ハイディ・レンジ(Heidi Range/出生名:Heidi India Range/1983年5月23日~)は、英国のシンガーソングライター。イギリスの女性歌手グループ「シュガーベイブス」のメンバー。

 

 

 

1983年5月23日、ハイディ・インディア・レンジは英国イングランドのリバプール(Liverpool, England)で生まれる。

 

1997年、10代半ばになったレンジは「スクーチ」(Scooch)というグループのオーディションを受けたが、若すぎるという理由で落とされた。

代わりにレンジは、OMDのフロントマンであるアンディ・マクラスキーにより、リズ・マクラーノン (Liz McClarnon/1981年4月10日 -)、ケリー・カトーナ (Kerry Katona/1980年9月6日 -)とともに設立されたガールズ・グループ「アトミック・キトゥン」(Atomic Kitten)に参加する。

 

1998年、グループのデビュー アルバム用にいくつかのデモを録音した。

 

1999年、アトミック・キトゥンとの8か月のレコーディングの後、レンジはストック・エイトケン・ウォーターマン(Stock Aitken Waterman)からソロ契約をオファーされ、デビュー前にグループを脱退することを決意した。 そのため、アトミック・キトゥンはレンジに代わってナターシャ・ハミルトン (Natasha Hamilton/1982年7月17日-)を起用した。

 

2001年8月、レンジは、CDをリリースしてデビュー済みのガールズ・グループ「シュガーベイブス」(Sugababes)に、脱退したシボーン・ドナーフの後任メンバーとして加入する。

レンジとともに2ndアルバムの制作を開始したシュガーベイブスは、新しいレコードレーベルを探し、最終的に「アイランド・レコード」(Island Records)と契約した。

 

 

2002年4月22日、新レーベルからの最初のリリースとなった“フリーク・ライク・ミー”(Freak Like Me)は、グループにとって初の全英ナンバー1シングルとなった。

 

8月12日、続くシングル“ラウンド・ラウンド”(Round Round)をリリースすると、全英シングル・チャート初登場1位となり、アイルランド、オランダ、ニュージーランドでは最高2位を記録。この2枚のシングルは、レンジ加入前のヒット・シングル"Overload"と同様、英国レコード産業協会(BPI) からシルバー・ディスク認定を受けた。

 

8月26日、シングルの成功を受けて、グループ通算2枚目、レンジ加入後は初のアルバム『エンジェルス・ウィズ・ダーティ・フェイスズ』(Angels with Dirty Faces)をリリース、全英アルバム・チャートで初登場2位となり、後にトリプル・プラチナ認定を受け、英国だけで約100万枚を売り上げた。これは現在までにグループの最も売れたアルバムである。

 

11月11日、アルバムからの3枚目のシングルであるバラード・ナンバー“Stronger”が母国イギリスで7位と3曲連続でトップ10ヒットを記録。この曲は英国で“Angels with Dirty Faces”との両A面としてリリースされ、後者の曲は映画『パワーパフ ガールズ』のテーマ曲として選ばれた。

 

 

2003年3月10日、2ndアルバムからの4枚目のシングルとして、スティング(Sting)をサンプリングした“シェイプ”(Shape)をリリースすると、全英11位をマーク、オランダとアイルランドでトップ10入りを果たした。

 

10月27日、3枚目のアルバム『Three』をリリース、全英3位を記録し、同アルバムからのシングル“Hole in the Head”は自身3度目の全英シングルチャート1位をマーク、デンマークでも初めて1位を獲得した。また、アイルランド、オランダ、ノルウェーでも2位を記録し、全米でも96位でチャートイン、そしてアメリカ「Hot Dance Music/Club Play」チャートで1位に達した。

 

 

このアルバムから2枚目のシングル“Too Lost in You”は映画『ラブ・アクチュアリー』にも使われ、全英10位をはじめ、ドイツ、オランダ、ノルウェー、中国、台湾でトップ10を記録する大ヒットとなった。

