松本 隆(まつもと たかし/1949年7月16日~)は、日本の作詞家、ミュージシャン。ロックバンド「はっぴいえんど」の元ドラマー。

 

 

 

1949年7月16日、松本隆は東京都港区青山で生まれた。父は元南九州財務局長、仙台銀行相談役の松本亘司(のぶじ)。母は伊香保温泉の石段街にある明治時代から続く写真館「斎藤写真店」の娘である知子。母は少女時代、「伊香保小町」といわれる程の美人で、国鉄のポスターモデルにもなったという。両親ともに群馬県出身。

港区立青南小学校、慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学商学部中退。

生まれ育った青山を基点として、多感な時期に多くの時間を過ごした乃木坂や麻布、六本木や渋谷界隈の範囲を「風街」と呼び、心の拠り所として愛している。音楽的にはビートルズの影響を強く受けたと語っている。また、詞が優しいといわれることについては、実妹が生まれつき病弱で1980年に24歳の若さで亡くなっていることが理由ではないかと自ら語っている。

1968年4月1日、細野晴臣が掛け持ちしていたバンド「バーンズ」のドラマーとして活動中に細野とともに誘われ、小坂忠、柳田博義、菊池英二らと「エイプリル・フール」を結成、当時は「松本零」名義で活動した。

この時期、常に本を持ち歩いていて文学青年に見えたことから、細野より「松本、詞を書け」と言われ作詞を担当するようになる。松本が出演したラジオ番組によれば、作詞は細野から「こんな詩を書け」と言われて渡された輸入盤レコードの歌詞を大学の友人に訳してもらい、自分なりに似せて作ったところから始まったという。

10月、エイプリル・フールが短期間で解散。

10月28日、細野、大瀧詠一、鈴木茂とバンド「ヴァレンタイン・ブルー」を結成、初ライヴを行う。

 

 

1970年3月、バンド名を「はっぴいえんど」に変更。

8月5日、1stアルバム『はっぴいえんど』発売。

 

はっぴいえんど在籍中は、つげ義春や永島慎二など『ガロ』系漫画や渡辺武信の現代詩に影響を受けた独特の作風で、都市に暮らす人々の心象風景を「ですます」調で描き、一部に熱狂的支持者を生むとともに、日本語ロック論争の発端となった。また、メンバーにはそれぞれ別名があり、松本は「江戸門弾鉄」名義で初期の大瀧のソロ曲の作詞も担当した。

 

 

1971年11月20日、アルバム『風街ろまん』発売。“風をあつめて”(作曲:細野晴臣)を収録。

 

この頃より大滝のソロ活動が活発化。

 

 

1972年4月20日に発売された五つの赤い風船のシングルA面“えんだん”(作・編曲:西岡たかし)で初めて他者に作詞を提供する。

 

12月31日、はっぴいえんど、正式解散。

はっぴいえんど解散後はムーンライダーズ(オリジナル・ムーンライダーズ)として活動する傍ら、作詞家と兼任で音楽プロデューサー業を始める。

 

 

1973年9月21日、プロデュース第一作の南佳孝の1stアルバム『摩天楼のヒロイン』完成後に、歌詞が余りに「松本の世界」すぎて「これはあなたのアルバムだ」と南に言われ、音楽プロデュースへの情熱を失ったという。

10月5日、チューリップの通算4枚目シングル“夏色のおもいで”(作曲:財津和夫/編曲:川口真・チューリップ)が発売、オリコン14位。松本の職業作詞家としてのデビュー曲である。この曲を聴いた作曲家・筒美京平が、松本を自宅に呼び出し「これこそヒット曲と言うんだよ、素晴らしい」と絶賛したのがきっかけで、松本・筒美の黄金コンビが誕生することとなった。

 

その後、あがた森魚『噫無情(レ・ミゼラブル)』、岡林信康『金色のライオン』等のアルバムのプロデュースも行ったが、それ以降プロデューサー業からは退き、またオリジナルムーンライダーズからも脱退し、作詞活動に専念することになった。

歌謡曲の作詞をするようになったきっかけのひとつに、音楽プロデューサーの木崎賢治との出会いがある。フリーのレコーディング・エンジニアやディレクターをしていた吉野金次を介し、木崎と知り合う。松本は歌謡曲の作詞をしてみたいと伝えると、木崎は吉野が当時担当していたアグネス・チャンの楽曲への作詞提供を提案。

 

 

