ダンカン・ジェイムス(Duncan James/出生名:Duncan Matthew James Inglis/ 1978年4月7日~)は、イギリス人歌手、俳優。人気グループ「ブルー」のメンバー。
1978年4月7日、ダンカン・マシュー・ジェイムス・イングリスが生まれる。
生まれる前に父親が家族を見捨てたため、ダンカン自身は一人っ子として、主に母親のフィオナ・イングリスと祖父母によってドーセット(Dorset)で育てられた。ウィルツ州ソールズベリー出身。
彼は「厳格なカトリック教徒」として育てられ、祖父が音楽の先生をしていたドーセットにあるダンプトン・スクールで学んだ。2007年7月28日にBBCのラジオ番組『ラジオ5』で1930年代にアーセナルFCのマネージャーであったハーバート・チャップマンのひ孫であると明らかにした。
その後、ミルダウン・スクール、コーフ・ヒルズ・スクール、およびシドマス大学で教育を受けた。
15歳の時、シドマス・ユース・シアターで『真夏の夜の夢』の「パック」役と、『シャーロック・ホームズ』の「ワトソン博士」役を演じ、演劇を始める。
2000年初め、ダンカン・ジェイムスは、4人組R&Bグループ「ブルー」(Blue)の結成に参加し、歌手として活動を始める。ラインナップは、ダンカン・ジェイムス (身長180cm)、アントニー・コスタ (Antony Costa/1975cm/ミドルセックス州エッジウェア出身/1981年6月23日-)、リー・ライアン (Lee Ryan/180cm/ケント州チャタム出身/1983年6月17日-)、サイモン・ウェブ (Simon Webbe/178cm/マンチェスター出身/1979年3月30日-)。
2001年5月、リード・シングル“オール・ライズ”(All Rise)でブルーのメンバーとしてデビュー。全英チャート4位で初登場。
8月27日、2ndシングル“Too Close"をリリース、全英1位を飾る。
11月12日、3rdシングル"If You Come Back"を発表、2曲連続全英1位を獲得。
11月26日、1stアルバム『オール・ライズ』(All Rise)をリリース。英国ではチャート首位に加えてダブル・プラチナを獲得。周囲からの評価も高く、『スマッシュ・ヒッツ・アワード』の「ベスト・ニュー・カマー賞(最優秀新人賞)」や、『サン』紙の「ビザール・ポール」の「ニュー・カマー賞」、『デイリイ・スター』紙が選ぶ「ホット・ポール」の「ベスト・バンド賞」、ペプシ・チャートの「ピープルズ・チョイス・アウォゥズ」の「ベスト・ニュー・カマー賞」など、数々の賞を獲得した。
2002年、ブリット・アワードの2部門にノミネートされ、ブリティッシュ・ニュー・カマー賞を受賞。
3月には「キャピタルFM・アワード」で、3つの賞「ベスト・シングル賞(If You Come Back)」、「ベスト・ニュー・カマー賞」、「ベスト・ポップ・アクト賞」を受賞する。
3月18日、4thシングル"Fly By II"をリカット、全英6位をマーク。
6月、エリザベス女王即位50周年イベント「Queen's Jubilee」にクイーン(Queen)ら有名アーチストとともに出演。
10月21日、次のアルバムからタイトル・トラック"One Love"をリード・シングルとしてリリース、全英3位をマークした。
11月4日、2ndアルバム『One Love』をリリース。本作品でエルトン・ジョンとの共演を果たす。日本では2003年1月16日に発売、35万枚という大ヒットを記録した。
リリース後、グループ結成以来初の本格ツアーをスタート、全英及びアイルランドのアリーナ級のビッグな会場を巡る超大規模なツアーとなる。
12月9日、エルトン・ジョンをフィーチャーした"Sorry Seems to Be the Hardest Word"をリカット、自身3曲目となるシングル全英1位を獲得した。
この年、『ヒイト・マガジン』誌、『ホット・スターズ・マガジン』誌、及び『デイリー・スター』紙の年末投票で各々「ベスト・グループ」の栄誉ある賞を獲得。
2003年3月17日、2ndアルバムから"U Make Me Wanna"を3枚目シングルとしてリカット、全英4位をマークした。
10月20日、次作アルバムからのリード・シングルとしてタイトル・トラック "Guilty"をリリース、全英2位をマークした。
11月3日、3rdアルバム『GUILTY』をリリース、デビュー以来3枚連続全英1位を獲得した。10月29日に先行発売された日本盤のボーナス・トラックには、槇原敬之が書き下ろした曲“ギフト”(THE GIFT)を収録。
