ミシェル・ブランチ(Michelle Branch/出生名:Michelle Jacquet DeSevren Branch Landau/1983年7月2日~)は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、俳優。

 

 

 

 

アメリカ合衆国アリゾナ州フラッグスタッフ(Flagstaff)市出身のミシェル・ブランチは、母方の血がオランダ、インドネシア、フランス、父方の血がアイルランドということで、東洋的な雰囲気を合わせ持つ。

歌い始めたのは3歳の時である。

8歳の時に一家がフラッグスタッフから州内のセドナ市に移住するとボイストレーニングを始めた。

14歳の誕生日に両親からギターをプレゼントされ、作曲を始めた。

ブランチは、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、エアロスミス、リサ・ローブ、ジョニ・ミッチェル、クイーン、アラニス・モリセット、ドロレス・オリオーダン、ジュエル、フリートウッド・マック、キャット・スティーブンスの影響を受けていると述べている。また、クラシック音楽や古いカントリーミュージックも好きだという。

高校入学後、大親友である日系人のジェニファー・ハギオ(Jennifer Hagio)と出会い、ハギオや妹のニコール・ブランチ(Nicole Branch)とともにアマチュア・バンドを結成し、本格的に作曲に取り組むようになる。

15歳で高校を中退。

 

2000年6月1日、インディーズ・アルバム『ブロークン・ブレスレット』(Broken Bracelet)をリリース。

 

 

2001年、マドンナ主宰のマーヴェリック・レコードと契約。

9月、アルバム『スピリット・ルーム』(The Spirit Room)をリリースしメジャーデビュー。デビュー・シングル“エヴリウェア”(Everywhere)は全米12位・全英18位になったのをはじめ世界中でメガ・ヒットとなった。その後の2ndシングル“オール・ユー・ウォンテッド”(All You Wanted)が全米6位・全英33位、3rdシングル“グッバイ・トゥ・ユー”(Goodbye To You)も全米21位とヒット。同アルバムは世界で400万枚超、日本でも35万枚を越えるセールスを記録した。

 

 

 

 

 

2002年、アマチュア時代に知り合ったバンド「ジャスティンケイス」(Justincase)をプロデュースし、自らもデビューアルバムに参加した。

 

9月23日、サンタナ(Santana)とコラボレートした曲“ザ・ゲイム・オブ・ラヴ” (The Game Of Love)をリリース、全米5位・全英16位のヒットを記録した。

 

 

2003年2月、“ザ・ゲイム・オブ・ラヴ”がグラミー賞のベスト・コラボレーション・ウィズ・ヴォーカル部門を受賞した。

同年6月には2ndアルバム『ホテル・ペイパー』(Hotel Paper)をリリース、全米2位・全英35位に達した。アルバムからの1枚目シングル“いまはしあわせ?”(Are You Happy Now?)もシングルカットされ、全米16位・全英31位になった。同アルバムからはその後2枚目シングル“ブリーズ”(Breathe)が全米36位になった他、3枚目シングル“ティル・アイ・ゲット・オーヴァー・ユー”('Til I Get Over You)がリリースされた。

 

 

 

 

ブランチは他アーティストとの協働にも積極的である。前述のサンタナをはじめ、シャンタール・クレヴィアジックやシェリル・クロウともコラボレート曲を出している。


 

2004年5月23日、バックバンドのベーシストである19歳年上のテディ・ランドー(人気セッション・ギタリストとして知られるマイケル・ランドウの実弟)と結婚。2005年8月3日、長女オーウェンを出産した。現在、ブランチはロサンゼルスに在住。
 

 

2005年、サイドプロジェクトとして、友人のシンガーソングライターのジェシカ・ハープ(Jessica Harp/1982年2月3日~)と「ザ・レッカーズ」(The Wreckers)というユニットを結成、ブランチのポップロックのテイストとハープのカントリーのスタイルを融合させる、新たな活動を開始した。

レッカーズの曲“The Good Kind”(元々はハープによって録音された)は、10代に人気のテレビシリーズ『One Tree Hill』で取り上げられた。

 

同年2月8日のショーでレッカーズは“The Good Kind”を演奏した。

同月後半、デュオはギャヴィン・デグロウ、タイラー・ヒルトン、ベサニー・ジョイ・ガレオッティと一緒に全国的なワンツリーヒルツアーに乗り出した。

11月、ザ・レッカーズとしてサンタナのアルバム『All That I Am』に再び参加、リードシングル“アイム・フィリング・ユー”(I'm Feeling You)でコラボレイトし、全米55位を記録した。

 

 

2006年5月23日、レッカーズとしての1stアルバム『スタンド・スティル・ルック・プリティ』(Stand Still-Look Pretty)をリリース、全米14位・カントリー4位・RIAAゴールドを獲得した。ここからのシングルは、"Leave the Pieces"が全米34位・カントリー1位・RIAAゴールド認定、"My, Oh My"が全米87位・カントリー9位に入った。

 

 

 

同年、バンドは第40回CMAアワードで「ヴォーカル・デュオ・オブ・ザイヤー」にノミネートされたが、ブルックス&ダンに敗れた。

12月、彼らは“Leave the Pieces”でグラミー賞の「デュオまたはヴォーカルグループによるベストカントリーパフォーマンス」にノミネートされた。

 

 

2008年2月、レッカーズは各々がソロキャリアに集中するために解散したことが発表された。

 

 

2009年3月、ハープはデビューアルバム『A Woman Needs』から初のソロシングル“Boy Like Me”をリリース。このシングルはチャートでトップ30ヒットを記録し、アルバムのタイトルトラックは56位に達した。

8月、ソロに戻ったブランカはシングル“Sooneror Later”をリリース。

 

 

2010年3月16日、ハープは、彼女が作詞作曲に専念するためにレコーディングのキャリアから引退すると発表した後、デジタルでアルバムをリリースした。

9月14日、ブランカは6曲のEP『Everything Comesand Goes』をリリースした。

 

 

2014年10月、レディオヘッドの“クリープ”(Creep)のカヴァーをレコーディングした。

 


2015年、夫のテディ・ランドーと離婚。ミシェルとテディは一年以上前から別居状態であった。

7月17日、ブランカはVerveRecordsと契約したことを発表した。


 

2017年4月7日、ニューアルバム『ホープレス・ロマンティック』(Hopeless Romantic)を発表。 全米143位と商業的には不振に終わる。

 

 

6月、約2年ぶりとなる来日公演が大阪・Billboard Live OSAKA、東京・Billboard Live TOKYOにて行われる。
7月、オリジナルアルバム『ホープレス・ロマンティック』のプロデュースや来日公演のバックバンドとして参加していたロックバンド「ザ・ブラック・キーズ」のドラマー・パトリック・カーニーとの婚約を発表。

9月、ブランカがVerveRecordsと契約を終了したことを発表。

 

 

2018年2月、パトリックとの第1子の妊娠を発表。

 

 

2021年8月にはパトリックとの第2子の妊娠を発表した。

10月15日、オリジナル盤リリースから20年を記念して『The Spirit Room: 20th Anniversary Edition』をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ミシェル・ブランチ」「Michelle Branch」「The Wreckers」

 

 

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