 

 

2004年、アルバム『Three』から3枚目のシングル“In the Middle”をリカット、全英8位をマークした。さらに4枚目のシングルとしてバラード調のナンバー“Caught in a Moment”をリリースすると、これも全英8位を記録した。

 

 

12月、コールドプレイ、ダイド、ロビー・ウィリアムズなど多数の著名アーティストと共に2004年版のバンド・エイド「バンド・エイド20」(Band Aid 20)を結成し、“Do They Know It's Christmas?”をリリース。1週目で20万枚を売り上げ全英1位を記録し、売上金のすべてがスーダンのダルフールの飢饉へと贈られた。

 

 

2005年、LIVE 8に初めて参加した。

3月、4枚目のアルバムを制作中、メンバーのブエナが付き合っていた男性との間に子どもができたと発表し、娘を無事出産。

9月26日、シュガーベイブスは通算13枚目のシングル“プッシュ・ザ・ボタン”(Push the Button)をリリース。本曲は自身4曲目となる全英1位を初登場で獲得、3週連続1位を維持した。また、アイルランド、オーストリア、ニュージーランドでも最高1位を記録し、ヨーロッパ全土とオーストラリアでもトップ3に到達。イギリスでは銀賞に認定され、後にブリット・アワードの最優秀シングル賞にノミネートされた。

 

10月10日、4枚目のアルバム『Taller in More Ways』をリリースすると、グループ初の全英ナンバー1アルバムとなった。これによりシュガーベイブスは、シングル、アルバム、エアプレイ、ダウンロードチャートで同時に1位を獲得したが、この偉業を達成したガールズグループはシュガーベイブスが初めてとなった。また、アルバム『Taller in More Ways』は英国でダブル・プラチナ認定を受けた。

 

12月5日、アルバムから2枚目のシングルとして"Ugly"をリカット、全英3位をマークした。

 

12月、創設メンバーのムティア・ブエナがシュガーベイブスを脱退し、後任にアメル・ベラバー(Amelle Berrabah/1984年4月22日-)が就任した。

 

 

2006年、『Taller in More Ways』からの3枚目のシングルは、2006年初頭にリリースされた“レッド・ドレス”(Red Dress)の再録音バージョンだったが、グループにアルバムから3曲連続トップ5ヒットをもたらし、全英4位に入った。

 

ベラバーはアルバム収録曲12曲のうち3曲を再レコーディングし、ケイシャ・ブキャナンとレンジと“Now You're Gone”という新曲を共作した。 このトラックは『Taller in More Ways』の再リリースに収録されており、全英アルバム・チャートで18位を記録した。

 

同年、『Taller in More Ways』からの4番目で最後のシングルは“フォロー・ミー・ホーム”(Follow Me Home)をリリース、全英32位に入った。

 

同年の中盤からは新曲“Easy”の制作にとりかかり、全英8位にランクインした。

 

11月13日、“Easy”も収録した5枚目のアルバムでベスト盤『Overloaded: The Singles Collection』をリリース、全英3位を記録した。

 

同年終わりには翌2007年のBBC主催のチャリティ番組に向けた曲を「ガールズ・アラウド」とともに制作すると発表。曲はエアロスミスの代表曲でもある“ウォーク・ディス・ウェイ”であった。

 

 

2007年3月12日、ガールズ・アラウドと共演したシングル“ウォーク・ディス・ウェイ”(Walk This Way)をリリースすると、ベラバ加入以来初、グループとしては5度目の全英1位獲得となった。

 

9月24日、アルバムからのリード・シングル“アバウト・ユー・ナウ”(About You Now)をリリース、グループは6度目の、そして現時点では最後となる英国チャート1位を、ダウンロード・チャートでナンバー1を4週にわたり獲得したことにより達成。また、翌2008年のBRITアワードで「Best Single』にノミネートされた他、2009年版『ギネス世界記録』で“アバウト・ユー・ナウ”は「ダウンロードのみでシングル・チャートのトップに立ったイギリスのポップアーティストによる最初の曲」として掲載された。本曲は「イギリスでチャートを1位に押し上げた最大の曲」とも称された。

