inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

inosan009のごくらく映画館Ⅲ SINCE2019

HPでの『ごくらく映画館』(2003)からYahooブログの『Ⅱ』を経て今回『Ⅲ』を開設しました。気ままな映画感想のブログです。よかったら覗いてみてください。

 本作のタイトルになぜ読点がついているのか、その意味をずっと考えていた。普通ならそのあとは「だから…」とか「だけど…」などとなるのだろう。そしてさらにそのあとには、どんな言葉が続くのか。

 『湯を沸かすほどの熱い愛』をはじめとして、「家族」の形を追い続けてきた監督中野量太が本作で描くのは、家族になろうとしたのに家族にはなれなかったひとりの男と、幼いころに家族を亡くし祖母に育てられその祖母にも先立たれた若い女性。その二人に繋がる家族になり得なかった因縁の物語だ。

 家族に恵まれずずっと一人で暮らして来た男が職場で知り合ったシングルマザーの女性と暮らすようになり、その連れ子の少女に父親のような愛情を注ぐようになる。はじめ自分のほうから近づいてきた女性だが些細なことから二人の間に齟齬が生まれ、少女に過剰な愛情を示す男の姿に不安を感じ彼を避けるようになる。そして男はストーカーとまでいわれるほどの切羽詰まった行動に至ってしまう。この時の彼の心情が映画から痛いほどに伝わってきて切なく悲しく、重く見る者の心に迫ってくる。そしてその彼の行動が、思いもかけなかった女性の死へと繋がってゆくのである。

 男はストーカー殺人犯として刑に服す。彼の唯一の悔恨は、少女と約束した24色のクレヨンを少女に渡せなかったこと。渡せなかったクレヨンと、花の咲かないサボテンの鉢植えが悲しくやるせなく胸に迫る。そんな思いを抱えたまま服役し出所が近づいてきた10数年後、成長した少女が刑務所に面会を求めてくる。面会室のガラス越しに初めて少女と対面するときのその撮影時、対峙する坂口健太郎と早瀬憩の二人に涙がこみ上げて止まらず、監督からストップがかかったという。役の人物の心情が演じる二人の胸に迫ってのことだろう、そんな二人の真摯な姿が見る者の胸に響いてくる。

 中野量太監督の過去作で、こんなにも切なく悲しい物語はなかったと思う。だが本作の真価は、そんな辛い思いのままで映画を終わらせなかったところにあるのではないだろうか。出所時に『私はあなたのことは知らなかったことにする』と伝言する彼女。数年後、タクシー運転手として更生生活をする男に思いがけない出会いがある。その出会いの意味、その行く先に微かな希望を託す読点がそのタイトルに籠められているのだと思いたい。その希望を捨てなかった中野量太監督の思いを込めた、新たな名作である。

 

                        2026.9

 

 倉田保昭80歳、自らを現役のアクション俳優だと自認するこの老優には、まだまだ引退の2文字はないようだ。そのフィルモグラフィーを見れば、香港カンフーアクション映画での活躍が圧倒的に多い。ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ジェット・リー、ユン・ピョウ、ドニー・イェンなどなど、錚々たる顔ぶれとの共演を果たしている。そのすべてがアクション俳優としての出演だ。国内では1975年から79年までの『Gメン’75』へのレギュラー出演が最もよく知られているところであろう。そんな彼が 役者生活60年を期して初の単独主演を果たしたのが、本作『夢物語』である。副題に『The Living Dragon』、生涯をカンフーアクションに賭けてきたこの老優の思いがこのサブタイトルに表われている。

 映画は彼の夢をモチーフにした三つのショートストーリーからなっている。第1話『追躡(ついじょう』、第2話『ハート・オブ・ドラゴン-龍的心-』、第3話『不思議の国のドラゴン』。第1話では己を「こんな老いぼれ」と呼び、昔の任侠映画のリメーク作品へのオーディションに臨むその姿を追ってゆく。ここで見せる日本刀でのアクション、某映画誌のインタビューで「剣道は習ったことがないから日本刀での殺陣は自己流だ」と語るその流麗な刀さばき。ただのカンフー役者とはけっして侮れないホンモノの『形』がここにある。

