ライ・クーダー(Ry Cooder、本名:Ryland Peter Cooder、1947年3月15日 - )は、

アメリカ合衆国のミュージシャン、ギタリスト、歌手、作曲家。

 

 

 

1947年3月15日、ライランド・ピーター・クーダーは、アメリカ合衆国のロサンゼルスで、エマ・カサロリとビル・クーダーの息子として生まれた。 彼の母親はイタリア系である。

カリフォルニア州サンタモニカで育つ。

3歳の頃、父親の影響で初めて4弦ギターを手にする。

4歳の時、ナイフによる事故が原因で左目を失明、以来義眼となる。


16歳にして、音楽活動を始める。

1964年、サンタモニカ高校を卒業。

1960年代に、彼はオレゴン州ポートランドのリード大学に短期間通った。

1960年代半ば、タジ・マハール(Taj Mahal)らと組んだライジング・サンズ(Rising Sons)で活動。

 

1967年、アルバム『Safe As Milk』で「キャプテンビーフハートと彼のマジックバンド」(Captain Beefheart and his Magic Band)での演奏により最初に注目を集めた。

 

この他、ジャッキー・デシャノン等のバンドで活動した。

 

 

1968年、タジ・マハールのアルバム『Taj Mahal』に参加。

同年から1969年にかけて、ローリング・ストーンズのアルバム制作用レコーディングにセッション・ミュージシャンとして参加。

 

 

1969年11月28日、ストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』(Let It Bleed)がリリース、最終的にライの名前がクレジットされたのはA面2曲目、ロバート・ジョンソンのカヴァー“むなしき愛”(Love in Vain)だけだったが、ミック・ジャガーにビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、さらにニッキー・ホプキンスも加わって同作のレコーディング中に行われたジャム・セッションは、後の1972年に『ジャミング・ウィズ・エドワード』(Jamming with Edward!)としてレコード化された。

 

 

 

1970年12月、アルバム『ライ・クーダー・ファースト』(Ry Cooder)でReprise Recordsからソロ・デビューを果たす。全米216位。

 

 

1972年2月、アルバム『紫の峡谷』(Into the Purple Valley)をリリース、全米113位。

 

 

11月、アルバム 『流れ者の物語』(Boomer's Story)をリリース。

 

 

1974年5月、アルバム『パラダイス・アンド・ランチ』(Paradise And Lunch)をリリース、全米167位。

 

 

 

1976年10月、アルバム『チキン・スキン・ミュージック』(Chicken Skin Music)をリリース、全米177位。

 


1978年春、待望の来日公演(単独ライヴ)が、虎ノ門・久保講堂他で行われる。

同年、ワーナー・ブラザーズ(Warner Bros.)に移籍。

6月、アルバム『ジャズ』(Jazz)をWarner Bros.からリリース。オーストラリアのチャートで68位にランクインした。

 

 

1979年8月、アルバム『バップ・ドロップ・デラックス』(Bop Till You Drop)をリリース。メジャー・レーベルから発売されたポップ・レコードとしては初めてデジタル・レコーディングにより制作された作品として知られ、3M製の32トラック・レコーダーが使用された。全米62位になった他、オーストラリアとニュージーランドで7位、ノルウェーで10位に入った。

 

 


同年秋、スライド・ギター演奏とワールドミュージックに造詣の深いデヴィッド・リンドレー(David Lindley/1944年3月21日~)と組み、再来日公演を行う。ライ・クーダーと共通点の多いリンドレーとは、1984年の映画『パリ、テキサス』のサウンドトラックでも共演。以後も1990年、1995年と再度来日公演を行うなど、度々共演を重ねている。

 

 

1980年6月、映画『ロング・ライダーズ』(The Long Riders)のサウンドトラックアルバムをWarner Bros.からリリース。以降は映画音楽を多く手掛けるようになる。

6月21日、この日発売された喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』に参加。

10月、アルバム『ボーダーライン』(Borderline)をリリース、オーストラリア43位。

 

 

1981年、映画『サザン・コンフォート』(Southern Comfort)のサントラ盤を制作。

 

 

1982年、映画『ボーダー』(The Border)のサントラ盤を制作。

4月、アルバム『スライド・エリア』(The Slide Area)をリリース。

 

 

1984年2月、ヴィム・ヴェンダース監督映画『パリ、テキサス』(Paris, Texas)のサントラ盤を制作、デヴィッド・リンドレーと共演した。

 

同年、映画『ストリート・オブ・ファイヤー』(Streets of Fire)のサントラ盤を制作。

 

