木梨 憲武(きなし のりたけ/1962年3月9日~) は、日本のお笑いタレント、歌手、俳優。
1962年3月9日、木梨憲武は、東京都世田谷区千歳台の自転車店「木梨サイクル」を経営する父:作蔵の長男として誕生。後に妹が生まれ、4人家族で育つ。
店はその後、同区祖師ヶ谷大蔵に移転。
世田谷区立塚戸小学校、世田谷区立千歳中学校卒業。
1977年、帝京高校へ入学し、サッカー部に入部。部内ではムードメーカーで、当時同校野球部にいた同級生の石橋貴明(いしばし たかあき/1961年10月22日-)とよくコンビを組んでネタをやっていた。
高校時代、日本テレビ系のバラエティ番組『TVジョッキー』の一般参加コーナー「ザ・チャレンジ」に出場。木梨は正司歌江(かしまし娘)・和田アキ子・ルパン三世等のものまねを披露し、5代目チャンピオンとなる。当時、石橋も同番組の常連参加者であり、木梨が同番組のグランドチャンピオン大会に出場した際に石橋が友情出演したのが二人のテレビでの初共演となる。
3年生の時、全国高等学校サッカー選手権大会東京都予選メンバーに選ばれ、準決勝に背番号13で出場しシュートを放っているが、ゴールはならなかった。同決勝戦で途中出場した実力の持ち主だったが、部室での喫煙が古沼貞雄監督に見つかったこともあり、全国大会では直前にベンチ入りメンバーから外されている。3週間自宅に通って謝罪し許しを得て練習に参加、さらに全国優勝を果たしたことで古沼監督と和解した。
1980年3月、高校卒業。東京都内の東京ダイハツ販売の杉並営業所に就職。
同時期、所ジョージ司会のバラエティ番組『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)に出場。あと一息のところで賞金100万円を獲り逃がす。
7月、日本テレビ『お笑いスター誕生!!』に石橋とのコンビ「貴明&憲武」として出場。
1981年、『お笑いスター誕生!!』出場6週目から現コンビ名「とんねるず」に改名。TakaakiのTから「TUN」、NoritakeのNから「NEL」、複数形「S」で二人の下の名前のイニシャルを用いて名付けられた。略称「TN」。なお、公式サイトでは、とんねるず結成時期は「1980年」と記載されている。
9月7日~1982年3月29日、テレビアニメ『新・ど根性ガエル』が放送、当時まだアマチュアだったとんねんるずが主題歌に抜擢され、OPテーマ“ピョン吉・ロックンロール”(作詞・曲:横浜銀蝿/編曲:小六禮次郎)、EDテーマ“夢行きチケット”(作詞:大津あきら/作曲:加瀬邦彦/編曲:小六禮次郎)を歌唱。シングルも発売され、実質的に歌手デビューを果たした。
1982年4月、『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜き、グランプリを獲得。期待の大型新人と注目されプロデビューしたものの順風満帆とはいかなかった。デビュー後すぐにいくつかのトラブルが発生し、テレビ出演が激減したため、地方営業やショーパブに出演するなど下積み時代を過ごした。
7月25日、徳間ジャパンから企画物の2ndシングル“ヤバシびっちな女めデイト・ナイト”(作詞:渋谷蒼吉/作曲:馬飼野康二/編曲:大村憲司)を発売。
1984年に『オールナイトフジ』にレギュラー出演したことで知名度を上げ、『オールナイトフジ女子高生スペシャル』でのMCを経験、これが後の『夕やけニャンニャン』出演につながる。
同年~1986年、深夜ドラマの草分け『トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)に可愛かずみ・川上麻衣子・柄沢次郎・前田耕陽等と共演。この頃から同時期に活躍し始めたヒロミや藤井フミヤらと仲良くなり現在も親友関係。
12月5日、3rdシングル“一気!”(作詞:秋元康/作・編曲:見岳章)をビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から発売、デュオ歌手として本格デビューを飾り、オリコン週間シングル・ランキング19位を記録する。
なお、とんねるずや野猿など関連ユニット全般の楽曲の作詞を担当している秋元康、作曲を担当している後藤次利などの他、後に美空ひばり“川の流れのように”を秋元とともに生みだす見岳章や、高見沢俊彦、玉置浩二、藤井フミヤ、久保田利伸ら友人が楽曲を提供。これは、ビクター時代からポニーキャニオン時代まで一貫しており、「バックの音源をしっかり作って、その中でとんねるずを自由に暴れさせる」という音楽制作コンセプトがあったためである。
1985年3月21日、1stアルバム『成増』を発売、オリコン10位。
