2022年5月15日、沖縄が返還されて50年。

 

これを機に、返還以降の50年と、沖縄の「戦後」を、沖縄出身のアーティストやゆかりのある楽曲とともに振り返ってみたい。

 

 

 

 

1945(昭和20)年4月、沖縄戦勃発。

同年6月23日、戦闘終結。沖縄県全土がアメリカ軍の占領下に置かれる。

同年9月20日、沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で、女性参政権が認められ普通選挙実施。
 

 

1946(昭和21)年1月、SCAPIN677により連合国よりアメリカ軍政へ移管。
4月、米軍主導の元、沖縄民政府発足。沖縄諮詢会で互選された志喜屋孝信が知事に就任。旧県会議員を主体に議会を設立。
 

 

1948(昭和23)年10月、「米国の対日政策に関する勧告に対する国家安全保障会議の諸勧告(NSC/2,3)」により米軍の沖縄の恒久保持、基地の開発の方針を掲示。
 

 

1950(昭和25)年12月、琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。

この頃、大規模な基地建設の開始。

 

 

1952(昭和27)年4月1日、琉球政府設立。

 

 

1957(昭和32)年、照屋林助と前川守康が「ワタブーショー」(「ワタブー」は「大腹」=デブの意で、実際に身長約180センチ、体重100キログラムを超える巨体であった)を結成。パロディーや歌謡、洋楽などを盛り込んだ、可笑しくも含蓄の深い漫談で長年に渡って活躍。照屋林助は「てるりん」の愛称で単独での活動も行う。また、照屋の息子はりんけんバンドのリーダー・照屋林賢で、姪孫にモデルの知花くららがいる。

 

 

 

1960(昭和35)年4月28日、沖縄県祖国復帰協議会設立。

 

1967年(昭和42年)、新居浜市民会館で、田代美代子(石井好子門下の歌手で、既に歌謡曲歌手として成功していた)によって全11番から成る“さとうきび畑”がコンサートで初演。その後1969年に森山良子がレコーディングし、アルバム『森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2』に収録したのが最初のレコード化。通して歌うと11分近くを要する曲だが、その後、短縮されたバージョンで折々カヴァーされ、演奏やレコードリリースが行われた。

 

 

1970(昭和45)年12月20日、コザ暴動発生。アメリカ軍人が沖縄人をひいた交通事故を契機に、米施政下での圧制、人権侵害に対する沖縄人の不満が爆発し、暴動となった。

 

 

1972(昭和47)年5月15日、日本に復帰し、沖縄県を再設置。所謂「沖縄返還」。

同年、喜納昌吉とチャンプルーズが“ハイサイおじさん”をシングル発売、30万枚の大ヒットになる。

 


1973年8月25日、沖縄県出身の「フィンガー5」が2枚目シングル“個人授業”を発売、ミリオンセラーとなり、グループの一気に知名度が上がる。

 

 

1976年10月1日、沖縄のロックバンド「紫」がシングル“Free”を発売。

 

 

1977年12月、“ハイサイおじさん”が沖縄民謡のテイストを残しつつもアップテンポのロック調にアレンジされたヴァージョン(編曲:矢野誠)でシングル発売され、全国規模でヒット。なお、1987年11月16日に始まったお笑い番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』で初回から登場した志村けん演じる「変なおじさん」の歌は、“ハイサイおじさん”の替え歌である。

 

 

1978(昭和53)年7月30日、沖縄県内の対面交通が、右側通行から本土と同じ左側通行へ変更。

 

 

1980年5月、喜納昌吉&チャンプルーズのシングル“花〜すべての人の心に花を〜”が発売。オリジナルは、喜納友子(昌吉の前妻)がヴォーカル、ゲストのライ・クーダーがギター、スライド・ギター、マンドリンを演奏した。日本国内はもちろん、台湾、タイ、ベトナム、アルゼンチンをはじめ世界60か国以上で多数のアーティストにカヴァーされ、ヒットしたものも多い。

 

 

1987年5月25日、沖縄出身の「りんけんバンド」がアルバム『ありがとう』でデビュー。

 

 

1990年3月21日、BEGINが1stシングル“恋しくて”でデビュー、オリコン4位。プラチナディスク。

 

 

