谷村 新司(たにむら しんじ/1948年12月11日~2023年10月8日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、作詞家、作曲家、大学教授。アリスのリーダー。愛称はチンペイ。

 

 

大阪府大阪市住之江区の出身で、大阪府河内長野市生まれの大阪市東住吉区桑津育ち。

両親が第二次世界大戦の最中に大阪府河内長野市の長野温泉で親族が営んでいた旅館に疎開していたことから、大戦後の1948年に同市内で出生。3歳まで生活した後に、大阪市内へ転居した。

 

大阪市立桑津小学校、大阪市立東住吉中学校、大阪府立大和川高等学校(現:大阪府教育センター附属高等学校)卒業。桃山学院大学中退。

少年時代は肥満体型で、「ブタ」と渾名され傷つく。母親は長唄の三味線を、姉は6歳から地唱・舞をずっと続けていた。谷村自身は特に音楽に興味があった訳ではなかったが、映画『渡り鳥シリーズ』でギターを弾く小林旭の姿を見て一念発起。「女にモテたい一心で」(本人談)ギターを練習し始め、やがてバンド活動も開始した。

 

1965年、高校在学中に山本峯幸、島津ちず子と「ピーター・ポール&マリー」スタイルのフォーク・グループ「ザ・ロック・キャンディーズ」を結成。グループ名は「氷砂糖」の意。大阪と神戸で絶大な人気を誇り、神戸のアマチュア・バンド・サークル「ポート・ジュビリー」の看板グループであった。ここで、当時アマチュア・ロック・バンド「フーリッシュ・ブラザーズ・フット」のヴォーカルだった堀内孝雄と知り合う。

 

1968年9月、シングル“どこかに幸せが”で東芝レコードよりロック・キャンディーズでデビュー。

 

 

1971年、ロック・キャンディーズ唯一のアルバム『讃美歌』を発表している。

 

 

1970年、大阪万博の会場で、後にアリスの所属事務所「ヤングジャパン」社長となる細川健と知り合う。

 

細川の音頭取りで実行したアメリカ・コンサート・ツアーで「ロック・キャンディーズ」や「ザ・フォーク・クルセダーズ」らとともに参加していたソウル・バンド「ブラウン・ライス」のドラマー矢沢透と知り合い意気投合。帰国したら一緒にグループを組もうと約束する。このとき谷村の頭の中には、新グループ「アリス」の構想ができつつあった。バンド名の由来は当時ロサンジェルスで営業していたレストラン名で、メニューにペン字で「Alice」と書かれてあり、「このロゴがかっこいいなと思って。プロになるんだったらAliceってバンドの名前にしたい。」と思った事から。

このアメリカ・ツアー中にレッド・ツェッペリンのステージを観る機会があり、ジミー・ペイジの独特のギター・プレイに圧倒されたという。同じく訪米中にジャニス・ジョプリンのライブを観る機会にも恵まれ、「当時彼女の生演奏に触れることのできた数少ない日本人として幸運」と谷村本人が語っている。

帰国した谷村は、堀内をアリスに勧誘。

 

 

1971年12月25日、谷村と堀内で大阪市南区南炭屋町(現・中央区西心斎橋二丁目)にあるビジネスホテル・大阪帝国ホテルの一室にて、矢沢が合流することを前提に「アリス」を結成。以降、桑名正博の実家の蔵で練習を重ねる。

 

 

1972年3月5日、シングル“走っておいで恋人よ”(作詞・曲:谷村新司/編曲:青木望)でアリスがデビュー。

 

同年5月5日開催の奈良市民会館での公演から、矢沢が正式に合流し、晴れて現在のアリスになった。2ギター&ヴォーカル、1パーカッションという特異な編成とブルース色の強い演奏については、リッチー・ヘブンスの影響を少なからず受けているとのことである。

9月5日、デビューアルバム『ALICE I』(アリス・ワン)をリリース。

 

プロデビュー当時はヒット曲に恵まれず、メンバー三人とマネージャーの合計四人で運搬できる楽器として、矢沢は本来ドラマーなのに手荷物として持ち運びが可能なコンガを持って、谷村、堀内のフォークギター二本とともにツアーやライヴに明け暮れる毎日だった。