 第2話はアクション女優を目指す女子の夢に現れる憧れのアクションレジェンド、なんども倒されながらも彼に立ち向かってゆく彼女。その前に立ちはだかる師匠の姿。もうかっこいいとしか言いようがない80歳がここにいる。自ら「空手道場創武館」を立ち上げ、後進のアクション俳優を育ててきたその経歴の一端が見えてくる。そして第3話。

 1973年の香港にタイムリープした老俳優。その7月20日こそ、ブルース・リーが亡くなった日だ。手元にあった“心臓の薬”を届ければ彼は助かるかもしれないと香港の撮影所を目指す。その入り口で出会うのがなんと、門番のサモ・ハンだ。倉田とサモ・ハンは香港カンフーアクション映画で何度も対決している。その再現である。しかも箒とテニスラケットでの勝負!。本作ではなんともあっけなく終わってしまうこの”対決”だが、我々オールルドファンにとっては夢のような顔合わせなのである。余談だがサモ・ハンは本来はサモ・ハン・キンポー、あの『燃えよデブゴン』だ。ハリウッド進出を期してある時期から短くサモ・ハンと表記したというが、自分らにとってはサモ・ハン・キンポーのほうがなじみ深い。本作のクレジットでは『洪金寶』となっているのがどこか嬉しくもある。

 本作、倉田保昭が活躍した当時のカンフーアクションを知らない世代にとっては何が面白いのかわからない映画ではあるだろう。だがその当時、香港での倉田の活躍が日本ではさほど評価されなかったことに忸怩たる思いのあった我々世代にとっては、これこそ待ちに待った倉田アクション全開の待望の一作、エンドロールの後おまけについてくる主題歌『友よ』を歌う本人の歌唱MVを含め、全編涙なしには見られない感涙・感激の一編なのである。
                        

                        2026.7

 本作、実在の著名人を描いた伝記映画としてこれまで興収一位の『オッペンハイマー』を抜き、世界興行収入歴代1位に達したとの報があった。ミュージシャンに限ればフレディ・マーキュリー『ボヘミアン・ラプソディ』を越えたことになる。公開以来どこの劇場もほぼ満席が続き、この状況ではもう少し様子見かと観るのをためらっていたが、こうなってくるとそう構えてもいられない。そこで遅まきながら上映館へと赴いた次第。

 本作最大の見どころは、本人の甥にあたるジャファー・ジャクソンによるマイケルのパフォーマンスの再現であろう。これはもう実に見事としか言いようがない素晴らしい出来である。マイケルの兄であるジャーメインの息子とのことだが、もうマイケル本人が憑依したとしか言いようのない完璧な歌とダンス。これを見るだけでも一見の価値がある。マイケルの兄ならジャクソンファイブの一員であろう。その息子なら同じ家系、この血縁のエンターティナーの才に感服するしかない。コンサートシーン以外の場で見せる愛嬌あふれる人柄も好感度高い。そのパフォーマンスには、単なるモノマネとしてだけで片付けられない完成度の高さがあり圧倒される。素質と努力の結晶だろう。 

 映画はマイケルの少年時代に始まり、ジャクソンファイブを経てソロ活動に至り、次々とヒットを重ねる充実期までの彼のステージを重ねてゆく。その間に兄弟との離別や父親との確執などが描かれるのだが、さほど深くは掘り下げられない。そのあたりにドラマとしての物足りなさを指摘する向きもあるが、本作の目指すものはそこではないだろう。重要なのはマイケルのパフォーマンスとその人となり。その白眉は1983年モータウンコンサートでのムーンムーウォークの初披露、そしてもう伝説とさえいえる『スリラー』MVの収録模様の再現であろう。どちらも実際に行われた場所で撮影したという念の入れようである。映画もここまでくればもう文句のつけようがない。

