酒井 法子(さかい のりこ/1971年2月14日~)は、日本の俳優、歌手。

 

 

 

1971年2月14日、酒井法子が福岡県福岡市に生まれる。

 

その後、埼玉県狭山市の叔母の家で育てられる。

 

小学校低学年の時、実父の再婚に伴い福岡へ戻り、福岡市立大名小学校を卒業。

父はその後再々婚。

 

福岡市立舞鶴中学校時代にはソフトボール部に所属。

 

1985年夏、中学3年生時、9番右翼手でソフトボール福岡県大会に出場し、準優勝。

10月、全国応募総数54,129名のオーディション企画「'86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(主催・資生堂)に出場、グランプリは水谷麻里が受賞したが、酒井には「BOMB!賞」が授与された。同コンテストには本来この賞はなく、芸能事務所サンミュージック専務が酒井を見初め、「『彼女の』才能を試してみたい」との希望で急遽用意された。こうした経緯で酒井の芸能界デビューは決定した。
12月、福岡市から上京した酒井は、当時サンミュージック社長・相澤秀禎の自宅で下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校。事務所の先輩である岡田有希子からは洋服を譲られるなど可愛がられた。

12月、初仕事となるテレビドラマ 『春風一番!』の収録に参加する。

同時期に雑誌 『Momoco』に登場し、モモコクラブのNo.1482となる。
 

 

1986年1月、テレビドラマ 『春風一番!』が放送開始。
2月、堀越学園高等部芸能コースへ入学が決まる。クラスメートには沖本姉妹、工藤夕貴、斉藤満喜子、林千春(パンプキン)、西村知美、渡辺美奈代などがいた。

同年~1989年、江崎グリコのCMキャラクターとなり、「ジャイアントカプリコ」CMではジャイアント馬場と共演。「ポッキー」本田美奈子や「セシルチョコレート」「アーモンドチョコレート」南野陽子などとともに、同社の多数の商品CMに出演。

4月29日、『Momoco』誌開催のイベント「'86 モモコ・パーティー」におけるオーディション「第2回 ミスモモコクラブ」で「ミスVHD賞」を受賞。

11月21日、VHDソフト 『YUPPIE』を発売し、本格的にデビュー。VHDソフトを用いたアイドルのデビューは世界初であった。また同作品には、酒井の初レコーディング作品“お願いダーリン”が挿入歌として使用されている。同ソフト内の特撮ドラマ「エイリアンハンターP」の衣装デザインは漫画家の江口寿史が担当。

 

同時期に放送開始のTBS系テレビ番組『モモコクラブ』にレギュラー出演し、畠田理恵、白田あゆみとともに番組の中心メンバーとして人気を博す。

この時期から酒井は「のりピー」を自称、同時に「のりピー語」を用いた。

 

1987年2月5日、1stシングル“男のコになりたい”(作詞:三浦徳子/作曲:Frankie T./編曲:萩田光雄)でビクター音楽産業よりアイドル歌手としてデビュー、オリコンチャート最高6位と好スタートを切る。1年間地道に準備活動をしてきたことから、既にテレビ・ラジオのレギュラーも持ち、結成前からファンクラブの予備軍も3000人と、大型アイドルに相応しいデビューとなった。

 

歌手デビュー同期には、五十嵐いづみ、石田ひかり、伊藤美紀、小川範子、小沢なつき、工藤静香、後藤久美子、立花理佐、中村由真、仁藤優子、畠田理恵、真弓倫子、森高千里、守谷香、ゆうゆ、渡瀬マキ(当時:渡瀬麻紀)、うしろ髪ひかれ隊、BaBe、パンプキン等がいる。
2月19日、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』に第10位で初ランク・イン。以降、多くの歌番組、雑誌、ラジオ番組、イベント等に出演、1990年までシングル16作連続でオリコン10位圏内にランク入りするなど人気アイドルとなる。

5月21日、2ndシングル“渚のファンタシィ”(作詞:竹花いち子/作曲:タケカワユキヒデ/編曲:新川博)を発売、オリコン4位。

 

同年~1988年、夏の甲子園の応援ポスター(「ビクター・甲子園ポスター」キャンペーンや日本赤十字社の献血ポスターに起用される。

同年、郵政省の年賀はがきのポスター、消防庁の防火ポスターなど、多数の企業・団体・官公庁のキャンペーンガールに起用された。

7月1日、1stアルバム『ファンタジア (Fantasia) / NORIKO Part I』を発売、オリコン19位。
8月、日比谷野外音楽堂でのモモコクラブのコンサート「Momoco Party」に出演。

