月1日、村下孝蔵の9thアルバム『野菊よ 僕は…』が発売、“ソネット”を収録。須藤プロデュース。オリコン25位。

 

 

1990年、初の著書『僕とアスファルトの夜』を角川書店から上梓。

7月21日、村下孝蔵の10thアルバム『清涼愛聴盤』が発売。村下の過去楽曲のリアレンジ作品が大半を占めるているが、新曲が4曲収録されている。須藤プロデュース。

11月15日、尾崎豊のアルバム『誕生』が復帰したCBS・ソニーから発売、尾崎初のセルフ・プロデュース作品であり、須藤はディレクターとして参加した。オリコン1位。

 

 

1991年3月21日、尾崎豊の11枚目シングル“I LOVE YOU”が発売、尾崎との共同プロデュース。

 

4月25日、村下孝蔵の11thアルバム『新日本紀行』が発売。“アキナ”を収録。須藤プロデュース。

 


1992年、浜田省吾の“悲しみは雪のように”がフジテレビ系ドラマ『愛という名のもとに』主題歌への起用を機に、星勝によりアレンジが大幅に変更されてリメイク、同年2月1日に23rdシングルとして、ドラマタイトルにもなった挿入歌“愛という名のもとに”とのカップリングで発売された。92年のバージョンは浜田にとって初の、そして唯一のオリコン・シングル週間チャート1位獲得曲となった。プロデュースは鈴木幹治とクレジットされているが、Wikipediaの須藤晃の項では須藤によるプロデュース曲として挙げられている。

 

4月25日午後0時6分、尾崎豊が死去。死因は肺水腫。26歳没。

6月21日、橘いずみ(現:和[いずみ]/1968年12月11日-)の1枚目のオリジナル・アルバム『君なら大丈夫だよ』がSony Recordsから発売。須藤プロデュース。

 

11月21日、村下孝蔵の12thアルバム『名もない星』が発売。“ロマンスカー”、“一粒の砂”、“この国に生まれてよかった”収録。須藤プロデュース。

 

 

 

1993年3月24日、玉置浩二の2ndソロ・アルバム『あこがれ』がキティレコードから発売。前作のソロ・デビュー作では安全地帯と同じく作詞は松井五郎が担当したが、本作ではインストのリード曲と玉置が作詞を手掛けたラスト・ナンバー“大切な時間(とき)”を除き8曲を須藤が作詞。オリコン4位を記録した。

4月1日、橘いずみ2枚目のオリジナル・アルバム『どんなに打ちのめされても』がSony Recordsから発売。須藤プロデュース。オリコン36位。

5月10日、尾崎豊のライヴ・アルバム『約束の日 Vol.1』と『約束の日 Vol.2』が同時発売、尾崎との共同プロデュース。オリコン1位・2位を記録。

9月22日、玉置浩二の3枚目のオリジナル・アルバム『カリント工場の煙突の上に』が発売、金子章平とともにディレクターとして参加した他、4曲を単独で、2曲を玉置と共同で作詞している。オリコン17位。

 

 

1994年1月12日、橘いずみの3枚目のオリジナル・アルバム『太陽が見てるから』が発売。橘との共同プロデュース。オリコン4位。

 

1月21日、尾崎豊の14枚目シングルとして、“OH MY LITTLE GIRL”がソニー・ミュージックレコーズから発売。1983年の1stアルバム『十七歳の地図』から11年目にして初のリカット。須藤プロデュース。オリコン・シングル・チャートにおいて最高位第1位を獲得、売り上げ枚数は107.8万枚を記録しミリオンセラーとなった。尾崎のシングルでは唯一の第1位獲得作品となり、また最大のヒット曲となった。

 

4月25日、橘いずみの6枚目のシングル“永遠のパズル”(作詞・曲:橘いずみ)が発売。須藤は立花と共同で、プロデュースとアレンジを担当。オリコン9位。

 

6月22日、橘いずみの4枚目のオリジナル・アルバム『こぼれおちるもの』が発売。橘との共同プロデュース。オリコン7位。

7月1日、村下孝蔵の13thアルバム『愛されるために』が発売、シングル“つれてって”を収録。須藤プロデュース。

 

12月12日、玉置浩二の4枚目のソロ・アルバム『LOVE SONG BLUE』が発売、プロデューサーは玉置と須が担当、サウンド・プロデューサーとして星勝が参加している。オリコン18位。

同年、自著『NO TIME NO LICENSE』をソニー・マガジンズから出版。

 

 

