私は冷たい人間 | 井上通訳サービスのブログ

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母の部屋に、祖父母その他の人から来た古い手紙が入っている箱があった。

 

祖母からの手紙は、入院中に病院から書いてきたもので、母が贈り物を送ってくれたことにとても感謝していた。

 

末娘の叔母さんを一番かわいがっていた祖母だが、やっと叔母が東京からきたものの、何も言葉を掛けずとても冷たかったと書いてあった。

 

叔母さんは祖父がもうすぐ目を落とすという直前に怖くなって東京へ戻ってしまったという過去もある。

 

私は自分が叔母さんと同じように冷たい人間ではないかと気が付いた。

 

便失禁や尿失禁で母がトイレを汚すと、汚いとか気持ち悪いとか臭いとか母に文句を言って、腹を立てながら私は掃除をする。

 

母が夜さみしいと言うと、その気持ちには一切同情せず、(介護で)疲れたもう勘弁して。休ませて。眠い。と言って自分のことしか考えなかった。

 

母の親たちはもちろん、兄弟も姉ももういない。交流のあった友達もいない。

 

さみしいというのは本当だ。

 

私は、今まで強くて頼りがいのあった母が認知症になって、寝たきりになって、失禁をするようになり、同じことを何度も言うようになり、頼っていた大木を失った。

 

逆にあたかも母を毎日おぶっているかのような介護の重荷が発生し、重くてつらくてたまらなくなった。

 

母がいつも何でも決断しリーダーシップを発揮し、私は従うだけで良かったのが、私が判断しなければならなくなった。

 

私は果たして母に思いやりがあるだろうかと考えれば全然ないように思う。

 

とにかく、失禁をしても、何か面倒を掛けて来られても、冷たいことを言うのは止める。

 

私は本来冷たい、自己中心の人間なのだと思うが、それでも、なけなしの温かさを自分から絞り出して、母になるべく温かい言動をしようと思う。

 

そうしないと、母が可哀そう過ぎるから。