 映画はここで終わるが、テロップに「マイケルの人生はまだ続く」と出る。後年児童虐待や薬物疑惑など有名税ともいえるスキャンダルも数あったが、そこにはほとんど触れない映画のあり方。本作では鼻の整形に少し触れる程度だが、映画も音楽も夢を売るものである限りそれも結構。大いに楽しませてくれる映画である。続編があるならその後の彼の人生をどう描くか、楽しみがまたひとつできたことも確かだ。

 

                         2026.7

 

 昨夜、『二宮和也が選んだ人生の一本を一夜限りで特別上映』と謳ったシークレットシネマ上映会なる催しが日比谷のTOHOシネマズで開催され、上映前のトークショーを含むその模様が全国のTOHOシネマズで同時生中継されたという。幕があくまでタイトルは「秘密」ということで、いったいどんな映画が上映されるのか大いに興味を惹くところでもあった。例えば自身の出演作『硫黄島からの手紙』とか『母と暮らせば』『ラーゲリより愛を込めて』などだろうか、まさか『8番出口』はないだろうなどと勝手に予想して面白がっていたのだが、当日上映されたのは、なんと2023年の劇団ヨーロッパ企画『リバー、流れないでよ』だった。なんとまあ意表を突いた選出、渋いというかさすがというか、二宮氏の映画センスが光る一本だったといえましょう。この映画、手前味噌ながらその年のマイベストテンで第8位。公開時おおむね不評の目立つ作品だったが、あの傑作『サマータイムマシン・ブルース』のヨーロッパ企画らしい遊び心満載の快作だったと思う。まさに我が意を得たりの二宮氏の名チョイスに大拍手を送りたい。蛇足ではありますが、ここにマイベスト選出時のコメントを再録いたします。
                                                                                                        2026.6

再録 
2023年マイベストテン日本映画(抜粋)

第8位 リバー、流れないでよ
 タイムトラベル映画の傑作『サマータイムマシン・ブルース』や『ドロステのはてで僕ら』など、時折とんでもない傑作を生みだしてきた演劇集団ヨーロッパ企画がまたまた放つトンデモ企画。突然タイムリープに巻き込まれた京都貴船老舗旅館の面々。想定外の出来事に右往左往する人々のあれやこれやの騒動が目まぐるしく展開する。ネタバレ覚悟で言ってしまえば、これまたどこからか出現したタイムマシンの誤作動によるはた迷惑な出来事だったというオチまで、先の読めない面白さが続く。気楽に映画を楽しむ分にはうってつけの快作だ。
       

                                                                                                         2024.1

 このタイトル、あの有名な童話『星の王子さま』からの引用だという。その童話に「絵にかいた羊は本当の羊ではなく、箱の中にいる羊こそが本当の羊なのだ」という一節があるという。「本当に大切なものは目に見えない」という意味のようだ。本編中に、絵本のその部分を事故死した子供に似せたアンドロイドの少年に母が読み聞かせる場面がある。しかしアンドロイドの少年は、その意味を理解できない。童話『星の王子さま』に詳しくない筆者のような凡庸な観客もまた、その意味するところを理解できない。少なくとも、この時点では。
  
 難解な映画である。『そして父になる』や『海街diary』など、家族の絆に拘り続けてきた是枝監督、本作では事故で亡くなった一人息子の代わりにその子をそっくり模倣したアンドロイドの少年を迎え入れる両親の姿を追ってゆく。人間の血の通わない(または人の心を持たないと言い換えても良いかもしれない)ロボットの少年は、果たして家族として融合できるのか。そのロボットの中に子息の魂は存在し得るのか。どんなに同じ姿かたちをし、同じ記憶を持ち、同じ声で話したとしても、その内にある本当に大切な見えないものはそこにあるのだろうか。

