柴山 俊之(しばやま としゆき/別名:菊[きく]/1947年6月9日~)は、日本のミュージシャン、作詞家。

 

 

 

1947年6月9日に生まれる。福岡県福岡市出身。

 

福岡県立筑紫丘高等学校を1年1学期で退学後、福岡大学附属大濠高等学校へ転入。

ダンスホールに入り浸る。ダンスホールのバンドでギターを弾いていた高校の同級生・笠原久義を偶然見かけたことからバンドに興味を持つ。

当初はドラムを担当していたが、あるダンスパーティーでヴォーカルを務め、パーティーに来ていた女の子に声をかけられるなどで気をよくしたことなどから、ヴォーカルに転向する。

 

一浪後、福岡大学経済学部に入学、留年の後に卒業。

1968年、笠原らとバンド「KEITH」を結成。主に米軍キャンプ、ダンスホールで演奏。

1970年、大学在籍中にブルーズロックバンド「サンハウス」(SONHOUSE)結成。バンド名はアメリカ合衆国のブルーズ歌手サン・ハウス(Son House/1902年3月21日-1988年10月19日)の名前に由来。結成時のラインナップは、柴山俊之 (Vo,Herp)、鮎川誠 (G,Cho)、篠山哲雄 (G)、浜田卓 (B)、浦田賢一 (Ds)。

 

その後、オリジナルを制作・演奏するようになる。鮎川が作曲を行い、歌詞は柴山がメインで書き、一部鮎川も作詞した。オリジナル第一号“へびのうた”は後に“キングスネークブルース”と改題された。

オリジナルを演奏するようになってから柴山はステージネームを名乗り始める。自身が決めた「菊」という名は、白波五人男の一人で女装する男泥棒の弁天小僧菊之助に由来。柴山自身がインパクトのあるステージネームを考える際に、菊之助にしようか菊次にしようか迷った末、ただの「菊」にした。

 

 

1974年8月、福島県郡山市開成山公園内の総合陸上競技場で開かれたロック・フェス「ワンステップフェスティバル」にサンハウスで出演し、「ヨーコ・オノ&プラスティック・オノ・スーパー・バンド」と共演したが、ジョン・レノンは同行していなかった。


1975年1月15日、自主制作盤シングル“地獄へドライブ/キングスネークブルース”をテイチクレコード/BLACKからリリースしてメジャーデビュー。

 

 

6月25日、1stアルバム『有頂天』とシングル“ロックンロールの真最中/レモンティー”をテイチクレコード/BLACKからリリースしてメジャー・デビュー。この時のラインナップは、菊 (Vo,Herp)、鮎川誠 (G,Cho)、篠山哲雄 (G)、奈良敏博 (B)、鬼平 (Ds)。同アルバムで「1975年テイチクレコードヒット賞」を受賞。

 

 

 

リリース後、日比谷野外音楽堂にてデビューライヴを敢行。

その後、ゴダイゴやCharとともに全国ツアーを回る。
同年、シングル“爆弾/雨”をリリース。

 

 

11月25日、シングル“夢みるボロ人形/あの娘は18才”をリリース。

 

 


1976年6月25日、2ndアルバム『仁輪加』をリリース。

 


1978年、3枚目のアルバムとしてライヴ盤『ドライヴ・サンハウス』をリリース。

 

3月25日、『ドライブ』発売日のこの日をもってサンハウス解散。解散時のラインナップは、柴山俊之 (Vo,Herp)、鮎川誠 (G,Cho)、坂東嘉秀 (G)、浅田孟 (B)、川島一秀 (Ds)。

その後上京し、作詞家としてルースターズ、シーナ&ザ・ロケッツ、陣内孝則、アクシデンツ、UP-BEATなど福岡、北九州のバンドや、アンルイス、松田優作、ブレッド&バター、ハウンドドッグ、子供ばんど、デーモン小暮、高樹澪、本田恭章、松平健、三好鉄生など多数の歌手・バンド・アーティストに詞を提供。『仲よし親子波』という童謡まで手がけている。

 

 

1979年3月25日、鮎川誠が率いる新バンド「シーナ&ザ・ロケッツ」がアルバム『Sheena & the Rokkets #1』をリリースしてデビュー。サンハウスの“レモンティー”や“ぶんぶん”のカヴァーを収録。また“ビールス・カプセル”が初出。

 

 

10月25日、シーナ&ザ・ロケッツの2ndアルバム『真空パック』が移籍したアルファ・レコードから発表。柴山は共作の“ユー・メイ・ドリーム”を含め数曲作詞を担当。

12月5日にシングルカットされた“ユー・メイ・ドリーム”(作曲:鮎川誠)の歌詞を英語詞パートを担当したクリス・モスデルと共作、日本航空「マイ・ハート・キャンペーン」CMに起用され、バンド最大のヒット曲となる。

