ケリー・ローランド(Kelly Rowland/出生名:Kelendria Trene Rowland/1981年2月11日~)は、アメリカ合衆国のR&B歌手、俳優、ダンサー、モデル。

 

 

 

1981年2月11日、ケレンドリア・トレーン・ローランドは、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ(Atlanta, Georgia)で、ドリス・ローランド=ギャリソン(1947年12月6日-2014年12月2日)とクリストファー・ラヴェットの娘として生まれた。彼女にはオーランドという名前の兄がいる。

 

6歳の時、母親はベトナム戦争への従軍により心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っていたアルコール依存症の父親のもとからケリーを連れて離れていった。

 

7歳か8歳の時、家族はヒューストンに移住し、ある時点で彼女は後に同じデスティニーズ・チャイルドのメンバーとなるビヨンセ(Beyoncé Knowles/1981年9月4日-)と同居を開始、ビヨンセの母親ティナ・ノウルズのことを「ママT」と呼んだ。

 

 

1990年、ケリー・ローランドはビヨンセらとガールズ・コーラス・グループを結成。

 

 

1992年、 結成当時「Girl's Tyme」と命名されたグループは地方公演後、CBSのテレビ番組『スター・サーチ』(Star Search)にエントリーした。だが、不本意な成績に終わる。そこでマシューは彼女らの夢を叶えるため、何十万ドルの給料だったゼロックスを退職し、マネージャーに専念することを決意。グループ名を聖書からの引用で「運命の子どもたち」を意味する「デスティニーズ・チャイルド」(Destiny's Child)に変える。
 

1993年にラトーヤ(LeToya/1981年3月11日-)が加入した。なお、ビヨンセとケリーは、デビュー後しばらくは従姉妹とされていたが、最近はビヨンセの父マシュー・ノールズの友人の娘とされている。2人の関係は諸事情があるようで、マシューがケリーの後見人になっていることから2人は異母姉妹との説もある。
 

4人は各々の地元と、ビヨンセの母であるティナの美容院で活動した。

 


1997年、クリスティーナ・アギレラやTLCのツアーの前座を経験。

同年、映画『メン・イン・ブラック』(Men in Black)のサウンドトラックに初楽曲“キリング・タイム”(Killing Time)を提供すると、これが評判を呼び、グループのデビューにつながった。

 

10月27日、デビュー・シングル“ノー、ノー、ノー パート2”(No, No, No Pt. 2)をリリースすると、米音楽誌『ビルボード』(Billboard)の総合シングル・チャート「Billboard Hot 100」(以下「全米」)3位・同誌「R&B・HipHopシングル・チャート」(以下「R&B)1位、全英でも5位に入る大ヒット。

 

 

1998年2月17日にリリースのデビュー・アルバム『デスティニーズ・チャイルド』(Destiny's Child)は、フージーズのワイクリフ・ジョン、ジャーメイン・デュプリ、ドゥエイン・ウィギンズ(D'wayne Wiggins)、コニー・ルーニー&マーク・モラレス(Cory Rooney&Mark Anthony Morales)などのプロデュースを受け、全米67位・全英45位を獲得、全米レコード協会(RIAA)から最終的にはプラチナ・アルバムに選出。

 

同年、映画『Why Do Fools Fall in Love』のサウンドトラックにTimbalandをフィーチャーした"Get on the Bus"をリリース、全英14位を記録した。

 

 

1999年7月27日、メンバーも作詞やアレンジに参加し、旧約聖書のモーゼの戒律をコンセプトとする2ndアルバム『ライティングズ・オン・ザ・ウォール』(The Writings On The Wall)は、シェイクスピア(Kevin "She'kspere" Briggs)、キャンディ(Kandi Burruss)、ロドニー・ジャーキンズ(Rodney Jerkins)などがプロデュース。アルバムからのファースト・シングル“ビルズ・ビルズ・ビルズ”(Bills, Bills, Bills)は、全米1位・R&B9週1位・全英6位を獲得。2枚目シングル“バガブー”(Bug-a-Boo)はR&B1位を記録。これらのヒットを受けて2ndアルバム『ライティングズ・オン・ザ・ウォール』は、全米で700万枚、世界で1000万枚を売り上げた。

 

 

 

一方、ラターヴィアとラトーヤはマネージャーのマシューに対し、グループが稼いだ利益の多くを自分の取り分にすることや待遇面でビヨンセとケリーを優遇することから、以前より不満を募らせていた。

同年、ラターヴィアとラトーヤの2人は突如グループから脱退させられる。

10月14日、シングル“セイ・マイ・ネーム”(Say My Name)がリリース、2人やファンも知らない間にPVに新メンバーが登場していた同曲は全米1位・全英3位をはじめ各国で上位を占め、RIAAからは3×プラチナ認定を受ける大ヒットとなった。