8月25日、3rdシングル“ノ・レ・な・いTeen-age”(作詞:森浩美/作曲:西木栄二/編曲:戸塚修)を発売、酒井自身が出演した江崎グリコ「キャンレディー」CMソング。オリコン4位。

 

9月、ファースト・ソロ・コンサート「のりピーYUPPIEコンサート」開催。

同月、1年間所属したモモコクラブを卒業する。

11月25日、4thシングル“夢冒険”(作詞:森浩美/作曲:西木栄二/編曲:中村暢之)を発売、オリコン4位。

 

同年の新人賞レースに数多く参戦し、畠田理恵、立花理佐、BaBe、坂本冬美との激戦をくり広げた。「第3回メガロポリス歌謡祭」では最優秀新人賞を、「第18回 日本歌謡大賞」では『ノ・レ・な・いTeen-age』で、最優秀放送音楽新人賞を受賞した。年末の第29回日本レコード大賞では新人賞を受賞。

 

 

1988年1月1日、2ndアルバム『夢冒険 / NORIKO SPECIAL』を発売、オリコン15位。

2月24日、5thシングル“GUANBARE”(作詞:森雪之丞/作・編曲:馬飼野康二)を発売、オリコン7位。

 

3月16日、3rdアルバム『GUANBARE / NORIKO Part II』を発売、オリコン8位。

同年、“夢冒険”がNHK『アニメ三銃士』主題歌となった他、第60回選抜高等学校野球大会の入場行進曲となりファン層を広げる。楽曲が甲子園の入場曲となったことはデビュー2年目で酒井が国民的アイドルに成長した印象を与え、「のりピー」の愛称を一段と認知させるきっかけにもなった。

5月18日発売の6thシングル“1億のスマイル”がオリコン自己最高2位を獲得、『ザ・ベストテン』へも5週連続でランクイン。中森明菜、南野陽子、浅香唯、工藤静香などのトップアイドルとともにランキングを賑わせた。海外からの中継も入るなど露出の高い楽曲となった。また、CMソングに起用され自身も出演したライオン「Ban16」CMで「ヒャピー、ヒャピー、ヒャピー」と叫ぶ酒井が話題となった。

 

8月、夏のコンサートツアー「のりピーYUPPIEコンサート'88」開催。

その他大学の学園祭やバブル景気を背景とした地方博覧会などのイベント、各地方テレビ局主催の多くのイベントや公開放送などに出演した。

同年、フジテレビ系『ドキッ!丸ごと水着 女だらけの水泳大会2』に白組トップバッターとして出場。ミス・フォトジェニック賞を受賞し注目を集めた。

9月21日、7thシングル“HAPPY AGAIN”(作詞:森浩美/作曲:西木栄二/編曲:船山基紀)を発売、オリコン4位。

 

10月、ガイナックス製作のアニメ『トップをねらえ!』の主題歌、OP“アクティブ・ハート”、ED“トライAgain…!”を担当する。

 


12月、恵比寿に自身のタレントショップ「NORI・P ・HOUSE」オープン。中高生が殺到し、グッズの売り上げは一説では30億円を超えるとも言われた。


1988年3月16日、3rdアルバム『GUANBARE / NORIKO Part II』を発売、オリコン8位。

 

8月21日、4thアルバム『Lovely Times/NORIKO Part III』を発売、オリコン8位。

 

同年のシングル売上枚数は36.2万枚で22位。女性アイドルでは南野陽子、工藤静香、中森明菜、浅香唯、中山美穂、荻野目洋子、松田聖子に次ぐ記録であった。

 

 

1989年1月1日、オリコン4位になった8thシングル“ホンキをだして”(作詞:森浩美/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀)と、オリコン15位になった2ndアルバム『夢冒険 / NORIKO SPECIAL』を同時発売。“ホンキをだして”は、1980年代の酒井のシングルでは自己最高のセールスを記録するヒット曲となる。

 

2月、高校卒業と18歳の誕生日を迎えたことを期に、デビュー以来酒井の楽曲は一貫して「明るさ」「元気」「ハツラツ」「一生懸命」というコンセプトで作られてきたが、「のりピーちゃんを切り離して〈酒井法子〉として、より素敵な曲を歌っていきたい」と決意表明。

2月14日、9thシングル“おとぎの国のBirthday”(作詞:石坂まさを/作曲:和泉常寛/編曲:山本健司)を発売、オリコン6位。

 

4月26日、10thシングル“Love Letter”(作詞・曲:尾崎亜美/編曲:佐藤準)では作家に尾崎亜美を起用し、「歌手・酒井法子」にメロウなファクターを与えることで、それまでの「元気で明るい」イメージから路線変更を図る。オリコン5位を記録。