1974年3月発売のアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』収録曲を数曲作詞。

6月10日、アグネス・チャンの“ポケットいっぱいの秘密”(作曲:穂口雄右)がアルバムからリカットされ、スマッシュヒット。これがきっかけで歌謡界に本格進出する。“ポケットいっぱいの秘密”のシングルカットに際してはアグネスが当時所属していた渡辺プロダクション社長の渡辺晋の高い評価があったという。

 

 

1975年12月21日、アグネスと同じ渡辺プロダクション所属だった太田裕美のシングル“木綿のハンカチーフ”(作曲:筒美京平/編曲:筒美京平・萩田光雄)の大ヒットにより作詞家として注目される。初めは歌謡界を見下していたが、「この詞には曲をつけられないだろう」と作曲家の筒美京平に本曲の歌詞を持っていったところ、あっさりと曲をつけられた。以後、考えを改め、作詞に没頭するようになった。なお、筒美との組み合わせでは合計約380作品を手掛け、歌謡曲における「松本・筒美」コンビの名は後に伝説と化す。

 

 

1977年1月15日、野口五郎の22枚目シングル“むさし野詩人”(作曲:佐藤寛/編曲:筒美京平)が発売、オリコン2位。

 

10月25日にリリースされた、原田真二のデビュー・シングル“てぃーんず ぶるーす”(作曲: 原田真二/編曲: 鈴木茂・瀬尾一三)を手掛け、オリコン6位のヒットとなる。続く11月25日発売の2枚目シングル“キャンディ”(作曲:原田真二/編曲:原田真二・阿部雅士)がオリコン10位、12月20日発売の3枚目シングル“シャドー・ボクサー”がオリコン14位を記録した。

 

12月21日、初めて担当した山口百恵の20枚目シングル“赤い絆(レッド・センセーション)”(作曲:平尾昌晃/編曲:川口真)が発売、オリコン5位。

 


1978年3月21日、中原理恵のデビュー・シングル“東京ららばい”(作・編曲:筒美京平)が発売、オリコン9位。

 

4月10日、原田の4枚目シングル“タイム・トラベル/ジョイ”(作・編曲:原田真二)が発売、オリコン4位を記録。一連の原田の楽曲を手掛けたことで世間に知られるようになった。松本自身、「1970年代後半は歌謡曲の駆け出し。駆け出しといっても、78年頃にはトップの方にいた」と述べている。

 

 

 

1979年7月21日、桑名正博の4枚目シングル“セクシャルバイオレットNo.1”(作曲:筒美京平/編曲:桑名正博&ティアードロップス・戸塚修)が発売。

 

8月21日、竹内まりやの3枚目シングル“SEPTEMBER”(作・編曲:林哲司)が発売。オリコン最高位39位ながら、TOP100圏内に半年近くチャートインし続けるロングセールスとなった。このヒットにより、同年末の「第21回日本レコード大賞」で竹内は新人賞を獲得した。

 

1980年代より、はっぴいえんど時代の仲間たちを歌謡界に呼び寄せ、ヒットメーカーとしての快進撃が始まる。

 

 

1980年12月12日、近藤真彦のデビューシングル“スニーカーぶる〜す”(作曲:筒美京平/編曲:馬飼野康二)発売、オリコンウィークリーチャートで史上初の「デビュー・シングルで初登場1位を獲得したシングル」となった。

 

 

1981年1月21日、南佳孝のシングル“スローなブギにしてくれ (I want you)”(作詞:松本隆/作曲:南佳孝/編曲:後藤次利)発売。角川春樹事務所・東映提携作品「スローなブギにしてくれ」オリジナルサウンドトラック。

 

2月5日、寺尾聰の6枚目シングル“ルビーの指環”が発売。第23回日本レコード大賞において大賞、金賞、作詞賞、作曲賞、編曲賞を受賞、さらに第14回全日本有線放送大賞・上半期グランプリ FNS歌謡祭・大賞、日本テレビ音楽祭・グランプリ、第12回日本歌謡大賞・大賞を受賞。オリコンでは10種連続で週間1位、1981年度年間1位を獲得するなど、文字通り1981年を代表する1曲となった。

 

3月21日、大滝詠一のスタジオ・アルバム『A LONG VACATION』が発売。大滝から直々に作詞の依頼があり快諾した後、松本の実妹が若くして逝去したためその悲しみから翻意して一旦は断った。だが松本の歌詞ありきで制作をしたいと大滝は立ち直るまで待つと言い、アルバムの発売が半年ほど延期された。こうして出来上がった本アルバムは、妹の旅立ちにショックを受けた余り日常がモノクロに見えたという実体験に基づき書いた“君は天然色”をはじめ、“カナリア諸島にて”や“恋するカレン”など、大滝も納得の作品が並んだ。首位こそ逃したもののオリコン2位を記録し、大滝最大のヒット作となった。