 

その後、ラターヴィアとラトーヤのはグループらを相手に訴訟を起こし、2000年には約200万ドルの賠償金を受け取ることで結審。ラトーヤは2005年ソロデビュー。

 

 

2000年2月、イリノイ州ロックフォード出身のミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams/1980年7月23日-)とファラ(Farrah/1981年3月3日-)の2人が正式に新メンバーとして加入するが、ファラは頻繁に遅刻や欠勤を繰り返し、その怠惰な私生活を理由に解雇される。

7月以後は3人編成となり、活動を継続。

7月14日、シングル"ジャンピン・ジャンピン"(Jumpin', Jumpin')をリリース、全米3位・全英5位をマーク。

 

7月、次のアルバムのタイトル・トラック“サヴァイヴァー”(Survivor)をシングルとして先行リリース、全米2位・全英1位に達し、400万枚以上のセールスを記録した。

 

8月29日、前おアルバムから、映画『チャーリーズ・エンジェル』(Charlie's Angels)の主題歌に起用されたシングル“インディペンデント・ウーマン” (Independent Women)をリカット、全米11週連続1位の大ヒットとなる。

 


2001年4月24日、3rdアルバム『サヴァイヴァー』(Survivor)はメンバーのビヨンセ初の本格プロデュースで(起用プロデューサーも選択)、デスチャのアルバムで初の全米1位を獲得し、世界14か国でもチャート1位となった。

 

5月22日、"ブーティリシャス"(Bootylicious)をリカット、全米1位・全英2位。

 

9月4日、シングル"エモーション"(Emotion)をリカット、全米10位・全英3位。

 

9月7・10日(アメリカ同時多発テロ事件の前日)ニューヨークで行われたマイケル・ジャクソン(Michael Jackson)のソロ30周年記念ライヴにて、“ブーティリシャス” をマイケルの前で歌う。その時はマイケルのように帽子を被り、マイケルのダンスをして会場にいたファンに喜ばれた。

10月30日、グループ初のクリスマス・アルバム『8デイズ・オブ・クリスマス』(8 Days Of Christmas)をリリース、全米34位・全英117位。

 

その後、活動休止。


2002年3月4日、シングル"Nasty Girl"をリカット。

 

6月、ケリーはラッパーのネリー(Nelly)とコラボレーションしたシングル“ジレンマ” (Dilemma)をリリース、全米1位を10週占め、複数の国のシングル・チャートでもナンバー1を記録、ソロ活動に弾みをつける大ヒットとなった。

 

10月22日、ケリーは、大ヒット・シングル“ジレンマ”を収録したソロ・デビュー・アルバム『シンプリー・ディープ』(Simply Deep)をリリース、全米15位・全英1位、米国でRIAAゴールド・アルバム、英国でBPIプラチナム・セールスを記録した。このアルバムは全世界で250万枚を売り上げている。

 

9月8日にリリースした続くソロ・シングル“ストール”(Stole)は全英2位を記録。

 


2003年、デビュー・ソロ・アルバムからリカットした"Can't Nobody"が全英5位、 "Train on a Track"が全英20位を記録した。

 

 


2004年、それぞれのソロ活動に力を入れた3年の休眠期間を経た後、先行シングル“ルーズ・マイ・ブレス”(Lose My Breath)をリリースして、デスティニーズ・チャイルドが再始動した。

 

11月15日、4thアルバム『デスティニー・フルフィルド』(Destiny Fulfilled)を発表。初期はリード・ヴォーカルというスタイルを取り、ジャケット写真では常に中心だったビヨンセだが、本作では他の2人のヴォーカルの魅力を生かし、3人のバランスが取れたR&B色の濃い作品になっている。また、3人の人気は、2005年にバービー人形になったことにも象徴されている。現時点で最後のオリジナル・スタジオ・アルバムとなっている本作は、全米2位・全英5位となった。ここからのシングルは、"ルーズ・マイ・ブレス"(Lose My Breath)が全米3位・全英2位、T.I.とLil Wayneをフィーチャーした"ソルジャー"(Soldier)が全米3位・全英4位、"ガール"(Girl)が全米23位・全英6位、"ケーター・2・U"(Cater 2 U)が全米14位を記録した。

 

 

 

 

 


2005年4月から、日本公演(5会場6公演)の広島公演を皮切りに、マクドナルドをメイン・スポンサーとしてワールドツアー「デスティニー・フルフィルド…アンド・アイ・ラヴィン・イット」(Destiny Fulfilled... and Lovin' It)を展開。