 


1982年12月31日、新宿ロフトでの企画ライヴに出演。柴山俊之 (Vo)、鮎川誠 (G)、花田裕之 (G)、川嶋一秀 (Ds) のメンバーで、サンハウス時代のナンバーをプレイした。なお、この時の映像は、非公式ながら1990年代に『PREVIOUS LIVE/SONHOUSE』として発売された(10曲収録・VHS)。


1983年、サンハウス再結成。右記4ヶ所でライヴを行う。東京(6月18日 渋谷LIVE INN、9月23日 日比谷野外音楽堂)、福岡(8月7日 福岡Super Live '83 小戸公園)、仙台(8月7日 仙台ロック・フェスティバル)。ラインナップは、柴山俊之 (Vo,Herp)、鮎川誠 (G,Cho)、奈良敏博 (B)、浦田賢一 (Ds)。
11月25日、日比谷野外音楽堂での演奏模様が『CRAZY DIAMONDS~ABSOLUTELY LIVE』とのタイトルのライヴ・アルバムとして、LPとカセット・テープで発売。だが、カセット・テープは全20曲の完全版だったが、LPは12曲しか収録されなかった。1990年8月21日にビクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から同タイトルCDがリリースされるも、尺の関係か18曲(“ロックン・ロールの真最中”、“ミルク飲み人形”が未収録)にとどまっていた。2008年8月20日、紙ジャケ仕様の2枚組CDがリリースされ、ようやくカセット・テープと同じ20曲を収録した完全版となった。なお、カセット・テープ、LPでは“ステディ・ドライバー・マン”の歌詞が数カ所、断片的にテープ逆回しで処理されているが、CDではその処理は行われていない。

 

 

 

1984年5月1日、アン・ルイス本人からの依頼により、シングルA面“薔薇の奇蹟”(作曲:大沢誉志幸/編曲:伊藤銀次)を作詞提供。オリコン96位。

 

9月21日、産休明けのシーナ復帰第一弾となるシーナ&ザ・ロケッツ7thシングル“スイート・インスピレーション”(作曲:鮎川誠)を作詞提供。

 


1986年、『Sentimental Fool/Toshiyuki Shibayama』リリース。参加ミュージシャン:鮎川誠、浦田賢一、奈良敏博、野島健太郎、Annie(ANN LEWIS)、石橋凌、うじきつよし、玉城宏志、花田裕之、下山淳、灘友正幸。日比谷野外音楽堂で、リリース記念ライブを行う。この頃からライブイベント等への出演を重ね、ヴォーカリストとしての活動を再開する。


1987年、『汚れた顔の天使/柴山俊之+Sentimental Fool』リリース。参加ミュージシャン:下山淳、奈良敏博、野島健太郎、羽山伸也、川嶋一秀。

 


1988年、2月6日渋谷公会堂で行われたライヴイベント『THE COVER SPECIAL』に出演。出演者としてだけでなく、発起人の一人としても名を連ねた。◆プロデュース:仲野茂、PANTA、柴山俊之、◆出演、【柴山俊之+Sentimental Fool Unit】柴山俊之、奈良敏博、川嶋一秀、野島健太郎、西田昌史、下山淳、岩永凡、【PANTA Unit】PANTA、石橋凌、ケラ、白浜久、鈴木慶一、菊池琢己、中谷宏道、西山嘉治、中山努、【Johnny Thunders Unit】Johnny Thunders、花田裕之、寺岡信芳、Keith (ARB)、【The Rock Band Unit】仲野茂、かまやつひろし、花田裕之、藤沼伸一、寺岡信芳、池畑潤二、小林高夫、忌野清志郎、ちわきまゆみ、ほか。

 

 

1990年、「Ruby」結成。柴山俊之 (Vo)、藤沼伸一 (G)、奈良敏博 (B)、池畑潤二 (Ds)、野島健太郎 (Key)。


1991年、Rubyの1stアルバム『黒い地球儀』リリース。以後、本格的にヴォーカリストとしての活動を開始。

 

 


1993年、「Mercy Killing」(加部正義、鈴木亨明、富岡義広、篠原信彦)『Panic in the city』にゲストヴォーカルとして参加。


1994年、柴山俊之名義で『春歌』リリース。柴山と旧友のストリッパー:一条さゆり (2代目)による企画アルバム。九州地方で歌い継がれていた春歌に、新しい詞の解釈も織りまぜて制作。同企画アルバムには関西バージョンもあり、こちらは河内家菊水丸が唄っている。艶者(メンバー)は、唄:夜叉の菊(柴山俊之)、六弦:猿の銀次(下山淳)、大砲:鋼鉄三郎(池畑潤二)、太弦:十勝の亀丸(奈良敏博)、鍵盤:天王寺馬好 (Dr.KyOn)。現在も太弦の十勝の亀丸(奈良)を除いたメンバーで、不定期にライヴ活動を続けている。

