inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

HPでの『ごくらく映画館』(2003)からYahooブログの『Ⅱ』を経て今回『Ⅲ』を開設しました。気ままな映画感想のブログです。よかったら覗いてみてください。

 昨夜、『二宮和也が選んだ人生の一本を一夜限りで特別上映』と謳ったシークレットシネマ上映会なる催しが日比谷のTOHOシネマズで開催され、上映前のトークショーを含むその模様が全国のTOHOシネマズで同時生中継されたという。幕があくまでタイトルは「秘密」ということで、いったいどんな映画が上映されるのか大いに興味を惹くところでもあった。例えば自身の出演作『硫黄島からの手紙』とか『母と暮らせば』『ラーゲリより愛を込めて』などだろうか、まさか『8番出口』はないだろうなどと勝手に予想して面白がっていたのだが、当日上映されたのは、なんと2023年の劇団ヨーロッパ企画『リバー、流れないでよ』だった。なんとまあ意表を突いた選出、渋いというかさすがというか、二宮氏の映画センスが光る一本だったといえましょう。この映画、手前味噌ながらその年のマイベストテンで第8位。公開時おおむね不評の目立つ作品だったが、あの傑作『サマータイムマシン・ブルース』のヨーロッパ企画らしい遊び心満載の快作だったと思う。まさに我が意を得たりの二宮氏の名チョイスに大拍手を送りたい。蛇足ではありますが、ここにマイベスト選出時のコメントを再録いたします。
                                                                                                        2026.6

再録 
2023年マイベストテン日本映画(抜粋)

第8位 リバー、流れないでよ
 タイムトラベル映画の傑作『サマータイムマシン・ブルース』や『ドロステのはてで僕ら』など、時折とんでもない傑作を生みだしてきた演劇集団ヨーロッパ企画がまたまた放つトンデモ企画。突然タイムリープに巻き込まれた京都貴船老舗旅館の面々。想定外の出来事に右往左往する人々のあれやこれやの騒動が目まぐるしく展開する。ネタバレ覚悟で言ってしまえば、これまたどこからか出現したタイムマシンの誤作動によるはた迷惑な出来事だったというオチまで、先の読めない面白さが続く。気楽に映画を楽しむ分にはうってつけの快作だ。
       

                                                                                                         2024.1

 このタイトル、あの有名な童話『星の王子さま』からの引用だという。その童話に「絵にかいた羊は本当の羊ではなく、箱の中にいる羊こそが本当の羊なのだ」という一節があるという。「本当に大切なものは目に見えない」という意味のようだ。本編中に、絵本のその部分を事故死した子供に似せたアンドロイドの少年に母が読み聞かせる場面がある。しかしアンドロイドの少年は、その意味を理解できない。童話『星の王子さま』に詳しくない筆者のような凡庸な観客もまた、その意味するところを理解できない。少なくとも、この時点では。
  
 難解な映画である。『そして父になる』や『海街diary』など、家族の絆に拘り続けてきた是枝監督、本作では事故で亡くなった一人息子の代わりにその子をそっくり模倣したアンドロイドの少年を迎え入れる両親の姿を追ってゆく。人間の血の通わない(または人の心を持たないと言い換えても良いかもしれない)ロボットの少年は、果たして家族として融合できるのか。そのロボットの中に子息の魂は存在し得るのか。どんなに同じ姿かたちをし、同じ記憶を持ち、同じ声で話したとしても、その内にある本当に大切な見えないものはそこにあるのだろうか。

 家族の形に拘り続けて来た是枝監督である。映画中盤までは、実に優しく温かく彼らを見つめる作者の目がある。我々観客もまた、この父母とアンドロイドの少年がいつかきっと本当の家族になってゆくのだろうという期待をもって彼らを見守る事になる。だが、映画の中にはどこか不穏な空気感が終始つきまとい、そしてその期待は見事に裏切られる。映画終盤には予想外の実にシュールな展開が待っているのである。

 是枝監督がこの映画で描きたかったものは、失われた家族の再生ではなく、一人息子を死なせたことへの悔恨と自分への罪の意識に囚われ続けて生きてきた夫妻が、息子の姿をしたアンドロイドの少年との触れ合いを通して、あえて目を向けようとはしなかった真実と向き合い、本当に大切なものは何かに気づいてゆく姿。その贖罪と再出発の物語ではなかったかと思う。賛否両論ある映画の結末にはいささかの戸惑いを感じることも確かだが、人を見つめる作者の目はどこまでも冷徹であり、そして甘えることもなく、しかし決して突き放すこともない、静謐で真摯だ。あえて観客に迎合しない作者の矜持がそこにある。