 

1985年8月、映画『アラモベイ』(Alamo Bay)のサントラ盤を制作。
同年、映画『マイナー・ブラザーズ 史上最大の賭け』(Brewster's Millions)のサントラ盤を制作。

 

 

1986年7月、ロバート・ジョンソンを題材にした映画『クロスロード』(Crossroads)のサントラ盤をRepriseからリリース。

 

7月、映画『ブルー・シティ 非情の街』(Blue City)のサントラ盤を制作。

 

 

1987年11月、アルバム『ゲット・リズム』(Get Rhythm)をリリース、オーストラリア29位。エルヴィス・プレスリーの"All Shook Up"をカヴァー。収録曲"Goin' Back To Okinawa"では沖縄民謡風の音階やフレーズにも挑戦。本作を最後に自己名義のスタジオ・アルバム制作からはしばらく遠ざかることとなった。

 

 

 

 

1988年、日本でサントリーのバーボン「アーリー・タイムズ」CMに出演、CMソングも手掛けた。

 

同年、トム・クルーズ主演映画『カクテル』(Cocktail)のサントラ盤に"All Shook Up"を提供。

 


1991年、ライは、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナー、ニック・ロウとともに「リトル・ヴィレッジ」(Little Village)を結成。

 

 

1992年、1stアルバム『リトル・ヴィレッジ』(Little Village)をリリースし、ツアーも行った。

 


1993年には、インドのミュージシャンV・M・バットとの共演作『ア・ミーティング・バイ・ザ・リヴァー』(A Meeting by the River)を発表し、同アルバムで第36回グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した。

 

 

1994年にはマリのブルーズマンと称される、アリ・ファルカ・トゥーレとの共演作『トーキング・ティンブクトゥ』(Talking Timbuktu)を発表し、第37回グラミー賞において最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した。

 


1996年、ライはキューバに赴き、エリアデス・オチョア、コンパイ・セグンドといった当地のミュージシャンたちとアルバムのレコーディングを行う。

 

 

1997年9月16日、キューバでのセッションの成果として、アルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(Buena Vista Social Club)をリリース。同作は、1997年の第40回グラミー賞において最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞するなど、欧米を中心に高い評価を受けた。

 

 

 

1999年、ヴィム・ヴェンダース監督による同名映画『Buena Vista Social Club』も封切られている。


2003年、キューバ人ギタリストのマヌエル・ガルバンと連名のアルバム『マンボ・シヌエンド』(Mambo Sinuendo)を発表、同作は第46回グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受章した。

 

 

2005年5月、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人コミュニティーを題材としたコンセプト・アルバム『チャヴェス・ラヴィーン』(Chávez Ravine)を発表。

 

 

2007年3月、カリフォルニア三部作の第二弾アルバム『マイ・ネーム・イズ・バディ』(My Name Is Buddy)をリリース、前作同様ストーリー性を持ったアルバムで、全英41位・全米168位。

 

 

 

2008年6月、カリフォルニア三部作の第三弾アルバム『アイ・フラットヘッド』(I, Flathead)をリリース。第51回グラミー賞において最優秀コンテンポラリー・フォーク/アメリカーナ賞にノミネートされた。

 


2009年、リトル・ヴィレッジ以来17年ぶりにニック・ロウと組みツアーを行った。

11月、同ユニットで日本公演も行っている。

 

 

2010年3月9日、アイルランドの伝統音楽グループ「ザ・チーフタンズ」(The Chieftains)との共作アルバム『サン・パトリシオ』(San Patricio [Hear Music])をリリース。

 

 

2011年8月30日、アルバム『プル・アップ・サム・ダスト・アンド・シット・ダウン』(Pull Up Some Dust and Sit Down)をNonesuchからリリース。全米123位、米誌『ビルボード』の「フォークアルバム」チャートで5位、ノルウェー9位、スウェーデン12位、アイルランド18位、ベルギー21位、ドイツ24位、イギリス26位など、各国でチャート入りするヒットアルバムとなった。

 

 

 

 

2012年8月16日、アルバム『エレクション・スペシャル』(Election Special)をリリース、全米164位、ノルウェー9位、スウェーデン24位、スコットランド25位、ドイツ28位、イギリス41位になった。

 

 

2018年5月11日、アルバム 『ザ・プロディガル・サン』(The Prodigal Son)をFantasyからリリース。

 

 

 

2022年4月22日、タジ・マハールと半世紀以上ぶりに共演したアルバム『Get On Board』を連名でリリース予定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ライ・クーダー」「Ry Cooder」