 

 

1995年、Rubyの2ndアルバム『無頼ノ華』リリース。柴山俊之 (Vo)、藤沼伸一 (G)、寺岡信芳 (B)、池畑潤二 (Ds)、KYON (Key)。


1997年、Ruby 3rdアルバム『VOILLER』リリース。柴山俊之 (Vo)、藤沼伸一 (G)、寺岡信芳 (B)、大島治彦 (Ds)、KYON (Key)。


1997年、BULUES LION結成。

12月30日、新宿ロフトで初ライヴを行う。柴山俊之 (Vo)、下山淳 (Gu)、奈良敏博 (Ba)、大島治彦 (Dr)。以後、Ruby、BULUES LION、の2バンドを並行して活動。


2001年、BULUES LION 1stアルバム『X-01』リリース。※CD/LP

 


2002年、ロバート・ジョンソントリビュートアルバム『悪魔に魂を売り渡す13の方法~TRIBUTE TO ROBERT JOHNSON』にBLUES LION『最後の勝負は勝目なし』で参加。
7月2日、渋谷ラ・ママで「柴山俊之+La Planete Sauvage」名義でのライヴを敢行。Vo:柴山俊之、G:澄田健 (VooDoo Hawaiians)、G:山下タツヤ、B:穴井仁吉(元ザ・ロッカーズ、ザ・ルースターズ)、Ds:大島治彦 (THE WILLARD)
同年、ヘビー・ロック・バンド「Zi:LiE-YA」(以下「ジライヤ」)結成。2009年までに7枚のアルバムを発表(自主制作盤1枚を含む)。Ruby時代からの拠点でもある下北沢のライブハウスCLUB251では、毎月1度のライブを実施(主に第3土曜日)。全国ライヴツアー、TV出演、ラジオ出演など精力的に活動を続けている。ジライヤのラインナップ(第1期メンバー)は、Vo:柴山俊之、G:澄田健、G:山下タツヤ、B:穴井仁吉、Ds:大島治彦(2002年11月~2004年6月19日)。

 

 

2003年、1月11日 下北沢440で花田裕之(ルースターズ)とのアコースティック・デュオ「菊花賞」初ライヴ(ただし当初は「柴山俊之+花田裕之」名義での公演)。以降定期的に同ユニットでのLIVEをZi:LiE-YAと並行して実施。 菊花賞の名称は、柴山の愛称「菊」と花田の頭文字の「花」から名付けられたもの。全編アコースティック・ライヴで行われ、その音源はMCも含めほぼノーカットでCD化されリリースされている。

3月17日、ジライヤの自主制作1stアルバム『Zi:LiE-YA』をリリース。柴山俊之、澄田 健、山下タツヤ、穴井仁吉、大島治彦 ※自主制作

 

 

2004年4月25日、ジライヤの2ndアルバム『電光石火』をリリース。

 

7月17日、ジライヤ第2期メンバー(Vo:柴山俊之、G:澄田健、G:山下タツヤ、B:寺岡信芳、Ds:大島治彦)始動(~2005年1月15日)。


2005年2月12日、ジライヤ第3期メンバー(Vo:柴山俊之、G:内藤幸也、G:山下竜也、B:寺岡信芳、Ds:大島治彦)が始動(~2007年12月28日)。

4月20日、菊花賞のアルバム『VOLUME ONE」(2003年1月11日 下北沢440/1CD)、『VOLUME TWO』(2003年3月31日 下北沢440/2CD)、『VOLUME THREE』(2004年11月4日 横浜Buddy/2CD)、『VOLUME FOUR』(2004年12月2日 本厚木Butchie's/2CD)を同時発売。

※映像の音源はアルバムとは無関係。

 

 

6月25日、ジライヤの3rdアルバム『Natural Born Boogie』をリリース。

 

 

2006年6月24日、ジライヤの4thアルバム『惡名ロック』をリリース。

 

 

2007年6月9日、ジライヤの5thアルバム『ろくでなし稼業』をリリース。ジャケットに使われたイラストは、サンハウスの2ndアルバム『仁輪加』に使用されたもののオリジナル。

 

 

 

2008年1月13日、ジライヤ第4期メンバー(Vo:柴山俊之、G:内藤幸也、G:山下竜也、B:鈴木享明、Ds:富岡“Grico”義広)始動(~2008年10月5日)。

10月19日、ジライヤの6thアルバム『太陽の讃歌~ANTHEM OF THE SUN』をリリース。

 

 

2008年10月18日、ジライヤ第5期メンバー(Vo:柴山俊之、G:内藤幸也、G:山下竜也、B:山本征史、Ds:富岡“Grico”義広)始動(~2008年12月20日)。


