森高 千里(もりたか ちさと/本名:江口千里/1969年4月11日~)は、

日本の歌手、シンガーソングライター、マルチプレイヤー。

 

 

 

1969年4月11日、森高千里は大阪府茨木市に生まれる。実父はオールディーズやロカビリーを演奏するバンド「オレンジ・ヒル」で活動していた森高茂一。

幼少時に一家で熊本県に移り、熊本市西区で育つ。

 

九州女学院高等学校(現:ルーテル学院中学校・高等学校)在学中にバンド「ル・パラディ」を結成し、音楽活動を始める。ヴォーカルではなく、ドラムやベースギターを担当していた。

1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。

 

同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。堀越高等学校に編入する。

1987年5月25日、1stシングル“NEW SEASON”(作詞:HIRO/作曲:斉藤英夫)でワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)から歌手デビュー。オリコン23位。自身がヒロイン「松前千里」役で出演した5月30日公開の東宝映画『あいつに恋して』主題歌。

 

当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っており、芸能界デビュー後初めてのレギュラー番組は『TVハッカー』。

7月25日、1stアルバム『NEW SEASON』を発売、オリコン21位。

9月7日の「渋谷LIVE INN」での初ライヴをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになる。

10月25日、2ndシングル“オーバーヒート・ナイト”(作詞:伊秩弘将/作曲:斉藤英夫)を発売、オリコン24位。

 


1988年2月25日、3rdシングル“GET SMILE”(作詞:伊秩弘将/作・編曲:島健)をアルバム『ミーハー』から先行発売、オリコン28位。

 

3月25日、2ndアルバム『ミーハー』を発売、オリコン17位。

4月25日、4thシングル“ザ・ミーハー (スペシャル・ミーハー・ミックス)”(作詞:森高千里/作曲:斉藤英夫)を発売、アルバム『ミーハー』のタイトルトラックで、本曲にて初めて自ら作詞を手がけ、斬新で個性的な歌詞が話題になる。オリコン29位。

 

同年夏、ツアーのリハーサル中に腹痛で1週間の入院生活を余儀なくされ、それを機に女優・タレント業との並行活動を断念、歌手活動に専念することになった。この時期の入院体験をもとに“ザ・ストレス”を書いたという。

10月25日、5thシングル“ALONE”(作詞:森髙千里/作曲:安田信二)を発売、オリコン25位。

 

11月17日、3rdアルバム『見て』を発売、オリコン5位。


1989年2月25日、6thシングル“ザ・ストレス(ストレス中近東ヴァージョン)”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売。歌詞のユニークさを注目されて、これ以降、ほぼ全ての作詞を自ら手掛けるようになる。また、本作のPVで披露したウェイトレス姿はタイトルの「ストレス」とコスプレの「ウェイトレス」をかけたと言われており、森高の代名詞となる「コスプレ」が初登場したものとなった。オリコン19位。

 

5月25日、7thシングル“17才”(作詞:有馬三恵子/作曲:筒美京平/編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン8位。南沙織の楽曲のリメイクで、自身初のトップ10入りするヒットとなり、一躍人気ミュージシャンとなる。

 

7月25日、4thアルバム『非実力派宣言』を発売、オリコン2位。本作や『古今東西』などの作品で、個性的な作詞のセンスが高く評価されるようになるが、その一方で、当時の時代を背景に超ミニのウェイトレス姿や総スパンコールの衣装などの派手なコスチュームを身に纏ってライヴを行い、“17歳”では意図的にパンチラを見せ、男性ファンを獲得することになった。

 

9月25日、8thシングル“だいて (ラスベガス・ヴァージョン)”(作詞:森高千里/作・編曲:高橋諭一)を発売、オリコン8位。

 

12月10日、リミックスアルバム『森高ランド』を発売、オリコン3位。

 

 

1990年1月25日、9thシングル“道/青春”(作詞:森高千里/作曲:安田信二/編曲:斉藤英夫/作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン5位。

 

 

5月25日、10thシングル“臭いものにはフタをしろ!!”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン4位。

 

9月10日、11thシングル“雨”(作詞:森高千里/作曲:松浦誠二/編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン2位。

 

