玉井 タエ(たまい たえ/出生名:玉井 妙子[たまい たえこ]/1952年11月26日〜)は、日本の元歌手。

 

 

 

1952年11月26日生まれの玉井妙子は、大阪府出身。

 

玉井は、同じく大阪出身の田中由美子(たなか ゆみこ/1953年1月21日-)とともに、高校時代からベッツィ&クリスのカヴァーなどを歌ってライヴ活動をしていた。

毎日放送ラジオの『ヤングタウン』のオーディションに合格。

 

高校卒業後に上京。女性フォークデュオ「シモンズ」として本格活動。いわゆる「関西フォーク系」に属する。デュオの名前は、2人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」(Simon & Garfunkel)のサイモン(Simon)をローマ字読みしたもの。玉井はステージネームを「玉井タエ」とし、ハスキーヴォイスで低音パートを担当。対する田中は、「田中ユミ」を名乗り、伸びのある声で高音パートを担当していた。

 

 

1969~1970年頃、いぬいゆみ、ジャッケルズ(ばんばひろふみ・石岡達雄・山本博史)との3者共作アルバム『DISCOVER JAPAN 遠くへ行きたい/若い旅人の詩』(RCAレコード)にシモンズとして参加、旧制三高(現:京都大学)の寮歌・学生歌として知られる“琵琶湖周航の歌”(作詞:小口太郎-作曲:吉田千秋)などのカヴァー3曲が収録された。なお、“琵琶湖周航の歌”は翌1971年に加藤登紀子によるカヴァーがシングルB面に収録され、大ヒットした。

 

 

1971年に発売された明治製菓(現:明治)「チェルシー」CMソング“チェルシーの唄”(作詞:安井かずみ/作曲:小林亜星)はシモンズがオリジナル・アーティストである。その後、ガロ、ペドロ&カプリシャス、南沙織、サーカス、八神純子、あみん、ハイ・ファイ・セット、シーナ(シーナ&ロケッツ)、PUFFY、CHEMISTRY、Every Little Thing、秦基博等、数多くのアーティストにより歌い継がれている。

 

 

8月5日、1stシングル“恋人もいないのに”(作詞:落合武司/作曲:西岡たかし/編曲:葵まさひこ)でRCAレコードから正式にデビュー。当初デビュー曲は“あの素晴しい愛をもう一度”になる予定であったが、同曲は作詞者の北山修と作曲者の加藤和彦が本人たちの意向で自身が歌うことに決まった。このため、急遽用意されたのが“恋人もいないのに”であった。本曲はオリコン週間シングルチャートでは最高位21位ながら、60万枚を超える大ヒットとなる。

 

9月5日、1stアルバム(LP)『恋人もいないのに/シモンズの世界』を発売。

 

12月5日、アリス結成直前の谷村新司に作詞作曲提供を受けた2ndシングル“ふり向かないで”(作詞・曲:谷村新司/編曲:葵まさひこ)を発売、オリコン37位。

 

同年、第13回日本レコード大賞では新人賞を受賞した。

 

 

1972年2月25日、3rdシングル“おくれて来た少女”(作詞:北山修/作曲:杉田二郎/編曲:葵まさひこ)を発売、B面の“ホワイ”(作詞・曲:玉井妙子/編曲:ボブ佐久間)は玉井が初めて玉井がシングル曲を作詞作曲した。オリコン72位。

 

 

4月25日、2ndアルバム『若草のころ』を発売。

 

5月25日、4thシングル“ひとつぶの涙”(作詞・曲:瀬尾一三/編曲:葵まさひこ)を発売、オリコン62位。

 

9月15日、5thシングル“思い出の指輪”(作詞:ミカ/作曲:加藤和彦/編曲:葵まさひこ)を発売。B面“この広い空のどこかに”(作詞:落合武司/作曲:玉井妙子/編曲:葵まさひこ)は玉井が作曲を手掛けた。

 

12月20日、6thシングル“ふるさとを見せてあげたい”(作詞:落合武司/作曲:玉井妙子/編曲:ボブ佐久間)を発売。玉井がシングルA面曲の作曲を手掛けたのは、これが初めてとなった。

 

 

1973年2月15日、3rdアルバム『風のことづて』を発売。

 

3月25日、7thシングル“若草の雨”(作詞:田中由美子/作曲:杉田二郎/編曲:葵まさひこ)を発売。B面の“あした天気になあれ”(作詞:植木満子/作曲:冬木透/編曲:馬飼野康二)はNHKの同名ドラマ『あした天気になあれ』の主題歌。