4月1日、新番組『夕やけニャンニャン』にレギュラー出演してブレイク。破天荒な言動がウケて若者のカリスマ的存在となり、一気にスターの階段をかけ上っていった。
4月21日、4thシングル“青年の主張”(作詞:秋元康/作・編曲:見岳章)を発売、オリコン15位。
8月23日、森田芳光監督映画『そろばんずく』が公開、木梨は「時津風わたる」役で、「春日野八千男」役の石橋とともにとんねるずとして映画初主演を務め、「梅づくしのり子」役の安田成美と共演した。主題歌“寝た子も起きる子守唄”もとんねるずが担当し、後にシングルとして発売した。
9月5日、5thシングル“雨の西麻布”(作詞:秋元康/作曲:見岳章/編曲:高田弘)を発売、オリコン5位。
10月15日に始まった深夜ラジオ番組『とんねるずのオールナイトニッポン』は、目玉のフリートークと数々の名物コーナーが受け「ハガキ職人」を多数輩出、多くのリスナーに多大な影響を与える深夜ラジオ史に残る名番組となる。
11月1日、2ndアルバム『仏滅そだち』を発売、オリコン5位。
同年~1988年、とんねるずのツアーのバック演奏には、後にDREAMS COME TRUEを結成する中村正人が参加、1988年には吉田美和も参加した。
1986年1月21日、6thシングル“歌謡曲”(作詞:秋元康/作曲:見岳章/編曲:水谷公生)を発売、オリコン2位。
同年、所属レコード会社をポニーキャニオンに移籍。
5月28日、7thシングル“やぶさかでない”(作詞:秋元康/作・編曲:見岳章)をポニーキャニオンから発売、オリコン2位。
8月5日、8thシングル“寝た子も起きる子守唄”(作詞:きたやまおさむ/作曲:林哲司/編曲:中村哲)を発売、オリコン4位。
10月21日、9thシングル“人情岬”(作詞:秋元康/作曲:後藤次利/編曲:高田弘)を発売、オリコン2位。
12月28日、3rdアルバム『キャニオン初』を発売、オリコン10位。
1987年2月25日、10thシングル“嵐のマッチョマン”を発売、オリコン2位。
4月5日、11thシングル“迷惑でしょうが…”を発売、オリコン5位。
6月5日、12thシングル“大きなお世話サマー”を発売、オリコン3位。
9月17日、13thシングル“おらおら”を発売、オリコン3位。
10月3日、『ねるとん紅鯨団』がスタート(~1994年12月24日)、「ねるとんブーム」を起こし、深夜番組ながら視聴率上位常連の大ヒット番組となる。
10月21日、4thアルバム『河口湖』を発売、オリコン5位。
1988年1月1日、1stミニ・アルバム『御年賀』を発売、オリコン7位。
2月25日、14thシングル“炎のエスカルゴ”を発売、オリコン7位。
4月29日、5thアルバム『428』を発売、オリコン5位。
7月6日、15thシングル“YAZAWA”を発売、オリコン9位。
10月13日、代表番組となる『とんねるずのみなさんのおかげです』が放送開始(~1997年3月27日)、スタート直後から20%越えの高視聴率を記録。社会現象になる程のお化け番組と化し、自らの地位を確立した。
1989年5月17日、6thアルバム『市川と宮嶋』を発売、オリコン5位。
11月7日、「とんねるず NO TEUCHI」と題し、東京ドームにて単独コンサートを開催。
1990年6月27日、7thアルバム『ほのちゃんにはがはえた。』を発売、初の2枚組。当時の人気アーティストのパロディ曲だけで構成された。オリコン13位。
8月8日、16thシングル“どうにかなるさ”を発売、オリコン7位。
1991年5月29日リリースの17thシングル“情けねえ”を転機に、歌手としてもさらに大きな飛躍を迎える。 “情けねえ”はオリコン・チャート最高位3位に達し、何か月もの間チャート・インし続けるロングヒットを記録。
7月10日、8thアルバム『みのもんたの逆襲』を発売、前作同様、ほとんどの曲を人気歌手の歌詞の傾向や曲調をパロディにしたもので構成。オリコン4位。
10月16日、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が放送スタート(~2001年3月14日)。
同年、“情けねえ”にて第22回日本歌謡大賞の大賞を受賞。
12月31日、第42回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。紅白ではパンツ1丁で出演して「受信料を払おう」というペインティングをして話題になり、歌手別視聴率では2位を記録した。なおこの時の歌手別視聴率1位は大トリの谷村新司。
1992年1月24日、18thシングル“ガラガラヘビがやってくる”を発売、自身初のオリコン1位を獲得した。