 

6月21日発売の5thスタジオ・アルバム『Blue Wind/NORIKO Part IV』では作曲家陣に尾崎の他、浜田金吾、上田知華、南佳孝、財津和夫らを起用。ミディアムやスローなナンバーでは歌手として大人の落ち着きを見せるようになっていく。オリコン9位。

 

8月2日、11thシングル“さよならを過ぎて”(作詞:来生えつこ/作曲:前田克樹/編曲:船山基紀)を発売、オリコン8位。

 

11月21日、12thシングル“ALL RIGHT”(作詞・曲:遠藤京子/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン10位。

 

12月16日、6thアルバム『My Dear/NORIKO Part V』を発売、オリコン13位。

 

 

1990年、NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』レギュラー出演。歌手に加え女優にも挑戦。またサスペンスドラマや舞台、ミュージカルにも出演、確実に芸の幅を広げていく。
2月21日、13thシングル“幸福なんてほしくないわ”(作詞:松本隆/作曲:入江剣/編曲:船山基紀)を発売、オリコン10位。

 

3月21日発売のベスト・アルバム『Singles 〜NORIKO BEST〜』でシングル、アルバムを通じて初のオリコンチャート首位を獲得。それまでの最高売上であった4thアルバム『Lovely Times』を上回る、最も高いアルバムセールスを記録した。

 

5月21日、14thシングル“ダイヤモンド☆ブルー”(作詞・曲:遠藤京子/編曲:井上日徳)を発売、オリコン9位。

 

7月4日、7thアルバム『White Girl/NORIKO Part VI』を発売、オリコン9位。

 

8月21日、15thシングル“微笑みを見つけた”(作詞・曲:遠藤京子/編曲:鈴木キサブロー)を発売、オリコン9位。なお、“微笑みを見つけた”は後に中国の標準語(普通話)の歌詞で“微笑”と題してセルフ・カヴァー。広東語バージョンは黎瑞恩の歌による“你知我想說甚麼”。当時日本の音楽界が目を向けていなかった中国語圏で活動を始め、知名度を獲得するきっかけの曲となった。

 

11月21日、16thシングル“イヴの卵”(作詞:及川眠子/作曲:MAYUMI/編曲:山川恵津子)を発売、オリコン10位。

 

 

1991年1月21日、8thアルバム『Sweet'n Bitter/NORIKO Part VII』を発売、オリコン8位。

 

3月21日、17thシングル“あなたに天使が見える時”(作詞:森雪之丞/作・編曲:土橋安騎夫)を発売、オリコン12位。

 

6月21日、18thシングル“モンタージュ”(作詞:森雪之丞/作・編曲:土橋安騎夫)を発売、オリコン16位。

 

7月21日、アルバム『マジカル・モンタージュ・カムパニー』発売、オリコン22位。

11月7日、19thシングル“涙がとまらない 〜HOW! AW! YA!〜”(作詞:康珍化/作曲:原田真二/編曲:松本晃彦)を発売、オリコン21位。

 

 

1992年3月4日、20thシングル“軽い気持ちのジュリア”(作詞:康珍化/作曲:上田知華/編曲:URAN)を発売、オリコン19位。

 

5月、初めての海外公演として台北市でのコンサートを成功させた。当時平均初任給が役12万円の台湾で、7000円の高額チケットが発売と同時に完売。海賊版のCDや写真集も飛ぶような売れ行きとなる人気だった。現地のテレビ番組やCMにも出演し、日本人アイドルの人気投票でも3年連続で1位となる。

6月21日、21stシングル“渚のピテカントロプス”(作詞:康珍化/作・編曲:羽田一郎)を発売、オリコン34位。

 

7月22日、アルバム『マンモス』を発売、オリコン26位。

10月31日・11月1日、夏のコンサート・ツアー「マンモス」のファイナル2公演を台北市にて開催し、2日間で隣で開催されていたプロ野球台湾シリーズの動員数1万4千人を上回る3万人の観客が集まった。

11月6日、22ndシングル"たぶんタブー"(作詞:さいとうみわこ/作曲:松田信男/編曲:西平彰)を発売、オリコン54位。

 

 

1993年4月12日~6月28日、脚本家の野島伸司に引き立てられ、フジテレビ系ドラマ 『ひとつ屋根の下』に出演、最高視聴率37.8%を記録する大ヒット作となる。

5月21日、23rdシングル“あなたが満ちてゆく”(作詞:朝水彼方/作曲:PROJECT MOONLIGHT CAFE/編曲:田代修二)を発売、オリコン60位。

 