「特急の停まる市の市民会館にはほとんど行った」(谷村)と語るほどの地道なツアー活動をすることで潜在的ファンを増やしていった。1974年には年間303ステージという無茶苦茶な記録が残っている。その中には知名度向上だけを目的にしたノーギャラ・交通費事務所側負担の赤字ツアーもあったという。

 

 

1972年10月、MBSラジオ『MBSヤングタウン』と文化放送『セイ!ヤング』で深夜放送のDJを始める。前者は途中でブランクや曜日変更、ばんばひろふみとの二人体制になるなどしながら1986年12月まで続き、後者は火曜日を担当し名物コーナー『天才・秀才・バカ』を生み出し、途中でばんばひろふみと二人になりつつ1978年3月まで続いた。

 

 

1973年、所属事務所ヤングジャパンの社長がほぼ独断で、当時日本では無名だったジェームス・ブラウンの来日公演を決めたが、莫大な赤字を背負った。

 

 

1975年9月5日、関西カレッジフォーク界で有名だった立命館大学と同志社大学のOB三人組「ウッディ・ウー」のカヴァー“今はもうだれも”(作詞・曲:佐竹俊郎/編曲:矢沢透)をリリースし、ヒット。

 

 

1976年4月5日、8枚目シングル“帰らざる日々”(作詞・曲:谷村新司)をリリース、オリジナル曲では初のヒットになる。同曲は1978年公開の藤田敏八監督作品『帰らざる日々』の主題歌にも採用され、同年再ヒットとなった。

 

 

1977年10月5日、“冬の稲妻”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)をリリース、当初の動きは鈍かったが徐々に売り上げを伸ばし、自身初のオリコン8位とトップ10入りを果たすヒットとなる。

 

以降、1978年に3月“涙の誓い”(作詞・曲:谷村新司/編曲:石川鷹彦)がオリコン4位、6月の“ジョニーの子守唄”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)が6位、12月の“チャンピオン”(作詞・曲:谷村新司/編曲:石川鷹彦)が念願の1位、1979年には4月“夢去りし街角”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)6位、12月“秋止符”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)4位、1980年には“狂った果実”(作詞:谷村新司/作曲:堀内孝雄/編曲:石川鷹彦)が6位になる等、トップ10ヒットを連発した。

 

 

 

 

 

1978年には日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、アリスは一時代を築いた。日本武道館ではその後活動停止まで何回も公演し、他に後楽園球場(当時、現在の東京ドーム)、甲子園球場、横浜スタジアムといった野球場や、東京厚生年金会館大ホール、大阪フェスティバルホールといった全国の主だった音楽ホールなどを軒並みに満員にするほど、アリスは多数のファンを獲得していった。

 

アリスの活動と並行して、谷村はソロ活動も開始。コンサート活動はなかった(シャンソン歌手アダモとのジョイント・コンサートを除く)ものの、1975年のアルバム『蜩(ひぐらし)』を皮切りに、ソロ名義でのアルバムやシングル製作、山口百恵への“いい日旅立ち”など他の歌手への楽曲提供などを精力的に行う。アリスとは異なる音楽世界は、1979年の「陽はまた昇る」を経て、1980年の「昴 -すばる-」で一定の完成をみる。

 

 

1979年、ユニセフの「国際児童年」の募金イベント「Hand in Hand 100円玉の大行進」に、テーマ曲として“美しき絆〜Hand in Hand〜”を提供した他、自らも街頭で募金活動に参加。

4月20日、5枚目のソロアルバム『喝采』をリリース。

 

6月5日、ソロシングル“陽はまた昇る”をリリース。

 

 

1980年4月1日、ソロシングル“昴 -すばる-”をリリース。ソロとしては自身最高となる60万枚の大ヒット曲となった。

 

 

1981年7月5日、シングル“群青”が東宝映画『連合艦隊』の主題歌となる。

 

