↑琵琶湖から唯一流れ出る『瀬田川』。
Sさん(母のともだち 76歳)の『百寺巡礼』(五木寛之の本にある100寺の御朱印をコンプリートする)の旅に、
また行ってきました。
今回で何回目の参加かな?
今回は近畿地方ということで、公共交通機関が潤沢にあるエリアなので旅の予定はざっくり立てればよく、その点はとても楽ちん!(…でもないエリアもちょっとあったが)
今回のファースト寺は滋賀県大津市の『石山寺』。
現在の大河ドラマの紫式部ゆかりということで、観光客も多く、街の「さあ来い!」という気合も感じました。
わたしは『光る君へ』見てないのですが。恋愛ドラマは苦手で。
東京から新幹線で米原まで行き、山陽本線にのりかえて石山駅へ。
路線バスで石山寺山門前の停留所で降りたらすぐです。
↑東大門。お客さんいっぱい。お香の香りが漂ってました。
↑青いもみじが爽やかな、長い参道
↑紅葉の時期はさぞ華やかでは。
↑手水舎の下に、ちょっとびっくりするサイズの巨大な錦鯉が!
↑石山寺の境内。お客さんいっぱい。
↑石山寺の石山たる所以の、大きな珪灰石(石灰岩が花崗岩の熱作用を受けて変性)。
この状態に盛り上がっているのが珍しいそう。天然記念物。
上に見えているのは多宝塔。
↑多宝塔を上からみたところ。日本最古の1194 建立とのこと。
源頼朝が寄進したそうで『雄塔』とも。
(北条政子が寄進した高野山の金剛三昧院の多宝塔は『雌塔』と)
東寺真言宗大本山で密教寺院なので、「つなぎ目がこんもりした半円形」。
ん?密教だと時代が?と思ったら。
石山寺の創建時の747年は奈良時代で、東大寺を作った良弁(ろうべん)が石山寺も作ったそう。
(東大寺の大仏に使う黄金が足りない→夢告げで良弁が石山に来て如意輪観音像(聖徳太子念除仏)を岩の上に置き祈願→陸奥の国で金鉱脈が発見された という伝説があるそう)
良弁は華厳宗の僧なので石山寺も創建時は華厳宗だった。
それが平安時代になって東寺真言宗=密教寺院になったのだそうです。
なぜかははっきりわからないみたいですが真言宗の醍醐寺(京都府伏見 874年創建)と関連あるようだとのこと。
…
写真忘れましたが本堂(国宝)は懸造り。
本尊は如意輪観世音菩薩で日本で唯一の勅封の秘仏で、4体の胎内仏があり、
うち1体は聖徳太子から伝わったものとか。
本堂につながった源氏の間は紫式部が参籠して源氏物語を起筆した場所だそうで、
紫式部の等身大人形が書き物をしているようすで飾られていましたよ。
みなさん写真撮っておられました。
『源氏物語』は現在は、学校でも勉強するすばらしい書物ですが、鎌倉時代には人の愛欲を書いた小説は罪悪と言われたりした、と五木寛之の『百寺巡礼』にありました。
それが、「紫式部は(フィクションを書き人々を惑わせた罪で)地獄へ落ちたが石山寺の観音が救済した」という物語に発展し、さらに「フィクションを書く文人たちがたくさん来たのでは…」とのことでした。
時代時代の常識とか感覚ってあまり書かれないのでふだん知らないですが、わかるとおもしろいですね。
…
写真忘れましたが、『蓮如堂』も。
浄土真宗の中興の祖 蓮如(1415-1499)のお母さんは正妻に追われて蓮如6歳の時にいなくなったそう。
そのときに絵師に描かせた鹿子の小袖を着た6歳の蓮如の姿絵(鹿子の御影)と、蓮如の遺品の鹿子の小袖が祀られているそうです。
蓮如のお父さん(存如)にはどういう事情があったのか。ぐぐう。
…
↑くぐり岩。参道にありました。
ちょっと入ってみたくなるよね!とみんなでくぐりました。楽しい!
後から『願い事が叶うパワースポット』とされていると知ってちょっともやっとする。
願い事って…。世界平和かな。
現世利益と仏教の関係がいまいち分からない。
↑門前には琵琶湖で採れる魚介類料理の食事処があちこちに。
『湖舟』のしじみ釜めし。
母たちはうなぎを食べていましたが、皮がぱりっと香ばしい!ウマイ!
おどろいてたら、「関西やからうなぎ蒸さないからよ~」とSさん。
関西風のうなぎ、おいしい!(写真はない)
↑『湖舟』にはニゴロブナのふなずしも!
ニゴロブナは琵琶湖固有亜種。食べていいなんてたのしい。
でこの旅行中どこかで食べてみようとしたけど、あまりにも「わたしは苦手!!!」という人が多いので(居酒屋のお兄さんさえ)、怖気づいてついに食べずじまい。
※勉強不足で不正確な記述があれば申し訳ありません。
参考:五木寛之『百寺巡礼』第4巻 滋賀・東海/ 石山寺公式HP