加古 隆(かこ たかし/1947年1月31日~)は、日本の作曲家、ピアニスト。

 

 

 

1947年1月31日、加古隆が誕生。音楽とは全く縁のない一般家庭に生まれ、大阪府豊中市で育つ。

 

小学校の時、知り合い宅に行った際、当時日本ではまだ珍しかったレコードプレーヤーがあり、1枚だけあったLPレコードを聴いたのが音楽との出会いだった。この時加古は大変心地よくなり、これ以降レコードを聴きたいがためその知人宅へ泊り込みで通うようになり、枕元にプレーヤーを置いて何度も何度も音楽を聴きながら眠った。この曲がトスカニーニ指揮、ベートーヴェン作曲の交響曲第5番『運命』であった。

 

小学2年頃、当時の学級担任が音楽の教師で、生徒に器楽合奏をやらせていた。加古がどんな楽器も上手に演奏するのを見て、両親にピアノを習わせることを薦める。

 

小学校から中学時代にかけて、クラシック音楽のレコード収集に熱中する。当時は唯一の情報源がレコード店であり、何度も訪れるうちに、店主に珍しがられ、色々なレコードを教えてもらう。

 

中学生のある日、ストラヴィンスキーの「三大バレエ組曲」(『火の鳥』『春の祭典』『ペトルーシュカ』)に出会う。これまでのクラシック音楽とは大きく異なる、現代音楽の魅力にとりつかれる。

中学3年生の頃、当時ピアノを習っていた先生に言われた「君はあまりレッスンに熱心ではないけれど、作曲家を目指すのも、夢があっていいと思う」という言葉が決め手となり、東京藝術大学作曲科への入学を決意。

中学校を卒業後、大阪府立豊中高等学校へ入学。

高校1年の時、先輩に誘われて行ったフェスティバルホールでのアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのライヴで、ジャズの刺激的な音に体を雷に打たれる程の衝撃を受け、次の日からジャズのレコード収集に奔走する。

1965年、東京藝術大学作曲科へ入学。その後約1年間は、作曲の勉強よりもジャズの演奏活動に夢中になっていた。三善晃の指導をきっかけに作曲に魅力を感じ、作曲の勉強とジャズの両方をやっていてはどちらも中途半端になってしまうと思い、ジャズからは意識的に距離を置き、聴くことも止め、現代音楽の作曲家を志す。

 

 

1969年、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業。
同年、同大学院へ進学。

 

 

1970年、大学院在学中に自身の作品が毎日音楽コンクール(現:日本音楽コンクール)作曲部門・管弦楽曲第2位を受賞する。
 

 

1971年には『オーケストラの為の《構成》』が若杉弘指揮、東京フィルハーモニー交響楽団により初演される。
7月、フランス政府給費留学生として渡仏。パリ国立高等音楽院で、オリヴィエ・メシアンに作曲を学ぶ。

同年、東京藝術大学大学院作曲研究室修了後、フランス政府給費留学生としてパリ国立高等音楽院作曲科に留学し、オリヴィエ・メシアンに師事。
 

 

1972年、『アルトとピアノのための《旅人と夜の歌》』、『オーケストラの為の一章』が、パリ音楽院管弦楽団により初演される。メシアンは折に触れて、「加古君、あなたが日本人であることは、とてつもない財産なのです」と語っていた。そしてこの言葉が、西欧風の曲を主に書いていた加古に、自分の生まれ育った国である日本に目を向けさせるきっかけとなった。
パリに留学して1年が経った頃、学友の家で、それまで知らなかったフリー・ジャズのレコードを聴く。現代音楽とフリー・ジャズの間に、何かしらの共通性を見出した加古は、これなら自分にもできると思った。

 

 

1973年、ある偶然のきっかけで、学校には籍を残したまま、フリー・ジャズ・ピアニストとしてプロ・デビューを果たし、ヨーロッパ各国で公演を実施、ジャズ誌に「現在フランスで聴くことのできる最高のピアニスト」と評される。このことが以後、現代音楽分野における作曲活動と、ジャズにおける即興演奏活動の共存を生み出し、加古にとって、より広い意味での現代音楽の追求へとつながった。

 

1978年、フリー・ジャズ仲間のリズム・セクションでピアノトリオ「TOK」(トーク)を結成。ラインナップは、タカシ・カコ(Pf)、オリバー・ジョンソン(Ds)、ケント・カーター(B)。トリオ名は、メンバーの名前の頭文字(TakashiのT、Oliver JohnsonのO、Kent CarterのK)を取ったもの。トリオはヨーロッパ全土で演奏活動を繰り広げる。

 

 

1979年に日本人として初めて、ECMレコードからアルバム『パラドックス』を発表する。これは加古自身にとって、ジャズにおける金字塔とも言われている。

 

同年冬、天候の悪化でロンドンから来られなくなったピアニストの代役として、急遽フランスのカーンで行われた音楽祭に出演。音楽祭当日に電話が入り引き受けた。加古にとって初となるピアノ・ソロ・コンサートで、それまでのどんなステージとも違う啓示のようなものを感じる。

 

 

1980年、日本に帰国。ソロ・ピアニストとしての活動を本格化する。

9月23日、加古臨王(かこ りおん)が誕生。後に俳優、声優、演出家となる。



1985年2月、東京西武劇場(現:パルコ劇場)で3夜連続のソロ・コンサートを開催。音楽評論家野口久光の「一度でいいから誰でも知っているメロディーを取り上げてごらん」という言葉から始まった、新しい音楽への追求、その結果がここに完成した。しかし、完成した作品は当時の加古の音楽とは著しく性格を異にするものだったため、自分らしさを失うのではないかという思いから、この曲を初演すべきか否か、当日の朝まで迷っていた。しかしながら思い切って演奏に踏み切った後、世間の評価は別として、シンプルなメロディーの大切さを再認識し、音を丹念に選んでいく訓練を長く受けてきた自分にとっての「作曲」という作業に、新たな音楽の世界:自分らしさ、を発見する。「作曲」という概念を自身の音楽に積極的に取り入れるようになった加古の音楽は、この作品を機に、大きくその容貌を変化させる。まさに、作曲家・ピアニストとして自覚する契機となったのが“ポエジー”であった。