 

 

 

 

6月12日、近藤真彦の3作目シングル“ブルージーンズ メモリー”(作曲:筒美京平/編曲:馬飼野康二)発売、オリコン1位。

 

7月21日、松田聖子6枚目のシングル“白いパラソル”(作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗)で松田の作詞に初めて起用される。オリコン週間1位、8月月間1位を記録。以降、松田聖子の24曲連続オリコン1位中17曲を手掛けるなど、プロデューサーの若松宗雄、編曲の大村雅朗とともに「聖子プロジェクト」の主要メンバーとして聖子を支え、さらに松本の人脈を活かして作曲家を起用するなど、作詞家の範疇を超え総合的な曲のプロデュースに関わっていった。

 

8月5日発売のイモ欽トリオの1枚目シングル“ハイスクールララバイ”(作・編曲:細野晴臣)が、コミックソングとしては異例の大ヒットとなり、オリコン7週連続1位、1981年度オリコン年間4位、累計160万枚のミリオンセラーを記録。

 

10月7日、松田聖子の7枚目シングル“風立ちぬ”(作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内/ストリングスアレンジ:井上鑑)が発売、第23回日本レコード大賞・ゴールデンアイドル賞、第12回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。オリコン1位。

 

10月21日、ナイアガラ・トライアングル(大滝詠一、佐野元春、杉真理)通算2作目のシングル“A面で恋をして/さらばシベリア鉄道”(ともに作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内)が発売、オリコン14位。なお、“さらばシベリア鉄道”は1980年に太田裕美に提供した楽曲のセルフカヴァー。

 

 

1982年1月21日、松田聖子の8枚目シングル“赤いスイートピー”(作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)が発売。呉田軽穂は由実のペンネームで、彼女の起用は旧知の松本の発案。それに対して由実はペンネームの使用を条件に受諾した。オリコン1位。

 

3月31日、近藤真彦の6作目シングル“ふられてBANZAI”(作曲:筒美京平/編曲:後藤次利)が発売、オリコン1位。

 

4月1日、山下久美子の6枚目シングル“赤道小町ドキッ”(作曲:細野晴臣/編曲:大村憲司)が発売、オリコン2位。

 

4月21日、松田聖子の9枚目シングル“渚のバルコニー”(作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)が発売。オリコン1位。

 

6月21日、西城秀樹の42枚目シングル“聖・少女”(作曲:吉田拓郎/編曲:瀬尾一三)が発売、オリコン9位。第24回日本レコード大賞・金賞。

 

 

6月30日、近藤真彦の7作目のシングル“ハイティーン・ブギ”(作・編曲:山下達郎)が発売、オリコン1位。

 

7月21日、松田聖子の10枚目シングル“小麦色のマーメイド”(作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)が発売。第24回日本レコード大賞・金賞。オリコン1位。

 

9月30日、近藤真彦の8作目シングル“ホレたぜ!乾杯”(作曲:筒美京平/編曲:後藤次利)が発売、オリコン1位。第24回日本レコード大賞・ゴールデン・アイドル賞。

 

10月21日、松田聖子の11枚目シングル“野ばらのエチュード”(作曲:財津和夫/編曲:大村雅朗)が発売、第13回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第11回FNS歌謡祭グランプリを受賞。オリコン1位。

 

11月1日、金沢明子の16枚目シングル“イエロー・サブマリン音頭”(作詞・作曲:ジョン=レノン・ポール=マッカートニー/編曲:萩原哲晶)が発売、松本は日本語訳詞を担当した。

 

11月21日、森進一の56枚目シングル“冬のリヴィエラ”(作曲:大瀧詠一/編曲:前田憲男)が発売、第25回日本レコード大賞・特別金賞、第16回日本作詩大賞を受賞。オリコン10位。

 

 

1983年1月20日、近藤真彦の9作目シングル“ミッドナイト・ステーション”(作曲:筒美京平/編曲:佐久間正英)を発売、第25回日本レコード大賞で金賞を受賞した。オリコン1位。

 

2月3日、松田聖子の12枚目シングル“秘密の花園”(作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)が発売。オリコン1位。

 

3月25日、イエロー・マジック・オーケストラの7枚目シングル“君に、胸キュン。”(作・編曲:Y.M.O.)が発売。オリコン2位。

 