2009年1月17日、ジライヤ第6期メンバー(Vo:柴山俊之、G:内藤幸也、G:山下竜也、B:山本征史、Ds:酒井愁)始動。

4月20日、菊花賞のライヴ盤『VOLUME FIVE』(2005年4月16日 博多百年蔵/2CD)、『VOLUME SIX』(2005年4月17日 大分T.O.P.S/2CD)、『VOLUME SEVEN』(2005年4月18日 長崎BAY SIDE BAR R-10/2CD)、『VOLUME EIGHT』(2005年4月28日 浜松ルクレチア/2CD)、『VOLUME NINE』(2005年4月29日 名古屋TOKUZO/1CD)、『VOLUME TEN』(2005年4月30日 京都磔磔/1CD)を発売。

6月20日、菊花賞のライヴ盤『VOLUME ELEVEN』(2005年5月1日 大阪ROCK RIDER/1CD)、『VOLUME TWELVE』(2005年5月3日 広島LIVE CAFE JIVE/2CD)、『VOLUME THIRTEEN』(2005年6月9日 下北沢Club251/1CD)、『VOLUME FOURTEEN』(2005年8月19日 新宿Loft/1CD)を発売。

8月20日、菊花賞のライヴ盤『VOLUME FIFTEEN』(2006年1月12日 神戸LIVEACT BAR VARIT/1CD)、『VOLUME SIXTEEN』(2006年1月13日 大阪ROCK RIDER/2CD)、『VOLUME SEVENTEEN』(2006年1月14日 京都磔磔/1CD)、『VOLUME EIGHTEEN』(2006年1月15日 名古屋TOKUZO/2CD)を発売。

9月26日、吉祥寺GBで行われたアコースティック・ライヴイベントで「菊&Dr.kyOn」名義での初ライヴを決行。うつみようこ、PANTAを抑えトリとして登場し、圧倒的なステージを見せつけた。

10月20日、菊花賞のライヴ盤『VOLUME NINETEEN』(2006年5月18日 小倉ギャラリーSOAP/2CD)、『VOLUME TWENTY』(2006年5月19佐賀RAG・G/2CD)、『VOLUME TWENTY ONE』(2006年5月20日 福岡Soul Bird/2CD)を発売。

10月20日、ジライヤの7thアルバム『DENKINAMAZ』をリリース。

 

12月20日、菊花賞のライヴ盤『VOLUME TWENTY TWO』(2006年10月7日 高知 FANCY LABO RING/2CD)、『VOLUME TWENTY THREE』(2006年11月11日 福島 なまず亭/2CD)、『VOLUME TWENTY FOUR』(2007年9月22日 水戸90EAST/2CD)、『VOLUME TWENTY FIVE』(2007年10月3日 下北沢440/2CD)を発売。


2010年、3度目となるサンハウス再結成。結成35周年を記念して全国ツアーを行う。


2011年、7月16日下北沢CLUB251で行われた、菊ソロ第一弾「たっぷりサンハウス」と銘打ったセルフカバー・ライヴを開催。以後、ジライヤと並行して不定期にライヴを行う。※メンバー Vo:菊・G:藤沼伸一・G:山下竜也・B:奈良敏弘・Ds:鬼平 ※2011年10月30日福岡ドラムロゴスのライヴで、初めてバンド名をElectric Mudとしてコール。(サポートBa.渡辺圭一)


2012年5月19日。下北沢CLUB251でのライヴを最期に、ジライヤ解散。メンバーは第1期同様。

 

 

2013年12月11日、ELECTRIC MUD名義でライヴ盤『野郎共と女たちELECTRIC MUD Live at CLUB251』をリリース。



2014年3月29日、CD、絵画、小説がコラボしたコンセプトアルバム『ギラギラ』を「菊」名義でリリース。

 


2016年6月9日、自身の69歳の誕生日になる6月9日(ロックの日)、鮎川誠のプロデュース、シーナ&ザ・ロケッツ全面バックアップによるアルバム『ROCKN' ROLL MUSE』リリース。これに伴い6月から11月まで全国17箇所でのリリースツアーを行う。

 

 


2017年4月8日、ELECTRIC MUDで2枚組ライヴアルバム『Long Honeymoon』リリース。※メンバー Vo.菊 Gu.藤沼伸一 Ba.穴井仁吉 Dr.鬼平



2018年11月3日、新生ELECTRIC MUDで2枚組ライヴアルバム『Future Blues』リリース。※メンバー Vo.菊 Gu.春日弘 Ba.穴井仁吉 Dr.鬼平

 


2019年5月3日、新生ELECTRIC MUDで2枚組ライヴアルバム『ROCK A LA MODE』リリース。※メンバー Vo.菊 Gu.春日弘 Ba.穴井仁吉 Dr.鬼平

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「柴山俊之」「サンハウス」

 

 

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