 家族の形に拘り続けて来た是枝監督である。映画中盤までは、実に優しく温かく彼らを見つめる作者の目がある。我々観客もまた、この父母とアンドロイドの少年がいつかきっと本当の家族になってゆくのだろうという期待をもって彼らを見守る事になる。だが、映画の中にはどこか不穏な空気感が終始つきまとい、そしてその期待は見事に裏切られる。映画終盤には予想外の実にシュールな展開が待っているのである。

 是枝監督がこの映画で描きたかったものは、失われた家族の再生ではなく、一人息子を死なせたことへの悔恨と自分への罪の意識に囚われ続けて生きてきた夫妻が、息子の姿をしたアンドロイドの少年との触れ合いを通して、あえて目を向けようとはしなかった真実と向き合い、本当に大切なものは何かに気づいてゆく姿。その贖罪と再出発の物語ではなかったかと思う。賛否両論ある映画の結末にはいささかの戸惑いを感じることも確かだが、人を見つめる作者の目はどこまでも冷徹であり、そして甘えることもなく、しかし決して突き放すこともない、静謐で真摯だ。あえて観客に迎合しない作者の矜持がそこにある。

 

                       2026.6

 

 不思議な映画である。その不思議さには二つの意味がある。ひとつは映画の不思議な展開。全3章からなる構成だが第3章から始まり、2章、1章と時制を遡って描かれてゆく。その三つの章はどう繋がっていくのか。2章、1章はともかくとして、初めの第3章だけが物語としての繋がりがほとんどないように見えるのである。そしてもう一つの不思議は、そんな不可思議な展開なのに、なぜか引き込まれてしまう映画の魅力にある。この心地よさ、鮮やかなこの快感はどこから来るのだろう。

 映画開巻の第3章では世界の終末が描かれる。地球上のいたるところで天変地異が始まり、最後には夜空に輝く星たちまでもが消滅してゆく。その背景には、「素晴らしい39年間。ありがとうチャック」と書かれた看板が街中のいたるところに掲げられているのだ。いったいこれは何なのか。そんな疑問をよそに第2章、商用でとある街を訪れたチャックが、路上でドラムを打つストリートミュージシャンの少女の演奏にふと足を止め、そのリズムに乗って突然踊りだす。そのダンスは、恋人と別れ失意のどん底にあった見物の女性を巻き込み、ペア・ダンスとなって素晴らしいパフォーマンスを展開する。この躍動感、この多幸感。ジーン・ケリーの『雨に唄えば』に代表される往年のハリウッド・ミュージカル、近年なら『ラ・ラ・ランド』をも思わせる素晴らしいシーンだ。この後、ドラムの少女は集まった投げ銭をダンスの二人に分けて別れ、その場を去るチャックの脇を、前章では別れた元妻のもとに急ぐ黒人教師の横を滑り抜けていったローラースケートの少女がすり抜けてゆく。そしてその数日後に、チャックは死の床につく。

 そして第1章。本作では最もドラマチックな部分といえるだろう。すべての謎を解き明かす章でもある。ここではチャックの幼少期から少年期が描かれる。幼くして両親と死別したチャック少年は祖父母のもとで成長する。教室でホイットマンの詩を読み聞かせる女性の教師は、詩の意味を問うチャックに、『あなたの頭の中には無数の自分が存在し、無限の宇宙がそこにある。その世界はあなたと共にある』と言い聞かせる。そういえば第3章の黒人教師も教室で詩を朗読していた。ホイットマンの詩だったかどうかは定かでない。チャックのダンスの才能に気づいたダンス部顧問の先生は、先輩のダンス少女とのペア・ダンスを薦める。そして学園祭のプロムの日、彼女とチャック少年は素晴らしいダンス・パフォーマンスを展開するのである。数年後、成長したチャック少年は、生前祖父が密閉していた屋根裏部屋で、死の床につく自分自身の姿を見る。映画はここで終わる。これもまた不思議な光景だ。

