トム・ベイリー(Tom Bailey/出生名:Thomas Alexander Bailey/1954年1月18日~) は、英国のシンガーソングライター、作曲家、ミュージシャン、レコード・プロデューサー。 

 

 

 

1954年1月18日、トーマス・アレクサンダー・ベイリーが誕生。彼は医療専門家に関連した家庭で育った。彼の父親はチェスターフィールド自治区議会の保健医官であり、ベイリーはチェスターフィールドグラマースクールで教育を受けた。

 

クラシックピアニストとして訓練を受けた後、ベイリーは当初、シェフィールドのブルックスクールで音楽教師として働いていた。

 

10代後半から20代前半にかけて、彼は世界中を旅しました。


1977年、トム・ベイリーは、ピート・ドッド(G,Vo)、ジョン・ルーグ(G)、ジョン・ポドゴルスキー(Ds)とともに、シェフィールドでバンド「トンプソン・ツインズ」(Thompson Twins)を結成。ベイリーはバンドの中で唯一、正式な音楽トレーニングを受けた経験のあるメンバーであった。

 

彼らは当時流行のニュー・ウェイヴ・バンドとして地元シェフィールドで人気を集め、活躍の場をロンドンに移す。

ポドゴルスキーはロンドンへの移住を望まなかったため、後任にアンドリュー・エッジが加入、一緒にドラムを演奏したが、1年後にクリス・ベルが取って代わった。

 

 

1980年4月、トンプソン・ツインズはシングル"Squares and Triangles"をリリースしてレコード・デビュー。

 

その後、"She's in Love with Mystery"をリリースするが、チャートに割り込むことはできなかった。

 

 

1981年当時のラインナップは、トム・ベイリー、ピート・ドッド、ジョン・ローグ、クリス・ベル、ジョー・リーウェイ(Joe Leeway)、アラナ・カリー(Alannah Currie)、マシュー・セリグマン(Matthew Seligman)の7人編成であった。

6月、1stアルバム『A Product Of... (Participation)』をリリース。

 

 

1982年2月26日、2ndアルバム『Set』をリリース、全英48位に入った。

 

同年、シングル“イン・ザ・ネーム・オブ・ラブ”(In the Name of Love)が全英79位・米ダンスチャート1位とヒットするが、その直後にバンド内で不和が起こり、ベイリー(Vo, G, B, Key)、ジョー・リーウェイ(Perc, Vo)、アラナ・カリー(Perc, Sax, Cho)のトリオ編成となった。なお、ベイリーは当時、カリーと付き合っていた。

 

 

1983年1月、アルバム『サイド・キックス』(Quick Step and Side Kick)を本国でリリース、米国では『Side Kicks』のタイトルで同年2月に発売し、全英2位・全米34位をマークした。この頃からバンドはシンセポップ色を強め、アルバムから"Lies"が全英67位・全米30位、"Love on Your Side"が全英9位・全米45位、"Watching"が全英33位、"We Are Detective"が全英7位をマークした。

 

 

 

 

 

11月11日、次のアルバムからのリード・シングル“ホールド・ミー・ナウ”(Hold Me Now)をリリース、全英4位・全米3位をはじめ、カナダ3位・豪州3位・ニュージーランド4位・ドイツ7位と世界的ヒットになった。

 

 

1984年2月17日、4thアルバム『ホールド・ミー・ナウ』(Into the Gap)をリリース、全英1位・全米10位。バンドは第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗り、“ホールド・ミー・ナウ”の他にも、"Doctor! Doctor!"が全英3位・全米11位、 "You Take Me Up"が全英2位・全米44位、"Sister of Mercy"が全英11位、"The Gap"が全米69位をマーク。

 

 

 

 

 

同年、“レイ・ユア・ハンズ・オン・ミー”(Lay Your Hands on Me)が全英13位などのシングル・ヒットを続け様に飛ばす。

 