 

                       2026.6

 

 不思議な映画である。その不思議さには二つの意味がある。ひとつは映画の不思議な展開。全3章からなる構成だが第3章から始まり、2章、1章と時制を遡って描かれてゆく。その三つの章はどう繋がっていくのか。2章、1章はともかくとして、初めの第3章だけが物語としての繋がりがほとんどないように見えるのである。そしてもう一つの不思議は、そんな不可思議な展開なのに、なぜか引き込まれてしまう映画の魅力にある。この心地よさ、鮮やかなこの快感はどこから来るのだろう。

 映画開巻の第3章では世界の終末が描かれる。地球上のいたるところで天変地異が始まり、最後には夜空に輝く星たちまでもが消滅してゆく。その背景には、「素晴らしい39年間。ありがとうチャック」と書かれた看板が街中のいたるところに掲げられているのだ。いったいこれは何なのか。そんな疑問をよそに第2章、商用でとある街を訪れたチャックが、路上でドラムを打つストリートミュージシャンの少女の演奏にふと足を止め、そのリズムに乗って突然踊りだす。そのダンスは、恋人と別れ失意のどん底にあった見物の女性を巻き込み、ペア・ダンスとなって素晴らしいパフォーマンスを展開する。この躍動感、この多幸感。ジーン・ケリーの『雨に唄えば』に代表される往年のハリウッド・ミュージカル、近年なら『ラ・ラ・ランド』をも思わせる素晴らしいシーンだ。この後、ドラムの少女は集まった投げ銭をダンスの二人に分けて別れ、その場を去るチャックの脇を、前章では別れた元妻のもとに急ぐ黒人教師の横を滑り抜けていったローラースケートの少女がすり抜けてゆく。そしてその数日後に、チャックは死の床につく。

 そして第1章。本作では最もドラマチックな部分といえるだろう。すべての謎を解き明かす章でもある。ここではチャックの幼少期から少年期が描かれる。幼くして両親と死別したチャック少年は祖父母のもとで成長する。教室でホイットマンの詩を読み聞かせる女性の教師は、詩の意味を問うチャックに、『あなたの頭の中には無数の自分が存在し、無限の宇宙がそこにある。その世界はあなたと共にある』と言い聞かせる。そういえば第3章の黒人教師も教室で詩を朗読していた。ホイットマンの詩だったかどうかは定かでない。チャックのダンスの才能に気づいたダンス部顧問の先生は、先輩のダンス少女とのペア・ダンスを薦める。そして学園祭のプロムの日、彼女とチャック少年は素晴らしいダンス・パフォーマンスを展開するのである。数年後、成長したチャック少年は、生前祖父が密閉していた屋根裏部屋で、死の床につく自分自身の姿を見る。映画はここで終わる。これもまた不思議な光景だ。

 こうしてみてくると、第3章の意味がうっすらと見えてくる。チャックの死とともに世界が消滅する。人は死ねば、その人の世界はそこで終わる。その章での世界の消滅は、チャックの脳内世界の終わりのメタファーだったのか。閉ざされた屋根裏部屋で自身の死の床を見る青年期のチャックを演じたのは、あの『ルーム』での幽閉された部屋で生まれ育った少年を演じたジェイコブ・トレンブレイだ。本作とは何ら関係はないのだが、何が妙な因縁を思うのは私だけだろうか。そんなところにもまた映画の不思議を感じる。そんな不思議な、魔力のようなものさえ思わされるような、深遠な魅力に満ちた映画なのである。

 

                       2026/5

『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの社会派ケン・ローチが自ら最後の作品だとする本作、さすがその名に恥じないこれまた傑作といえるだろう。本作を含め英国北東部を舞台とする3部作の最終章だという。あとの一作は2019年の『家族を想うとき』だが、筆者公開時に確かに見ているが不覚にも何故かあまり印象に残っていない。

 前作では、社会に取り残された一人暮らしの老人と、幼い二人の子供を抱えながら職がなくその日に食べるものさえない若いシングルマザー親子との触れあいを描いて、こんな社会でいいのかと振り絞るような怒りと悲しみ、そしてそれでも毅然と生きてとゆこうとする人の尊厳を訴えて、重く心に残る映画だった。そして今作。

 イングランド北東部のさびれた村。かつては炭鉱で賑わい栄えた村だったが、その廃坑とともに人口は減り、今は地元に根差した僅かな人々だけが暮らしている。そんな場所に目を付けたのが他国からの難民の受け入れ先を探す政府の管理局だ。その村に送り込まれたシリアからの難民たち。古くからその地に暮らす人々との共存は可能なのか。地元の人々の中には、新たに侵入してきた「よそ者」を排斥しようとする空気が広がってゆく。