 こうしてみてくると、第3章の意味がうっすらと見えてくる。チャックの死とともに世界が消滅する。人は死ねば、その人の世界はそこで終わる。その章での世界の消滅は、チャックの脳内世界の終わりのメタファーだったのか。閉ざされた屋根裏部屋で自身の死の床を見る青年期のチャックを演じたのは、あの『ルーム』での幽閉された部屋で生まれ育った少年を演じたジェイコブ・トレンブレイだ。本作とは何ら関係はないのだが、何が妙な因縁を思うのは私だけだろうか。そんなところにもまた映画の不思議を感じる。そんな不思議な、魔力のようなものさえ思わされるような、深遠な魅力に満ちた映画なのである。

 

                       2026/5

『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの社会派ケン・ローチが自ら最後の作品だとする本作、さすがその名に恥じないこれまた傑作といえるだろう。本作を含め英国北東部を舞台とする3部作の最終章だという。あとの一作は2019年の『家族を想うとき』だが、筆者公開時に確かに見ているが不覚にも何故かあまり印象に残っていない。

 前作では、社会に取り残された一人暮らしの老人と、幼い二人の子供を抱えながら職がなくその日に食べるものさえない若いシングルマザー親子との触れあいを描いて、こんな社会でいいのかと振り絞るような怒りと悲しみ、そしてそれでも毅然と生きてとゆこうとする人の尊厳を訴えて、重く心に残る映画だった。そして今作。

 イングランド北東部のさびれた村。かつては炭鉱で賑わい栄えた村だったが、その廃坑とともに人口は減り、今は地元に根差した僅かな人々だけが暮らしている。そんな場所に目を付けたのが他国からの難民の受け入れ先を探す政府の管理局だ。その村に送り込まれたシリアからの難民たち。古くからその地に暮らす人々との共存は可能なのか。地元の人々の中には、新たに侵入してきた「よそ者」を排斥しようとする空気が広がってゆく。

 どうしたら人は解かり合い共に生きていけるのだろう。世界中のあちこちで××ファーストなる言葉がもてはやされる昨今、この映画が提示する難題は、排外主義を掲げる政党が選挙で大勝するこの国でも他人事とは言えないだろう。ここで映画が訴えるのは、そうした排他主義に対する反論だ。英語とアラビア語で"強さ、連帯、抵抗"と書かれた旗を掲げて行進するラストシーンにその強い意志が現れている。

 どうにもならない悲惨な現実を見据えて終わる『わたしは、ダニエル・ブレイク』とは反対に、微かな希望を見出して終わる本作。英国人の主人公がアラビア語で言う「ありがとう」の言葉に、最後の自作に籠めた作者の願いが滲みでる。ケン・ローチ89歳映画監督、社会を見つめるその目の厳しさの中にも、そっと滲み出る優しさに敬意をもって応えたい。「シュクラン」(ありがとう)と。
 

                        2026.4

 古典落語の人情噺を聞くような、華やかな中にも粋な味わいのある映画だ。開巻早々、江戸木挽町の歌舞伎小屋前の空き地で派手なあだ討ちが展開する。片や見るからに遊び人風の不逞な輩、片やそれを父の仇と見定めあだ討ちを挑む若侍。どう見ても仇敵のほうが強そうだが、悪戦苦闘の末若侍はみごと相手を打ち取ってその首を取る。この二人が対峙するそのきっかけはといえば、歌舞伎の興行が終演した小屋前の雑踏で、小綺麗な町娘にその遊び人が声をかけたことから始まる。逃げる町娘を追いかけてその帯を引きほどくと、纏っていた着物が宙に舞い中から白装束のきりりとしあだ討ち姿の若侍が現れる。拍手喝采の登場だ。しょっぱなから芝居がかった大げさな立ち回りでどこか不自然だが、映画だからさして気にはならない。続くはげしいチャンバラから若侍の勝どきまで、あれよあれよという間に映画の世界に引き込まれてしまう。みごとなつかみである。

