中原 昌也(なかはら まさや/1970年6月4日~)は、日本の音楽家、映画評論家、小説家、随筆家、画家、イラストレーター。

 

 

1970年6月4日、東京都港区青山に生まれる。父は絵本作家・イラストレーターの中原収一(なかはら しゅういち/1936年-2018年)。

 

小学生時代から、海外の前衛文学を愛好する。また、映画雑誌『スターログ』を購読していた。

 

中学生時代には、佐藤重臣主催のカルト映画上映会「黙壷子フィルムアーカイブ」に参加、大きな影響を受ける。

 

 

映画に興味を持つ一方で、ノイズ・ミュージックにも関心を示す。

 

 

文化学院高等課程を中退。

 

 

1988年頃より、音楽活動を開始。

 

 

1989年、ノイズ・ユニット「暴力温泉芸者」(ぼうりょくおんせんげいしゃ)を立ち上げ、『Shocks! Shocks! Shocks!』をVanilla Recordsからリリース。

 

 

1990年、「暴力温泉芸者」(英語表記:Violent Onsen Geisha)名義で、マドモワゼル・アンヌ・サングラント・ウ・ノートル・ニンフォマニ・オレオルのソロ・ノイズ・プロジェクト「マゾンナ」(MASONNA)とのスプリットLPを米国のインディペンデント・レーベル「RRRecords」からリリース。

※LP全曲

 

 

以降、ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサーのフロントアクトをこなすなどの活動を行う。

 

 

1991年、『Excrete Music』を発表。

※LP全曲

 

 

小山田圭吾に青山ブックセンターにて、中原から「ボストン・ストラングラーズ」というバンドを組もうと誘ったことがあるなど交友があり、そうしたエピソードから音楽誌やカルチャー雑誌を中心に人気を得る。

1990年代中盤ごろ、こうした交友関係と音楽性により、メディアからは「デス渋谷系」と呼ばれる事もあった。

 

 

1993年、アルバム『Otis』をEndorphine Factoryから発表してメジャー・デビュー。1996年1月17日にRail Recordingsより一部を修正して再発。

 

※アルバム全曲

 

 

1995年、“Real Wild Thing”をリリース。

 

同年、『QUE SERA SERA』を発表。

 

 

同年、『Black Lovers: Early Lost Tapes 1988』をMy Fiance's Lifework Productionsから発表。

※アルバム全曲

 

 

同年、アメリカ・ツアーを実施、この模様は『U.S. Tour'95- Live Collaboration With Smegma, Truman's Water, Thurston Moore』として同年、Japan Overseasからリリース。同年のアメリカ・ツアーをはじめ海外での公演も多い。

同年、スチャダラパー『サイクル・ヒッツ』収録の“0718 アニソロ (暴力温泉芸者Remix)”を手掛ける。

この年から、音楽活動と並行し、町山智浩が創刊した『映画秘宝』シリーズにメイン・ライターとして参加。

 

 

1996年、『TEENAGE PET SOUNDS』をトラットリア(Trattoria)からリリース。

※アルバム全曲

 

 

6月19日、『NATION OF RHYTHM SLAVES』をRail Recordingsからリリース。

 

 

同年、『The Midnight Gambler』をPureからリリース。

 

 

同年、篠原ともえ『スーパー・モデル』収録曲“チャタレイ夫人にあこがれて”を作詞提供。

同年、コーネリアス(Cornelius)『96/69』収録の“Volunteer Ape Man (Disco/暴力温泉芸者Remix)”を手掛ける。

同年、布袋寅泰『BATTLE ROYAL MIXES』収録の“CIRCUS (Afro groove Mix)”を手掛ける。

 

この年、初の著書、『ソドムの映画市』も刊行。映画評論家として活動を始める。

 

 

トラットリアやダブレストラン、東芝EMIなどから多くの音楽作品を発表しており、一時期はリミキサーとしても活躍。コーネリアス、布袋寅泰、スチャダラパー、ECD、宇宙犬などの作品を手がけた。

 

 

またトリビュート盤への参加もあり、暴力温泉芸者名義でトッド・ラングレンの『トッドは真実のスーパースター』や、マーク・ボランの『Boogie with the Wizarad』などの作品に名を連ねている。

 

 

1997年、『Violent Onsen Geisha』をBloody Butterflyからリリース。

同年、Ground Zero『Conflagration (Project: Consume / Consuming Ground Zero Vol. 2)』収録の“What A Way To Die (暴力温泉芸者Remix)”を手掛ける。

同年、小室哲哉のテレビ番組に出演した際、SM嬢のマネキンと、相撲文字で「暴力温泉芸者」と書かれた書割を見て、無性に恥ずかしくなった。このことから、自身のプロジェクト名を「Hair Stylistics」(ヘア・スタイリスティックス)に変更。



1998年、『文藝』に連載した『絶望の散歩道』を短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』にまとめ、小説家としてデビュー。

 

 

1999年、ECD『MELITING POT』収録の“RUDE BOY SUTRA (exodus ecd extended version)”を手掛ける。

 

