アリーヤ(Aaliyah/本名:Aaliyah Dana Haughton/1979年1月16日~2001年8月25日)は、アメリカ合衆国の歌手、俳優。「アリーヤ」とはスワヒリ語で「最高の存在」という意味。

 

 

 

1979年1月16日、アリーヤ・ダナ・ホートンは、ニューヨークのブルックリンで、倉庫作業員の Diane と Michael "Miguel" Haughton の間に末っ子として生まれた。彼女はアフリカ系アメリカ人の子孫だった。また、叔父のハンカーソンは芸能弁護士で、グラディス・ナイト(Gladys Knight/1944年5月28日-)と結婚していたため、ナイトはアリーヤの叔母に当たる。

彼女の名前は、アラビア語の「アリ」の女性形で、「最高、最も高貴な人、最高」を意味する。アリーヤは自分の名前が好きで「美しい」と呼び、「とても誇りに思っている」と言って、毎日自分の名前に恥じないように努力をした。
 

自身もヴォーカリストだったアーリヤの母親は、幼い頃から娘をヴォイス・レッスンに通わせた。彼女は結婚式、教会の合唱団、チャリティー イベントで演奏を始めた。

 

5歳の時、アリーヤは家族とともにミシガン州デトロイトに引っ越し、兄のラシャドと一緒に育った。

彼女の父親はデトロイトで、義理の兄弟であるバリー・ハンカーソンが関心を寄せた倉庫業で働き始めた。母親は家にいて、アリーヤと彼女の兄弟を育てた。

6歳の時、舞台劇『アニー』(Annie)に出演、カトリック系のゲス小学校1年生に通っていた彼女は、エンターテイナーになるきっかけを与えられた。

 

子どもの頃、アリーヤは叔母のグラディス・ナイトと一緒に旅行をし、ニューヨークのエージェントと協力し、ファミリーマターズを含むCMやテレビ番組のオーディションを受けた。

 

10歳の時、彼女は『スター サーチ』に出演した。
 

アリーヤがあるオーディションを受けることにした際、彼女の母親は彼女の苗字を捨て、「アーリヤ」とする決断をした。
彼女はいくつかのレコード・レーベルのオーディションを受けた。

 

11歳の時にナイトと一緒にコンサートに出演した。
 

1994年4月8日、"Back & Forth"を先行リリースしてデビュー、いきなり全米5位・R&B1位・全英16位をマークする大ヒットとなった。

 

5月24日、若干15歳で、グラディス・ナイトの元夫でありアリーヤの叔父でもあった音楽プロデューサー兼BlackgroundレーベルCEOのバリー・ハンカーソンの紹介により、R・ケリー(R. Kelly)がプロデュースしたデビュー・アルバム『エイジ・エイント・ナッシング・バット・ア・ナンバー』(Age Ain't Nothing But a Number)をリリース、全英18位・R&B3位・全英23位を記録した。このアルバムからは"Back & Forth"の他に、"At Your Best (You Are Love)" (Remix)が全米6位・R&B2位・全英27位、"Age Ain't Nothing but a Number"が全米75位・R&B35位・全英32位、"Down with the Clique"が全英33位をマークした。

 

 

 

 

アリーヤとケリーは公私ともに恋愛関係にあったとされるが、実際の付き合いが語られることはなかった。二人の婚姻については諸説あるが、当時15才であった彼女は18才と年齢を詐称をしてR・ケリーと婚姻届を提出。後に年齢詐称が発覚して、書類は不受理となった。

その後、スキャンダルのけじめを付ける為にケリーとの関係を公私ともに断つ。

 

 

1995年、映画『A Low Down Dirty Shame』のサウンドトラックに参加、"The Thing I Like"が全英33位をマークした。

 

 

1996年8月27日、ティンバランドを名プロデューサーとして世に知らしめた2ndアルバム『ワン・イン・ア・ミリオン』(One in a Million)をリリース、全米18位・全英33位をマーク。ここからは、"If Your Girl Only Knew"が全米11位・R&B1位・全英15位、Slick Rickをフィーチャーした"Got to Give It Up"が全英37位、"One in a Million"が全英15位、"4 Page Letter"が全英24位、"The One I Gave My Heart To"が全米9位・R&B8位・全英30位を記録した。