 どうしたら人は解かり合い共に生きていけるのだろう。世界中のあちこちで××ファーストなる言葉がもてはやされる昨今、この映画が提示する難題は、排外主義を掲げる政党が選挙で大勝するこの国でも他人事とは言えないだろう。ここで映画が訴えるのは、そうした排他主義に対する反論だ。英語とアラビア語で"強さ、連帯、抵抗"と書かれた旗を掲げて行進するラストシーンにその強い意志が現れている。

 どうにもならない悲惨な現実を見据えて終わる『わたしは、ダニエル・ブレイク』とは反対に、微かな希望を見出して終わる本作。英国人の主人公がアラビア語で言う「ありがとう」の言葉に、最後の自作に籠めた作者の願いが滲みでる。ケン・ローチ89歳映画監督、社会を見つめるその目の厳しさの中にも、そっと滲み出る優しさに敬意をもって応えたい。「シュクラン」(ありがとう)と。
 

                        2026.4

 古典落語の人情噺を聞くような、華やかな中にも粋な味わいのある映画だ。開巻早々、江戸木挽町の歌舞伎小屋前の空き地で派手なあだ討ちが展開する。片や見るからに遊び人風の不逞な輩、片やそれを父の仇と見定めあだ討ちを挑む若侍。どう見ても仇敵のほうが強そうだが、悪戦苦闘の末若侍はみごと相手を打ち取ってその首を取る。この二人が対峙するそのきっかけはといえば、歌舞伎の興行が終演した小屋前の雑踏で、小綺麗な町娘にその遊び人が声をかけたことから始まる。逃げる町娘を追いかけてその帯を引きほどくと、纏っていた着物が宙に舞い中から白装束のきりりとしあだ討ち姿の若侍が現れる。拍手喝采の登場だ。しょっぱなから芝居がかった大げさな立ち回りでどこか不自然だが、映画だからさして気にはならない。続くはげしいチャンバラから若侍の勝どきまで、あれよあれよという間に映画の世界に引き込まれてしまう。みごとなつかみである。

 そもそも仇討ち映画といえば、その決闘を最後のクライマックスに持ってくるのが常套だが、この映画では映画のしょっぱなで決着してしまう。なんとも意外な幕開けだが、ここからが本作の真骨頂。タイトルが「あだ討ち」とあえてひらがなになっているのも意味深長だ。その答えは映画終盤で明らかになるが、本作が時代劇であると同時にミステリーとしても成り立っていることの意味がここにある。この「あだ討ち」をめぐる謎解きとしての面白さ、そのわくわく感が映画をけん引して行くのである。

 そして本作に貫かれているのは、芝居小屋に住む人々の心意気。映画『国宝』が歌舞伎役者の映画なら、これは歌舞伎舞台裏の人々の物語だ。歌舞伎狂言仇討ちものの定番『仮名手本忠臣蔵』が重要なモチーフになっていることも見逃せない。柄本佑の飄々とした佇まいや、渡辺謙はじめ瀬戸康史、滝藤賢一、正名僕蔵等々、歌舞伎裏方の面々の意気地が心地よく見るものに迫ってくる。ちょい役ながら重要な役どころへの山口馬木也、冨家ノリマサという『侍タイムスリッパー』コンビの起用も映画ファンにはどこか嬉しくなる。ただの敵役に終わらない難しい役柄を演じた北村一輝の好演も忘れ難く、ここに留めておきたい。この役こそ、歌舞伎舞台版では九代目市川中車(香川照之)が演じていたことを知ればいかに重要な役かわかるはずだ。

 草彅剛が好演した『碁盤斬り』のもととなった『柳田格之進』をはじめとして、『井戸の茶碗』『宿屋の仇討』『岸柳島』等々古典落語には侍が登場する演目が幾多ある。本作もそんな噺の一つのように思えてくる。故立川談志は「いい噺には江戸の風が吹く」との名言を残した。本作にもまさにその「江戸の風」が吹いている。
                                                                                                                                                                                                                                              2026.3

 70代になってからだけでも『ライド・オン』『ベストキッド:レジェンズ』『シャドウズ・エッジ』等々と、止まるところのない活躍ぶりのジャッキー・チェンだが、これら近作ではそのアクションもやや抑えめになりつつあるとはいえ働きづめのジャッキー、たまにはちょっと一休みといった風情の本作で演じるのはなんと本人自身、人気スターのジャッキー・チェンその人、まるで普段のジャッキーがそのままそこにいるかのような、なんとものんびりした味わいの作品だ。

