石山寺から三井寺(みいでら)へ移動します。

 

石山寺を出て、ちょうど来た路線バス(!最高!)に乗り、京阪石山寺駅へ。

↑京阪石山寺駅。
大河ドラマに合わせてかな?紫色の駅。
電車もラッピング。つり革も赤紫だった。
 

京阪石山寺駅から 石山坂本線で17分、三井寺駅 下車。

 

徒歩で三井寺に向かう途中に、

 

↑琵琶湖疎水だ!

 

これの名前としくみが分からない…と思ったら、YOUTUBEがあった。

『澄都くんとたどる琵琶湖疎水の旅』(京都市上下水道公式チャンネル)

30分くらいあったので2倍速で再生。

 

琵琶湖第一疎水の大津閘門(こうもん)。でした。

 

閘門とは舟を通すために水位を上げ下げする設備のようです。

 

数少ない海外旅行のうちスコットランドのネス湖の近くのカレドニア運河のところで見たやつだ。

閘門=Lock

 

 

このとなりに『びわ湖疎水船 三井寺 上下船場』がありました。

疎水船は2018年に67年ぶりに復活したそうです。

運航は3~6月・10~11月なんですね。

帰り道で、疎水船のりばから出てきた人たちを見ましたが満足げでした。

いいなー。

 

↑桜の時期はにぎわうらしい。

 

船がありました。(船=海用・舟=川用だと思ってたけど船なのね)

トンネル、狭くて暗くてちょっと怖そう。

 

↑第一トンネル。
扁額の、伊藤博文 揮毫の『気象萬千』
(きしょうばんせん:さまざまに変化する風光はすばらしい)

…は、読めないな。

アザミがたくさん咲いていてきれいでした。小さくてよく映ってないですね。

 

↑琵琶湖、やっと見れた!
ヨット?白い帆がたくさんみえました。
三井寺の観音堂の観月舞台から。

 

 

↑琵琶湖から唯一流れ出る『瀬田川』。
 
Sさん(母のともだち 76歳)の『百寺巡礼』(五木寛之の本にある100寺の御朱印をコンプリートする)の旅に、
また行ってきました。
今回で何回目の参加かな?
今回は近畿地方ということで、公共交通機関が潤沢にあるエリアなので旅の予定はざっくり立てればよく、その点はとても楽ちん!(…でもないエリアもちょっとあったが)
 
今回のファースト寺は滋賀県大津市の『石山寺』。
現在の大河ドラマの紫式部ゆかりということで、観光客も多く、街の「さあ来い!」という気合も感じました。

わたしは『光る君へ』見てないのですが。恋愛ドラマは苦手で。

 

東京から新幹線で米原まで行き、山陽本線にのりかえて石山駅へ。

路線バスで石山寺山門前の停留所で降りたらすぐです。

 

 

↑東大門。お客さんいっぱい。お香の香りが漂ってました。

 

 

↑青いもみじが爽やかな、長い参道

 

 

↑紅葉の時期はさぞ華やかでは。

 

↑手水舎の下に、ちょっとびっくりするサイズの巨大な錦鯉が!

 

 

↑石山寺の境内。お客さんいっぱい。

 

 

↑石山寺の石山たる所以の、大きな珪灰石(石灰岩が花崗岩の熱作用を受けて変性)。

この状態に盛り上がっているのが珍しいそう。天然記念物。

上に見えているのは多宝塔。

 

↑多宝塔を上からみたところ。日本最古の1194 建立とのこと。

源頼朝が寄進したそうで『雄塔』とも。

(北条政子が寄進した高野山の金剛三昧院の多宝塔は『雌塔』と)

東寺真言宗大本山で密教寺院なので、「つなぎ目がこんもりした半円形」。

 

ん?密教だと時代が?と思ったら。

 

石山寺の創建時の747年は奈良時代で、東大寺を作った良弁(ろうべん)が石山寺も作ったそう。

(東大寺の大仏に使う黄金が足りない→夢告げで良弁が石山に来て如意輪観音像(聖徳太子念除仏)を岩の上に置き祈願→陸奥の国で金鉱脈が発見された という伝説があるそう)

良弁は華厳宗の僧なので石山寺も創建時は華厳宗だった。

それが平安時代になって東寺真言宗=密教寺院になったのだそうです。

なぜかははっきりわからないみたいですが真言宗の醍醐寺(京都府伏見 874年創建)と関連あるようだとのこと。

 