4月27日、松田聖子の13枚目シングル“天国のキッス”(作・編曲:細野晴臣)が発売、オリコン1位。

 

5月25日、薬師丸ひろ子の通算2枚目シングル“探偵物語/すこしだけやさしく”(ともに作曲:大瀧詠一/編曲:井上鑑)発売、オリコン1位。

 

7月15日、近藤真彦の11作目のシングル“ためいきロ・カ・ビ・リー”(作曲:筒美京平/編曲:松下誠)が発売、オリコン1位。

 

8月1日、松田聖子の14枚目シングル“ガラスの林檎/SWEET MEMORIES”(作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・大村雅朗/作・編曲:大村雅朗)。第25回日本レコード大賞・金賞(ガラスの林檎)・編曲賞(SWEET MEMORIES)、第14回日本歌謡大賞・最優秀放送音楽賞、第12回FNS歌謡祭・最優秀歌唱賞、'83あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリを受賞。オリコン1位。

 

 

10月28日、松田聖子の15枚目シングル“瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ”(ともに作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)。オリコン1位。

 

 

11月1日、近藤真彦12作目シングル“ロイヤル・ストレート・フラッシュ”(作曲:筒美京平/編曲:松下誠/ブラス編曲:馬飼野康二)が発売、オリコン1位。

 

 

1984年1月25日、安田成美の1stレコード“風の谷のナウシカ/風の妖精”(作曲:細野晴臣/編曲:萩田光雄/作曲:細野晴臣/編曲:白井良明)が発売、オリコン10位。安田自身最大の売り上げを記録した。

 

2月1日、松田聖子の16枚目シングル“Rock'n Rouge/ボン・ボヤージュ”(ともに作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆)が発売、オリコン1位。

 

 

5月10日、松田聖子の17枚目シングル“時間の国のアリス/夏服のイヴ”(作曲:呉田軽穂/編曲:大村雅朗/作曲:日野皓正/編曲:笹路正徳)が発売。オリコン1位。

 

 

5月16日、薬師丸ひろ子の通算3枚目シングル“メイン・テーマ”発売、オリコン2位。

 

6月21日、小泉今日子の10枚目シングル“迷宮のアンドローラ”(作曲:筒美京平/編曲:船山基紀)が発売、オリコン1位。

 

8月1日、松田聖子の18枚目シングル“ピンクのモーツァルト”(作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・松任谷正隆)が発売、第26回日本レコード大賞・金賞。オリコン1位。

 

9月13日、近藤真彦の15作目シングル“永遠に秘密さ”(作・編曲:山下達郎)が発売、オリコン1位。

 

10月24日、薬師丸ひろ子の通算4枚目シングル“Woman "Wの悲劇"より”がリリース。オリコン1位。

 

11月1日、松田聖子19枚目のシングル“ハートのイアリング”(作曲:Holland Rose/編曲:大村雅朗)が発売。Holland Roseはマツダのプロジェクトで初起用した佐野元春のペンネーム。オリコン1位。

 

 

1985年1月25日、C-C-Bの3枚目シングル“Romanticが止まらない”(作曲:筒美京平/編曲:船山基紀・C-C-B)が発売、オリコン2位。オリコン・チャートにおいて、バンド解散までにリリースした全シングル曲の中で最大のセールスを記録している。

 

2月21日、斉藤由貴のデビューシングル“卒業”(作曲:筒美京平/編曲:武部聡)が発売、オリコン6位。卒業ソングの定番となった。

 

6月21日、中山美穂のデビューシングル“「C」”(作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄)が発売。第27回日本レコード大賞(最優秀新人賞)、第23回ゴールデン・アロー賞(最優秀新人賞)を受賞。オリコン12位。これ以降、同年10月1日“生意気”(作曲:筒美京平)が8位、同年12月5日“BE-BOP-HIGHSCHOOL”(作曲:筒美京平)が4位、1986年5月16日“クローズ・アップ”(作曲:財津和夫)が4位、同年7月15日“JINGI・愛してもらいます”(作曲:小室哲哉)が4位、同年8月21日“ツイてるねノッてるね”(作曲:筒美京平)が3位、同年11月21日“WAKU WAKUさせて”(作曲:筒美京平)が3位、1987年3月18日“「派手!!!」”(作曲:筒美京平)が2位と、歌手として階段を昇っていった中山美穂を歌詞で導いた。

 

 

 

 

 