 生まれたての赤ちゃんパンダの里親に指名されたジャッキー、その赤ちゃんパンダを奪おうとするギャング団一味と、パンダの飼育員女子やジャッキーのマネージャーを巻き込んでの赤ちゃんパンダを守ろうとするその奮闘ぶりが本作の眼目である。なにしろここでのジャッキーはカンフー達人のジャッキーではなく、カンフーの達人を演じてきたジャッキーだから、まともに闘って太刀打ちできるはずもない。逃げ回りながらどうにか相手をしのいで、なんとかかんとかパンダを守ろうというアクションが本作の見どころだ。この映画のいいところは、そんな闘いぶりを見せながら、まったく緊迫感や緊張感のないところ。相手側のギャング団からしてどこか憎めない。誰一人人は死なない。どこまでものんびりした趣向に徹したところなのだ。

 映画中盤、灯台に逃げ込んだジャッキーが飼育員女子との会話で映画に懸けるその思いを語る場面がある。『アクション!』という声を聞くと自分はカンフーの達人になれるのだという。そんなジャッキーの思いが胸に沁みる。のどかな映画の中のしみじみ沁みる名場面だ。そしてまた映画終盤ジャッキー危機一髪の場面でその『アクション!』が効いてくる。ほとんど『インディージョーンズ』におけるあの帽子!。映画だからこそできる嘘っぱちの面白さ。だから映画が楽しくなる。

 このギャング団がどうしてパンダに拘ったのか。映画の最後にそのネタバラシがある。ジャッキーの優しさが映画を締めくくる。それは観てのお楽しみ。全編ジャッキー・チェンの人柄だけで見せるような映画だがそれがまた心地よい。名作・傑作・佳作、そんな言葉はおおよそ当てはまらない愛すべき映画だ。

 

                       2026.2

 

第1位 陪審員2番
 何を血迷ったか日本ワーナー、この傑作を劇場公開せず配信だけで終らせてしまった。ゆえに公式なベストテンでは対象外となり、どこの映画祭でも選外となった模様だ。しかしここは私的なベストテン、誰に憚ることなく不動のベストワンとして本作を推したい。イーストウッド最後の作品かともいわれるこの映画、筆者がその最高傑作と信じてやまない『ミリオンダラー・ベイビー』をはじめ、映画史に輝く数々の名作を残してきたこの稀代の映画作家の真骨頂ともいえる一作。肩肘張らないその作風こそ映画界の宝、次作があるなら絶対に見逃せない。


第2位 フライト・リスク
 概ね不評の目立つこの映画だが、まれにこれを高く評価する人がいる。そういう人こそ本物の映画ファンに違いない。映画界の異端児メル・ギブソンの反骨精神が生み出した快作だ。低迷するハリウッド映画界にあって、もうやけくそみたいな映画だが91分という簡潔な尺の中に映画の面白さが詰まっている。究極の悪役を禿ヅラで怪演する好漢マーク・ウォールバーグに主演男優賞を贈りたい。

第3位 名もなき者/A COMLETE UNKNOWN
 ギター一本抱えてNYにやってきた無名の若者ボブ・ディラン、ピート・シガーとの出会いから今や伝説となった1965年のニューポート・フォークフェスでの『ライク・ア・ローリング・ストーン』の演奏まで、あれよあれよという間に時代の寵児となってゆくその前半生を駆け足で描くこの映画、本人の歌唱ではなくティモシー・シャラメが吹き替え無しで歌う数々のディランの名曲とともに、ディランを信奉する彼のファンにとっては感涙の一編となった。この年最も期待した映画の一つであり、その期待を裏切らない一作だ。

第4位 ハンサム・ガイズ
 自称タフガイと自称セクシーガイを自認する中年強面のおっさん二人組が捲き起こすドタバタ・スプラッター・コメディなる触れ込みの本作、細かいことは忘れて大笑いしたいときにうってつけの映画だ。田舎の生活に憧れて買った古びた一軒家が何と悪霊の棲む呪われた屋敷だったという顛末、タランティーノの傑作『フロム・ダスク・ティル・ドーン』をも思わせる破天荒な面白さ。この年一番笑った映画だ。

第5位 プロセキューター
 御年62歳のドニー・イェンが衰え知らずのカンフーアクションで魅せる一編。カンフー役者の矜持ともいえる意地を見せた痛快な映画だ。温和な佇まいのドニー・イェン、ジャッキー・チェンやブルース・リーなどのような華やかさこそないが、ホンモノのアクション俳優として健在だ。ラストの地下鉄車内での壮絶な格闘シーンは格闘映画の激アツ名場面として映画の歴史に残したい。