写真忘れましたが本堂(国宝)は懸造り。

本尊は如意輪観世音菩薩で日本で唯一の勅封の秘仏で、4体の胎内仏があり、

うち1体は聖徳太子から伝わったものとか。

 

本堂につながった源氏の間は紫式部が参籠して源氏物語を起筆した場所だそうで、

紫式部の等身大人形が書き物をしているようすで飾られていましたよ。

みなさん写真撮っておられました。

 

『源氏物語』は現在は、学校でも勉強するすばらしい書物ですが、鎌倉時代には人の愛欲を書いた小説は罪悪と言われたりした、と五木寛之の『百寺巡礼』にありました。

それが、「紫式部は(フィクションを書き人々を惑わせた罪で)地獄へ落ちたが石山寺の観音が救済した」という物語に発展し、さらに「フィクションを書く文人たちがたくさん来たのでは…」とのことでした。

時代時代の常識とか感覚ってあまり書かれないのでふだん知らないですが、わかるとおもしろいですね。

 

写真忘れましたが、『蓮如堂』も。

浄土真宗の中興の祖 蓮如(1415-1499)のお母さんは正妻に追われて蓮如6歳の時にいなくなったそう。

そのときに絵師に描かせた鹿子の小袖を着た6歳の蓮如の姿絵(鹿子の御影)と、蓮如の遺品の鹿子の小袖が祀られているそうです。

蓮如のお父さん(存如)にはどういう事情があったのか。ぐぐう。

 

↑くぐり岩。参道にありました。

ちょっと入ってみたくなるよね!とみんなでくぐりました。楽しい!

 

後から『願い事が叶うパワースポット』とされていると知ってちょっともやっとする。

願い事って…。世界平和かな。

現世利益と仏教の関係がいまいち分からない。

 

 

↑門前には琵琶湖で採れる魚介類料理の食事処があちこちに。

『湖舟』のしじみ釜めし。

 

母たちはうなぎを食べていましたが、皮がぱりっと香ばしい!ウマイ!

おどろいてたら、「関西やからうなぎ蒸さないからよ~」とSさん。

関西風のうなぎ、おいしい!(写真はない)
 

 

↑『湖舟』にはニゴロブナのふなずしも!

ニゴロブナは琵琶湖固有亜種。食べていいなんてたのしい。

でこの旅行中どこかで食べてみようとしたけど、あまりにも「わたしは苦手!!!」という人が多いので(居酒屋のお兄さんさえ)、怖気づいてついに食べずじまい。

 

 

※勉強不足で不正確な記述があれば申し訳ありません。

参考:五木寛之『百寺巡礼』第4巻 滋賀・東海/ 石山寺公式HP 

 

 

 

 

旅行前の予習メモ(五木寛之 百寺巡礼)


粉河寺(こかわでら 和歌山県紀の川市):

有吉佐和子『紀ノ川』昼食を食べる場面あり/梅茶(抹茶に梅)/参道の右側に川=長屋川=粉河「粉をすっていれたような」白い川だった/高野山に次ぐ大勢力(鎌倉時代が全盛期 僧侶数千人 僧坊550)→秀吉の紀州攻め(根来衆:粉河寺近くの根来寺の僧兵を中心とした軍事集団 鉄砲隊)で全山焼失 ちなみに織田信長は石山本願寺(現在の大阪城本丸の場所)の雑賀衆(紀ノ川の下流域に住む農民漁民で優れた水軍・鉄砲隊で本願寺を助けた)を攻めた→紀州藩主に徳川頼宣が封じられその援助で天英という僧が再興→徳川吉宗(8代将軍)も紀州藩主時代に援助/『風猛山』ふうもうざん かつては「かざらぎさん」昔は葛城山に近い山中にあったので「かつらぎ」がなまったのでは?/奈良時代後期770創建、1200年前/狩人の大伴孔子古(おおとものくじこ)が谷間に光を発する場所を見つけ庵を結ぶ→少年(=童男行者=観音の化身)が現れ7日間こもって千手観音を作って去る→くじこ猟師をやめ仏教に帰依/河内の長者の娘が病気のところへ童男行者が来て千寿陀羅尼経を唱えて治し、お礼に紅の袴と下げ鞘を受け取り「住まいは粉河」といい立ち去る→長者が粉河にお礼参りに行くと庵に安置された千手観音の手に紅の袴と下げ鞘が→長者は大きな本堂を建立し長者の一族はみな出家して粉河寺の別当になった/平安時代から現世利益的な霊験あらたかな観音様の寺として人気/弥勒信仰もあった/本殿はでかい 入母屋造りを上下に重ねたよう 屋根の傾斜がとてもきつい/本当の本尊は5㎝で本尊の千手千眼観音菩薩の厨子の下に作られている光明井という井戸の深くに安置/いろいろな仏像あり/六角堂に西国三十三所すべての札所の本尊の観音像がおかれている/「粉河産土神社」旧粉河村の総鎮守であり粉河寺内の鎮守 郷土の祖神、丹生都比売命(にうつひめのみこと)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)/『粉河寺縁起』国宝で京都国立博物館で保管 平安末期/本堂再建中に発掘された観音像の頭部 鎌倉 十一面千手千眼観音菩薩だったかも 