ポップで親しみやすい音楽性でアメリカをはじめ世界各国で幅広い人気を獲得。また、ミュージック・ビデオが頻繁に再生され、1980年代にMTVの定番となった。

同年公開のアメリカ合衆国の超自然的コメディ映画『ゴーストバスターズ』(Ghostbusters)のサウンドトラックにトンプソン・ツインズとして参加、“In the Name of Love”を提供した。

 

 

1985年9月17日、5thアルバム『Here's to Future Days』をリリース、全英5位・全米20位。ここからは、"Lay Your Hands on Me" (remix)が全米6位、"Don't Mess with Doctor Dream"が全英15位、“キング・フォー・ア・デイ”(King for a Day)が全英22位・全米8位、"Revolution"が全英56位になった。

 

 

 


1986年、映画『Nothing in Common』のサウンドトラックを制作、"Nothing in Common"が全米54位をマークした。

 

同年、リーウェイが脱退、その後、セールスが落ち込んだ。

 

 

1987年3月31日、6thアルバム『Close to the Bone』をリリース、全英90位・全米76位を記録した。ここからは、"Get That Love"が全英66位・全米31位、"Long Goodbye"が全英89位に入った。

 

 

 

1988年、"In the Name of Love '88"が全英46位・米ダンス1位となった。

 

 

1989年9月26日、7thアルバム『Big Trash』をリリース、全米143位。ここからは、"Sugar Daddy"が全英97位に入った。

 

 

1990年、ベスト・アルバム『Thompson Twins Greatest Hits』をリリース、全英23位。

 

 

1991年、ベイリーとカリーは結婚し、ニュージーランドに移住。

9月24日、最後のスタジオ・アルバム『クィア』(Queer)をリリース、豪州で193位に入った。ここからは、"Come Inside"が全英56位、"The Saint"が全英53位。

 

 

 

1993年、トンプソン・ツインズは解散を発表した。

 

 

1994年、ベイリーとカリーは、エレクトロニカ志向のデュオ「バブル」(Babble)を結成した。

同年、1stアルバム『The Stone』をリリース。だが商業的には失敗に終わった。

 

 

 

1996年2月27日、バブルの2枚目アルバム『Ether』をリリース。やはりセールス面で成功を収めることはできなかった。その後バブルは弾けるように解散した。

 

 

その後ベイリーとカリーは離婚し、現在どちらもイギリスで生活をしている。

 

 

2001年、ベイリーはダブとエレクトロニカのユニット「インターナショナル・オブザーバー」(International Observer)を結成。

同年、インターナショナル・オブザーバーは『Seen』というタイトルでダブとエレクトロニカの1stアルバムを制作。

 

 


2005年、インターナショナル・オブザーバーの2ndアルバム『All Played Out』をリリース。

 

 

2007年、インターナショナル・オブザーバーの3rdアルバム『Heard』をリリース。

 

 

2009年、インターナショナル・オブザーバーのアルバム『Felt』をリリース。

 

 

 

2014年、インターナショナル・オブザーバーのアルバム『Touched』をリリース。

 

同年、ベイリーは、ハワード・ジョーンズ、ミッジ・ユーロらとともに27年ぶりのツアーを敢行、トンプソン・ツインズの楽曲を披露したことが大きな話題となった。

11月末から12月初めにかけて、トム・ベイリーが来日、東京・大阪で28年ぶりに公演を実施した。

 

 

2015年、インターナショナル・オブザーバーのアルバム『Retouched』をリリース。

 

 

 

2018年、インターナショナル・オブザーバーのアルバム『Free from the Dungeons of Dub』をリリース。

 

 

2020年4月、新型コロナウイルス(COVID-19)感染による合併症で、マシュー・セリグマンが死去。トンプソン・ツインズがデビューした時のメンバーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「Tom Bailey (musician)」「トンプソン・ツインズ」「Thompson Twins」「Babble (band)」「International Observer」

 

 

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