喜納 昌吉(きな しょうきち/1948年6月10日~)は、

日本の音楽家、平和活動家、政治家。

 

 

 

1948年6月10日、米軍占領下のコザ市(現:沖縄県沖縄市)に生まれる。11人兄弟の四男。

父は琉球民謡の第一人者で、歌手、三線奏者の「喜納昌永」(きな しょうえい/1920年12月28日-2009年12月24日)。沖縄の名だたる音楽家が家に出入りしていた環境で育ったが、幼少の頃から父に音楽を教わったことはなかったという。

 

1950年12月、琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)とアメリカ軍政の沖縄統治機関の名称を変更。大規模な基地建設の開始。

1952年4月1日、琉球政府設立。

1961年、中学生の時、後にデビュー曲となる“ハイサイおじさん”を作詞作曲。「ハイサイ」は沖縄の言葉で「こんにちは」の意。歌詞の内容は自身の実体験に基づいているという。

 

琉球政府立普天間高校(現:沖縄県立普天間高等学校)を卒業後、国際大学(現:沖縄国際大学)に入学(後に除籍)。

 

 

1969年、沖縄の地元レコード会社「マルフクレコード」から発売された民謡集のアルバムに“ハイサイおじさん”(作詞・曲:喜納昌吉)が初収録されてデビュー。この時、喜納はまだ大学生だった。

 

 

1972年、“ハイサイおじさん”が「喜納昌吉と喜納チャンプルーズ」名義でマルフクレコードからシングル発売されると、沖縄県内で30万枚を売り上げる大ヒット。B面は“馬車小引ちゃ”。「チャンプルー」とは沖縄方言で「混ぜこぜにしたもの」「ごちゃまぜ」というような意味。

 

同年5月15日、沖縄が日本に復帰し沖縄県再設置(沖縄返還)。

同年、ロックミュージシャンの久保田麻琴がアルバム『ハワイチャンプルー』で“ハイサイおじさん”をカヴァー。

 

 

1976年春、大阪のラジオパーソナリテイの中村鋭一が沖縄旅行中に“ハイサイおじさん”を聴いて気に入り、キダ・タローのアレンジで吹き込んで発売(テイチクレコード A-95)。このレコードのB面には日本語対訳篇(中沢修一訳)が収録されており、適度に沖縄語を残しながら、本来の語呂の良さを崩さずに対訳する秀作であった。

同年、喜納自身も中村の番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』に出演し、“ハイサイおじさん”他数曲を演奏。この時はスローテンポのヴァージョンであった。



1977年11月15日、喜納が実妹らとともに結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」名義でアルバム『喜納昌吉&チャンプルーズ』をフィリップスからリリース。当時沖縄では初めて24chマルチレコーダーをコザの民謡クラブ「ミカド」に持ち込んでライヴ録音された作品。矢野誠や、矢野の当時の妻である矢野顕子らも携わった本作は、今もなお、日本のロックの名盤として絶賛されている。ここから、ロック調にリアレンジされた“ハイサイおじさん”や“レッドおじさん”の大ヒットが生まれた。他に“馬車小引ちゃ”、“島小ソング”等を収録。なお、民謡クラブ「ミカド」は喜納が経営している。

 

12月、“ハイサイおじさん”をシングルカットし、フィリップスから発売。B面は“レッドおじさん”。フィリップスから出されたメジャーシングル盤の音源はアルバムと同じライヴ音源で、ジャケット画を描いたのは赤塚不二夫である。

 

 

 

1978年8月、シングル“東京讃美歌/島小ソング”をフィリップスからリリース。

 

 

1980年6月、シングル“花〜すべての人の心に花を〜”(作詞・曲:喜納昌吉/編曲:チト河内・久保田麻琴・ライ=クーダー)をリリース。

 

6月21日、喜納昌吉&チャンプルーズの2ndアルバム『BLOOD LINE』をポリドールから発売。“花〜すべての人の心に花を〜”を収録。シングルリリースされた同曲では、昌吉の前妻である喜納友子がヴォーカルを担当、ゲスト参加のライ・クーダーがギター、スライド・ギター、マンドリンを演奏している。

 

9月、シングル“ジンジン/花のカジマヤー”をリリース。



喜納は琉球民謡を元にした独特のメロディと「ウチナーグチ」(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。自ら率いる喜納昌吉&チャンプルーズの音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等の楽曲とともに「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。

 

1981年、ビートたけしの『オールナイトニッポン』がスタート。たけしがお気に入りの曲として“ハイサイおじさん”を番組エンディングで流したことで同曲はさらに全国に広く知られることとなった。

 

 

1982年8月21日、3rdアルバム『祭』をバップから発売。

 

 

 

1983年2月4日、4thアルバム『THE CELEBRATIONS LIVE』をバップから発売。

 

 

1985年、タイで現地のバンド「カラワン」が“花〜すべての人の心に花を〜”をカヴァーしてヒット、これをきっかけにアイドル歌手が相次ぎカヴァーした。

 

 

1987年、タイでマリ・バンドが“花〜すべての人の心に花を〜”をカヴァー、8週連続ヒットチャート1位を独占する大ヒット。

同年11月16日にスタートしたバラエティ番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』初回放送回から、志村けん扮する「変なおじさん」が登場。コント終盤で「変なお~じさん、だか~ら変なお~じさん♪」と、“ハイサイおじさん”の歌い出し部分の替え歌を歌いながら奇妙な踊りをする変なおじさんは、その後も様々な番組でも披露され、志村を代表するキャラクター及びギャグとして定着。それに伴い“ハイサイおじさん”のメロディが日本全国津々浦々にまで浸透していった。