1991年夏、上々颱風の“愛より青い海”が日本航空の沖縄キャンペーン「上々沖縄(しゃんしゃん・おきなわ)」CMソングに採用、メンバーも出演した。バンドの結成は神奈川県横須賀市だが、バンジョーに三味線の弦を張った「三線バンジョー」の演奏をベースに琉球音階などアジアの民謡を取り入れたいわゆる「無国籍音楽」。

 

 

1992年1月22日、THE BOOMのアルバム『思春期』で三線や琉球音階など沖縄音楽の要素を取り入れた“島唄”を発表。 同年12月12日には沖縄の方言(ウチナーグチ)で歌われた“島唄”(ウチナーグチ・ヴァージョン)を沖縄県限定でリリース、瑞穂酒造の泡盛「琉球泡盛 Xi(クロッシー)」の沖縄県限定テレビCMソングに起用され、沖縄だけで1万枚を売り上げた。後に全国発売され、50万枚近くを売り上げている。

 

 

1993年8月21日、沖縄出身の「りんけんバンド」がシングル“世 世 世~YOU YOU YOU~”を発売、同年、ベストアルバム『りんけんバンド』とオリジナルアルバム『バンジ』を発売。同年、日本レコード大賞特別賞受賞。リーダー照屋林賢の作詞曲“春でぇむん”が中学国語教科書に採用される。

 

 

1995年1月25日、ディアマンテスの4枚目のシングル“魂をコンドルにのせて”発売、8週連続チャートインし、最高38位。作詞はTHE BOOMの宮沢和史。ディアマンテスは沖縄県を中心に活動し、「オキナワ・ラティーナ」を標榜、沖縄のポップスに多大な影響を与えた。

 

 

1996年8月5日、メンバー全員が沖縄県出身のグループSPEEDがシングル“Body & Soul”でメジャーデビュー。デビュー当時の平均年齢は13.5歳で、当時のメンバー全員が小・中学生であった。

 

 

1995年12月4日、安室奈美恵が“Chase the Chance”で自身初のオリコン1位。

 

 

1997年4月9日、メンバー全員が沖縄県出身のグループMAXがシングル“Give me a Shake”を発売、グループ初のオリコン1位を獲得。

 

同年、沖縄アクターズスクール出身の小中学生7名で構成される男女混成ダンス&ヴォーカルグループ「Folder」がシングル“パラシューター”でデビュー、10万枚以上のヒットを記録。渡辺大地(DAICIH)や満島ひかり(HIKARI)が在籍。

 

10月15日、SPEEDの5thシングル“White Love”がダブル・ミリオンを達成。

 

 

1998年1月21日、Kiroroがシングル“長い間”でメジャーデビュー。Kiroroは、ともに沖縄県中頭郡読谷村出身の玉城千春(1977年4月17日-)と、金城綾乃(1977年8月15日-)によるグループ。

 

 

1999年4月14日、那覇市出身のシンガーソングライターCocco5枚目のシングル“樹海の糸”が発売。オリコン3位。

 

 

2000年(平成12年)7月21日 - 九州・沖縄サミットが開催され、それを記念して二千円紙幣を発行。イメージソングには安室奈美恵の“NEVER END”が採用され、歓迎夕食会で熱唱した。なお、売り上げの一部がユニセフへ寄付されていた。

 

 

2001年9月16日、MONGOL800の2枚目アルバム『MESSAGE』がリリース。“あなたに”と“小さな恋の歌”を収録。インディーズからのリリースながらオリコン1位でダブルミリオンを達成。

 

同年、石垣市出身の夏川りみが発売した“涙そうそう”がじわじわとヒット、出荷ベースで100万枚以上を売り上げ、116週連続チャートインして一躍有名となった。作詞は森山良子、作曲はBRGIN。

 

12月5日、森山良子が、11連全ての詞を歌う“さとうきび畑”を“涙そうそう”のカヴァーとのカップリングでシングル発売。この曲の歌唱で2002年の第44回日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を受賞した。

 

 

2002年5月22日、BEGINが23rdシングル“島人ぬ宝”を発売。

 

同年、琉球王朝の流れを汲む家系に生まれる普天間かおりがシングル“髪なんか切ったりしない”でテイチクよりメジャーデビュー。

 

11月1日、沖縄美ら海水族館が開園。大水槽および水槽のパネルは当時世界最大規模であった。


 

2003(平成15)年8月10日、沖縄都市モノレール線が開通。

9月28日、“さとうきび畑”をモチーフにしたスペシャルドラマ『さとうきび畑の唄』がTBS系にて放送。平成15年度文化庁芸術祭テレビ部門大賞受賞作品。脚本は遊川和彦、主演は明石家さんま。