高野山金剛峰寺:和歌山県伊都郡高野町:標高約850m

空海(弘法大師)高野山真言宗の総本山816年 根本道場/52の宿坊/明治5(1872)まで女人禁制。空海の母も入れず九度山の慈尊院にとどまり空海が会いに行った。奈良の室生寺は女人高野とも呼ばれる/8つの峰に囲まれた盆地(東西5km)=八葉蓮華/役場や学校や商店がある町/密教における曼荼羅世界を築こうとした/中心は壇上伽藍 (大塔(根本大塔:多宝塔の様式:派手で50mあり大きい:創建時は日本最古だったが何度も焼失、現在は1937の鉄筋コンクリート:巨大な胎蔵界大日如来と周囲に金剛界の4仏)・西塔(真ん中が丸く膨らんだ多宝塔の様式:インドの『南天の鉄塔』にちなむ:龍猛(りゅうみょう)菩薩が南インドの鉄塔の門を破ってその中に秘められていた密教経典を得た伝説:北条政子が寄進「雌塔」)・金堂・御影堂(もと空海の持仏堂、のち空海自身の御影が祀られる)・不動堂・山王院(壇上明神社の拝殿・鳥居・御社=狩場明神と丹生明神+気比明神+厳島明神)・女人堂など)/高野山は空海以前にすでに山岳信仰の聖地・祖霊が宿る霊山だった。空海はまず最初に鎮守神を祀る御社を建立した。在来の信仰と新しい仏教がうまく融合した例/20万基の墓『日本の総菩提所』奥の院へ向かう参道の両側が墓原 宗派を限定しない 高野山の古い信仰に『山中他界の信仰』山は先祖の魂が集合する場という考え/高野聖(こうやひじり):全国を勧進して歩き高野山への納骨を人々にすすめた/空海=お大師さん 庶民信仰の中に生きた人/『無明の橋』空海の御廟へ渡る3つの橋の最後 これを渡ると浄土へ渡れる+自分の罪や汚れが取れる/御廟の拝殿は燈籠堂/853空海は入滅(死ぬ)際、高野山中で断食修行をし即身成仏をめざす 結跏趺坐の姿で入定。/真言密教の究極の理想は①この世を大日如来の悟りが満ち溢れる密厳浄土と化すこと②それぞれの人間が即身成仏すること/即身成仏は生きながら仏になることで死ぬことではない/空海はいまも生き続けて永遠の禅定(瞑想状態)に入り人々を見守っている=入定伝説/高野山では神社と寺院が千数百年にわたり共存 山王院の神式の行事を行うのは高野山の僧侶(装束は僧衣から神式に変え、神前では柏手を打つ)/四国のお遍路=「大師信仰」「同行二人」は弘法大師はつねにみんなと共にあるという信仰/空海は朝廷から京都の東寺を賜る 東寺⇔高野山 



【2日目】

8:19大津駅発 JR東海道山陽本線 姫路行 新快速35分 新大阪駅-御堂筋線-なんば駅

‐南海なんば駅 南海高野線 特急こうや -橋本駅-JR和歌山線 和歌山行 30m’-粉河駅-タクシー5分 粉河寺

※茶屋でお昼ごはん

-徒歩18m’-13:27粉河駅発 JR和歌山線30m’- 橋本駅のりかえ 14:07発 南海高野線 各停43m’ 14:50極楽橋駅着のりかえ

-14:55ケーブルカー5m’ 15:00高野山駅着 徒歩すぐ- 高野山駅前停留所 バス一の橋口経由奥の院前行 9m’ 15:14高野警察前停留所-徒歩3分 高野山金剛峰寺