尾崎 亜美(おざき あみ/本名:小原 美鈴/出生名:尾崎 美鈴/1957年3月19日~)は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。
京都府京都市北区出身。
母の尾崎暁美は創作袋物作家。主に時代物の西陣織の帯を用いて袋物(ふくろもの)を制作し、各地で作品展を開いている。
母方の大叔父の妻の甥という遠縁に、映画評論家の田山力哉がいる。
京都市立柏野小学校に入学。
8歳でクラシック・ピアノを習い始める。
京都市立衣笠中学校に入学。
中学では演劇部の創部に参加。演劇部の27年後輩に芥川賞作家の綿矢りさがいる。
尾崎自身によると真の処女作は衣笠中学校の“衣中音頭”であるという。
京都府立山城高校に入学。高校の先輩に俳優の山城新伍がいる。高校は後に中退。
16歳頃からポップミュージックに興味を持ち、アマチュアのサークルに参加、作詞作曲をするようになる。公式に発表されている処女作は“ひとりっこカバっこ”というタイトルで、これは後にNHKの子ども番組『いないいないばあっ!』に起用された。
高校時代に、地元ラジオ局・近畿放送(現:京都放送)の公開オーディション番組『アクションヤング大丸』に他校の男子生徒と2人組で出場、司会の諸口あきらや審査員の東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン)関係者に絶賛される。その後一時期、やしきたかじんのバックバンドでピアノを担当したこともある。
1976年3月20日、シングル“冥想”で東芝EMIよりデビュー。芸名の「亜美」はフランス語で「友人」を意味する「ami (amie)」に由来し、これは高校生の頃から「自分に子どもが出来たら子どもに付けようと思っていた名前」ということで、文字は左右対称の漢字を選んだという。
8月5日、松任谷正隆プロデュースで1stアルバム『SHADY』を発表、ポスト・ユーミンの最右翼と呼ばれる。
同年発表されたユーミン本人のアルバム『14番目の月』にコーラスとして参加。ユーミンとはデビュー時から現在まで40年以上の交流があり、実の妹のように可愛がられている。
1977年2月5日、3rdシングル“マイ・ピュア・レディ”をリリース、資生堂のCMに起用されヒット、一躍注目を浴びる。
3月末から翌1978年3月末まで深夜ラジオ『オールナイトニッポン』木曜日(金曜未明)第2部を担当した。なお、1978年2月9日~3月23日までの放送は体調不良・入院のため休演し、3月30日に最終回として出演した。
7月20日、シングル“初恋の通り雨/さよならを言うために”を発売。
1978年1月21日、南沙織に“春の予感‐I've been mellow‐”を作詞作曲提供、資生堂CMソングに起用され、東京音楽祭ゴールデンカナリー賞作詞賞を受賞した。
2月20日、シングル“ストップモーション/ラストキッス”を発売。
7月5日、3rdアルバム『ストップモーション』を発売、“春の予感‐I've been mellow‐”をセルフカヴァーして収録。本作から自身でプロデュースも手がけるようになる。
6月20日、シングル“嵐を起こして/来夢来人”を発売。
11月5日、杏里に“オリビアを聴きながら”を作詞作曲提供。
11月25日、ペドロ&カプリシャス脱退後の髙橋真梨子のソロデビューシングル“あなたの空を翔びたい”を作詞作曲提供。
1979年6月20日、シングル“スローダンシング/心にメイクアップ”を発売。
1980年、レコード会社をキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍。
6月1日、移籍第一弾シングル“21世紀のシンデレラ”を発売、オリコン56位。
9月6日、アルバム『MERIDIAN-MELON』を発表。“21世紀のシンデレラ”等の他、“オリビアを聴きながら”のセルフカヴァーを収録。
1981年5月5日、デイヴィッド・フォスターの編曲・TOTOのメンバー参加により、ロサンゼルスで録音された『HOT BABY』を発売。
12月5日、同じくデイヴィッド・フォスターの編曲により、彼が連れてきたマイケル・ランドウらの腕利きミュージシャンによる国内録音の『Air Kiss』と、同年2枚のアルバムを発表した。
1982年5月21日、シングル“My Song for You/Foggy Night”を発売、カルピスおよび大京ライオンズマンションCMソング。
1983年、 小説『イノセント〜箱〜』を講談社より出版。