 

 

6月25日、再び谷村から提供を受けた8thシングル“恋の悩みは不思議なもの”(作詞・曲:谷村新司/編曲:瀬尾一三)と、4thアルバム『さんぽ道』を同時発売。

 

 

9月25日、9thシングル“ここから独りで”(作詞:千家和也/作曲:森田公一/編曲:青木望)を発売。B面“潮風にさそわれるままに”(作詞・曲/玉井妙子/編曲:馬飼野康二)は玉井が作った楽曲。

 

 

12月20日、10thシングル“幸せ色した貝がら”(作詞:安井かずみ/作曲:小林亜星/編曲:馬飼野康二)を発売。

 


シモンズは100曲を超えるCM曲を歌っている。先の“チェルシーの唄”の他にも、株式会社ユーハイム“ユーハイムの歌”(作詞:伊藤アキラ/作曲:小林亜星)、株式会社服部時計店 “セイコー・ジョイフルの唄”(作詞:岡田冨美子/作曲:小林亜星)、コーセー化粧品 “秋のほほえみ〈シェリ・ビアン〉”(作詞・曲:瀬尾一三)、キッコーマン醤油“デルモンテ トマトケチャップ”(作詞:テレビ工房/作曲:はやし・こば)、フェミニン株式会社 “コンフィデンス”、ハニー・ナイツと共演した養命酒製造株式会社CMソング “みどりの駒ヶ根”(作詞:伊藤アキラ/作曲:越部信義)等を担当した。

 

 

※“デルモンテ トマトケチャップ”は2:58~

 

 

 

 

1974年8月15日、11thシングル“取消して下さい”(作詞・曲:玉井妙子/編曲:瀬尾一三)を発売。A面とB面“赤い花と白い花”作詞・曲:玉井妙子/編曲:馬飼野康二)をともに玉井が作詞作曲したのは、これが初めてで、そして最後となった。

 

同年、人気絶頂の最中、玉井はミュージシャンの後藤次利(ごとう つぐとし/1952年2月5日-)と結婚、これを期にシモンズは活動を休止した。

 

 

1978年、テレビドラマ主題歌を歌うため、一時的に活動を再開。

6月20日、シングル“水の影”(作詞・曲:松任谷由実/編曲:後藤次利)を発売、松任谷由実が楽曲を提供、アレンジは玉井の当時の夫である後藤が請け負った。

 

 

1979年9月、夫の後藤がアイドル「木之内みどり」(きのうち みどり/1957年6月10日-)と交際していることが発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中だった後藤の元に、木之内がすべてのスケジュールをキャンセルして逃避行する事件が発生。

9月11日、木之内は帰国とともに記者会見を開き、21歳で引退した。この会見で木ノ内は、「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。

一方の後藤は、以前はタブー視されていたアイドルとの恋愛を繰り返したことでアイドルキラーとも呼ばれた。

同年、玉井は後藤と離婚、これがきっかけとなり、前年に一時活動を再開したシモンズは本格的に解散。田中は音楽活動を続けたが、玉井は芸能界から身を引いた。

なお、玉井と離婚した後藤は、5年後の1983年に木之内と再婚(木之内は初婚)したが、その4年後の1987年に離婚。1994年にはおニャン子クラブの「河合その子」と3度目の結婚をし、河合との間に子ども一人をもうけた。

 

 

1996年、田中ユミは玉井の代わりに元ジャネッツの青木まり子(現:五つの赤い風船)と「新シモンズ」を結成。

 

 

1999年、新シモンズは解散するが、2006年などに度々再結成を行っており、2006年の8月に公式ホームページが開設された。

 

 

2004年12月22日、ベストアルバム『GOLDEN☆BEST シモンズ』がAriola Japanから発売。レコード会社3社共同による廉価盤「GOLDEN☆BEST」シリーズ。

 

 

2009年7月25日、大阪府の守口文化センター(エナジーホール)にて行われた田中ユミのコンサートに、玉井が参加。シモンズ結成40周年記念として、解散以来初のデュエットが蘇ることとなった。

 

なお、玉井は現在、英語教師をしており、音楽活動はしていない。

 

 

2013年7月31日、オリジナル・アルバム4枚の全曲を収録した2枚組ベスト・アルバム『GOLDEN☆BEST シモンズ オールソングス・コレクション』がGT Musicから発売された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「シモンズ (歌手)」

 

 

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