関心領域 | inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

HPでの『ごくらく映画館』(2003)からYahooブログの『Ⅱ』を経て今回『Ⅲ』を開設しました。気ままな映画感想のブログです。よかったら覗いてみてください。

 先般の某映画誌に「映画の予習にもの申す」なるタイトルのコラムがあった。「最近の映画には事前の予習的な知識を必要とするものが多い。そうしないと映画がわからなくなる」という趣旨の一文である。主な要旨は『オッペンハイマー』における「予習」の必要性。入り組んだ時制、多くの出来事や人間関係など、前もって知っておかないと映画に理解が及ばない、というものである。その最たるものは、主人公が開発に関与した原子爆弾による想定以上の惨禍を描かない映画のあり方にあるのではないか。そのことは世界中のだれもが知ることであり、いまさら映画で描くまでもない 、ということだろう。それはそうかもしれない、だが映画として果たしてそれでいいのだろうか。
 
 本作「関心領域」は、アウシュビッツに壁一つ隔てて隣接した土地に住むナチス軍人一家の物語である。描かれるのはその一家の生活ぶり。実に優雅に、楽しく心地よく人々は暮らしている。壁の向こう側で何が行わていたかは一切映画は語らない。時折壁の向こうから何かがはじけるような音(銃声?)が聞こえ、建物の煙突には黒い煙が漂っている。だが人々はそんなことにはまるで関心がないように暮らしている。大人も子供も隣人たちも、そして映画を見る我々も。壁の向こうの出来事を知らなければ、である。だが私たちはそのことを知っている。わざわざ予習する必要もない。だがそれも、「アウシュビッツに隣接した土地に住むナチス軍人一家の物語」という予備知識があってのことだ。なのに映画は、そのことすら提示しないのである。だからもしも、もしもだが、アウシュビッツのことや映画の設定やそのほか、まったくまっさらな状態でこの映画を見たとしたら、この映画が訴えようとする恐ろしい状況を観客は理解できただろうかと、あらぬ疑問が沸き上がってしまう。それは、すぐ隣で起こっている悲惨

な出来ごとにまったく無関心でいることの恐ろしさ、それは、ウクライナやガザでの惨状を、遠い国での出来事として無関心でいることも同様だ。

 この映画が訴えようとすることの意義は大きい。その制作意図や問題意識は大きく評価すべきだろう。だが単純に映画として面白いかどうかと聞かれたら、残念ながら否と答えたい。肝心なことは語らず、それは誰もが「予習」できているはずとしてあえて描かない映画のあり方。『オッペンハイマー』と同じ傾向がここにも見えてくる。映画がエンタテイメントである以上、できるならわかりやすく面白く、そのうえでしっかりとした主張があれば何よりと思うのは、いまや時代遅れなのか。冒頭に示したコラムの文末に「映画は多様な層の観客にとって広く開かれるべき方向性が望ましい」とあった。筆者もそう思う。
                                                                                                                                  2024.6