12月1日、スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)とAngie Stoneをフィーチャーした"Signed, Sealed, Delivered, I'm Yours"をリカット、全英11位を記録した。
2004年、ジャパン・ツアーは各地で大盛況と人気を見せ付けた。
3月22日、"Breathe Easy"をリカット、全英4位をマーク。
6月28日、3rdアルバムからの4枚目にして最後のシングルとして、Linkupをフィーチャーした"Bubblin'"をリカット、全英9位に入った。
10月、ダンカンはメンバー中いち早くソロ活動に動き、デビューを迎えた英国人歌手キーディー(Keedie)とコラボレーションしたシングル"I Believe My Heart"をリリース。全英2位を記録し、日本・中国・オーストリア・イスラエル・アルメニア・イタリアでは1位を獲得する大ヒットを放つ。
同年、他のメンバーもダンカンに追随し、各々ソロ活動が忙しくなった事などから、グループは活動の休止を発表。
11月8日、ブルーは全英4位になった"Curtain Falls"を最後に発表。ここまで11枚の全英トップ10シングルを記録、そのうち3枚は同チャート1位を獲得している。
11月13日、ベスト・アルバムや同名ベストDVD『BEST OF BLUE』をリリース、全英6位。翌2005年の3月と4月にはUKアリーナ・ツアーも予定されたが、メンバーのリー・ライアンにドクターストップがかかりキャンセルとなった。
その後、グループは解散する。
2006年6月5日には初のソロデビューを果たすが、そのデビュー曲"Sooner Or Later"は、イタリアでは3位をマークしたが、本国英国では最高35位であった。
6月12日、ダンカンが1stソロ・アルバム『FUTURE PAST』をリリースしたが、全英55位・アイルランド55位・ベルギー25位・フランス68位と振るわなかった。ただしイタリアでは2位を獲得した。
8月21日には2枚目シングル"Can't Stop a River"をリリースするものの全英59位・アイルランド97位に終わった。本国イギリスで発売される前にフランス・ベルギー・ドイツで先行発売されたが、これらの国ではチャートにランクインさえしなかったが、イタリアでは23位に入った。
9月29日に3枚目のソロ・シングル"Amazed"をリリース、全英チャート入りは叶わず、イタリアで41位に入ったのみだった。
これ以降、ダンカンはソロ活動を止めることを宣言しており、結果的にこのダンカンのソロでの不振がブルー再結成への道筋をつけた。
2009年4月、ブルーは新しくレーベル契約を結び再結成を果たす。
2010年7月、ブルーは再結成後初のアルバムの制作に取り掛かり、ブルーノ・マーズやニーヨなどと曲を仕上げているとインタビューで語った。
2011年1月、ユーロビジョン・ソング・コンテストにイギリス代表として出場することを発表した。
同年、大会には再結成後に仕上げた"I Can"という曲でエントリーし、合計100ポイント、11位という結果だった。本曲は英国ではシングル・チャート16位を記録し、アルバム『ルーレット』に収録された。
12月、ダンカンは映画『キューティ・ブロンド』の舞台版となるブロードウェイ・ミュージカル『キューティ・ブロンド』のウェスト・エンド公演に主要キャストの1人して出演した。
2013年4月28日、アルバム『ルーレット』(Roulette)をリリース、全英13位。ここからは"I Can"の他に、"Hurt Lovers"が全英70位をマークした。
2015年3月6日、アルバム『Colours』をリリース、全英13位。
2022年10月28日、アルバム『Heart & Soul』をリリース、全英22位。
2023年9月、ダンカンはDenise van Outenとのコラボレーションにより、“That's What Friends Are For"をカヴァー、デュエット・シングルとしてリリースした。
現在ダンカンは、ブルーとしての活動の他は、テレビ司会者として、俳優、舞台俳優として活動している。
(参照)
Wikipedia「ダンカン・ジェイムス」「Duncan James」「ブルー」
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