6月11日、同ツアー中、スペインのバルセロナで行なわれたライヴ中に突然デスティニーズ・チャイルドの解散を表明。

9月10日、人気絶頂の中、カナダ バンクーバー公演を最後に解散した。

10月25日、グループ初となるベスト・アルバム『ナンバーワンズ』(#1's)をリリース、全米1位・全英6位をマークした。

 

11月15日、カリフォルニア州ハリウッドで収録された、アメリカABCのテレビ番組『ジミー・キンメル・ライブ』が放送、このパフォーマンスがオンエアされた最後のテレビ出演となった。

以降、ビヨンセとケリーは主に歌手と俳優として、ミッシェルは主に舞台でそれぞれソロ活動を続けていく。


2006年2月19日、解散後間もない頃、ヒューストンで開催されたNBAオールスターゲームで1日限定の再結成。試合前の国歌斉唱のパフォーマンスを披露した。


2007年3月13日、ケリーは、Eveをフィーチャーしたソロ・シングル"Like This"を先行リリース、全米30位・R&B7位・全英4位をマークした。

 

6月22日、ケリーは2ndソロ・アルバム『ミス・ケリー』(Ms. Kelly)をリリース、当初1stアルバム程の人気はなかったものの、全米6位・R&B2位・全英23位をマーク、“ワーク”(Work)が全英4位になった他、スヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)をフィーチャーした“ゲットー”(Ghetto)もシングル・リリースした。

 

 

 

 

2008年、Travis McCoyをフィーチャーし、ボビー・ウーマックの曲をカヴァ―したソロ・シングル“デイライト”(Daylight)が全英14位、クラブ・ヒットを博し、新装盤『ミス・ケリー』は全世界で120万枚を収める成功となった。

 


2009年、Tiziano Ferroにフィーチャーされた“ブリーズ・ジェントル”(Breathe Gentle)がイタリアで2位と大ヒット、オランダでも7位をマークし、ヨーロッパのダンス・マーケットに参入。

 

同年、ケリーはフランスのDJデヴィッド・ゲッタの“ラヴ・テイクス・オーヴァー” (英語版)にヴォーカルとして客演参加。この楽曲がヨーロッパ市場を中心に世界的大ヒットを記録したことにより、ケリーにはヨーロッパを中心に「エレクトロ・ハウスの新ディーヴァ」という新たなイメージが生まれた。

同年、デスティニーズ・チャイルド再結成ツアーが計画され、さらにスタジオで新曲をレコーディングする可能性もあったとされる。「私たちはまた一緒に仕事ができるのをすごく楽しみにしている。全員揃ってスタジオに入れる時間をスケジュールを確認して調整しなくちゃいけない」とケリーは語ったが、後にビヨンセ・サイドがこの話を否定している。


2010年に入り、ケリーはエレクトロ・ダンス路線の“コマンダー”(Commander  featuring David Guetta)をリリースして全英9位、R&B基調の“モチベーション” (Motivation featuring Lil Wayne)をリリースして全米17位・R&B1位をマーク。

 

7月22日、ケリーは3rdソロ・アルバム『ヒア・アイ・アム』(Here I Am)をリリース、“コマンダー”や“モチベーション”を収録した本アルバムは、全米3位・R&B1位・全英43位を記録した。

 


2013年2月3日、第47回スーパーボウルのハーフタイムショーにおいてビヨンセの出演が決まっていたが、ショーの中盤にサプライズとしてケリーとミッシェルが登場し、デスティニーズ・チャイルド時代の曲を披露。再び1日限定の再結成となった。

6月14日、4thソロ・アルバム『トーク・ア・グッド・ゲイム』(Talk a Good Game)を発売し、全米4位・R&B4位をマーク。シングル“キッシズ・ダウン・ロウ”(Kisses Down Low)、“ダーティ・ランドリー”(Dirty Laundry)がヒットした。

 

 

 

 

2014年5月、、ケリーはマネージャーと結婚。

同年11月、男児を出産した。

 

2019年8月には、2020年に再結成しツアーや新曲を出す方向で計画が進んでいることがアナウンスされた。

 

 

今日までに、ケリー・ローランドはソロ・キャリアにおいて、全英シングルチャートのトップ20に11曲を送り込み、また2曲のナンバーワンヒットを含む7曲のトップ10ヒットを持っている。加えて、ケリーはこれまでに世界で400万枚のアルバムと、1700万ユニットのシングルを売り上げている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ケリー・ローランド」「Kelly Rowland」「デスティニーズ・チャイルド」「Destiny's Child」

 

 

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