第6位 ひとつの机、ふたつの制服
 台湾の進学校として有名な女子高校。そこには昼間部と夜間部があって同じ教室で同じ机を共有する生徒同士には姉妹のような繋がりが生まれるという習慣があるという。この映画はそんな関係の一組の女子の交流を見つめて、悩みながらも成長し、前へ向かって進んで行く二人の姿をあたたかく見守ってゆく。そんな二人の何気ない日々がとても大切なものに思えてくる、爽やかな青春映画の佳作である。 

第7位 SPIRIT WORLD-スピリットワールド-

 日本映画に入れるのか外国映画に入れるのか迷うが、どうやら外国映画の分類でいいようだ。日・仏・シンガポールの合作だが主演があの大女優カトリーヌ・ドヌーヴなら絶対にフランス映画だろう。日本公演の途上で急逝したシャンソン歌手と彼女のファンでかつてはGSにも在籍していた老人が黄泉の国で出会い日本の各地をさまようという不思議な物語だが、老いたりとはいえドヌーブの姿をスクリーンで見られるだけで嬉しくなる。その白眉は映画序盤のコンサートでの歌唱シーン、絶品である。普段TVのバラエティではお茶目な印象の堺正章が控えめな好演で、映画に深い味わいをもたらせたのも好感度高い。

第8位 TATAMI
 監督も主演女優も日本ではほとんど未知、ジョージアの映画とういうのも初めて見る。東京国際映画祭での審査委員特別賞や最優秀女優賞がなかったらおそらく見ることもなかったろう。柔道の世界選手権に出場したイラン代表の女子選手、勝ち進むにつれてイスラエルの優勝候補との対戦が迫ってくるが、国家間の軋轢を避けたい国の都合で無理やり棄権するよう圧力がかかる。いまなお紛争が止まない中東諸国でのスポーツの在り方に一石を投じる作品だが、本来なら国家間の事情など関係ないはずのスポーツの世界においても避けきれない複雑な問題があって、そのことに振り回されまいとするスポーツマンの真摯な闘いが見る者の胸に迫ってくる。稀にしか見ることのない国から届いた、稀にみる秀作である。

第9位 殺し屋のプロット
 マイケル・キートンとアル・パチーノの競演となればひと頃ならメジャーの大劇場でのロードショウ、となるところだが今やローカルな小さな劇場での公開とは。なんとも寂しい限りだがそれもご時世、いたし方ない。されど本作、初期の認知症を患い日々記憶の薄れてゆく殺し屋稼業の男の、その人生への落とし前の付け方を描いて、絶妙な味わいのある映画だ。ラスト、刑務所の施設の窓辺に佇む老ヒットマンの姿が、刑務所の花壇に水を撒く『運び屋』のイーストウッドの姿にどこか似て、二重写しのように見えてくるのもオールドファンの郷愁かと思えて泣けてくる、そんな映画だ。

第10位 リアル・ペイン〜心の旅〜
 『ソーシャルネットワーク』での好演が印象深いジェシー・アイゼンバークが製作・脚本・監督・主演で4役の本作、まるで性格の違う従弟と二人、祖母の遺言に従ってポーランドへの旅に出る。ポーランド、すなわちアウシュビッツへの旅だ。旅の途上、気ままで人懐こく大らかすぎる従弟が周りの人々を巻き込んで、てんやわんやの騒動を引き起こしながらの旅。その旅の果てに彼らがたどり着くのは、祖母をはじめとする多くの人々が巻き添えになった『本当の痛み』への思い。いっけん気楽な話のなかに忘れることのない過去の出来事への痛切な想いを籠めた作品なのだと思う。

選後所感
 次点は『ANORA アノーラ』『F1/エフワン』『セプテンバー5』『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』『ミッキー17』・・・と続く。良かった映画はまだまだあるがこれまた挙げればきりがない。『MaXXXineマキシーン』『ストレンジ・ダーリン』『バレリーナ』『愛はステロイド』『ヴィーナス』等々、女子が活躍する映画が目立ったのもこの年の特徴か、それとも時代の趨勢か。トムクルの『ミッション・インポッシブル/ファイナル・レコニング』は別格。変わらぬトム・クルーズの映画屋魂に頭が下がる。韓国映画では『ブロークン復讐者の夜』『勇敢な市民』が善戦。テンからは漏れたがこれも捨て難い。『ワン・バトル・アフター・アナザー』や『エディントンへようこそ』『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』等は面白くはあるがどうにも筆者の肌には合わない。『アバター』の新作は未見、年末の公開はテンに間に合わず残念だがとくに注視はしていないのでたぶんパス。というわけで、今年もたくさんいい映画に出会えますように、楽しみは尽きません。