1995年2月22日、橘いずみの5枚目のオリジナル・アルバム『十字架とコイン』が発売、橘との共同プロデュース。オリコン6位。

同年、自著『尾崎豊が伝えたかったこと』を主婦と生活社から出版。

 


1996年3月21日、橘いずみの6枚目のオリジナル・アルバム『ごらん、あれがオリオン座だよ』が発売、橘との共同プロデュース。オリコン19位。

7月21日、玉置浩二の11thソロ・シングル“田園”(作詞:玉置浩二・須藤晃/作曲:玉置浩二/編曲:玉置浩二・藤井丈司)を玉置と共同プロデュース、作詞も玉置と共作し、ソニー・レコードから発売した。玉置自身が出演したフジテレビ系木曜劇場『コーチ』の主題歌として使用され、オリコンにて、週間最高2位、同年9月度月間4位、同年10月度月間7位、同年度年間25位をマークした。

 

9月13日、玉置浩二の5枚目のソロ・アルバム『CAFE JAPAN』が発売、玉置との共同プロデュース、作詞は2曲を単独で、5曲を玉置と共同で手掛けた。“STAR”、“メロディー”、“田園”を収録。オリコン4位。

 

 

9月30日、尾崎初のベスト・アルバム『愛すべきものすべてに』がソニー・レコードから発売、須藤プロデュース。オリコン2位。

同年、Sony Recordsを退社・独立、株式会社KARINTO FACTORYを設立し、代表取締役に就任した。以後、馬場俊英、石崎ひゅーいなどをプロデュース。

 

 

1997年5月21日、橘いずみ7枚目のオリジナル・アルバム『TOUGH』が発売、橘との共同プロデュース。

9月21日、玉置浩二の6枚目のオリジナル・アルバム『JUNK LAND』が発売、玉置との共同プロデュース、作詞も1曲を単独で、4曲を玉置と共同で手掛けた。 “MR.LONELY”、“しあわせのランプ”収録。オリコン9位。

 

 

 

1998年、自著『尾崎豊 覚え書き』を小学館から出版。1994年の『NO TIME NO LICENSE』に加筆し文庫化したもの。

 

10月31日、村下孝蔵の26枚目シングル“同窓会”が発売、シングルとしては村下の遺作となった。

 

 

1999年6月24日、村下孝蔵が死去。46歳没。

9月8日、村下孝蔵の14thアルバム『同窓會』が発売。村下が生前に制作した最後のアルバムとなった。“同窓会”(アルバムでのタイトルは“同窓會”と旧字体表記でシングルとは異なる)収録。須藤プロデュース。オリコン14位。

同年、自著『みんなノイズを聴きたがる』をTBSブリタニカから出版。

 

 

2000年4月26日、玉置浩二の8枚目のソロ・アルバム『ニセモノ』が発売、玉置と共同でプロデュース。作詞も単独で1曲、玉置と共同で4曲を手掛けた。オリコン19位。

 

 

2001年4月28日に公開された佐藤信介監督の劇場用メジャー映画第一弾『LOVE SONG』の音楽を担当。

 

 

2004年4月21日、尾崎豊3枚目のベスト・アルバム『13/71 - THE BEST SELECTION』がソニー・ミュージックレコーズから発売、オリコン2位。

 

 

2008年、富山市政策参与に就任。以降、音楽に限らず様々な領域で富山県に関わる地元に根差した活動を行う。

 


2009年~、夏のアートイベント「TOYAMA CITY POP WAVE」を企画制作。

同年、尾崎豊の曲から生まれたオリジナル青春群像ミュージカル『MISSING BOYs〜僕が僕であるために』を監修。

 

 

2010年9月8日、トータス松本の2枚目のアルバム『マイウェイ ハイウェイ』が発売。

 

 

2011年、氷見市を舞台にした映画『ほしのふるまち』をプロデュース。

 

 

2012年、富山県ふるさとの歌“ふるさとの空”(作曲:久石譲/山下康介)の一般公募歌詞に対する補作詞およびプロデュースなど、富山県に関わるイベントプロデュースを多く手がける。 

 

 

2013年7月17日、石崎ひゅーいの1stアルバム『独立前夜』が発売、須藤プロデュース。オリコン66位。

 

 

2015年、富山市芸術文化ホールの運営などを行う(公財)富山市民文化事業団の芸術監督に就任。

 

 

2016年12月7日、石崎ひゅーいの3rdアルバム『アタラズモトオカラズ』が発売、オリコン64位。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「須藤晃」

 

 

 

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