 

 

喜納はインドの宗教家、神秘思想家「バグワン・シュリ・ラジニーシ」(別名:OSHO / 1931年12月11日-1990年1月19日)の「サニヤシン」(弟子)である。サニヤス名(法名)は「スワミ・プレム・ウパニシャッド」。Osho「禅宣言」まえがきを寄稿している。

 

 

1990年、おおたか静流が歌う“花〜すべての人の心に花を〜”のカヴァーがAXIAのCMに起用され話題になった。

8月8日、5thアルバム『ニライカナイPARADISE』を東芝EMIから発売。

 

 

 

1991年、タイでダヌポン・ケオカンのバージョンの“花〜すべての人の心に花を〜”もヒット。

8月21日、6thアルバム『Earth Spirit』を東芝EMIからリリース。ワールド・ミュージックの仕掛人でもあるフランソワ・ブレオンと喜納とでアレンジを担当し、ゲスト・ミュージシャンもフランス、アフリカ、カリブから幅広く迎えたパリ録音の作品。曲は喜納のオリジナルと沖縄の古謡となっている。

 

 

12月31日、『第42回NHK紅白歌合戦』に初出場、“花〜すべての人の心に花を〜” を演奏した。

 

 

1992年3月25日、7thアルバム『チャンプルーズルネッサンス』を東芝EMIから発売。

9月30日、8thアルバム『IN LOVE』を東芝EMIから発売。

 

同年、第二電電(現・KDDI)のCMで“ハイサイおじさん”の替え歌がCMソングとして流れた。

 

 

1993年、台湾の周華健(エミール・チョウ)が“花〜すべての人の心に花を〜”をカヴァーした“花心”が全中華圏を席巻するメガヒットとなった。

12月4日、9thアルバム『RAINBOW MOVEMENT』を日本フォノグラムから発売。

 

 

1994年12月5日、10thアルバム『火神』を日本フォノグラムから発売。

 

 

1995年、石嶺聡子による“花〜すべての人の心に花を〜”のカヴァーがTBSテレビのワイドショー番組『スーパーワイド』のEDテーマ曲に採用され、ヒットしている。

7月26日、11thアルバム『CHAMPLOO』をマーキュリーから発売。

 


1997年10月1日、12thアルバム『すべての武器を楽器に』を日本コロムビアから発売。平和活動に携わり、「すべての人の心に花を(「花」の副題でもある)、すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」というメッセージを発信し続けている。

 

 

 

1998年7月18日、13thアルバム『赤犬子』を日本コロムビアから発売。

 

 

1999年の読売新聞調べによると、“花〜すべての人の心に花を〜”はカヴァーを含め全世界で3000万枚を売り上げた。しかし喜納によると、音楽著作権を保護する制度が未発達な国でのヒットが多いので、印税収入は少ないのだという。

 

 

2002年3月13日、「すべての人の心に花を、すべての武器を楽器に、すべての基地を花園に、戦争より祭りを」のメッセージをテーマとするNGO「ピースメーカーズ・ネットワーク」(PMN:Peace Makers Network)が作られた。

 

 

2004年5月20日、14thアルバム『忘てぃやういびらん 忘てぃやないびらん』をムー・パラダイス・レコードから発売。

 

同年、参議院比例区に民主党から出馬し当選。民主党内においてそれぞれ距離のあった小沢・鳩山・菅の3名の間の橋渡しを買って出て、民主党を政権奪取に導いたトロイカ体制が構築される上で重要な役割を果たしたと言われる。

また、民主党の与党時代には沖縄県連代表として、沖縄県への一括交付金制度の発案と実施、国が運営主体となっていた首里城の沖縄県への返還、大学院大学の県財政を圧迫しない十分な長期予算をつけての設立、交友関係があったインドのジョージ・フェルナンデス国防大臣を通じて沖縄こどもの国にインド象のペアを送って欲しいと要請し、これらを実現した。

 

 

2006年、文化庁により“花〜すべての人の心に花を〜”が「日本の歌百選」に選定された。

 

 

2008年4月、「14世ダライ・ラマ法王と中国政府首脳との直接対話を求める声明文」に賛同者として名を連ねている。

 

 

2011年8月10日、“流れるままに”(作詞:喜納昌吉・普久原恒勇/作曲:普久原恒勇)を発売。

 


2012年6月23日、15thアルバム『Nirai Pana』をムー・パラダイス・レコードから発売。



2014年11月の沖縄県知事選挙にて、喜納は米軍普天間基地の辺野古移設問題で意見が対立する民主党の沖縄県連代表を辞任、党からは除籍の処分を受けたため無所属で出馬。投開票の結果、現職の仲井眞弘多を破り翁長雄志が初当選、喜納は得票数最下位で落選した。

 


2019年9月18日、喜納は南北朝鮮の「国境の町」板門店で、朝鮮半島で愛される民謡“アリラン”を歌った。韓国政府、米国防総省、米軍、国連から許可を受けて、最後に許諾を得られたのが、北朝鮮当局、すなわち金正恩だったという。

9月、自身初の演歌となる“富士山Japan”を発表。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「喜納昌吉」

 

 

 

 

 

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