                        2026.1       

第1位 TOKYOタクシー
 2023年の仏映画『パリタクシー』の山田洋二版リメークだがそんなことは全く感じさせないほどの完璧な山田映画だ。心に沁みる人の情とその優しさ、人生の喜びや悲しみ、人の強さや弱さ、そうした人としての在り方を描き続けてきた山田映画の集大成ともいえる名作だと思う。

第2位 フロントライン
 2020年2月、未知のウイルスに集団感染した豪華客船の乗員乗客。彼らを救うべく派遣された医療チームと厚労省の担当職員。我が国で最初にコロナウイルスと闘った人々の物語だ。ほんの数年前の、世界を震撼させた新型コロナの始まりだった。自らの感染をも顧みずに一身を賭して闘う人々の姿に打たれる。その姿に頭が下がる胸を打つ作品だ。

第3位 雪の花-ともに在りて-
 江戸時代末期、未曽有の疫病からの治療法を求め単身闘った一介の町医者がいた。彼と彼を支え励まし続けた妻の物語。大きな困難に挑み大きな成果を得た小さな医師の物語だ。この年『国宝』ばかりが取り沙汰されたが、忘れ難く捨て難い一作がここにある。『雨あがる』『阿弥陀堂だより』『明日への遺言』等々、黒澤明の直弟子小泉堯史が、その遺志を継ぐべく作り続けた日本映画の一つの到達点がここにある。

第4位 美晴に傘を
 知的発達障がいのある人には何か一つのものに強いこだわりを持つ人が少なくない。例えばそれが人の名前だったりトイレットペーパーだったりする。美晴の場合はそれが傘だ。いつも何かにおびえている少女には小さな傘の中が安心して身を置くことができる場所だ。そんな小さなか弱い存在に精いっぱいの傘を差し伸べる、心暖かく優しさ溢れる映画だ。この年ほとんど目立たない小品だが深く心に残る一作だ。

第5位 かなさんどー
 お笑いコンビガレッジセールゴリさんこと照屋年之、前作『洗骨』に続き故郷沖縄を舞台にした心温まる映画だ。認知症を患い記憶を失ってゆく父への複雑な思いを抱えた一人娘の思いきった行動が周囲を巻き込み奇想天外な結婚式へと発展する。「かなさんどー」とは沖縄で云う「愛してる」の意味、作者のその心情が温かく伝わってくるような映画だ。

第6位 てっぺんの向こうにあなたがいる
 吉永小百合なんと124本目の主演作。1959年の映画デビューというからほぼ60年余り、これほど日本の映画界に貢献した人もいないだろう。エベレスト登頂に成功した初の女性登山家田部井淳子氏をモデルにした本作、齢80とは思えないその輝きはもう日本映画界の至宝と言っていいと思う。大勢の登山隊の中で一人だけしか頂上に立てなかったことへの悔恨も含め、栄誉だけではなかった登頂達成への想いを描いたことも本作の眼目のひとつ。阪本順治監督、『せかいのおきく』に続く快心の作である。

第7位 兄を持ち運べるサイズに
 『湯を沸かすほどの熱い愛』をはじめ一貫して家族の形に拘ってきた中野量太監督、肩肘張らない自然体の作風が心地よい。オダギリジョーの快演もさることながら、どちらかといえば強面派の柴咲コウとどちらかといえば癒し系の満島ひかりの組み合わせが柄も言えぬほのぼのとした味わいを醸し出す。『長いお別れ』『浅田家!』そして本作、中野監督の次作がまた見たくなる。

第8位 花まんま
 「花まんま」とは花で作ったお弁当。主人公の妹が子供のころにおままごとで兄のために作った心づくしのお弁当だ。早くに両親を亡くした兄妹、朴訥だが頑固者の兄、兄には決して言えない隠し事を抱えた妹。その妹を思う兄の大きな愛が心に沁みる。画面いっぱいに広がるお花畑に佇む有村架純の姿が美しい。

第9位 8番出口
 ビデオゲームをそっくりそのまま映画にしたらどうなるか、というのが本作の眼目。地下鉄駅構内の無限ループに迷い込んだ主人公、如何にして謎を解き最終出口の8番口へたどり着くかという謎解きゲームの映画化だが意外とこれが面白い。ゲームオタクで成る二宮和也がゲームの世界にどっぷり浸かって適役。そのうろたえぶりが絶妙にはまった好演だ。