 そもそも仇討ち映画といえば、その決闘を最後のクライマックスに持ってくるのが常套だが、この映画では映画のしょっぱなで決着してしまう。なんとも意外な幕開けだが、ここからが本作の真骨頂。タイトルが「あだ討ち」とあえてひらがなになっているのも意味深長だ。その答えは映画終盤で明らかになるが、本作が時代劇であると同時にミステリーとしても成り立っていることの意味がここにある。この「あだ討ち」をめぐる謎解きとしての面白さ、そのわくわく感が映画をけん引して行くのである。

 そして本作に貫かれているのは、芝居小屋に住む人々の心意気。映画『国宝』が歌舞伎役者の映画なら、これは歌舞伎舞台裏の人々の物語だ。歌舞伎狂言仇討ちものの定番『仮名手本忠臣蔵』が重要なモチーフになっていることも見逃せない。柄本佑の飄々とした佇まいや、渡辺謙はじめ瀬戸康史、滝藤賢一、正名僕蔵等々、歌舞伎裏方の面々の意気地が心地よく見るものに迫ってくる。ちょい役ながら重要な役どころへの山口馬木也、冨家ノリマサという『侍タイムスリッパー』コンビの起用も映画ファンにはどこか嬉しくなる。ただの敵役に終わらない難しい役柄を演じた北村一輝の好演も忘れ難く、ここに留めておきたい。この役こそ、歌舞伎舞台版では九代目市川中車(香川照之)が演じていたことを知ればいかに重要な役かわかるはずだ。

 草彅剛が好演した『碁盤斬り』のもととなった『柳田格之進』をはじめとして、『井戸の茶碗』『宿屋の仇討』『岸柳島』等々古典落語には侍が登場する演目が幾多ある。本作もそんな噺の一つのように思えてくる。故立川談志は「いい噺には江戸の風が吹く」との名言を残した。本作にもまさにその「江戸の風」が吹いている。
                                                                                                                                                                                                                                              2026.3

 70代になってからだけでも『ライド・オン』『ベストキッド:レジェンズ』『シャドウズ・エッジ』等々と、止まるところのない活躍ぶりのジャッキー・チェンだが、これら近作ではそのアクションもやや抑えめになりつつあるとはいえ働きづめのジャッキー、たまにはちょっと一休みといった風情の本作で演じるのはなんと本人自身、人気スターのジャッキー・チェンその人、まるで普段のジャッキーがそのままそこにいるかのような、なんとものんびりした味わいの作品だ。

 生まれたての赤ちゃんパンダの里親に指名されたジャッキー、その赤ちゃんパンダを奪おうとするギャング団一味と、パンダの飼育員女子やジャッキーのマネージャーを巻き込んでの赤ちゃんパンダを守ろうとするその奮闘ぶりが本作の眼目である。なにしろここでのジャッキーはカンフー達人のジャッキーではなく、カンフーの達人を演じてきたジャッキーだから、まともに闘って太刀打ちできるはずもない。逃げ回りながらどうにか相手をしのいで、なんとかかんとかパンダを守ろうというアクションが本作の見どころだ。この映画のいいところは、そんな闘いぶりを見せながら、まったく緊迫感や緊張感のないところ。相手側のギャング団からしてどこか憎めない。誰一人人は死なない。どこまでものんびりした趣向に徹したところなのだ。

 映画中盤、灯台に逃げ込んだジャッキーが飼育員女子との会話で映画に懸けるその思いを語る場面がある。『アクション!』という声を聞くと自分はカンフーの達人になれるのだという。そんなジャッキーの思いが胸に沁みる。のどかな映画の中のしみじみ沁みる名場面だ。そしてまた映画終盤ジャッキー危機一髪の場面でその『アクション!』が効いてくる。ほとんど『インディージョーンズ』におけるあの帽子!。映画だからこそできる嘘っぱちの面白さ。だから映画が楽しくなる。

