鉄砲光三郎〈初代〉/(てっぽう みつさぶろう/本名:鉄砲光三/1929年2月3日~2002年6月2日)は、日本の歌手。河内音頭の音頭取りの名跡「鉄砲光三郎」の初代。妻は太鼓叩きの鉄砲光子。鉄砲博三郎は従兄弟。実娘は二代目鉄砲光三郎。

 

 

 

1929年2月3日、鉄砲光三が大阪府中河内郡長吉村(現:大阪市平野区)で生まれる。

先祖は堺の鉄砲商人。また、祖母は御詠歌(ごえいか)を唸らせる名人であった。

そんな縁で幼少の頃から地元の「河内音頭」に親しむ。

 

河内音頭の源流は、江戸期から河内地域で歌われていた土着の音頭・民謡、浄瑠璃、祭文といった庶民の芸能と仏教の声明が、長い時間をかけて混ざり合い、改良されたものに求められる。盂蘭盆会、地蔵盆の時期に盆踊り歌として歌われるなど、元来は亡くなった人々の魂の鎮魂歌であり現世に回帰した際の霊魂をもてなす意味が含まれ、仏教と関連が深い。これが江戸時代の後期、交野郡(現在の交野市全域と枚方市・寝屋川市の一部)にて歌われた交野節を元節としたのが、河内音頭のルーツとされる。

大正中期には平野節の初音家太三郎(初音家初代宗家)が登場し、従来唄われてきた河内音頭を大幅にアレンジし、現在に繋がる節回しやお囃子が誕生。この太三郎の編み出した新しい河内音頭は、寄席の演目として人気を博すようになり、益々江州音頭や浪曲などの諸芸と融合・影響を受け、河内音頭が飛躍的に変革・発展を遂げていく。しかし、昭和に入り、戦前の社会情勢不安や、戦後のテレビの台頭による相次ぐ寄席の閉鎖、自治会的地域共同体の減少の影響を受けた他、祭事では経費の削減等で行われなくなり、江州・河内音頭が衰退していく状況にあった。

 

3歳の時、幼少期から河内音頭に親しんできた光三は、初めて「櫓」(やぐら/盆踊りなどの「舞台」)に立つ。

 

小学生の頃から河内音頭のチビッ子名人として盆踊りで歌う。

 

関西大学法学部法律学科卒業後、市役所(八尾市役所と大阪市役所との記述があり、どちらかであるかは判然としない)に就職。

公務員として勤務の傍ら、音頭取りを続けていたが、素人寄席への出演をきっかけに人気が嵩じてプロ転向を決意、市役所を退職する。

 

 

1955年、盆踊りの司会者であった光子と結婚。妻は太鼓が得意であったために伴奏者「鉄砲光子」としてコンビを組む事になる。

また、歴代の三味線奏者は、小野忠雄、暁照雄、富岡花子(浪曲師の藤川友春〈初代〉の姪)、津軽三味線佐々木流の佐々木壮明などがいる。

 

 

1959年、新世界「新花月」で寄席初舞台。

 

 

1961年、レコード“鉄砲節河内音頭”をテイチクから発売するとミリオンセラーになり、河内音頭ブームが再燃。孝三郎はテレビ、ラジオの演芸番組のみならず、歌謡曲、仁侠映画の世界、さらには欧米や中国など海外公演にも活躍の場を広げた。

 

 

 

昭和30年代末から40年代前半にかけて光三郎は、ギタリスト出身の作曲家「和田香苗」(わだ かなえ/1932年9月3日~2001年2月8日)とコンビを組んで「鉄砲節」と称し、ジャズや浪曲、安来節などの要素を採り入れた変幻自在のリズムや節回しで、“鉄砲節河内音頭”をはじめ、“河内十人斬り”などを歌い、人気を呼ぶ。その結果、鉄砲光三郎は伝統的河内音頭を現代的河内音頭に変革した画期的人物として知られるようになる。

 

 

 

 

 

 

また、河内音頭の音頭取り「博三郎」こと鉄砲博三郎(てっぽう ひろさぶろう/本名:鉄砲博/1929年7月12日-2020年5月26日)、同じく「敏三郎」こと鉄砲敏三郎(本名:喜多 敏夫)と3人で、「鉄砲 三三郎」(さんさぶろう)と呼ばれることもあった。光三郎と博三郎はいとこ、敏三郎は遠縁であり、同年代の親類だったこともあり、幼少期からともに稽古に通い、魯に上がる仲だった。博三郎は吉本に所属しレコードも出すなど人気を博し、敏三郎も1988年に引退するまで舞台に上がった。

 

 

1968年12月、浅草国際劇場の舞台に立ち、それまで関西ローカルだった河内音頭を関東において先駆的に伝え、全国に広めるきっかけをつくった。

 

 

1981年、大阪府文化功労賞受賞。

 

 

1991年7月10日、アルバム『芸能生活60周年記念 鉄砲光三郎 60年のすべて』を発売。

 

 

 

1995年、地域文化功労者文部大臣表彰。

 

 

2002年1月1日、アルバム『鉄砲節河内音頭 鉄砲光三郎』が発売。

 

 

 

 

 

2002年6月2日、鉄砲光三郎が没する。

 

 

 

 

2008年10月1日、鉄砲光三郎の娘で、声優兼声優養成所所長の「鉄砲ゆりの」(10月25日-/所属声優事務所の方針により本名・年齢等非公開)が、父の七回忌を機に、二代目鉄砲光三郎を襲名した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「鉄砲光三郎」、コトバンク「鉄砲光三郎」

※2代目の公式サイトのアーカイブ

https://web.archive.org/web/20040418212459/http://www.h3.dion.ne.jp/~teppo/T1.htm

 

 

 

 

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