第10位 放課後アングラーライフ
 城定秀夫監督2023年の作品だが公開当時ほとんど情報がなくもう見ることはないだろうとあきらめていたが、U-NEXTの配信で思いがけなく見ることができた。大人の男女関係を主とした作品と、爽やかな青春映画を本領とする二面性を持った城定監督だが本作は後者、かの名作『アルプススタンドのはしのほう』に匹敵するJK映画の傑作だ。旧作ゆえに公式なベストテンとしては対象外だが、ここは私的なベストテンなのであえてここに入れ記憶にとどめたい。本来ならベストワンに推したい逸品である。

選後所感
 次点は『室町無頼』、数少なくなった時代劇の快作だと思う。ほかには『長崎-閃光の影で-』『雪風YUKIKAZE』『盤上の向日葵』『宝島』『おーい、応為』『愚か者の身分』『ナイトフラワー』『ミーツ・ザ・ワールド』『ショウタイムセブン』『港のひかり』『爆弾』『父と僕の終わらない歌』『木の上の軍隊』『私にふさわしいホテル』『アンジーのBAR で逢いましょう』『この夏の星を見る』等々、いい映画がたくさんあって挙げ始めたらきりがない。日本映画としては豊潤な1年だったと思う。この年最大の話題作『国宝』は重厚な作品でこの年の日本映画を代表する一作ではあるが、少々長すぎてやや飽きる面無きにしも非ず。自分の好みとしては残念ながらテンからは漏れた。何はともあれこの年も、大いに楽しめた1年ではありました。

 

                        2026.1

 本作が2023年のフランス映画『パリタクシー』のリメークであることはうかつにもつい最近まで知らなかった。本作の製作情報に触れたとき一番初めに頭に浮かんだのは、ショーン・ペンのタクシー運転手とそのタクシーに客として乗り合わせたダコタ・ジョンソ演じるキャリアウーマンとの、空港から彼女のアパートまで送り届ける道中での二人の会話を綴った『ドライブ・イン・マンハッタン』であった。不倫に悩む独身女性と饒舌でちょっと上から目線のタクシー運転手との取り止めのない会話がいつしか人生の機微に触れていくという、微妙な緊張感を伴うヘンな映画だったが、なんでこれが山田洋二監督作品につながるのか、どこか納得のいかない感触があった。『パリタクシー』は筆者未見であるゆえオリジナルと本作との比較はできないのだが、様々な情報を集めてみると、高齢女性と彼女を施設へ送るタクシー運転手との触れ合いが生む人情噺とのこと。それなら何となくわかる気がしなくもない。まさに本作のプロットそのものである。
 
 思えば山田洋二監督は、ある意味リメークの天才ではないだろうか。アメリカのカントリーソングを刑期を終えて出所した夕張の炭鉱夫とその妻の話に置き換えた『幸福の黄色いハンカチ』、西部劇の名作『シェーン』を中標津の酪農一家の話に置き換えた『遥かなる山の呼び声』、小津安二郎の『東京物語』をモチーフに舞台を現代に移し替えた『東京家族』、そして井上ひさしの舞台劇を黒木和夫が映画化した『父と暮らせば』の遺志を継ぐ形で作り上げた『母と暮せば』等々。これらすべてをリメークといっていいかどうかは別として、何か一つのきっかけをもとにしてそれぞれ素晴らしいオリジナルな作品に転換するという名人芸は、ほかに並ぶもののない稀有な映画作家であることの証左ではないかと思う。そして究極のリメークは、50作まで続いた『男はつらいよ』であろう。ここまでくるともうリメークの域を超えて、古典落語の人情噺を繰り返し口演する落語家の名人芸のようにも思えてくる。本作もまた然り。ここにまた、人の優しさを見つめる山田監督の温かい眼差しが結実した名作が生まれたと確信したい。


 事業に成功したかなり裕福と思しき高齢女性、彼女を葉山の老人養護施設へ送り届ける仕事を請けた個人タクシーの運転手。この二人を演じる賠償千恵子と木村拓哉。片や山田洋二監督がほぼ半世紀にわたって撮り続けてきたそのミューズともいえる大女優、片やかつて『武士の一分』で山田監督がその新たな一面を開花させた元SMAPの国民的スター。そんな二人がそのオーラを全く感じさせない自然体の佇まいで相対するこの映画、それだけでもスクリーンに溢れる映画の力に引き込まれてしまう。この旅の出発点が柴又帝釈天の門前であることもこの作品の出発点として相応しく、思わず微笑んでしまう。映画のあちこちに点描される東京の様々な場所の点景、その東京の街を壊滅させた戦争への痛恨の想いをさりげなく語るその慎ましさ。明石家さんまと大竹しのぶを声だけの出番で使うその潤沢さ、山田作品を彩ってきた名脇役笹野高志や小林稔侍をさりげなく配置する心遣い。もう山田映画の集大成ではないかとさえ思えてくる。