7月21日、アルバム『あなたが満ちてゆく』を発売、オリコン40位。

11月21日、24thシングル“笑顔が忘れられない”(作詞・曲:M&M/編曲:山川恵津子)を発売、オリコン89位。

 


1994年、アルバム『微笑』で中国本土の音楽市場に本格参入。同時期に酒井の所属するレコード会社、ビクターの系列であった松下電器の中国・台湾でのCMキャラクターとなり、シングル“夢冒険”がCMソングとして使用された。酒井出演の『ひとつ屋根の下』『星の金貨』等のドラマも中国語の吹き替えで放送されて絶大な人気を得た。

4月13日~6月29日、日本テレビ系『出逢った頃の君でいて』では不倫OL役を熱演。ゴールデンタイムで主役クラスを続けて演じて話題となる。

6月22日、25thシングル“誘われて…”(作詞・作曲・編曲:MOONLIGHT CAFE)を発売、オリコン65位。

 

7月21日、アルバム『10 SONGS』を発売、オリコン58位。

 

 

1995年2月22日、26thシングル“OH OH OH 〜We are the Winners〜”(作詞:秋元康/作曲:M.White・B.Meyers・K.Misawa/編曲:西脇辰弥)を発売。

 

4月12日~7月12日、主演ドラマ『星の金貨』(日本テレビ系)も最高視聴率23.9%と立て続けにヒットする。

5月10日、同ドラマ主題歌となった27thシングル“碧いうさぎ”(作詞:牧穂エミ/作曲:織田哲郎/編曲:新川博)はオリコン最高位5位ながら自身初のミリオンセラーの大ヒット曲となる。デビュー9年目にして大ブレイクし、「新・視聴率女王」、「今世紀最後のアイドル」と称された。

 

12月31日、 『第46回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、“碧いうさぎ”を披露した。ドラマでの役柄に合わせて、酒井はこの時、楽曲をNHK紅白歌合戦史上初めて、日本手話を交えて歌った。

 

 

1996年3月には、個人事務所 「エヌ・コーポレーション」(東京・南青山)設立、継母とともに取締役に就任した。

4月24日、28thシングル“Here I am 〜泣きたい時は泣けばいい〜”(作詞:秋元康/作曲:川島だりあ/編曲:新川博)を発売、オリコン24位。

 

5月22日、アルバム『素顔 (ノーメイク)』を発売、オリコン24位。

 

10月9日~12月25日、日本テレビ系ドラマ『続・星の金貨』に引き続き主演、最高視聴率26.4%を記録し、ドラマ主題歌のシングルCD“鏡のドレス”もヒット作となった。

10月9日、29thシングル“鏡のドレス”(作詞:三浦らら/作曲:宇佐元恭一/編曲:土方隆行)を発売、『続・星の金貨』主題歌。オリコン9位。

 

12月18日、アルバム『スノーフレイクス』を発売、オリコン15位。
その後、結婚・出産を経た酒井は、育児と女優活動を両立。

 

 

1997年7月24日、30thシングル“涙色”(作詞・曲:河村隆一/編曲:土方隆行)を発売、オリコン20位。

 

 

1998年、中国の中国唱片社が発行する音楽情報誌『音像世界』5月号に掲載された同年3月分のランキングで1位に登場し、同誌6月号では表紙を飾った。

5月13日、31stシングル“横顔”(作詞・曲:辛島美登里/編曲:十川知司)を発売、オリコン30位。

 

7月1日、アルバム『work out fine』を発売、オリコン39位。

12月、当時プロサーファーだった高相祐一と結婚。同時に妊娠3ヶ月であることも公表された。

 

 

1999年4月1日、32ndシングル“PURE”(作詞:藤井フミヤ/作曲:増本直樹/編曲:土方隆行)を発売、オリコン50位。

 

7月17日、酒井は長男をアメリカ合衆国ハワイ州で出産した。

 

 

2000年4月5日、33rdシングル“WORDS OF LOVE”(作詞・曲:原由子/編曲:本山晴一郎)を発売、オリコン42位。

 

11月1日、34thシングル“miracle”(作詞:宮原芽映/作・編曲:村山晋一郎)を発売。

 


2003年には、伊藤忠商事とサンミュージックが設立した洋服ブランド、「ピーピーリコリノ」(PP rikorino)のプロデュースを始める。

 

 

2004年6月23日、35thシングル“天下無敵の愛”(作詞:斉藤由貴/作・編曲:崎谷健次郎)を発売。

 