8月23日、北京・工人体育館にて日中共同コンサート「ハンド・イン・ハンド北京」開催。中国におけるロック・ポップス系コンサートとしては、前年10月に工人文化宮で開催された「第一回中日友好音楽祭」に出演したゴダイゴに次ぐものだが、単独公演としてはアリスが初めてであった。この公演が李力や王勇ら多くの若手ミュージシャンに影響を与え、中国にポップスが根付く礎となった。またソロになった谷村が、本格的にアジアに目を向けた活動を始めるきっかけにもなった。

同年11月、アリス活動停止。

 

 

1982年、シングル“スーパースター-MY SUPERSTAR-”、アルバム『JADE-翡翠-』をリリースして、本格的にソロ活動をスタート。

 

 

 

1983年5月25日、ソロアルバム『EMBLEM』をリリース。

10月1日、9枚目のソロシングル“22歳”をリリース。

 

毎年のコンサート・ツアーとは別に、さだまさし、北島三郎、郷ひろみらとジョイント・コンサートも実施。1983年からはニュー・ミュージック系アーティストでは初めてのディナーショーもスタート。また親友である チョー・ヨンピル、アラン・タムと共に、アジアのミュージシャンを集めたイベント「PAX MUSICA」をスタート。1984年の後楽園球場での公演を皮切りに、年に1回アジア各地で開催され、現在も続いている。

 

 

1984年2月25日、小川知子とのデュエット曲“忘れていいの-愛の幕切れ-”を発表。

 

同年、ソロアルバム『抱擁‐STAIN ROSE‐』、『刺-とげ-』をリリース。1980年代は、このように年1〜2枚のハイペースで、アルバム毎に明確なコンセプトをもった意欲作をリリースした。

 

 

 

1986年、完成直後の東京・青山劇場で1ヶ月のロングラン・リサイタル『CORAZON』を開催。

この青山劇場公演は年末の恒例行事となり、2002年の『LA STRADA VI -宝石心-』まで

続いた。

 

 

1987年、「アリス」としての活動も再開。シングル“BURAI”、アルバム『ALICE X』をリリースし健在をアピール。ただし、この時はコンサート・ツアーを行わず、数本のテレビ番組出演をするに留まり、その後アリスは再び長い活動休止期間に入る。

 

 

1988年、ロンドン交響楽団と共演した大作アルバム『獅子と薔薇』を発表。

 

 

1989年、『輪舞-ロンド-』(国立パリ・オペラ・オーケストラと共演)を発表。

12月、父・新蔵が死去。『第40回NHK紅白歌合戦』で“陽はまた昇る”を追悼曲として歌った。

 

 

1990年の『Price of Love』(ウィーン交響楽団プロジェクトと共演)を発表。『獅子と薔薇』、『輪舞-ロンド-』と合わせた「ヨーロッパ三部作」を完成させる。

 

 

1992年6月25日、ソロシングル“三都物語”(作詞:多夢星人[阿久悠]/作曲:谷村新司/編曲:佐孝康夫)をリリース。JR西日本のキャンペーン「三都物語」のイメージソング。

 

11月16日、加山雄三と連名でシングル“サライ”を発表。日本テレビ『24時間テレビ「愛は地球を救う」』のテーマソングとして使用され、現在でも番組を代表する曲として歌い継がれている。

 

 

1993年4月16日、ポリスターからの最後のソロシングル“バサラ”をリリース。

 

 

1995年のアルバム『I・T・A・N』ではプロデューサーにフィル・ラモーンとジャック・エリオットを起用するなど、80年代後半から90年代前半にかけては欧米のミュージシャン、プロデューサーとの仕事が多かった。

 

 

1996年、世界初の商業用DVDソフトであるライヴDVD『シンジ ラ ムニタ』を発表。

 

 

2000年、インディーズ・レーベル「mama's & papa's」を立ち上げた。

リリースしたシングルは“ハーヴェスト”1曲のみであった。

同年末の『第51回NHK紅白歌合戦』でアリスの活動を再開。

 

 

2001年、1月17日の神戸国際会館でのコンサートを皮切りに、14年ぶりにアリスのニュー・アルバム『ALICE 0001』のリリース、全国ツアーと活躍した。

 

