アヴリル・ラヴィーン(Avril Ramona Lavigne/1984年9月27日~)は、

カナダ出身のシンガーソングライター。

 

 

オンタリオ州ベルビルにて、フランス系カナダ人の両親、父ジャン=クロード・ラヴィーンと

母ジュディの元に生まれた。両親はバプテスト教の敬虔な信者だった。

ファミリーネームの Lavigne の読み「ラヴィーン」(La-Veen)は英語化された発音で、

仏語では「ラヴィーニュ」(La Vigne:ブドウ園の意)と発音する。またギヴンネームの

アヴリル(Avril)は仏語で「4月」(April)を意味する。兄マットと妹ミシェルがいる。

 

母はいち早くアヴリルの才能に気づき、彼女は2歳の時から母と一緒に教会で歌い始めた。

この頃から、声とキャラクターで周囲の人々を驚かせていた他、幼少から男子と

一緒に野球やサッカー、ホッケー等で遊ぶなど、風変わりで、かつ活発な側面を持っていた。

12歳の頃に独学で始めたギターが、音楽の道へ進むきっかけになった。

 

1998年、14歳のアヴリルはオーディションを勝ち抜いた末、カナダ人歌手シャナイア・トゥエイン(Shania Twain)のコンサートツアーに参加。オタワでのシャナイアのコンサートに登場し、彼女の曲“What Made You Say That”を披露した。また地元のフォークシンガー、スティーヴ・メッドにもその才能を見出され、レノックス・コミュニティ・シアターでの公演で彼はアヴリルを招き、彼の1999年のアルバム『Quinte Spirit』用に自身の曲"Touch The Sky”を歌わせ、

さらにアヴリルは"Temple of Life"、 "Two Rivers"も彼の2000年リリースのアルバム

『My Window to You』用に歌った。

 

オンタリオ州キングストンの大手書店Chaptersでカントリー・ミュージックのカヴァーを歌っていたところを、音楽マネージャーのクリフ・ファブリ(彼はデビューアルバムのリリースまで彼女のマネージャーを担当することになる)に見出される。

2000年、16歳の時にアリスタ・レコードA&R部門代表だったケン・クロンガードにより、

同レコードの社長であるアントニオ・LA・リードとプロデューサーのPeter Zizzoに紹介される。彼女のパフォーマンスを見たLAは即、契約を締結した。

 

2002年6月4日、ファーストアルバム『レット・ゴー』(Let Go)を発売。ポップ・ロックをベースとしながらオルタナティヴ・ロックやポスト・グランジなどの要素が採り入れられた本アルバムは、アメリカで2位、イギリス・オーストラリア・カナダでは1位を獲得。ソロシンガーとしてイギリスのアルバムチャート1位に最年少の17歳でランクインした。発売から1か月経ち、8月末には複数のプラチナディスク候補となり、その2週間後には3つのプラチナを授与された。

同年末にはデビューからわずか半年でRIAAより4つのプラチナを獲得。 同アルバムはアメリカ国内で660万枚、全世界で2000万枚を売り上げている。

 

同アルバムからは4曲がシングルカットされ、“コンプリケイテッド”(Complicated)はアメリカのBillboard Hot 100で2位、オーストラリアで1位を獲得。2002年の「最も売れたカナダの曲」に選ばれた。同曲がContemporary Hit Radioのチャートで11週にわたり1位を独占する中、アヴリルはナタリー・インブルーリアの代表曲“Torn”のレコーディングにも挑戦していた。さらに、“スケーター・ボーイ”(Sk8er Boi)はアメリカ・オーストラリアでトップ10入り、“I'm With You”は米英でトップ10入りを果たし、“Losing Grip”は台湾とチリなど欧州・北米エリア外でもトップ20に食い込んだ。

 

2002年、同アルバムでMTV Video Music AwardsのBest New Artistに選出され、2003年にはジュノー賞を受賞。ワールド・ミュージック・アワードで「World's Best-Selling Canadian Singer」(カナダ人歌手最大のヒットメーカー)を授かり、グラミー賞では“Complicated”が「Song for the Year」、自身が「Best New Artist」など全8部門にノミネートされた。

 

2004年5月25日、セカンドアルバム『アンダー・マイ・スキン』(Under My Skin)をアメリカで

リリース。このアルバムはアメリカ・イギリス・ドイツ・オーストラリア・カナダ・メキシコ・

アルゼンチン・スペイン・アイルランド・タイ・韓国・香港、そして日本の計13カ国で1位を獲得し、アメリカでは第1週目に38万枚を売り上げ、総合で800万枚を売上げた。

 

