マーク・アーモンド(Marc Almond/出生名:Peter Mark Sinclair Almond/1957年7月9日~)は、イギリスのミュージシャン。ソフト・セルのヴォーカルとして有名。

 

 

 

1957年7月9日、ピーター・マーク・シンクレア・アーモンドは、英国イングランドのランカシャー州サウスポートにて、サンドラ・マリー・アーモンド(旧姓Dieson)とピーター・ジョン・シンクレア・アーモンドの子として生まれた。

 

母の“Let's Dance”(クリス・モンテス)や“The Twist”(チャビー・チェッカー)、父のデイヴ・ブルーベックなど、両親のレコード・コレクションを聴いて育った。

 

14歳の時、自動車事故に遭い、左耳の聴力をほぼ失うという障害が残った。

 

グラマー・スクールの生徒だった頃から父がアルコール中毒となり、音楽に慰めを見いだすようになった。

スコット・ウォーカー、マーク・ボラン、ブライアン・イーノ、デヴィッド・ボウイのファンである。

 

 

1977年、リーズ工科大学に進学。そこで、同じランカシャー州出身のデイヴ・ボール(Dave Ball/1959年5月3日-)と出会う。

 

 

1978年、二人は音楽デュオ「ソフト・セル」(Soft Cell)をリーズにて結成。

当時、最先端のアンダーグラウンド音楽だったスロッビング・グリッスルやキャバレー・ヴォルテールなどの影響を受けていた二人は、もう一つの彼らの共通のルーツであったノーザン・ソウルの要素を文学的な歌詞にのせてノイジーなエレクトロニクスに取り込むという斬新なスタイルでリーズを中心に活動していた。

 

 

1980年、彼らの最初のレコーディング活動は、ボールの母親から借りた2,000ポンドで、シンプルな2トラック・レコーダーで制作された。

10月、その音源が『Mutant Moments e.p.』というタイトルの4曲入り7インチEPとして2000枚プレスされリリースされた。これがデュオにとって最初のリリースとなった。海賊版もあるが入手が困難なコレクターズ・アイテムになっている。
この頃、彼らの存在に注目していたのがロンドンのキングスロードにあるチェルシー・ドラッグストアで月曜日のレジデントDJをやっていたスティーヴォ・ピアース(俗称Stevø)だった。左官職人の家に生まれた彼はフォノグラム・レコードの仕事を手伝いながらDJとしても活動しており、イギリスの各地から送られてくる無名バンドのデモテープから気に入ったものを勝手にチャート化し、当初は『Record Mirror』誌に掲載。発表の場はその後『Sounds』に引き継がれるが、ソフト・セルもその中で取り上げられることになった。しかし、実際に聴く機会のない音楽のチャートを紹介することにスティーヴォは疑問を感じ始め、自費でコンピレーション・アルバムをリリースすることを思いつく。

 

 

1981年、スティーヴォのコンピレーション・アルバムは『Some Bizzare Album』という題名で発売さ、無名のバンドばかりだったにもかかわらず、最初の2000枚を完売して話題になった。ソフト・セルは2トラックの簡単なレコーダーで自宅録音した楽曲“The Girl With A Patent Leather Face”(=人工皮革の顔の少女)で同アルバムに参加している。『Some Bizzare Album』には、後にミリオンセラーを出すが当時はまだ無名だったザ・ザ(The The)やデペッシュ・モード(Depeche Mode)、ブラマンジェ(Blancmange)等が参加しており、スティーヴォの先見性を物語っている。

 

この頃、ソフト・セルに着目していたもう一人の人物は、デペッシュ・モードの成功で名を上げたミュート・レコードのオーナー、ダニエル・ミラーだ。彼は、ロンドンでソフト・セルが活動するために重要な役割を果たした7インチ・シングル“A Man Can Get Lost”と12インチ “Memorabilia”をプロデュースすることになった。ただし、リリースはスティーヴォが『Some Bizzare Album』で稼いだ金で作ったレーベル会社、Some Bizzare Recordsからだった。ソフト・セルはこの時既にスティーヴォにマネージメントを任せる決心をしていたが、驚くことにスティーヴォはまだその時17歳だったという。 特に“Memorabilia”は当時のクラブシーンである程度の成功をおさめ、ソフト・セルの名前はロンドンでも徐々に浸透し始めた。

 

 