 

2002年、アルバム『半空』を発表。坂崎幸之助や鈴木康博といった旧友に混じって、元MR.BIGのギタリスト、ポール・ギルバートが参加した。

 

 

2004年、中国・上海音楽学院で教授に就任。

同年、中国の歌手毛寧のアルバム『我』をプロデュース。

 

 

2005年、日本国際博覧会「愛・地球博」NHKテーマソング“ココロツタエ”(作詞・曲:谷村新司/歌:夏川りみ)を担当。

同年、『NHK紅白歌合戦』に、アリスとして2度目の出場を果たす。

 

 

2006年、avex ioに移籍、6年ぶりのMaxiシングル“風の暦”をリリース。

 

 

2007年4月18日、5年ぶりのオリジナル・アルバム『オリオン13』を発売。

 

NHKの番組『にっぽん 心の仏像』に出演。番組のテーマ曲は本人の歌“カノン”。

7月8日、平城遷都1300年記念祭テーマソング“ムジカ”(作詞・曲・歌:谷村新司)をリリース。

 

9月19日、「夢人〜ユメジン〜」(avex io2枚目)のMaxiシングルをリリース。

 

 

2008年3月19日、“今ありて”(avex io3枚目)のMaxiシングルをリリース。

同時発売の谷村のベスト盤『音帰し』(おんがえし)にアリス時代の曲“明日への讃歌”が収録され、堀内と矢沢もレコーディングに参加したことでアリス再始動の機運が高まった。

6月4日、“ツバメ”(avex io4枚目)のMaxiシングルをリリース。

 

8月27日、“ロード・ソング”(avex io5枚目)のMaxiシングルをリリース。

 

12月10日、“十三夜/マカリイ”(avex io6枚目)のMaxiシングルをリリース。“マカリイ”は、自身の代表曲である“昴”に対するアンサーソング。

 

 

2009年2月4日、“桜は桜/夢になりたい”(avex io7枚目)のMaxiシングルをリリース。

 

3月4日に上野文化会館大ホールで記者会見、3人が還暦を迎えるこのタイミングで28年ぶりの完全再始動を発表。同年7月から11月にかけて全国ツアーを33会場で全35公演開催することを発表した。

 

 

2012年2月18日、“風の子守唄〜あしたの君へ〜”(avex io8枚目)のMaxiシングルをリリース。前の作品“メシアふたたび”(阪神・淡路大震災)に次ぐ「東日本大震災」で2作品目となる支援団体への印税全額寄贈物。

7月18日、“はじまりの物語/伴奏”(avex io9枚目)のMaxiシングルをリリース。

 

 

2013年、『ALICE XI』を制作するとともに、47都道府県ライブツアーの敢行。

毎日芸術賞・芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。

 

 

2015年、紫綬褒章を受章。

 

 

2017年、68歳で自動車の運転免許を取得した。

 

 

2018年、翌年の全国ツアーを控え、『MBSヤングタウン』のアリスの三人によるレギュラー放送も開始。

 

 

2019年、メンバー全員が70歳となるこの年、「70歳の限りなき挑戦」と銘打ち、5月5日の神戸での公演を皮切りに全国ツアーを行う。

 

 

2020年2月7・8日の大阪城ホール2daysをもって無事「70歳の限りなき挑戦」ツアーを完走。

同年、ツアー終了後の『MBSヤングタウン』放送にて番組を継続する旨を表明。

 

 

2023年3月、急性腸炎のため入院。6月よりアリスの全国ツアーを控えていたが、ドクターストップにより休止。年内いっぱいは治療に専念し、定例のクリスマスディナーショーおよびピアノリサイタル「歌暦」も中止とした。

 

 

 

 

2023年10月16日、谷村新司が同年10月8日に死去していたことが、公式サイトにて公表された。74歳没。戒名は、「天昴院音薫法樂日新居士」(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ)。

 

 

 

 

 

 

 

(追記)

2023年10月16日

 

 

(参照)

Wikipedia「谷村新司」「アリス」

アリス公式サイト

alice1972.com