 

2001年、初の長編小説『あらゆる場所に花束が……』で第14回三島由紀夫賞を受賞(青山真治『ユリイカ EUREKA』との同時受賞)。審査員のうち宮本輝、高樹のぶ子からは反発を受けたが、島田雅彦、福田和也から支持を受け、協議の結果受賞が決まった。福田からは「本作品は、アヴァン・ポップ的なものとして読まれているようだが、本質的にはむしろ、シクススやシモン、ソレルスといった50-70年代フランスのヌーボー・ロマンの結構をもっている」と評される。

同年、Hair Stylistics名義で『TRANSONIC ARCHIVES / 1996-1999』をTransonicからリリース。

 

 

2002年、NIPPS『ONE FOOT』に収録の“汚れた花”を作詞提供。

 

 

2003年、渚ようこ『愛の逃亡者』収録の“愛の逃亡者”を作詞提供。


2004年、Hair Stylistics名義のアルバム『Custom Cock Confused Death』をDaisyworldから発表。

 

 


2005年、第58回カンヌ国際映画祭に出品された青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』に「アスハラ」役で出演。同サウンドトラックに、長嶌寛幸、浅野忠信とともに参加。


2006年、中編小説『点滅……』が第135回芥川賞(2006年上半期)の候補作品に選ばれた。しかし選考では1票も入らずに落選、これを受けて中原は『SPA!』誌上で選考委員の批判を記し一部で話題になった。ただし、多くの選考委員に対しては批判的であったが、黒井千次については真摯な選評への謝辞を述べている。

一方で、短編集『名もなき孤児たちの墓』は、審査員の支持を受け同年の第28回野間文芸新人賞を受賞した。

同年、「眩暈の装置:松本俊夫をめぐるインターメディアの鉱脈」(川崎市市民ミュージアム、キュレーター、佐藤実)に出展。

 

 

2007年、『AM5:00+』をBoidからリリース。


同年、筋肉少女帯“もーれつア太郎'07 (Hair Stylistics Remix)”を手掛ける。


2008年、全ての文芸雑誌の1月号に小説を掲載した。
文芸誌のコラムやインタビューでは「活字を書いて生活していくことの苦しさ」を言い立てることが多い。『文學界』2008年4月号で行なわれた、古井由吉、筒井康隆、高橋源一郎、島田雅彦、川上未映子ら作家11人による大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」に出席した際も、中原は終始「小説は、辛くて辛くて書きたくない。でも、書かないと、その辛さがわかってもらえない」というような発言を繰り返し、司会の高橋源一郎から「中原君はほっときましょう」と言われている。
同年、高橋源一郎の選考により『中原昌也 作業日誌』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。高橋は「おれの基準で、いちばん小説になっていたもの、最高の小説だったもの、それが、一見、ただの日記にすぎない、聞いたことも見たこともないCDやDVDの膨大な購入リストとグチと泣き言ばかりの、この中原昌也の『作業日誌』だった」との選評を行なった。

同年4月~2009年、『Monthly Hair Stylistics』と題して、12枚のCDアルバムを1ヶ月に1枚ずつ、12ヶ月に渡ってリリース。レーベルはBoid。

※アルバム『Monthly Hair Stylistics Mystery Disc』全曲

 


2009年、矢内原美邦演出の舞台『五人姉妹』の音楽を手がけた。

同年、ライヴ・アルバム『LIVE!』をBoidからリリース。

同年終盤頃から、ライヴ録音を含む膨大な音源を私家版CD-Rにて発表。

 

 

2011年4月、当初は50作を予定していたと云われている私家版CD-Rシリーズの50作目『Smiley, Soil Smiley』をリリース、その後も新作を次々と発表。

同年、『First』をBlack Smoker Recordから、COMBOPIANOの3人のうち2人とのセッション音源『COMBOPIANO-1+HAIR STYLISTICS』をP-VINEから。それぞれリリース。

 

 

2012年、禁断の多数決『禁断の予告編』収録の“透明感 (Hair Stylistics remix)”を手掛ける。

 

 

2013年、『DYNAMIC HATE』をdisques cordeからリリース。

 

 


2023年1月から、中原が脳梗塞(糖尿病の合併症)で入院していることが同年9月に発表された。

3月3日17:00~、緊急入院中の中原昌也を支援するプロジェクトとして、17組のアーティストが参加した全18曲のコンピレーション・アルバム『WE LOVE Hair Stylistics!』が配信リリース。高円寺「LOS APSON?」での爆買いフェアも実施。

『WE LOVE Hair Stylistics!』参加アーティスト全17組は、50音順に以下の通り。

A Virgin、石橋英子、石原洋、井手健介、Queer Nations、工藤冬里、コサカイフミオ、坂本慎太郎、ジム・オルーク、食品まつりa.k.a foodman、T.Mikawa、Texaco、Leather Man、DerekGedaleciaToriKudoRichHoush、2MUCH CREW、 TORSO、山本逹久、渡邊琢磨。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「中原昌也」

 

 

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