 

10月8日、アルバム『チェンジ』(Change)をリリース。前作に続き全英1位を獲得した。また、ここからは他に、タイトル・ナンバー"Change"が全英13位、"Denial"が全英15位に入った。

 

同日、リリースされて約1年後、ベスト盤『Overloaded: The Singles Collection』が全英43位に再浮上した。

同年、シュガーベイブスはアニー・レノックスとともに“Sing”という曲を制作、彼女の4枚目のアルバム『Songs of Mass Destruction』に同曲は収録された。同曲はHIV/AIDS感染者の人を励ます歌であるとレノックスは自身のHPで公表している。

 

 

2008年10月20日、6thオリジナル・アルバム『Catfights and Spotlights』をリリース、全英8位をマークした。

 

リード・シングルの“Girls”が全英3位を記録した。この曲はドラッグストアのブーツのCMに起用されてヒットしていたアーニー・ケイドーの“Here Comes The Girls”をサンプリングしたものだった。2枚目のシングル“No Can Do”は全英23位とあまり振るわなかった。

 

 

“No Can Do”のリリース後、グループは7枚目のスタジオ・アルバムの作曲とレコーディングに集中できるよう、アルバムをフォローするためのツアーは行わないと発表、メンバーは7枚目のスタジオ・アルバム『スウィート7』制作のため渡米した。

 

 

2009年4月、シュガーベイブスはジェイ・Zのレーベル「ロック・ネイション」(Roc Nation)と契約を結び、その結果、著名なプロデューサーと協力することになった。

8月30日、『スウィート7』からのリードシングル“ゲット・セクシー”(Get Sexy)をリリース、従来にはない文字通りセクシーなイメージの本楽曲は翌9月に全英シングル・チャートで初登場2位となり、グループの新たな魅力を拓いた。

 

9月、ベラバーがシュガーベイブスを脱退したと報じられた。理由は、彼女が『スウィート7』のプロモーション活動を2度欠席したからだった。

9月21日、グループの唯一のオリジナルメンバーとなっていたブキャナンがシュガーベイブスを脱退したことが明らかになった。実際の理由はベラバがブキャナンから受けた精神的苦痛を理由にグループから決別することを決めていたが、彼女が脱退したことでベラバはシュガーベイブスに復帰したと言われている。ブキャナンは自身のブログで「自分の意向でシュガーベイブスを脱退したわけではない。」と語った。これでシュガーベイブスからはデビュー当時からのオリジナル・メンバーがいなくなってしまった。

彼女の代わりには、英国の2009年ユーロビジョン・ソング・コンテスト出場者のジェイド・イーウェン(Jade Ewen/1988年1月24日-)が加入、ブキャナンの脱退が発表された数日後にシングル“アバウト・ア・ガール”(About a Girl)のMVを撮影するために渡米。“アバウト・ア・ガール”は、ベラバーが神経疲労の治療のためオーストリアに飛んだため、プロモーションスケジュールが短縮されていたこともあり、全英8位止まりとなった。

 

同年末、“ウェア・マイ・キス”が3枚目のシングルとして2010年2月にリリースされることが確認され、当初2009年11月下旬にリリース予定だったアルバムは2010年3月に延期された。

 

 

2010年2月、シングル“ウェア・マイ・キス”(Wear My Kiss)はイギリスで初登場し最高7位を記録し、『スウィート7』ザ・シュガベイブスにとっては『ターラー・イン・モア・ウェイズ』以来、トップ10ヒットが少なくとも3曲収録された初めてのアルバムとなった。

 

