神楽坂 はん子(かぐらざか はんこ/本名:鈴木 玉子/1931年3月24日~1995年6月10日)は、日本の芸者歌手。

 

 

 

1931年3月24日、鈴木玉子が東京都で生まれる。

両親は都内で料理店を営む。

 

16歳の時、両親の反対を押し切り、神楽坂で芸者となる。

 

その後、歌唱力が評判となり、その噂を聞きつけた作曲家の古賀政男(こが まさお/1904年11月18日-1978年7月25日)と作詞家の西条八十(さいじょう やそ/新字体:西条/1892年1月15日-1970年8月12日)が、作曲家の万城目正(まんじょうめ ただし/1905年1月31日-1968年4月25日)の紹介で神楽坂はん子の元へやってきた。そこで、“アリラン”を披露し、また、「私、芸術家って大嫌い」と発言するなどその竹を割ったような性格も古賀に気に入られ、コロムビアへスカウトされた。

 

 

1952年4月、古賀作曲の“こんな私じゃなかったに”(作詞:西條八十/作曲:古賀政男)で日本コロムビアからデビュー。同曲はデビュー曲にもかかわらずヒットを飾る。

 

9月、江利チエミの“テネシー・ワルツ”に対抗して作られた“ゲイシャ・ワルツ” (作詞:西條八十/作曲:古賀政男) が大ヒット。一躍スター歌手となる。

 

同年、“だから今夜は酔わせてネ”(作詞:西條八十/作曲:古賀政男) 等を発表。

 

 

1953年、“こんなベッピン見たことない”(作詞:関根利根雄・石本美由起/作曲:古賀政男)を発表。コロムビアと大映のタイアップ企画もので、「こんな〇〇見たことない」シリーズとして本作を含め4作が歌と連動して映画化された。

 

同年、青木光一とのデュエットで“モチのロン/若い時や二度ない”(作詞:上山雅輔/補作詞・作曲:古賀政男/作詞:西條八十/作曲:古賀政男)を歌唱。

 

 

同年、“見ないで頂戴お月様”(作詞:野村俊夫/作曲:古賀政男)、“芸者ブルース”(作詞:西條八十/作曲:古賀政男)、“ゲイシャ・ルンバ”(作詞:野村俊夫/作曲:古賀政男)を発表。

 

 

 

12月31日、『第4回NHK紅白歌合戦』に初出場、“こんな私ぢゃなかったに”を歌唱。 

 


1954年、大映とのタイアップ・シリーズ“こんな美男子見たことない”(作詞:石本美由起/作曲:古賀政男)、“こんな奥様見たことない”(作詞:関根利根雄・石本美由起/作曲:古賀政男)、“こんなアベック見たことない”(作詞:関根利根雄/補作詞:石本美由起/作曲:古賀政男)を発表。

 

 

同年、“湯の町椿”(作詞:西條八十/作曲:古賀政男) 、“博多ワルツ”(作詞:西條八十/作曲:古賀政男)を発表。

 

 

同年、「鴬芸者」として一世を風靡していた当時の神楽坂の人気は凄まじく、ビクターからは彼女に憧れを抱いた「神楽坂浮子」という歌手も登場する程であった。

12月31日、『第5回NHK紅白歌合戦』に2年連続2回目の出場、“みないで頂戴お月さん”を歌唱。 

 

 

初発年不明、“雨の田原坂”(作詞:野村俊夫/作曲:古賀政男)。

 

 

1955年、身許引受人の意向で引退。公には結婚のための引退だと報道された。

 

 

1967年、NETテレビ時代劇『素浪人 月影兵庫』第2シリーズ 第32話「お酒に刀が浮いていた」に「小唄の師匠・はん」役で出演。

 

 

1968年、急遽、歌手に復帰する。

復帰に際し、それまで暮らしていた住まいも引っ越し、関係者に対して「今までの13年間の女の生活を燃やしてきました」と語ったという。

 

 

復帰後レコード会社は日本クラウンに在籍。

 

 

その後、神楽坂は古巣のコロムビアに戻り、かつてのヒット曲を再録音した。

 

 