 このギャング団がどうしてパンダに拘ったのか。映画の最後にそのネタバラシがある。ジャッキーの優しさが映画を締めくくる。それは観てのお楽しみ。全編ジャッキー・チェンの人柄だけで見せるような映画だがそれがまた心地よい。名作・傑作・佳作、そんな言葉はおおよそ当てはまらない愛すべき映画だ。

 

                       2026.2

 

第1位 陪審員2番
 何を血迷ったか日本ワーナー、この傑作を劇場公開せず配信だけで終らせてしまった。ゆえに公式なベストテンでは対象外となり、どこの映画祭でも選外となった模様だ。しかしここは私的なベストテン、誰に憚ることなく不動のベストワンとして本作を推したい。イーストウッド最後の作品かともいわれるこの映画、筆者がその最高傑作と信じてやまない『ミリオンダラー・ベイビー』をはじめ、映画史に輝く数々の名作を残してきたこの稀代の映画作家の真骨頂ともいえる一作。肩肘張らないその作風こそ映画界の宝、次作があるなら絶対に見逃せない。


第2位 フライト・リスク
 概ね不評の目立つこの映画だが、まれにこれを高く評価する人がいる。そういう人こそ本物の映画ファンに違いない。映画界の異端児メル・ギブソンの反骨精神が生み出した快作だ。低迷するハリウッド映画界にあって、もうやけくそみたいな映画だが91分という簡潔な尺の中に映画の面白さが詰まっている。究極の悪役を禿ヅラで怪演する好漢マーク・ウォールバーグに主演男優賞を贈りたい。

第3位 名もなき者/A COMLETE UNKNOWN
 ギター一本抱えてNYにやってきた無名の若者ボブ・ディラン、ピート・シガーとの出会いから今や伝説となった1965年のニューポート・フォークフェスでの『ライク・ア・ローリング・ストーン』の演奏まで、あれよあれよという間に時代の寵児となってゆくその前半生を駆け足で描くこの映画、本人の歌唱ではなくティモシー・シャラメが吹き替え無しで歌う数々のディランの名曲とともに、ディランを信奉する彼のファンにとっては感涙の一編となった。この年最も期待した映画の一つであり、その期待を裏切らない一作だ。

第4位 ハンサム・ガイズ
 自称タフガイと自称セクシーガイを自認する中年強面のおっさん二人組が捲き起こすドタバタ・スプラッター・コメディなる触れ込みの本作、細かいことは忘れて大笑いしたいときにうってつけの映画だ。田舎の生活に憧れて買った古びた一軒家が何と悪霊の棲む呪われた屋敷だったという顛末、タランティーノの傑作『フロム・ダスク・ティル・ドーン』をも思わせる破天荒な面白さ。この年一番笑った映画だ。

第5位 プロセキューター
 御年62歳のドニー・イェンが衰え知らずのカンフーアクションで魅せる一編。カンフー役者の矜持ともいえる意地を見せた痛快な映画だ。温和な佇まいのドニー・イェン、ジャッキー・チェンやブルース・リーなどのような華やかさこそないが、ホンモノのアクション俳優として健在だ。ラストの地下鉄車内での壮絶な格闘シーンは格闘映画の激アツ名場面として映画の歴史に残したい。

第6位 ひとつの机、ふたつの制服
 台湾の進学校として有名な女子高校。そこには昼間部と夜間部があって同じ教室で同じ机を共有する生徒同士には姉妹のような繋がりが生まれるという習慣があるという。この映画はそんな関係の一組の女子の交流を見つめて、悩みながらも成長し、前へ向かって進んで行く二人の姿をあたたかく見守ってゆく。そんな二人の何気ない日々がとても大切なものに思えてくる、爽やかな青春映画の佳作である。 