3月、元グループメンバーのムティア・ブエナが欧州商標庁にグループ名の所有権を申請した。 この申請書はブキャナンの脱退に関する論争の最中に提出され、ブエナは創設メンバーがグループに残っていない状態で「シュガベイブスは終わった」と主張した。ブエナが紙、ボール紙、商品にその名前を使用する権利を取得したことが確認された。 すなわち、文房具、紙製のギフト包装紙、および紙製のギフト包装用リボンである。

3月15日、7thアルバム『スウィート7』(Sweet 7)をリリースしたが、セールス面では苦戦し、全英14位に留まった。

 

同月には『Sweet 7』の売り上げ不振を理由にロック・ネイションから契約を解除されたことも明らかになった。

 

 

2011年7月1日、ブキャナンはロンドンで開催されたバークレイカード・ワイヤレス・フェスティバルでシュガーベイブスの現在のラインナップに近づき、そこで彼女たちは「涙ながらの」再会を果たし、過去を水に流したと報じられた。ブキャナンがグループの仲間だったレンジとベラバーに会うのは2年ぶり、自身と入れ替えでグループに入ったイーウェンとは初対面だった。

9月、シュガーベイブスは新しいシングル“フリーダム”(Freedom)をリリースし、無料デジタルダウンロードとしてリリースされた。

 

その後、シュガーベイブスは各メンバーがソロプロジェクトに取り組むためという理由で、グループとしての活動を休止。レンジは『ダンシング・オン・アイス』の第7シリーズに参加し、ベラバーはソロ作品に取り組み、イーウェンはスプラッシュの第1シリーズに出場者として出場した。

 

 

2012年、レンジはソロアルバムのレコーディングを検討していたが、レコードレーベルと契約できなかったことを明らかにした。

同年、レンジはITV1の『ダンシング・オン・アイス』の2012シリーズに出演した。

この頃、シュガーベイブスのオリジナル・メンバーであるムティア・ブエナ、シボーン・ドナーフ、キーシャ・ブキャナンの3人によるレコーディング話が持ち上がった。実際レーベルとも契約し、レコーディングも進んだ。だが、新曲を含むトラックはこの時は流出しただけで終わり、正式にリリースされることはなかった。

 

 

2013年、ブエナ、ドナーフ、ブキャナンの3人が「Mutya Keisha Siobhan」名義で"Flatline"をリリース、全英50位に入った。

同年、レンジは『セレブリティ・マスターシェフ』の第8シリーズに参加したが、最初に敗退した。

 

 

2014年、レンジは英国をツアーしたハッピー・デイズ・ミュージカルにピンキー・タスカデロの女性主人公として出演した。

 

 

2016年、レンジはウエストエンドミュージカル『宇宙戦争』に「ベス」役で出演した。

9月3日、フィレンツェでアレックス・パルタキスと結婚。2018年と2021年に出産し、2人の娘がいる。

 

 

2020年6月のインタビューでレンジは、それまでシュガーベイブスが2011年に活動を停止したのはソロ活動のためであったと頑なに主張を続けていたのを翻し、実際は論争とブキャナン脱退後の人気低下を理由にこれ以上活動を続けるのは不公平であるとしてグループが活動を終えたことをようやく認めた。

 

 

2021年5月11日、オリジナル・メンバーによるシュガーベイブスはワンタッチ20周年と新曲の計画を記念して、MNEKをフィーチャーした2001年のシングル“ラン・フォー・カバー”のリワーク版をリリースした。

 

 

2022年12月24日、シュガーベイブスはアルバム『ザ・ロスト・テープス』をオンラインでサプライズリリースした。 このアルバムは2013年の再結成アルバム用の曲で構成されていたが、法的および権利上の問題によりリリースされることはなかった。このアルバムは英国のアルバム・ダウンロード・チャートで2位、インディース・アルバム・チャートで13位をマークした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ハイディ・レンジ」「Heidi Range」「シュガーベイブス」「Sugababes」

 

 

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