7月3日、薬師丸ひろ子の通算5枚目シングル“あなたを・もっと・知りたくて”(作曲:筒美京平/編曲:武部聡志)発売、オリコン2位。

 

7月25日、小泉今日子の16枚目シングル“魔女”(ああっ曲:筒美京平/編曲:中村哲)が発売、オリコン1位。

 

8月21日、斉藤由貴の3枚目シングル“初戀”(作曲:筒美京平/編曲:武部聡志)が発売、オリコン4位。

 

9月28日、本田美奈子の4枚目シングル“Temptation(誘惑)”(作曲:筒美京平/編曲:大谷和夫)が発売、オリコン10位。本田はこの曲で1985年の「第27回日本レコード大賞」「第16回日本歌謡大賞」「'85FNS歌謡祭」などで新人賞を受賞した。

 

 

1986年6月1日、松田聖子の13枚目アルバム『SUPREME』が発売。“瑠璃色の地球”(作曲:平井夏美/編曲:武部聡志)が初出。作曲の平井夏美は、音楽プロデューサー・川原伸司の別名。

 

8月21日、斉藤由貴の通算7枚目シングル“青空のかけら”(作曲:亀井登志夫/編曲:武部聡志)が発売、オリコン1位。

 

11月28日、少年隊の4枚目シングル“バラードのように眠れ”(作曲:筒美京平/編曲:馬飼野康二)が発売、オリコン1位。

 

 

1987年2月25日、小泉今日子の21枚目シングル“水のルージュ”(作曲:筒美京平/編曲:大村雅朗)が発売、オリコン1位。

 

4月22日、松田聖子の23枚目シングル“Strawberry Time”(作曲:土橋安騎夫/編曲:大村雅朗)が発売、オリコン1位。

 

4月22日、日本のバンド「レベッカ」の7枚目シングル“MONOTONE BOY”(作曲:土橋安騎夫/編曲:レベッカ)が発売、オリコン3位。

 

11月6日、松田聖子の24枚目シングル“Pearl-White Eve”(作曲:大江千里/編曲:井上鑑)が発売、オリコン1位。

 

 

1988年4月8日、近藤真彦25作目シングル“Made in Japan”(作曲:筒美京平/編曲:Mark Davis)が発売、オリコン3位。

 

4月14日、松田聖子の25枚目シングル“Marrakech〜マラケッシュ〜”(作曲:Steve Kipner・Paul Bliss/編曲:Steve Kipner・Paul Bliss・David Foster)を発売、オリコン1位。

 

 

1989年11月1日、Winkの6枚目シングル“One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜”作曲:スティーブ=リローニ・ダン=ナヴァーロ/編曲:船山基紀)が発売、オリコン1位。

 

1989年に一時作詞家としての活動を「休憩」。

この間は能・歌舞伎・オペラ・クラシックなどの「古典」にはまる。

 

 

1990年2月21日、酒井法子の13枚目シングル“幸福なんてほしくないわ”(作曲:入江剣/編曲:船山基紀)が発売、オリコン10位。

 

 

1992年にはフランツ・シューベルト『冬の旅』の現代口語訳を手掛けた。作詞以外の文筆活動も行っており、代表作ともいえる私小説『微熱少年』は、自身が監督して映画化された。これは作詞を担当した鈴木茂の曲と同名タイトルである。

 

 

1994年に本格的に作詞活動を再開する。

 

 

1995年10月25日、氷室京介の11枚目シングル“魂を抱いてくれ”(作曲:氷室京介/編曲:佐橋佳幸)が発売、オリコン2位。

 

 

1997年7月21日、KinKi Kidsのデビューシングル“硝子の少年”(作曲・編曲:山下達郎)が発売、オリコン1位。

 

 

1998年4月22日、KinKi Kidsの3枚目シングル“ジェットコースター・ロマンス”(作曲:山下達郎/編曲:船山基紀)が発売。オリコン1位。

 

12月9日、KinKi Kidsの5枚目シングル“Happy Happy Greeting / シンデレラ・クリスマス”(作・編曲:山下達郎/作曲:谷本新/編曲:長岡成貢)が発売、オリコン1位。

 

 

2001年2月7日、KinKi Kidsの11枚目シングル“ボクの背中には羽根がある”(作曲:織田哲郎/編曲:家原正樹)が発売、オリコン1位。

 

 

2003年8月13日、KinKi Kidsの18枚目のシングル“薄荷キャンディー”(作・編曲:Fredrik Hult・Ola Larsson・Öystein Grindheim・Henning Harturng/コーラスアレンジ:三谷泰弘)発売、オリコン1位。