5月5日、2ndミニ・アルバム『無痛音楽教育 3才からのとんねるず』を発売、オリコン5位。
7月24日、9thアルバム『がむしゃら』を発売、オリコン5位。
9月3日、19thシングル“一番偉い人へ”を発売、オリコン1位。
1993年1月28日、20thシングル“がじゃいも”を発売、オリコン1位。
9月17日、10thアルバム『悪い噂』を発売、オリコン6位。
1994年2月24日、21stシングル“フッフッフッってするんです”を発売、オリコン2位。
6月17日、コンピレーション・アルバム『とんねるずベスト 足跡』をポニーキャニオンから発売、オリコン5位。
9月15日、11thアルバム『Arrival』を発売、オリコン10位。
同年、映画『そろばんずく』で共演した安田成美と結婚。
12月7日、22ndシングル“ガニ”を発売、オリコン6位。
1995年1月7日、『とんねるずのハンマープライス』が放送開始(~1998年9月26日)。
7月5日、12thアルバム『おまえ百までわしゃ九十九まで』を発売、歌謡活動10周年を記念するアルバムであり、武豊、野茂英雄、畑正憲、由利徹、所ジョージ、落合信子(落合博満の妻)、アントニオ猪木などが詞を提供している。これは『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の企画として、制作から完成までの過程が放映されていた。オリコン6位。
1996年2月12日、23rdシングル“おまえが欲しい”を発売、オリコン12位。このリリースを最後に、「とんねるず」名義での音楽活動は事実上休止しているが、以降も様々なスタイルのユニットを組んで活動を続ける。
同年、木梨は演歌歌手の山本譲二と演歌デュオ「憲三郎&ジョージ山本」を結成。
5月17日、北島三郎(「原譲二」名義)作詞作曲によるシングル“浪漫-ROMAN-”を発売、最終売上枚数23万枚、オリコン週間シングルチャート25位、また当時のオリコン演歌チャート連続1位記録を樹立している。
12月31日、『第47回NHK紅白歌合戦』に憲三郎&ジョージ山本として初出場を果たす。歌手別視聴率では4位を記録した。
1997年6月26日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』が放送開始(~2018年3月22日)。
1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で番組スタッフと「野猿(やえん)」を結成、2年ぶりに2人揃って音楽活動を再開する。当時番組のコーナーでとんねるずがKinKi Kidsのパロディをした際、バックダンサーとして踊った番組スタッフが2人の目に止まり、「CDデビューあるか?」と話が盛り上がりスタート。元々スタッフのみで結成の予定だったが、ヴォーカルを決めるオーディションを行った際、まともに歌えるメンバーが少なく、ヴォーカル面で不安を感じた秋元の助言で一緒に審査していたとんねるずが急遽歌収録に参加することになり、そのまま加入。当初は1曲限定の思い出作りであったが反響が大きく、最終的には約3年間活動が行われた。
4月29日、野猿の1stシングル“Get down”を発売、オリコン10位。
9月17日、野猿の2ndシングル“叫び”を発売、オリコン2位。
12月16日、野猿の3rdシングル“SNOW BLIND”を発売、オリコン5位。
同年、『甘い結婚』で連続ドラマ初主演。すれ違いになった夫婦を描いたシリアスなドラマで木梨は夫役を演じた。
1999年2月24日、野猿の4thシングル“Be cool!”を発売、オリコン3位。
3月10日、野猿の1stアルバム『STAFF ROLL』を発売、オリコン3位。
3月25日、横浜アリーナで野猿コンサートを開催。
8月4日、野猿の5thシングル“Selfish”を発売、オリコン5位。
11月10日、野猿の6thシングル“夜空を待ちながら”を発売、オリコン6位。
12月31日、『NHK紅白歌合戦』に野猿が初出場、“Be cool!”を歌唱した。1991年にとんねるずの二人が紅白に出場した際、“情けねえ”で装ったパンツ一丁で全身赤塗り・白塗りを、11人で再現。但し、赤塗りになったのは高久のみ。なお、これにより木梨は、とんねるず、憲三郎&ジョージ山本、野猿と、異なる3つのグループで紅白に初出場という珍しい記録を達成した。
2000年2月2日、「野猿 feat. CA」名義で7thシングル“First impression”を発売、オリコン4位。