7月、グロリア・ジョーンズの1964年の曲をカヴァーした“汚れなき愛”(Tainted Love)を先行リリースすると大ヒット。全英シングル・チャート1位となり、米音楽誌『ビルボード』の総合シングル・チャート「Billboard 200」(以下「全米」)でも最高で8位、43週間もチャート入りした。

 

11月2日、2枚目のリード・シングル"Bedsitter"をリリース、全英4位。

 

11月27日、初のフル・アルバム『ノン・ストップ・エロティック・キャバレー』(Non-Stop Erotic Cabaret)を発表、全英5位・全米22位。プロデューサーはワイヤーやブロンスキ・ビートのヒットで名を上げたマイク・ソーン。レコーディングはニューヨークで行われた。平凡な都会生活に対するストレスなどを題材に、同性愛、ドラッグなどの裏社会的なエッセンスを取り入れた退廃的・文学的な歌詞、そして新鮮なエレクトロニック・サウンドとソウルフルなマークのヴォーカルという、従来のエレポップ系アーティストにはなかった人間くさい曲が特徴的なアルバムとなっている。

 

 

1982年1月、シングル"Say Hello, Wave Goodbye"をリカット、全英3位に達した。

 

5月7日、シングル"Torch"をリリース、全英2位をマーク。

 

6月、同じくソーンのプロデュースでミニ・アルバム『Non-Stop Ecstatic Dancing』を発表。全6曲が収録されており、2曲はミックスの再編集によってつながっている。“Memorabilia”はヴォーカルも再録され、よりダンサブルなミックスに仕上がっている他、“A Man Can Get Lost”は“A Man Could Get Lost”と名を変えインスト・バージョンになっている。なお、英国盤と米国盤では収録曲が異なる。全英3位になった“What!”もまた“汚れなき愛”の作曲で知られるFour PrepsのメンバーだったEdd Cobのカヴァー。 “愛はどこへ行ったの” (Where Did Our Love Go)はスプリームスの大ヒット曲のカヴァーで、やはりソウルフルな選曲になっている。1stアルバムより全体的によりダンサブルでキャッチーに仕上がっているが、“Sex Dwarf”のリミックスは放送コードにひっかかる過激な内容になっている。日本未発売。

8月11日、『ノン・ストップ・エロティック・キャバレー』からの最後のシングル"What"をリリース、全英3位をマークした。

 

同年、ビデオクリップ集『Soft Cell's Non-Stop Exotic Video Show』をリリース。さほど予算をかけた内容ではないが、彼らの貴重な動く姿が見られる。途中で例のスティーヴォが当時ロンドンのソーホーにあったSome Bizzare Recordsの事務所で話す映像が写っている。なお、“Sex Dwarf”のPVは存在するにもかかわらず未収録。

 

9月、マークは別プロジェクト「マーク・アンド・ザ・マンバス」(Marc and the Mambas)を同時進行で進め、アルバム『Untitled』をSome Bizzare, Phonogramから発表、全英42位を記録。

 

 

1983年1月14日、ソフト・セルの2ndフル・アルバム『滅びの美学』(The Art of Falling Apart)を発表。エレポップ路線のサウンドは影を潜めるが実際にはリン・ドラムを使ったサンプリングの打ち込みであり、全編に渡りシンセサイザーを多用しており生楽器の登場回数は少ない。だが全体的には生楽器のようなオーガニックな印象を受け、共同プロデューサーのFloodのセンスが垣間見える。また本来の彼らの持ち味であるノーザン・ソウルの影響をより濃くしているが、退廃的イメージが強調され、タイトル通りデュオが滅びゆく鮮やかな散り際を演出した。実際、既にこの頃解散の噂もあった。初回プレスに付いていたボーナス・レコードにはジミ・ヘンドリックスのメドレーや『007』シリーズで知られるジョン・バリーの曲をカヴァーを収録。アルバムは全英5位をマークした。

 

8月、マーク・アンド・ザ・マンバスの2ndアルバム『Torment and Toreros』をリリース、全英28位。

 

年末、アルバム『滅びの美学』から“Where the Heart Is”をリカット。子どもの目線から語られる家庭不和と両親のエゴを、ストリングス風の美しいシンセサイザーの音色を背景にマークが哀愁たっぷりに歌い上げている本曲を彼の母親は好きでないらしいことをインタビューで語っている。なお同シングルはクリスマスに発売されたため、全英21位と余りヒットしなかった。

 

 