 

 

2008年7月9日、日本の男性ヴォーカルグループ「ゴスペラーズ」(The Gospellers)の32枚目のシングル“ローレライ”(作曲:井上大輔/編曲:船山基紀)が発売、オリコン11位。

 

 

2009年10月28日、KinKi Kidsの29枚目シングル“スワンソング”(曲:瀬川浩平/編曲:ha-j/ストリングスアレンジ:佐藤泰将)発売、オリコン1位。

 


現在は自主レーベル「風待レコード」を設立し若手の育成に努めながら、KinKi Kids、中川翔子のヒット曲も手掛けるなど活躍中である。ドラマ『のだめカンタービレ』では松田聖子の「ピンクのモーツァルト」を引用し、アニメ『マクロスF』の挿入歌「星間飛行」のヒットなどで新たな世代にも存在をアピールした。

クラシック音楽にも造詣が深く、シューベルトの歌曲集「冬の旅」(1992年)、「美しき水車小屋の娘」(2004年)、「白鳥の歌」(2018年)に現代日本語訳をつけた。1999年には、カナリア諸島へ伝説の指揮者カルロス・クライバーの演奏会を聴きに行ったことがある。また純邦楽作品として「幸魂奇魂」古事記より作曲「藤舎貴生」第54回日本レコード大賞企画賞受賞作品


2013年、慶應義塾大学特選塾員となる。

この年、神戸へ移り住んだ。


2015年8月21日・22日、『松本隆 作詞家活動四十五周年記念オフィシャル・プロジェクト』の集大成ともいえる『風街レジェンド2015』と冠したライブを東京国際フォーラムにて行った。松本が作詞を提供したアーティストらが数多く出演し、松本自身もはっぴいえんどのドラマーとしてステージに立った。両日とも公演時間は3時間30分以上に及ぶものであった。なお、本ライヴの模様は、Blu-ray化し、2021年12月22日にリリース。38曲・約3時間にわたるライヴ映像が収録される。


2017年、紫綬褒章を受章。


2020年11月2日、デビュー50周年を記念したトリビュートライブ『松本隆 50周年 風街古都 コトノハ』が京都コンサートホールアンサンブルホールムラタで開催された。但し、2019年以降の新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け、無観客での開催・有料生配信を行った。出演者は曽我部恵一、城領明子、ノラオンナ、花*花、山田兎。サプライズゲストに岡林信康。
11月20日、『松本隆 作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト』を始動。同日、プロジェクトのスタートアップとしてWeb配信番組「〜松本 隆 作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト〜風街ちゃんねる」を開局。

12月12日に第1回を配信(月に1回、全6回。有料配信)。松本とともに宇賀なつみがMCを務め、毎回“風街の住人”をゲストに迎えて「作詞家・松本隆」のエピソードや秘話を時系列に沿って紐解いていくトーク番組。2021年10月31日に最終回を配信した。
12月10日、松本隆作詞活動50周年トリビュートアルバムの制作を発表。


2021年7月14日、松本隆作詞活動50周年トリビュートアルバム『風街に連れてって!』がびいだまレコーズより発売。


10月27日、松本の作詞家としてのキャリア50年を振り返る『風街とデラシネ〜作詞家・松本隆の50年』発売。CD2枚組。

 

11月5・6日、『松本隆 作詞活動50周年記念オフィシャル・プロジェクト』の集大成ともいえるコンサート『風街オデッセイ2021』が日本武道館にて開催された。松本が作詞を提供したアーティストや縁のあるアーティスト40組以上が出演。松本は、細野晴臣、鈴木茂と共に、36年ぶりに"はっぴいえんど"のドラマーとして両日出演。「花いちもんめ」「12月の雨の日」「風をあつめて」の3曲を披露した。MCにおいて、1966年にビートルズが日本公演を行った際に、当時高校生だった松本はステージの正面(南スタンド)で公演を観て感銘を受けたことが、バンドを組む切っ掛けであったことを明かし「今、ここに立っています。あそこからここまで50年かかりました。今日はリンゴ・スターと同じ、ラディックのドラムで」と感慨無量の言葉を述べ、万雷の拍手を受けた。

 

 

2022年3月16日、KinKi Kidsの44枚目のシングル“高純度romance”(作曲:マシコタツロウ/編曲:冨田恵一)発売、オリコン1位。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「松本隆」「エイプリル・フール (バンド)」「はっぴいえんど」

 

 

 

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