10月17日、5thアルバム『古今東西』を発売、自身初のオリコン週間アルバムチャート1位を獲得した。

 

 

1991年2月10日、両A面の12thシングル“勉強の歌/この街 (HOME MIX)”(両面とも作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン4位。

 

6月25日、13thシングル“八月の恋”(作詞:森高千里/作曲:筒美京平/編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン6位。

 

7月10日、リミックスアルバム第二弾『ザ・森高』を発売、オリコン2位。

 

10月25日、14thシングル“ファイト!!”(作詞:森高千里、作曲・編曲:高橋諭一)を発売、オリコン10位。

 

 

1992年2月25日、15thシングル“コンサートの夜(Moritaka Connection)” (作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売。オリコン7位。

 

3月25日、6thアルバム『ROCK ALIVE』を発売、オリコン3位。

 

6月25日、『ROCK ALIVE』からのリカットとなる16thシングル“私がオバさんになっても(シングル・ヴァージョン)”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、本曲のヒットで女性ファンの心を掴み、『ROCK ALIVE』ツアーを催行、女性ミュージシャンとしては2組目となる全都道府県制覇ツアーを敢行した。森高はこのツアーの際に“ロックンロール県庁所在地”という曲を作り上げている。なお、本ツアーでは、コンサート会場で森高と同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られた。

 

11月18日、7thアルバム『ペパーランド』を発売、オリコン5位。本作からは大半の曲で自ら楽器演奏(ギター・ベース・ピアノ・ドラム等)をするようになり、それまでの打ち込み主体のサウンドから生音主体のサウンドへと路線の転換を図った。またコンサートでもこれらの楽器を演奏しながら歌っていた。

 


1993年1月25日、17thシングル“渡良瀬橋/ライター志望”(ともに作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、“渡良瀬橋”は森高のシングルで初めて自ら楽器演奏(ドラムスなど)を行った。テレビ番組『いい旅・夢気分』テーマ曲。オリコン9位。

 

4月10日、18thシングル“私の夏”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、カップリングは“ロックンロール県庁所在地(シングル・ヴァージョン)”(作詞・曲:森高千里)、オリコン5位。

 

5月10日、8thアルバム『LUCKY 7』を発売、オリコン3位。

 

6月25日、19thシングル“ハエ男(シングル・ヴァージョン)/Memories(シングル・ヴァージョン)”(作詞・曲:森高千里/作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、“ハエ男”は森高が作詞・作曲両方手がけた初のシングルで、ドラムと左チャンネルのピアノも演奏している。オリコン12位。

 

10月11日、20thシングル“風に吹かれて”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、自身初のオリコン週間シングルチャート1位を獲得。本曲のヒットで自身の路線を確立する。

 

 

1994年、顎関節症のため予定されていた全国ツアーをキャンセルし、2年間のコンサート休業を余儀なくされた。この間、『ミュージックステーション』上で病状をファンに報告して話題になった。

1月24日、21thシングル“ロックン・オムレツ”(詞:森高千里/作曲:伊秩弘将)を発売、子ども番組『ポンキッキーズ』初代OPテーマ曲となり、ツアーが出来ない時期にファン層の拡大に努め、凝ったPVを制作したり、チャリティライヴに参加するなど多彩な活動を行った。

 

1月31日、22ndシングル“気分爽快”(作詞:森高千里/作曲:黒沢健一/編曲:高橋諭一)を発売。森高自身も一時期出演していたアサヒ生ビール「Z」CMソング。オリコン3位。

 

5月10日、23rdシングル“夏の日”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン5位。

 

7月25日、9thアルバム『STEP BY STEP』を発売、オリコン3位。

 

10月10日、24thシングル“素敵な誕生日/私の大事な人 (シングル・ヴァージョン)”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫/作詞:森高千里/作・編曲:高橋諭一)を発売、自身2度目のオリコンシングル1位。

 


1995年2月10日、25thシングル“二人は恋人”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン5位。

 

同年、阪神・淡路大震災救済イベントで泉谷しげるのバンドに参加しドラムを担当したが、この時江口洋介がベースギターを担当していた。

3月25日、初のベストアルバム『DO THE BEST』を発売、オリコン2位。

10月10日、26thシングル“休みの午後”(作詞:森高千里/作・編曲:斉藤英夫)を発売、オリコン5位。

 