3月1日、野猿の2ndアルバム『evolution』を発売、オリコン5位。
3月15~17日、野猿が日本武道館3デイズを開催。
5月31日、野猿の8thシングル“Chicken guys”を発売、オリコン5位。
10月12日、野猿の9thシングル“太陽の化石“を発売、オリコン7位。
12月31日、『NHK紅白歌合戦』に野猿が2年連続2回目の出場、“Chicken guys”を歌唱した。オリンピックイヤーということで、長嶋茂雄(ボーカルチーム)と高橋尚子(ダンサーチーム)(半田は田村亮子)のコスプレで登場。
2001年1月24日、「yaen front 4 men feat.saki」名義で10thシングル“star”を発売、オリコン9位。
2月28日、野猿の11thシングル“Fish Fight!”を発売、オリコン5位。
3月14日、野猿の3枚目アルバム『撤収』を発売、ベスト(シングル全曲+新曲5曲)アルバムで、オリコン4位。
4月~、コンサートツアー「撤収」がスタート、大阪城ホール、名古屋レインボーホール、国立代々木競技場第一体育館3デイズ、さらに「完全撤収」と題して同所で追加公演2デイズと大きな会場でのライヴも開催した。
5月3日、映像作品『野猿のビデオクリップと歴史 ザ・グレイテスト・ヒッツ』をリリース。
5月12・13日、代々木でのライヴ「完全撤収」を最後に野猿は解散(「撤収」と呼んでいる)した。活動期間内に計11枚のシングル、3枚のアルバムがリリースされ、全てのCDがオリコンチャートトップ10入りを果たす。
2002年6月12日、「木梨憲武+忌野清志郎」名義で2002 FIFAワールドカップ応援歌“ガンバレ日本”(作詞:忌野清志郎 + 木梨憲武/作曲:忌野清志郎)をシングルとして発表。オリコン35位。
2004年、スペシャルドラマ『にんげんだもの -相田みつを物語-』では主役の「相田みつを」を演じている。
2006年10月18日、「あじさい」名義でシングル“二人だけの世界”(作詞:EQ・ma-saya/作・編曲:EQ)をポニーキャニオンから発売。あじさいは、木梨がライフワークとして行っているライヴ・イベント「NORITAKE GUIDE」にて集ったミュージシャンで結成したバンド。
2007年12月6日、DJ OZMA(綾小路翔)が『とんねるずのみなさんのおかげでした』にゲスト出演した際、前身番組でのシリーズコントに登場するロックバンド「矢島工務店」がバンドを始めたきっかけだったと告白。とんねるずとDJ OZMAが意気投合。
2008年5月29日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で「とんねるず×DJ OZMAプロジェクト」が始動。デビュー曲のCM起用が先に決まるも、詳細は未発表。
9月25日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で「矢島美容室」が発表。10月29日にCD発売予定が発表され、デビュー曲“ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-”を番組内で初披露し、番組放送終了直後より着うたの配信を開始。
9月26日、公式サイトが開設。ロッテ『SPASH』(長澤まさみ、古田新太出演)のCMスポットが東日本先行オンエア開始。
10月29日、1stシングル“ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-”を発売して矢島美容室がデビュー。オリコン3位を記録、音楽配信ダウンロード数は170万ユニット超え。
2009年3月25日、矢島美容室2ndシングル“SAKURA -ハルヲウタワネバダ-”発売。
オリコン5位を記録。
7月8日、矢島美容室3rdシングル“はまぐりボンバー”を発売。オリコン9位を記録。
9月16日、とんねるずのベスト・アルバム『GOLDEN☆BEST とんねるず 〜ビクター・イヤーズ・コンプリート』を発売。
12月24日、映画『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』の
2010年GWの公開と、年明けに4枚目のシングル“メガミノチカラ”を発売すると発表。
2010年、とんねるずコンビ結成30周年を迎える。
2月10日、矢島美容室4thシングル“メガミノチカラ”を発売。
3月3日、矢島美容室の1stアルバム『おかゆいところはございませんか?』を発売。
3月22日、東京国際フォーラムで『映画完成記念!矢島美容室ファン感謝祭』を開催。