同アルバムの大半をカナダ人女性歌手のシャンタール・クレヴィアジックと制作。前作に比べ“He Wasn't”、“I Always Get What I want”等の曲調はオルタナティヴ・ロック色を濃くし、“Freak Out”や“Who Knows”ではソフトなポスト・グランジとして聞かせた。

シングルカットされた“ドント・テル・ミー”(Don't Tell Me)はアルゼンチン・メキシコで1位、イギリス・カナダで5位、ブラジル・オーストラリアでトップ10入り、“マイ・ハッピー・エンディング”(My Happy Ending)はメキシコで1位、アメリカでトップ10入りとなり、彼女のシングルで3番目に最も売れた曲となった。しかし3枚目の “Nobody's Home”はアルゼンチンとメキシコで1位になったが、アメリカではトップ40さえ逃した。これが響いたのか4枚目の”He Wasn'”はイギリス・オーストラリアでのランクはトップ40、アメリカではリリースもされなかった。最後にシングルカットされた“Fall to Pieces”もセールス面では芳しくなかった。

 

2005年、この年は主にツアーを行い、モデルや女優業などにも従事した。

同年6月28日、カナダのロックバンド「Sum 41」のヴォーカリスト、「デリック・ウィブリー」と

20歳で婚約を発表。

 

2006年、トリノオリンピック閉会式にカナダ代表として登場し、4年後の

バンクーバーオリンピックへの引継ぎイベント8分間に、

『アンダー・マイ・スキン』収録のナンバー“Who Knows”を歌った。

7月15日、ロサンゼルス郊外サンタバーバラ東隣のモンテチトにて、デリックと挙式。

 

2007年4月17日、3枚目のアルバム『ベスト・ダム・シング』(The Best Damn Thing)をリリース、アルバムは米英含め15カ国で1位、日本でもオリコン総合ランキング1位。アルバムセールスは120万枚を突破し、デビュー以来3枚連続ミリオン達成という快挙を達成。日本の洋楽史上、いまだその記録は破られていない。同アルバムはドクター・ルーク、ロブ・カヴァロ、ブッチ・ウォーカーと彼女の夫がプロデューサーを務めた他、ブリンク 182のドラマー、トラヴィス・バーカーがドラマーとして参加した。

 

最初のシングル“ガールフレンド”(Girlfriend)は全米シングルチャートBillboard Hot 100で

初の1位を獲得。日本で400万ダウンロードを記録する空前の大ヒットに。

同年5月2日、“ガールフレンド”がオープニングテーマに採用された日本テレビのバラエティ番組『カートゥンKAT-TUN』にゲスト出演し、KAT-TUNと共にダーツを行った。

2枚目シングルは“When You're Gone”、3枚目は“Hot”、最後は“The Best Damn Thing”。また、映画『エラゴン』(2006年)のサウンドトラックである“Keep Holding On”も収録されている。

4月にはプロモーションで来日。Yahoo!の独占生中継ライヴや『ミュージックステーション』等に出演。新宿駅前で極秘コンサートを開催し、4000人もの観客が集まった。

8月、「SUMMER SONIC」出場のため再来日。『めざましテレビ』等の番組にも出演。

 

2008年3月には世界ツアーをスタート、北米・欧州・アジアを回った。

8月には29日開催予定だったマレーシア公演が公演禁止になったと大々的に報じられた。最終的に22日に開催を承諾されたとMTVが報じた。

同年10月、この時点での同アルバムのセールスは全世界で540万枚に達した。

 

2010年、バンクーバーオリンピックに、前回冬季の2006年トリノオリンピックに引き続き閉会式に登場、地元カナダの歌手として“My Happy Ending”と“Girlfriend”を歌唱。冬季オリンピック2大会連続閉会式で歌った初の歌手となる。

同年公開の映画『アリス・イン・ワンダーランド』の主題歌として“Alice”を作詞・作曲。同映画のためのミュージック・ビデオ(以下MV)も撮影した。

11月、デリック・ウィブリーとの離婚が正式に成立。

12月、ミランダ・コスグローヴに“Dancing Crazy”を提供。

 

2011年1月11日、先行シングル“ワット・ザ・ヘル”(What The Hell)をリリース。

同月、プロモーションのため来日。『ミュージックステーション』等に出演した。

アルバム発売前に再来日し、発売前日の3月1日には赤坂BLITZにて完全招待制、一夜限りの必勝パワーアップライヴに出演。5曲を披露した。

3月2日、4枚目のアルバム『Goodbye Lullaby』を日本で先行発売。同アルバムのプロデューサーは前作までのブッチ・ウォーカー、デリック・ウィブリー等に加え、先行シングル“ワット・ザ・ヘル”ではマックス・マーティンがプロデュースを行っている。また、アヴリル自身のプロデュースによる楽曲も収録された。