1984年3月16日、もうソフト・セルはこのまま解散するものと誰もが思っていた矢先、突然アルバム『ソドムの夜』(This Last Night in Sodom)が発表された。赤地に金文字で殴り書きされたジャケットのアートワークは最も緊張感のある本アルバムのイメージを表しており、マルキ・ド・サドやジョルジュ・バタイユなどの背徳文学の世界をジョニー・サンダース的なニューヨーク・パンクの退廃感と織り交ぜ、さらにニュー・ウェイヴへと昇華させた。全体的にモノラルで録音されており、相変わらず打ち込みであるにもかかわらず、広がりのない音がまるでガレージ録音のような荒さを醸し出している。オルガンやエレキ・ギターなど、シンセサイザー以外の楽器を多用している。敢えて汚した音に加工することで、これまでのエレポップ感とは違い、破壊的な躍動感を前面に打ち出している。この頃同時進行していたマーク・アンド・ザ・マンバスの活動へとリンクしていく内容で、最もニュー・ウェイヴ的なアプローチが示されたこのアルバムは全英12位をマークした。ここからのシングルは、"Soul Inside"が全英16位、"Down in the Subway"が全英24位に入った。

 

 

 

この後、ソフト・セルは解散する。

10月、解散後にマークはマーク・アンド・ザ・マンバス、そしてソロ活動へと移行していき、一方、ボールはソロ・アルバムを出した後テクノユニット「ザ・グリッド」を結成、一時解散したが再結成し現在も活動している。
10月、ソロ・アルバム『Vermin in Ermine』をSome Bizzare, Vertigo Recordsからリリース、全英36位を記録した。

 

 

1985年、ソロ・アルバム『Stories of Johnny』をリリース、全英22位。ここからのシングルは、"Stories of Johnny"が全英23位に入った。

 

 

 

1988年9月、ソロ・アルバム『The Stars We Are』をParlophone, Capitol Recordsからリリース、全英41位・全米144位に入った。"Tears Run Rings"が全英26位・全米67位、Gene Pitneyをフィーチャーした"Something's Gotten Hold of My Heart" が全英1位をマークした。

 

 

 

 

1989年、Gene Pitneyをフィーチャーした"Something's Gotten Hold of My Heart"をリリース、全英1位をマークした。

 


1991年、ソフト・セルは「マーク・アーモンド・フィーチャリング・ザ・グリッド」という形で一時的に再結成し、マークのアルバムで数曲競演していた。

だが、その後はあまり目立った活動はなかった。

10月、ソロ・アルバム『Tenement Symphony』をWEA, Sire, Reprise Recordsからリリース、全英39位。ここからは、"Jacky"が全英17位をマーク。

 

 

1992年、ソロ・シングル"The Days of Pearly Spencer"をリリース、全英4位をマークした。

 

 

1995年、シングル"Adored and Explored"をリリース、全英25位。

 


2001年、17年のブランクを経てソフト・セルとしての再出発がようやく実現した。

 

 

2002年、再結成から初のアルバム『クルーエルティ・ウィズアウト・ビューティー』
(Cruelty Without Beauty)をリリース。解散のブランクの間に彼らは互いにダンス・ミュージックへの興味を深めていたことで、再結成後の作品はどれもテクノやトランスの要素が強い。文学的なマークの歌詞は健在だった。

このアルバム発表後、イギリス国内を含んだヨーロッパツアーを行った。

 

 

2003年、前年の欧州ツアーの模様を収めたソフト・セル初のライヴ・アルバム『Live』をリリース。

同年、ライヴ・アルバム『Soft Cell at the BBC』をリリース。

 

 

2005年、ライヴ・アルバム『Say Hello, Wave Goodbye: Live』をリリース。

 

 

2017年9月、ソロ・アルバム『Shadows and Reflections』をBMGからリリース、全英14位をマークした。


2018年9月30日、ソフト・セル結成40周年を迎え、ロンドンのO2アリーナで「最後」の再結成ライヴを実施。

 

 

2019年、前年のライヴの模様を収録した音源『Say Hello Wave Goodbye』や映像ソフトが発売された。

 

 

2020年1月31日、ソロ・アルバム『Chaos and a Dancing Star』をBMGからリリース、全英35位を記録した。    

 

 

2022年5月6日、ソフト・セルの5thスタジオ・フル・アルバム『Happiness Not Included』をBMGからリリース、全英7位を記録した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「マーク・アーモンド」「Marc Almond」「ソフト・セル」「Soft Cell」「Marc and the Mambas」

 

 

(参照)