同年、イングランドの民謡“グリーンスリーブス”をモチーフにした曲“ポエジー”が、「ニッカウヰスキー」CM曲として使用され、大ヒットとなる。

 

 

1986年、アルバム『ポエジー』(Poesie)をリリース。“ポエジー”収録。

 

 

1988年、アルバム『スクロール』で、スイングジャーナル社主催「日本ジャズ賞」を受賞。

 

 

1989年、天児牛大演出、イズマエル・イヴォ(ダンサー)との共演で“アポカリプス”を初演。

 

 

1990年、ピアノ交響詩『春 〜花によせて』を大阪・国際花と緑の博覧会にて初演。その後、大友直人指揮、東京フィルハーモニー交響楽団との共演による演奏がCD化される。
 

 

1991年、映画『On the Earth In Heaven』(監督:マリオン・ハンセル)の音楽を担当。
 

 

1992年、米国カーネギーホール(Weill Recital Hall)にてピアノ・ソロ・コンサートを行う。

同年、カネボウ「デナリ」CMソングに“ジブラルタルの風(マンドリン・ヴァージョン)”が起用される。アルバム『Scene 映像音楽作品集』に収録。

※映像の音源はマンドリン・ヴァージョンではない。

 

 

1995年、NHKスペシャル『映像の世紀』のテーマ曲“パリは燃えているか -メインテーマ-”や、“大いなるもの東方より”、“ザ・サード・ワールド”など、音楽を担当。番組の放送終了後、NHKにはテーマ曲をはじめ音楽に関する問い合わせが殺到。“パリは燃えているか”は加古の代表曲のひとつとなる。

 

 

1997年、NHK『ドキュメントにっぽん』のテーマ曲“青の地平”をはじめ音楽を担当。

 

同年、ホンダ「レジェンド」CMソングに“一つの予感”が起用される。アルバム『予感 〜アンジェリック・グリーンの光の中で〜』に収録。

 

 

1998年、モントリオール世界映画祭のグランプリ作品である映画『月の虹』(原題:The Quarry/監督:マリオン・ハンセル)の音楽を担当したことで、「最優秀芸術貢献賞」を受賞。
 

 

2000年、NHK『にんげんドキュメント』の音楽を担当。

 

同年、演奏時間50分を超える、組曲『映像の世紀』を発表。初演は大阪にて、金聖響指揮、大阪センチュリー交響楽団との共演で行われた。

同年、映画『式日』の音楽を担当。
 

 

2001年、映画『大河の一滴』の音楽を担当。

 

 

2002年、映画『阿弥陀堂だより』の音楽を担当し、第57回毎日映画コンクール「音楽賞」及び第26回日本アカデミー賞「優秀音楽賞」を受賞。

 

 

2003年、『NHKスペシャル』「地球市場・富の攻防」の音楽を担当。

同年、フジテレビ系ドラマ『白い巨塔』の音楽を担当。エレキギターを用いた音楽で、大きな話題を呼んだ。

 

 

 

 

2005年、『NHKスペシャル』「日本の群像 再起への20年」の音楽を担当。

同年、宮城県気仙沼高等学校の校歌を作曲。
 

 

2006年、映画『博士の愛した数式』の音楽を担当し、第61回毎日映画コンクール「音楽賞」を受賞。

 

同年、熊野古道世界遺産登録2周年を記念しての、三重県からの委嘱作品“熊野古道 〜神々の道〜”を作曲。

 

 

7月1日、世界遺産登録からちょうど2年になるこの日、三重県文化会館にて世界初演コンサートが行われた。

同年、ウイーンのダンスフェスティバルにおいて“アポカリプス”を再演。

 

 

2008年、映画『明日への遺言』の音楽を担当。

 

 

2010年、オーケストラ・アンサンブル金沢の委嘱作「ヴァーミリオン・スケープ〜朱の風景」を井上道義の指揮で世界初演。

同年、ヴァイオリンの相川麻里子、ヴィオラの南かおり、チェロの植木昭雄とピアノ四重奏団「加古隆クァルテット」を結成。エイベックス・クラシックスより、アルバム『QUARTET』を発表。

 

 

2011年、『NHKスペシャル』「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」の音楽を担当。

 

 

2013年、『QUARTETⅡ』を発表。

 

 

4月24日、デビュー40周年を記念したCD2枚組ベスト・アルバム『ANTHOLOGY』をリリース。

 

 

2014年の映画『蜩ノ記』の音楽でも第38回日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。

 

 

2015年、『NHKスペシャル』「新・映像の世紀」シリーズの音楽を担当。

 

 

2016年、映画『エヴェレスト 神々の山嶺』の音楽を担当。

 

 

2017年、第68回「日本放送協会放送文化賞」を受賞。

 

 

2021年、アルバム『QUARTETⅢ 「組曲・映像の世紀」』を発表。

 

 

2022年、NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』の音楽を担当。

 

同年、映画『峠 最後のサムライ』の音楽を担当。

 

 

2023年、パリでのデビューから50周年となり、記念アルバムとして自選映像音楽集『KAKO DÉBUT 50』をエイベックスから発表。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「加古隆」

 

 

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