 
 東京の街を巡る旅の途上で語られる彼女の壮絶な人生、楽しかったこと悲しかったことその一つ一つに胸が締め付けられ思わず涙がこみ上げてしまう。一人息子の死を語るとき、その痛切な想いにそっと手を差し伸べる若き日の自分自身の優しい手、傷ついた心に寄せる山田洋二の温かい心の温もりが映画いっぱいに広がって、涙が止まらない。本作を語るとき、これがリメークだからどうだとか、余計な回り道が多いとか、そんな言葉はあたらない。ただ映画の温かさに身を委ねればいい。そうすればこれが心に沁みる素晴らしい映画だとわかるだろう。山田洋二94歳、想いを篭めた名作である。
                 

                       2025/11 

 ボブ・ディラン『名もなき者』、エルヴィス・プレスリー『エルヴィス』、フレディ・マーキュリー『ボヘミアン・ラプソディ』等々、実在のミュージシャンを描いた映画は数あるが、そのマネージャーを主人公とした映画というのにはあまりお目にかかったことがない。ザ・ビートルズを世に出したというブライアン・エプスタイン、5人目のビートルズとまでいわれたプロデューサーのジョージ・マーティンと並ぶ陰の立役者、いわずと知れた彼らのマネージャーである。ビートルズとの出会いから、わずか32歳で死去するまでのその短い半生を描く本作、ザ・ビートルズが如何にして世界最高のロックバンドとといわれるまでになったか、ブライアン・エプスタインがどのようにしてそれに関わっていったのか、本作への興味は尽きるところがない、はずであった。

 だがしかし、ビートルズをほぼ同時代で見てきた我々にとってこの映画はいささか消化不良な一作であった、というのが本音のところだ。それは本作の製作意図が、ビートルズの成長過程を描くことではなく、そのマネージャーとして生きた一人の男の人生を描くことに主眼が置かれたものであったところにあるだろう。冷静に考えればタイトルからしてそれを表しているのであって、ザ・ビートルズの映画を期待したほうが間違いの始まりなのであったというべきか。

 本作では、ブライアン・エプスタインとビートルズ4人のメンバーとの関わりはさほど深くは描かれない。多くは彼が如何にして無名のバンドを売り出したか、その人生はどのようなものだったか、という点に尽きる。その始まりは、ザ・ビートルズのメジャーデビューにあたりもともとのドラマーだったピート・ベストを解雇し、新たにリンゴ・スターを加入させたエピソードからとなるのだが、ピートを説得するシーンは丁寧に描かれるのにどうしてリンゴなのか、そのことに対するほかの3人のリアクションはどうだったかなどは全く描かれない。この一例が本作の流れを象徴しているように思う。

 そして本作の最大の不満要因は、ビートルズ本来の楽曲が全く使われていないことにある。エプスタインが初めてビートルズの演奏を聴くのは『ラブ・ミー・ドウ』でも『シー・ラブス・ユー』でもなくキャバーンクラブで演奏していた『マイ・ボニー』である。映画中盤ではポールが『ベサメ・ムーチョ』を口ずさむシーンはあるが、『イエスデイ』や『レット・イット・ビー』はない。その最たるものは1967年6月に世界同時生中継された『All You Need Is Love』の生演奏である。なんと演奏前の様子だけで終わっているのだ。なのでこの時の曲は何だったか、『イエローサブマリン』だったか『サージェント・ペパーズ』だったかといっとき思い悩んでてしまう。これはおそらく権利関係の問題で、本作ではビートルズのオリジナル曲が使えなかったためなのではないかと思う。欲求不満の観客はもとより、製作陣にとっても忸怩たる思いではなかったかと推察するばかりなのだが、本作では実にあっさりとその部分は切り捨てられているのである。中途半端というか潔いというか、物足りない思いはどうしても拭えない。
 
 かくも斯様にこの映画、ビートルズを期待して見に行くとなんともあっさりと裏切られる映画なのだが、今や伝説的アーティストとなったザ・ビートルズの裏話と割り切ってしまえばそれも許されよう、案外それも面白い。余談だが、サム・メンデスがザ・ビートルズの伝記映画を製作中との報がある。2028年公開予定との噂、既に4人に扮する役者のビジュアルも公開されている。これはもう楽しみでしかない。 

 

                        2025.11