 

 

2004(平成16)年1月、明仁天皇(当時)が宮古島を初訪問。
8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落する 「沖国大米軍ヘリ墜落事件」が発生。普天間基地返還の要求が強まる

9月8日、那覇市出身のお笑いコンビ「ガレッジセール」から「ゴリエ(Gorie with Jasmine & Joann)」名義で、シングル“Mickey”を発売、2週連続オリコン1位を獲得する大ヒットになる。原曲は、1979年にイギリスの音楽グループ「レイシー」が発表した“キティ”という楽曲を、1982年に女性歌手で振り付け師のトニー・バジルが“Mickey”としてカヴァーしたもの。

 

10月20日、沖縄県を拠点に活動するバンドORANGE RANGEが8thシングル“花”を発売、この曲の前後9曲連続でオリコン1位を連続9曲獲得した。

 

 

2005年1月26日、沖縄出身のバンド「HIGH and MIGHTY COLOR」が“PRIDE”でデビュー、オリコン2位。第47回日本レコード大賞新人賞受賞。

 

2月2日、宜野湾市出身のYU(本名:上里 優)と、那覇市出身のYASU(本名:吉田 安英)から成るJ-POPデュオ「D-51」の3枚目シングル“NO MORE CRY”が発売、テレビドラマ『ごくせん』主題歌となり、オリコン2位、売り上げ40万枚以上の大ヒットを記録。

 

 

2006年3月15日、浦添市出身の仲間由紀恵が「仲間由紀恵 with ダウンローズ」名義でシングル“恋のダウンロード”を発表、au(KDDI/沖縄セルラー電話連合)CMソング。オリコン初登場8位。

 

 

2007年6月20日、GACKT(本名:大城ガクト/旧芸名:Gackt)のシングル“RETURNER 〜闇の終焉〜”が発売、自身初のオリコン1位。GACKTは沖縄生まれで小学生になるまで同地で過ごした。

 

同年、『ぐるぐるナインティナイン』や『笑いの金メダル』に出演したお笑い芸人の小島よしおがブレイク、「そんなの関係ねぇ!」と「おっぱっぴー」が「ユーキャン新語・流行語大賞2007」の大賞候補60語にノミネートされ、このうち「そんなの関係ねぇ!」がトップ10を受賞した。小島は沖縄県島尻郡久米島町で生まれ、その後千葉県千葉市稲毛区で育った。

 

 

2008年4月16日、沖縄県うるま市出身のミクスチャーバンド「HY」のインディーズデビュー後5枚目のアルバム『HeartY』がリリース。収録曲“366日”が日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額(国内作品)ランキングで、2019年度の年間10位を獲得した。

 

6月、沖縄県出身のBENI(本名および旧芸名:安良城紅)が童子-Tとコラボレーションしたシングル“もう一度… feat.BENI”が着うたダウンロードナンバー1になった。また、共同名義ながら同曲により、オリコン自身最高の6位を達成。

 

7月16日、那覇市出身の新垣結衣のデビューシングル“Make my day”が発売、オリコン2位。

 

 

2009年2月4日、メンバー全員が沖縄県出身・在住のバンド「かりゆし58」の5thシングル“さよなら”発売、オリコン10位。

 

 

2012(平成23)年9月11日、尖閣諸島国有化。

 

 

2016年7月27日、安室奈美恵“Hero”発売、オリコン6位。

 

 

2017年1月18日、三浦大知が21sシングル“EXCITE”を発売、オリコン1位。

 

 

2018年6月6日、DA PUNPUが30枚目シングル“U.S.A.”を発売、イタリア人歌手ジョー・イエローの1992年のシングルのカヴァーで、オリコン2位の大ヒットになる。DA PUNPUの初期メンバーは全員沖縄県および沖縄アクターズスクール出身で、現在も沖縄市出身のISSA(本名:邊土名一茶)が在籍。

 

 

 

2019(平成31)2月24日、「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」が実施され、投票者の7割超が埋立て反対に投票。
 

 

2022年5月15日、沖縄復帰50周年に当たり、各地で記念式典が行われた。

 

 

 

 

 

 

沖縄に関連する楽曲は、ポップスに関してはコンピレーションアルバムがいろいろ出ているので収録曲で選ぶと良いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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