![にっこり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/614.png)
大腸がんだと正式に宣告された日でした
この日のことを、
いや どの検査の日のことも
ひとつひとつ苦しさを
今でも思い出せる。
人生が一転した出来事だもの
プロフィールのところに
兆候には気付けなかったけど、今思えばあれが合図だったのかなと、書いていて
それについて
8年経ってしまったが、9年生を前に 今 書いておこうと思います
またも長文になるやも。
気持ち悪さ。今思えば多分これが始まりだったと思う
勤務先(保育園)で胃腸風邪を拾って
あと30分で終わりという所で突然体調が悪くなり、気持ち悪いしえらくて仕方なかった。早退させてもらえばよかったんだろうけど、こゆ時マジメの滅私根性出ちゃうんだよね。チャリで10分くらいの距離をあまりのえらさに本気で涙が出てきちゃって泣きながらチャリって帰ったのを覚えてる。半袖ではなかったし上着も着てなかったから9月末か10月頭だと思う。
嘔吐熱発下痢とThe胃腸風邪ルートを経て、よくなっても
若干の気持ち悪さだけが残り、
再度内科へ。
消化不良かなと言われ、ナウゼリンを処方される。当然ながら飲むとよくなるが、なかなか全快せず。すると同僚が ナウゼリンなら渡せるよ。と言ってくれ、1~2度分けてもらう。(同僚の夫さんがMRさん)
コレが続くも、下痢まではないが便が細く軟便で少量なことにも気付く。
コレも胃腸風邪の名残りかなと、勝手な判断で市販のビオフェルミンを飲んでもよくならず、正露丸を飲み やり過ごす。
そこへまた咳の風邪をもらう。これは11月だったと思う。
咳出すと止まらない。いつも耳鼻科で出してもらう漢方の水薬を飲むと、スパっと止まるのに全然止まらずで
再度診察に行くと
あの薬で止まらんのは、ちょっと・・・と首を捻られる。
この時、母にもちゃんと治さんとまだ子どもも小さいんだで困るよ。とか言われ、だから病院行ったじゃんと思ったことを覚えている。
そうこうしてるところへ
職場での健康診断が11/19にあり、レントゲンで引っかかった。のがきっかけ。
・・この健康診断だが11月から始まり毎週2人ずつ順番に2月頃までかけてやるのだが、たまたま2番目に受けさせてもらえた為、発見も早く助かったのもあるかもしれない。手術が終わった頃に、仲良しの先生がやっと健康診断が終わったと言っていた。
なぜ2番目だったのか組んだ主任も分からない何となくと言っていた。本当に単なる偶然。
肺に影があることが分かってからは、大きな声で話す(保育士必須)と息切れするようになり、不安は募るばかりだった。
https://ameblo.jp/inoru3/entry-12220891346.html
この健康診断でレントゲン画像診てくれた内科のDr. ご自分の奥様が肺炎でその画像を診たばかりだったのでコレは肺炎とは違う影だ 怪しいと、わたしを呼び出してくれたのが11/26だった。
この時に風邪気味だと言う問診を信じてじゃあ肺炎かなとされていたら、今ココにわたしはいないだろう。
健康診断の順番と言い、Dr.の読影と勘と言い、それからトントン拍子に約1ヶ月でオペを受けられ、ケモ始められた事も全て運が良かったのだと言える。
がんになった事は運が悪すぎるけどね
がんになって9年目を迎えるが
(Dr.は最後の肺オペから数え 8年目と言うけど、がん患者デビューで数えるね)
まさか生きていると思ってなかった、ステージ4だし。
でもこうして生きてる
子どもたちの為に死ねないと思った。だから子どもたちの為に生きているのか。
毎日毎日毎日怒って、急かして、小言言って、侍女か執事かなんなら奴隷かのようではあるが
長女の成人式も
次女の高校卒業も目の前だ。
人生の節目に立ち会える事は、ありがたくて嬉しくて感謝しかない。ここまで生かしてくれた神に
なんのお返しができるのだろう。
と、ぼんやり考えて生きている。し、
もうそろ、親としての最後の仕事自立をさせなきゃだ。
起こさないで起きてもらう←ふたりとも!これまた難課題。
これについてもその内改めてブログ書いておきたいです。
がんになってから変えたこと 始めたことは、色々ある。
何をしたか しているか、よく質問頂くので これについても近々 書いて置いておきます。
難しい事や手間やお金のかかる事は続かないので、やっていません。
だってチェルシーだもん(←次女のマネ)
いつもお読みくださり
ありがとうございます