12月1日、27thシングル“ジン ジン ジングルベル”(作詞・曲:森高千里/編曲:高橋諭一)を発売、オリコン2位。

 

 

1996年2月19日、28thシングル“SO BLUE”(作詞:森高千里/作曲:伊秩弘将/編曲:高橋諭一)を発売、オリコン7位。

 

6月10日、29thシングル“ララ サンシャイン”(作詞:森高千里/作曲:伊秩弘将/ストリングスアレンジ:高橋諭一)を発売、オリコン5位。

 

7月15日、10thアルバム『TAIYO』を発売、オリコン3位。

 

11月11日、30thシングル“銀色の夢”(作詞:森高千里/作曲:伊秩弘将)を発売、森高はドラムスとコーラスも担当している。オリコン9位。

 

 

1997年、1998年にローソンのCMシリーズで細野晴臣と夫婦役で共演し、後にコラボレーション・アルバム『今年の夏はモア・ベター』を発表。

2月25日、31stシングル“Let's Go!”(作詞:森高千里/作曲:伊秩弘将)を発売、オリコン19位。

 

6月11日、32ndシングル“SWEET CANDY”(作詞:森高千里/作曲:高橋諭一)を発売、カップリングの“未来”(作詞・曲:森高千里)は、森高の出身地・熊本県で1999年に開催された「くまもと未来国体」のテーマソング。オリコン10位。

 

 

7月16日、11thアルバム『PEACHBERRY』を発売、オリコン4位。
10月15日、33rdシングル“ミラクルライト”(作詞:森高千里/作・編曲:細野晴臣)を発売、当時ローソンCMで共演の細野とのコラボ楽曲。オリコン20位。

 

11月19日、34thシングル“SNOW AGAIN”(作詞:森高千里/作曲:高橋諭一)を発売、オリコン9位。

 

 

1998年3月4日、35thシングル“電話”(作詞:森高千里/作曲:高橋諭一)を発売、オリコン17位。

 

5月21日、細野晴臣プロデュースによる企画アルバムとして制作された12thアルバム『今年の夏はモア・ベター』を発売、オリコン10位。
7月15日、36thシングル“海まで5分”(作詞:森高千里/作曲:久保田利伸/編曲:前嶋康明)を発売、オリコン20位。TBS系列ドラマ東芝日曜劇場『海まで5分』主題歌。2010年8月頃より、森高自ら出演するパナソニックのビデオカメラCMソングとして使用された。

 

7月15日に発売された泉谷しげるの17thアルバム『私には夢がある』にドラマーとして参加。

9月9日、13thアルバム『Sava Sava』を発売、オリコン7位。

10月1日、37thシングル“冷たい月”(作詞:森高千里/作・編曲:高橋諭一)を発売、オリコン33位。

 


1999年、出身地である熊本県で開催された「くまもと未来国体」にテーマソングとして“未来”を提供した。
3月17日、38thシングル“私のように”(作詞:森高千里/作・編曲:河野伸)を発売、オリコン37位。

 

5月19日、39thシングル“まひるの星”(作詞:森高千里/作曲:スガシカオ)を発売、オリコン41位。

 

6月3日、1995年から交際を続けていた俳優の江口洋介と結婚。体調を崩したため病院で検査をしたところ、妊娠3週目であることが確認されたこともあり、これを機に結婚を決意した。

10月1日、40thシングル“一度遊びに来てよ'99/EVERY DAY”(作詞:森髙千里/作曲:斉藤英夫/作詞:森高千里/作曲:高橋諭一)を発売、オリコン60位。

 

同年末、産休に入る。

 


2000年2月に長女、2002年5月に長男を出産。1999年末に産休に入って以後は育児を優先するため、表立った芸能活動は極力抑えた。休業期間中もCMや雑誌の連載などの活動は散発的に行っていた。
 

 

2004年、ハウス「ジャワカレー」CMにて、夫・江口洋介と共演、2008年まで出演した。

 