3月24日、この日開幕した第2回沖縄国際映画祭に出席。『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』が当映画祭のオープニング作品として上映され、中島信也監督と共に舞台挨拶を実施。
4月21日、映画主題歌のシングル“アイドルみたいに歌わせて”が発売。
4月28日、映画サントラアルバム「矢島美容室 THE MOVIE MUSIC ALBUM」発売。
4月29日、映画『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』が全国公開。
2011年3月9日、撤収10種年を迎えて、野猿の全楽曲50曲の着うた配信を開始した。
2012年3月21日、フジテレビの生放送音楽特別番組『とんねるずが生放送!音楽番組全部見せます!!-名曲で元気になろう-』で約2年ぶりにテレビ出演を果たし、
この日を最後に活動休止状態になる。
3月に行った木梨のソロ・ライヴ「NORITAKE GUIDE 5.0」最終日に石橋がサプライズ登場し、“一番偉い人へ”、“迷惑でしょうが”、“情けねえ”を久しぶりに客前でライヴ・パフォーマンスした。
2015年6月3日、旧友3人で組んだ「藤井フミヤ&憲武とヒロミ」名義で、配信シングル“友よ”をリリース。
2017年5月、5年ぶりの単独ライヴ「木梨憲武と感じだしまショー」を開催。
2018年4月、16年ぶり主演映画『いぬやしき』全国公開。
7月、2022年まで続く個展「木梨憲武展 Timing -瞬間の光り-」の巡回がスタート。
2019年9月14日、自身が出演していた「氣志團万博2019」にて、自社レーベル「木梨レコード」を立ち上げ初のソロ歌手デビューすることを発表。
10月24日に配信EP『木梨ファンク 〜NORI NORI NO-RI〜』でデビューし、配信系チャートで6冠を獲得。
12月11日発売のアルバム『木梨ファンク ザ・ベスト』では8冠を獲得した。オリコン8位。
2020年1月22日からポニーキャニオン時代のとんねるずの楽曲が、各種インターネット配信サイト(サブスクリプションサービスを含む)にて配信が開始された。
10月4日、2ndソロEP『木梨ミュージック コネクション』を配信リリース。
11月29日、3rdソロEP『木梨ミュージック コネクション2』を配信リリース。“生きてるうちが花なんだぜ feat. 宇崎竜童 & 佐藤浩市”他収録。
12月、音楽フェス「TBSラジオ presents 木梨の大音楽会。フェスってゆ-!!」をパシフィコ横浜・国立大ホールで開催する。
12月31日、『ももいろ歌合戦』(BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTV)へ木梨がソロで初出場。
2021年7月28日からビクター時代のとんねるずの楽曲が、各種インターネット配信サイト(サブスクリプションサービスを含む)にて配信が開始された。
10月3日、4thソロEP『木梨ミュージック コネクション3』を配信リリース。
2022年4月、音楽フェス「第二回 木梨フェス 大音楽会」を両国国技館で開催。
5月、「木梨憲武 交響楽団 THE CURTAIN CALL SHOW」を東京文化会館・大ホールで開催。
6月1日、アルバム『木梨ミュージック コネクション最終章 〜御年60周年記念盤〜』をリリース。
6月、2018年から全国美術館を巡回してきた個展『木梨憲武展 Timing -瞬間の光り-』が、上野の森美術館でフィナーレを迎える。全国20カ所で開き、総来場者数122万人を動員。
10月4日、「木梨憲武 DJシーナ(CV:久野美咲) & ウィンディ(CV:井口裕香)」名義で配信シングル“ゲット・オン・ザ・風呂”をリリース。NHK Eテレ『オトッペ』 エンディングテーマ。
2023年3月21日、『大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK/NIAGARA ONDO BOOK』が発売、収録曲“ゆうがたフレンド”(作詞:糸井重里/作曲:大瀧詠一)は、レコーディング済みのとんねるずの未発表曲で、大瀧の遺作であり、今般が初音源化となった。
12月6日、「木梨憲武&ヒロミ&所ジョージ」名義で配信シングル“空を見上げた”をリリース。
2024年1月26日、『みなさんのおかげです 木梨憲武自伝』発売。
2月6日、木梨憲武&ヒロミ&所ジョージ名義で配信シングル“いちにちごとに”をリリース。
(参照)
Wikipedia「木梨憲武」「とんねるず」「野猿」
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