12月5日、初のセルフカヴァーアルバム『POINTS』を発売。“あなたの空を翔びたい”等を収録。
1984年3月1日、河合奈保子がリリースした16枚目のシングル“微風のメロディー”で河合に初めて作詞作曲提供。
1985年1月30日、松田聖子のシングル“天使のウィンク”を作詞作曲提供。オリコン1位。
5月9日、松田聖子のシングル“ボーイの季節”を作詞作曲提供、オリコン1位。
9月18日、アルバム『10番目のミュー』で第27回日本レコード大賞優秀アルバム賞受賞。
同年、「パピ」名義で日清焼きそばU.F.O.のCMソング“Wuper Dancing”を発表。
1986年3月5日、セルフカヴァーアルバム第二弾『POINTS-2』を発売。“ボーイの季節”、“微風のメロディー”等を収録。
11月21日、シングル“そっと‘I Love You’/Air Mail”を発売、日立ルームエアコン「白くまくん」CMソング。
1988年、第9回日本作曲賞『優秀作曲者賞』受賞。
1989年、尾崎亜美としては一時休業を宣言。
同年、「桃姫」名義でシングル“桃源郷(PEACH PARADISE)からコンニチハ”を発表。サントリーフルーツリキュール「ミス・ピーチ」CMソング。
1990年、活動を再開し、第一弾シングル“Endless Dream”を発表。
1991年3月、活動再開第一弾として、シングル“Southern Cross”とアルバム『Natural Agency』を同時リリース。
同年、1980年代にポニーキャニオンより発表されたオリジナルアルバムの再発売盤も同時にリリースされた。
5月15、観月ありさのデビューシングル“伝説の少女”を作詞作曲提供、オリコン5位。
6月13日、やまだかつてないWinkのメンバーとしても活動した横山知枝のデビュー・シングル“Happy Birthday”を作詞作曲提供。後にセルフカヴァーしている。
7月、ディズニーの長編アニメーション作品『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』の日本語版吹き替えで「リタ」役を担当、劇中歌“Streets of Gold”も歌唱した。
1992年、「桃姫BAND」を結成(メンバー:鈴木茂、佐藤準、松武秀樹、小原礼、今剛、富田素弘、山木秀夫)し、ノエビア・コスメティックルネッサンスCM曲になったブロンディのカヴァーシングル“Heart of Glass”とカヴァーアルバム『初陣』を発表。
3月21日、セルフカヴァーアルバム第三弾『POINTS-3』を発売。“伝説の少女”、“Happy Birthday”等を収録。
同年、平松愛理、崎谷健次郎と共に「HIRA^O SAKI」というスペシャルユニットを結成。
11月20日、HIRA^O SAKIとしてシングル“My Best Friends”(作詞・曲:平松愛理・尾崎亜美・崎谷健次郎/編曲:清水信之)および同名アルバム『My Best Friends』を発表。表題曲“My Best Friends”はフジテレビ系情報番組『おはよう!ナイスデイ』EDテーマ。
1993年、桃姫BANDとして、映画『教祖誕生』主題歌にテンプターズのカヴァー“神様お願い”を発表している。
1995年5月19日、シングル“衝撃のベクトル/Amaranth”を発売、“Amaranth”は大京ライオンズマンションCMソング。
1997年、東芝EMIに復帰。
同年、元サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト小原礼(おはら れい/1951年11月17日~)と結婚。結婚式の時、牧師が欠席のため、聖飢魔IIのデーモン小暮が司式をする。
11月19日、アルバム『SPECIAL』を発売、“For You”、“Joyful Joyful”等を収録。
1998年、第5回日本プロ音楽録音大賞『ポップ・ロック部門大賞』を“Joyful Joyful”(アルバム『SPECIAL』収録)で受賞。
2000年、鈴木茂、小原礼とユニット「The DELTA-WING」を結成。アルバム『THE DELTA-WING I』を発表。
2001年、デビュー25周年を迎える。
4月1日、デビュー25周年記念ベスト・アルバム『Amii-versary TOSHIBA EMI EDITION』を東芝EMIから発売。
8月22日、デビュー25周年記念ベスト・アルバム『Amii-versary PONY CANYON EDITION』をポニーキャニオンよりリリース。