1男1女の母となった森高は、子育てを中心に雑誌の連載、ベストアルバムのレコーディングやCM出演などの活動をしている。また、単発的ではあるが子育てに支障のない限り、ミュージシャンとしての活動も行っている。


2007年5月、自身のヒット曲“渡良瀬橋”の歌碑が足利市にある渡良瀬橋のそばに完成。また同月には日産・ラフェスタのCFソングが発表された。


2008年12月6日、事務所の後輩「シャ乱Q」結成20周年記念「ハタチのシャ乱Qみんなでお祝いだ!日本武道館フェスティバル〜長いよ〜」にゲスト出演し、9年ぶりに公の場で“渡良瀬橋”をキーボードの弾き語りで演奏、“気分爽快”を歌唱と2曲を披露した。


2009年4月24日放送の『僕らの音楽』にて、親交のある渡瀬マキと対談をし、10年ぶりのテレビ出演となる。
11月20日放送のテレビ朝日『ミュージックステーション』では稲垣潤一と“雨”をデュエットで披露し、同番組に10年ぶりの出演を果たした。

11月25日、シングル“雨 (as right as rain mix)/渡良瀬橋”を発売。

12月2日、FNS歌謡祭(フジテレビ)にも出演し、稲垣とのデュエットだけではなく13年ぶりに“渡良瀬橋”を披露した。

 

 

2011年4月9日、所属事務所「アップフロントエージェンシー」(現:アップフロントプロモーション)が山下公園で東日本大震災チャリティーイベント「がんばろうニッポン 愛は勝つ 〜From Yokohama with love〜」を開催した。同じ事務所所属のアーティスト達と“愛は勝つ”を歌って募金活動を行った。


2012年5月25日、歌手デビュー25周年を機に公式ホームページをリニューアル、さらにYoutube公式チャンネル、facebook公式ページ、google+公式ページを立ち上げ、その中で、今後1年間をかけて、オリジナル楽曲200曲のセルフカヴァーを目玉に、他にもベストアルバムの発売等、25周年記念企画をPR、本格的に歌手活動を再開することを発表した。この日を境にしてメディアへの露出も急激に増えた。

8月8日、ベストアルバム『ザ・シングルス』を発売、オリコン5位。

 


2013年9月25日、熊本県を代表するゆるキャラ「くまモン」のイメージソング“くまモンもん”(作詞:小山薫堂・KAN/作・編曲:KAN)発売。熊本県出身の放送作家:小山薫堂の呼びかけで企画・制作され、同県出身ということで森高が歌唱を担当した。

 

11月13日、若手DJの「tofubeats」からのオファーで制作した“Don't Stop The Music feat. 森高千里”を収録したtofubeatsの2ndシングル“Don't Stop The Music”が発売された。

 


2014年8月17日、サマーソニック2014のレインボーステージで2013年にメジャーデビューしたばかりのtofubeatsと共演し、スタートレックをモチーフとした衣装と演出でクラブミュージック直系のエレクトロ・ポップにリミックスされた代表曲群を歌唱した。
10月のツアーにおける「ダンス・モリタカ」コーナーの好評を受けて、2015年10月8・9日にかけて赤坂BLITZで「The Dance Moritaka Nights」を開催。この公演は同年12月にTBSチャンネルで放送された。


2015年10月、エフエム東京で『KOSE MUSIC ON THE EDGE』担当開始。ラジオへの復帰は1998年秋改編で終了した『もっとキイトカナイト』以来17年ぶり。

10月16日、音楽番組『Love music』の司会として、アンジャッシュ渡部健とともに出演。諸般の事情で渡部は現在出演を見合わせ中。


2017年5月25日、歌手デビュー30周年を迎えた。


2019年1月の狭山市を皮切り12月仙台までの実に21年ぶりの全国ツアー36か所37公演「この街ツアー2019」を行った。久しぶりのコンサートツアーが好評だったことを受けて、翌2020年6月から2021年にかけて、同タイトルの全国ツアー第2弾を行うことを公表していたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、2020年内に行うコンサート全日程について、2021年に延期または中止することを発表した。


2021年6月延期していた全国ツアーを栃木県足利市を皮切りに再スタートさせた。できるだけたくさんの人に参加してほしいことから昼夜2回公演を行うと発表した。