東京12チャンネル(現:テレビ東京)の『なつかしの歌声』などの数々のテレビ番組にも出演し、“ゲイシャ・ワルツ”など一連のヒット曲を披露した。

 

 

1970年代後半以降、神楽坂はん子は再び姿を消す。

自らの事業失敗もあり、歌手活動は完全に引退状態となった。

その後は一切復帰することはなかった。

 

 

1994年2月21日、コンピレーション・アルバム『こんな私じゃなかったに』が発売。収録曲 “こんな私じゃなかったに”、“初恋日記”、“ゲイシャ・ワルツ”、“だから今夜は酔わせてね”、“あゝそれなのに”、“好きなアンタハン”、“見ないで頂戴お月様”、“ゲイシャ・ルンバ”、“芸者ブルース”、“三味線流し”、“こんなベッピン見たことない”、“そんな貴方じゃなかったに”、“博多ワルツ”、“湯の町椿”、“こんな美男子見たことない”、“女ごころの十三夜”、“神楽坂ワルツ”、“芸者エレジー”全18曲。

 

11月1日、コンピレーション・アルバム『懐かしの歌声名曲集/ゲイシャ・ワルツ』を発売。収録曲 “ゲイシャ・ワルツ”、“見ないで頂戴お月様”、“湯の町椿”、“モチのロン”、“博多ワルツ”、“伊豆の七島”、“こんなベッピン見たことない”、“こんな私じゃなかったに”、“芸者ブルース”、“雨の田原坂”、“みんな私が悪いのよ”、“浪花情歌”、“だから今夜は酔わせてネ”、“影を慕いて”全14曲。

 

 

 

 

1995年6月10日、神楽坂 はん子の名で一世を風靡した女性は、埼玉県川口市の武南病院で一人ひっそりと肝臓癌のため亡くなった。64歳没。一人暮らしの自宅には焼酎瓶が散乱していたという。

 

 

神楽坂という地名を一躍全国区にしたのは神楽坂はん子の功績と言っても過言ではない。彼女に憧れて歌手になった神楽坂浮子も2006年放送のテレビ東京『昭和歌謡大全集 第27弾』にて同様の発言をしている。

 

 

2012年6月20日、コンピレーション・アルバム『スター☆デラックス 神楽坂はん子』が発売。収録曲 “ゲイシャ・ワルツ (MONO)”、“こんな私じゃなかったに (MONO)”、 “だから今夜は酔わせてネ (MONO)”、“あゝそれなのに (MONO)”、“見ないで頂戴お月様 (MONO)”、“ゲイシャ・ルムバ (MONO)”、“芸者ブルース (MONO)”、“ヒュードロ節 (MONO)”、“三味線ながし (MONO)”、“こんなベッピン見たことない (MONO)”、“博多ワルツ (MONO)”、“恋のシュンガ”、“シュンガ (MONO)”、“湯の町椿 (MONO)”、“直次郎小唄 (MONO)”、“浪花情歌 (MONO)”、“稗搗恋唄 (MONO)”、“芸者フラ (MONO)”、“雨の田原坂 (MONO)”、“女ごころの十三夜 (MONO)”、“恋の静御前 (MONO)”全20曲。

 

 

2018年8月22日、コンピレーション・アルバム『神楽坂はん子全曲集 ゲイシャ・ワルツ』が発売。収録曲 “ゲイシャ・ワルツ (MONO)”、“こんな私じゃなかったに (MONO)”、“だから今夜は酔わせてネ (MONO)”、“あゝそれなのに (MONO)”、“見ないで頂戴お月様 (MONO)”、“ゲイシャ・ルムバ (MONO)”、“芸者ブルース (MONO)”、“ヒュードロ節 (MONO)”、“三味線ながし (MONO)”、“こんなベッピン見たことない (MONO)”、“博多ワルツ (MONO)”、“恋のシュンガ”、“シュンガ (MONO)”、“湯の町椿 (MONO)”、直次郎小唄 (MONO)”、“浪花情歌 (MONO)”、“稗搗恋唄 (MONO)”、“芸者フラ (MONO)”、“雨の田原坂 (MONO)”、“女ごころの十三夜 (MONO)”、“恋の静御前 (MONO)”全20曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「神楽坂はん子」

 

 

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