同日、幅広い交友を示すように細野晴臣、高橋幸宏、大貫妙子、杏里、奥田民生、福山雅治、デーモン小暮閣下等をゲストに迎え制作されたアルバム『Amii-Phonic』をフォーライフレコードから同時リリース。
2002年、宇崎竜童率いる新竜童組のメンバーとして曽根崎心中ROCKに参加。キーボードとお初役を担当する。
11月6日、ファン投票により選ばれた楽曲をピアノ弾き語りで披露したアルバム『PIA NOIR』をBMGファンハウス(現:アリオラジャパン)より発表。
2004年、コロムビアミュージックエンタテインメント(現:日本コロムビア)に移籍。
9月29日、アルバム『おもてなし。』を発表。
2005年1月9日放送のテレビ朝日『グレートマザー物語』に母・尾崎暁美とともに出演した。
6月22日、女子サッカー「なでしこリーグ」所属チーム「TEPCOマリーゼ」のオフィシャルソング“戦う翼”を発表。
2006年、デビュー30周年を迎える。
2月22日、記念アルバム『三重マル』を発表。
同日、クラシックの殿堂として知られる東京文化会館の小ホールで開催の『Popular Week LIVE in 東京文化会館』に出演、同会館45年目にして初のポピュラー音楽のステージとなる。
4月から9月まで、大阪放送(ラジオ大阪)『Music Cafe いいおとな』金曜を担当した。
2007年、プロ並みの料理の腕前を活かし、料理本『尾崎亜美のうちごはん』を講談社より出版。
8月7日、グランドプリンスホテル赤坂にて自身初のホテルでのディナーライヴに出演。
9月23日、伊勢正三プロデュースの秋フェス「大山ミュージックリゾート in花回廊2007」(とっとり花回廊)に、夫の小原礼とともに出演。
2008年、北名古屋市の委嘱により“北名古屋音頭”を制作、自らの歌唱による録音も行われ、市役所でCDが有料頒布された。
8月にはキリンビール「秋味」CMソング(曲名不明)を発表した。
2009年4月、オフィシャルサイトオープンと同時にブログも開始。また、BS11にて夫の小原礼とともに案内役を務める音楽番組『MUSICA〜音のおもてなし〜』も開始(2012年3月まで)。
4月22日、初期東芝EMI時代のアルバム5作が紙ジャケで再発、レコード会社跨りのベスト盤と提供曲集の2枚組『Amii In The Box』を発売。
4月29日、セルフカヴァーアルバム『ReBORN』をソニー・ミュージックダイレクトから発表。
2011年、デビュー35周年を迎える。
NHK『ラジオ深夜便』の7月 - 9月「深夜便のうた」として“愛のはじまり”を制作、番組内で放送されるとともに独自レーベルBABOO BABE RECORDSより9月21日シングルとして発売(通信販売とライブ会場のみ限定発売)。
2012年、テイチクエンタテインメントへ移籍。
2月22日、35周年記念アルバム『soup』を発表。36周年の直前の発表となったのは、東日本大震災の発災を受けて既に制作途上だったアルバムの構想を見直し、新たな曲の追加制作などを行ったためという。
2013年、音楽と食のコラボレーション企画「しあわせな食卓」を全国5カ所のホテルグリーンプラザで開催。ライヴと食事及び宿泊がセットになった企画で、ライヴ前の食事には尾崎亜美レシピによる料理も提供された。
同年から翌2014年にかけてポニーキャニオン時代のアルバムのうちLPレコード盤で発売された13作品が紙ジャケで再発された。
2014年3~6月、大阪・兵庫・東京での『青春のベスト・ヒット・コレクション 原田真二・尾崎亜美・平松愛理~シンガーソングライターの系譜~』コンサート・ツアーにて、尾崎と平松が共演。
2016年4月20日、デビュー40周年を記念したベストアルバム『My Songs for You 尾崎亜美 40th Anniversary BEST』をポニーキャニオから発売。
同年、日本クラウンに移籍。
5月25日、オリジナルアルバム『S-mile 40th Amii-versary』を日本クラウンから発売。
この年、デビュー40周年記念コンサートを東名阪で行う。
2018年1月17日、還暦を迎えた事を記念して、自身の楽曲を様々なアーティストとコラボレーションし、新曲を1曲加えたアルバム『Life Begins at 60』を発売。
2019年2月6日、Twitterアカウント (@amii_ozaki) でツイートを開始。この日からの累積日数や日々の様子などを投稿している。
3月、南佳孝とジョイントコンサートを行った。
2021年9月15日、アルバム『Bon appetit』を発売。
(参照)
Wikipedia「尾崎亜美」