第7位 SPIRIT WORLD-スピリットワールド-

 日本映画に入れるのか外国映画に入れるのか迷うが、どうやら外国映画の分類でいいようだ。日・仏・シンガポールの合作だが主演があの大女優カトリーヌ・ドヌーヴなら絶対にフランス映画だろう。日本公演の途上で急逝したシャンソン歌手と彼女のファンでかつてはGSにも在籍していた老人が黄泉の国で出会い日本の各地をさまようという不思議な物語だが、老いたりとはいえドヌーブの姿をスクリーンで見られるだけで嬉しくなる。その白眉は映画序盤のコンサートでの歌唱シーン、絶品である。普段TVのバラエティではお茶目な印象の堺正章が控えめな好演で、映画に深い味わいをもたらせたのも好感度高い。

第8位 TATAMI
 監督も主演女優も日本ではほとんど未知、ジョージアの映画とういうのも初めて見る。東京国際映画祭での審査委員特別賞や最優秀女優賞がなかったらおそらく見ることもなかったろう。柔道の世界選手権に出場したイラン代表の女子選手、勝ち進むにつれてイスラエルの優勝候補との対戦が迫ってくるが、国家間の軋轢を避けたい国の都合で無理やり棄権するよう圧力がかかる。いまなお紛争が止まない中東諸国でのスポーツの在り方に一石を投じる作品だが、本来なら国家間の事情など関係ないはずのスポーツの世界においても避けきれない複雑な問題があって、そのことに振り回されまいとするスポーツマンの真摯な闘いが見る者の胸に迫ってくる。稀にしか見ることのない国から届いた、稀にみる秀作である。

第9位 殺し屋のプロット
 マイケル・キートンとアル・パチーノの競演となればひと頃ならメジャーの大劇場でのロードショウ、となるところだが今やローカルな小さな劇場での公開とは。なんとも寂しい限りだがそれもご時世、いたし方ない。されど本作、初期の認知症を患い日々記憶の薄れてゆく殺し屋稼業の男の、その人生への落とし前の付け方を描いて、絶妙な味わいのある映画だ。ラスト、刑務所の施設の窓辺に佇む老ヒットマンの姿が、刑務所の花壇に水を撒く『運び屋』のイーストウッドの姿にどこか似て、二重写しのように見えてくるのもオールドファンの郷愁かと思えて泣けてくる、そんな映画だ。

第10位 リアル・ペイン〜心の旅〜
 『ソーシャルネットワーク』での好演が印象深いジェシー・アイゼンバークが製作・脚本・監督・主演で4役の本作、まるで性格の違う従弟と二人、祖母の遺言に従ってポーランドへの旅に出る。ポーランド、すなわちアウシュビッツへの旅だ。旅の途上、気ままで人懐こく大らかすぎる従弟が周りの人々を巻き込んで、てんやわんやの騒動を引き起こしながらの旅。その旅の果てに彼らがたどり着くのは、祖母をはじめとする多くの人々が巻き添えになった『本当の痛み』への思い。いっけん気楽な話のなかに忘れることのない過去の出来事への痛切な想いを籠めた作品なのだと思う。

選後所感
 次点は『ANORA アノーラ』『F1/エフワン』『セプテンバー5』『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』『ミッキー17』・・・と続く。良かった映画はまだまだあるがこれまた挙げればきりがない。『MaXXXineマキシーン』『ストレンジ・ダーリン』『バレリーナ』『愛はステロイド』『ヴィーナス』等々、女子が活躍する映画が目立ったのもこの年の特徴か、それとも時代の趨勢か。トムクルの『ミッション・インポッシブル/ファイナル・レコニング』は別格。変わらぬトム・クルーズの映画屋魂に頭が下がる。韓国映画では『ブロークン復讐者の夜』『勇敢な市民』が善戦。テンからは漏れたがこれも捨て難い。『ワン・バトル・アフター・アナザー』や『エディントンへようこそ』『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』等は面白くはあるがどうにも筆者の肌には合わない。『アバター』の新作は未見、年末の公開はテンに間に合わず残念だがとくに注視はしていないのでたぶんパス。というわけで、今年もたくさんいい映画に出会えますように、楽しみは尽きません。

                        2026.1