 

 

 

 

 

10月、2ndアルバムのプロモーションで来日。この時、日本テレビの深夜帯に放送されていた洋楽番組『カウントダウン・グルーヴ』(Countdown Groove)に出演。サプライズで渋谷の公園に出向き、アリーヤについてインタビューを受けているダンサーの後ろから本人が突然現れ驚かせるという「ドッキリ」演出が行われ話題になった。

 

 

1997年、映画『Anastasia』のサウンドトラックに参加、ここから"Journey to the Past"が全英22位をマーク。

 

 

1998年、映画『Dr. Dolittle』のサウンドトラックに参加、ここから"Are You That Somebody?"が全米21位・全米11位になった。

 

 

2000年、シングル"I Don't Wanna"が全米35位・R&B5位をマーク。

 

3月22日に全米公開されたジョエル・シルバー製作カンフー・ヒップホップ映画第一弾『ロミオ・マスト・ダイ』(Romeo Must Die)でヒロイン「トリシュ・オーデイ」役としてジェット・リーと共演、劇中ではアクションシーンもこなし、スクリーンデビューを果たし、歌手としての活動にとどまらない活躍をする。同映画主題歌の“Try Again”が自身初の全米ナンバー1シングルに輝いたうえ、全英5位をはじめ各国でトップ10に入る大ヒット、さらに翌2001年のグラミー賞にノミネートされた。

 


2001年7月17日、3rdアルバム『アリーヤ』(Aaliyah)をリリース、自身初のアルバム全米ナンバー1を獲得、全英でも自己最高の5位をマークした。ここからは、Timbalandをフィーチャーした"We Need a Resolution"が全米59位・R&B15位・全英20位、"More Than a Woman"が全米25位・R&B7位・1位、"Rock the Boat"が全米14位・R&B2位・全英12位になった。

 

 

 

 

この頃、映画『マトリックス リローデッド』(The Matrix Reloaded)、『マトリックス レボリューションズ』(The Matrix Revolutions)への出演も決定するなど、彼女の人気は絶頂に達していた。

 

 

 

 

2001年8月25日、“Rock The Boat”のPVの撮影を終え、バハマ北部にあるマーシュハーバー空港から搭乗したフロリダ行のセスナ402が離陸直後墜落、死去した。22歳没。事故は機体の整備不良、積載オーバー、パイロットのコカインやアルコールの吸引が原因といわれている。彼女の遺体はニューヨーク州ハーツデイルのファーンクリフ墓地に埋葬されている。

 

このフライトにアリーヤが搭乗したのは、1999年から交際していたボーイフレンドであったロカ・フェラ・レコードCEOのデイモン・ダッシュと会うために予定を繰り上げたためといわれている。

 


2002年2月22日、米豪合作のホラー映画『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』(Queen of the Damned)が公開。アリーヤは「アカーシャ」役で準主演した。

10月28日、事故後、大学進学のために彼氏と離ればなれになるガールフレンドの心境を綴った楽曲“Miss You”が発表され、全米3位・R&B1位をマークした。事故と因果を感じる本曲のPVでは、生前彼女と親しかったDMX、ミッシー・エリオット、リル・キム、トニ・ブラクストンを始めとする多くのアーティストが出演、彼女の死を悼んでいる。また、そのPVの冒頭でDMXが、「俺は君が逝った事は悲しく思わない。君は素晴らしく美しい女性だった。だから神様が君の事を欲しがったんだ」と言っている。

 

12月10日、コンピレーション・アルバム『Care 4 U』をリリース、ヒットシングル“Miss You”を収録し、全米3位・R&B1位・全英4位をはじめ、各国でチャート上位に入る大ヒットとなった。ここからのシングルは他に、"Don't Know What to Tell Ya"が全英22位、"I Care 4 U"が全米16位・R&B3位、"Come Over"が全米32位・R&B9位にをマークした。

 

 

 

 

 


2005年5月10日、コンピレーション・アルバム『Ultimate Aaliyah』がリリース、全米41位・R&B21位・全英32位になった。

 

 

2012年、Drakeをフィーチャーした"Enough Said"がリリース、R&B55位になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アリーヤ」「Aaliyah」

 

 

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