2作目のシングルカットは“スマイル”(Smile)、3作目は“Wish You Were Here”である。

 

4月、中国・北京よりスタートし、北米・欧州・アジアでのツアーを行った。福島原発事故の影響で、日本での公演はすべて延期となった。

8月にはサマーソニック2011へ出演するため再来日した。『めざましテレビ』に生出演し、“スマイル”を披露、8月16日には「めざましライヴ」にも出演した。

同年、日テレ系『ザ!世界仰天ニュース』のエンディングに“ワット・ザ・ヘル”が起用。

11月5日には、深夜にデート中に酔っ払いに襲われ顔に怪我を負った。

同年11月、RCAとのレーベル契約を解除し、エピック・レコードに移籍する。原因は、『Goodbye Lullaby』を制作中にRCA側との対立があったためである。

 

2012年2月、延期となっていたツアー「The Black Star Tour 2012」を

埼玉、名古屋、博多、大阪の4都市で催行。

12月、日本のアニメーション映画『ONE PIECE FILM Z』へ、ニッケルバックの“ハウ・ユー・リマインド・ミー”(How You Remind Me)のカヴァーと、2008年に発表したジョーン・ジェットのカヴァー“バッド・レピュテーション”(Bad Reputation)をW主題歌として提供。いずれも5枚目アルバムにボーナストラックとして収録された。

 

2013年4月、“ネヴァー・グローイング・アップ”(Here's To Never Growing Up)を

先行シングルとしてリリース。

7月1日、チャド・クルーガーと南フランスにて挙式。

8月、先行シングル第2弾として“ロックンロール”(Rock n Roll)をリリース。

10月、夫チャドとのデュエット曲“レット・ミー・ゴー”(Let Me Go)をリリースした。

11月1日(日本では6日)、5枚目のアルバムにして、初のセルフタイトルアルバムとなる

『アヴリル・ラヴィーン』(Avril Lavigne)が発売された。チャド・クルーガーがプロデューサーとして多くの曲に携わった同アルバムは、全米トップ5位を果たし、米ゴールド・ディスクを獲得。

 

2014年2月、“Give You What You Like”のMVを公開。

ただし同曲のシングルのリリースはない。

4月、“Hello Kitty”のMVを公開。このMVは東京で撮影され、話題を呼んだ。

5月、“Hello Kitty”がシングルリリースされる。

 

2015年4月、単発シングル“Fly”をリリース。同作は同年7月にロサンゼルスで開催されたスペシャルオリンピックスのチャリティとしてリリースされたものである。

9月、チャド・クルーガーとの離婚を発表。

 

2017年1月、日本のロックバンドONE OK ROCK(ワンオクロック)がリリースしたアルバム『Ambitions』に収録の“Listen”に客演参加した。

2月19日、ONE OK ROCKのベーシストRyotaが「ONE OK ROCK 2017 "Ambitions" JAPAN TOUR」の初日公演で、アヴリルの実妹ミシェルと結婚したことを発表。

 

2018年9月6日、ファンへのオープン・レターを公式サイトに公開。2014年のワールドツアー中から体調不良に苦しんでいたが、同年12月にライム病と診断され、以来闘病中であったことを告白するとともに、その苦難の中で最新曲“ヘッド・アバーヴ・ウォーター”を書きあげたことを報告。長い間彼女の復活を待ち、回復を見守ってくれていたファンへの感謝の思いを綴るとともに、勇気と希望を与える音楽をこれからも作り続ける意思を伝えた。

9月19日、次作アルバムからの先行シングルとして、

“ヘッド・アバーヴ・ウォーター” (Head Above Water)を発表。

 

2019年2月、ニッキー・ミナージュをフィーチャーした“ダム・ブロンド”を発表。

同年2月15日、6枚目のアルバム『ヘッド・アバーヴ・ウォーター』(Head Above Water)が

リリースされた。

 

3月、5年ぶりにプロモーション来日を果たし、ファン・イベントでファンの前でその歌声を披露。

同3月にアブダビで開催されたスペシャルオリンピックスの開会式で、大会の公式テーマソングで、ライアン・テダーとの共演曲である“Right Where I’m Supposed To Be”を披露した。

 

2020年9月27日現在、公式ホームページでは、2021年からのコンサートの予定が掲載されており、掲載されているものでは

2021年1月28日の東京を皮切りに、愛知(常滑)、大阪を回った後、香港、

その後は欧州各国で公演を続けて、

3月23日のパリまでツアーを行う予定となっている。

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アヴリル・ラヴィーン」

公式サイト

avrillavigne.com

日本語公式サイト=ソニーミュージック「アヴリル・ラヴィーン」

http://www.sonymusic.co.jp/artist/avrillavigne/