 

2007年、日中文化スポーツ交流年・文化親善大使となり、様々なイベントに参加。

8月22日、36thシングル“世界中の誰よりきっと”(作詞:上杉昇・中山美穂/作曲:織田哲郎/編曲:上杉洋史)を発売。1992年の「中山美穂&WANDS」によるヒット曲のカヴァー。トヨタ「新型ノア」CMソング。オリコン44位。

 

 

2008年、新たに始まる「裁判員制度」のPRを目的として企画された最高裁判所製作の映画『審理』に主演するなど、芸能人としてのステータスを高めていた。

 

 

2009年、覚醒剤の所持・使用が発覚、逃亡を計り、当時の夫である高相とともに、覚醒剤取締法違反で東京地方裁判所から起訴、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
この事件では、テレビ局が報道特別番組を放送、警察庁長官が事件に言及するなど、世間の注目を大いに集めた。また、酒井は事件前、裁判員制度紹介のための広報映画『審理』に主演するなどしていたことが騒動をより大きなものにした。

 


2010年1月、酒井は介護士や音楽療法士を目指し、創造学園大学ソーシャルワーク学部ソーシャルワーク学科介護福祉コースに入学。eラーニングを主とした勉強を始めたが、同大は2013年3月に閉校している。

6月、離婚調停を経て夫との離婚が成立、慰謝料はなく、長男(当時11歳)の親権は酒井が得た。

12月18・25日放送のTBS系『情報7days ニュースキャスター』にVTR出演。12月3日に発売した自叙伝『贖罪』(朝日新聞出版)のPRで、本と同様、事件当時の胸中を振り返る内容になった。18日放送分は酒井にとり逮捕後初のテレビ出演。


2011年、中国禁毒大使のキャンペーンとして、中国に招聘され、イベントに出席。

 

 

2012年9月27日、12月から上演される舞台に主演することが発表。信長の妹「お市」を演じることとなった。

11月23日をもって執行猶予期間が終了。

11月24日に復帰会見を行った。復帰時に、事件の際に前所属事務所サンミュージックが約5億円の損害賠償を肩代わりしていたことが判明した。



2013年1月、中国ネットサイトの年度文化、ファンション賞「アジア最注目女優大賞」を受賞。

5月29日、同月23日に病没したサンミュージック先代社長・相澤秀禎の告別式に参列。「出来の悪い不良娘で申し訳ありません」と霊前に詫びた。
10月、関西テレビ『さんまのまんま』にゲスト出演し、バラエティ番組にも復帰。


2014年、今井雅之の舞台『手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜』に出演予定だったが、所属事務所オフィスニグンニイバが直前の1月16日になって辞退を申し入れる。代役は高橋明日香。


2016年9月22日、16年ぶりの正式なコンサート『酒井法子30th ANNIVERSARY コンサート』を開催。

 

 

2017年2月14日、26年ぶりのバースデーイベント「酒井法子 30th ANNIVERSARY FINAL ?BIRTHDAY & VALENTINEファンミーティング-」を開催した。
10月には、5年ぶりの主演舞台『うんちゃん2』に出演。


2018年1月20日、18年ぶりの香港単独コンサート「Welcome Back! Sakai Noriko Live in Hong Kong」を開催。
7月18日、ブルーシー・アンド・グリーンランド財団の「子どもの健全育成大使」に任命された。


2019年3月15・16日、海外初めてのディナーショー 『酒井法子 ディナーショー ~台湾ツアー~』を開催。
7月13日、『「Miss you」 酒井法子 香港ミュージックシェアリングライブ2019』を開催。


2021年2月5日公開の映画『空蝉の森』に主演。女優復帰してから初めての映画作品で、映画主演は2008年の裁判員制度PR映画『審理』以来13年ぶり。2014年に撮影され、2015年に公開予定だったが、公開前に製作会社「ニューウェーブ」が倒産し、お蔵入りの危機を乗り越えての公開となった。
4月30日、所属事務所オフィスニグンニイバを退所。個人事務所「株式会社スマイル」を設立。

 

 

2023年7月19日、デビュー35周年を記念して、酒井のセルフ・プロデュースによるコンピレーション・アルバム『Premium Best』を発売。シングル表題曲全36作に加え、シングルカップリング曲やアルバム収録曲から自身が選んだ18曲をCD3枚にコンパイル。さらにスペシャル・ボーナストラックとして新曲“Funny JANE”を収録。

7月、『Premium Best』発売に伴い、全国5都市のタワーレコードで店内キャンペーンを実施した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「酒井法子」

 

 

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