さて,身近な有機金属錯体というテーマでコラムを書くと言いましたが,初回なので文字通り本当に「身近にある」有機金属錯体を紹介しようと思います。
今回私が取り上げる有機金属錯体は「ヘモグロビン」です。なんか名前だけは聞いたことがあるのではないでしょうか。この錯体は私たちの血液の中に存在しています。ヘモグロビンの役割は大きく分けて2つあり,ひとつは肺から取り入れた酸素を全身へ運ぶこと,もう一つは全身から二酸化炭素を肺へと運ぶことです。要は運送屋さんですね。私たちが何気なく息をしている時にもヘモグロビンはフル稼働で酸素や二酸化炭素を運んでいるわけです。
働くヘモグロビン?
続いてヘモグロビンがどんな構造をしているかですが,酸素を運搬している部分は下図のような構造をしているそうです。中心に鉄原子があって,その周りのピンク色の有機分子(ポルフィリンと言います)が四つの窒素原子で鉄に結合しています。金属原子と有機分子の組み合わせで構成されている,まごうことなき有機金属錯体です。それがさらにたんぱく質に結合した状態で体内に存在しています。鉄原子は酸素が少ない環境下では血液中の水分子と結合した状態で存在しますが,肺の酸素濃度が高くなるとこの水分子を放出して酸素と結合します。そして,血液の流れに乗って移動し,酸素濃度の低い場所で酸素を放出して再び血流に乗り肺へ戻ってきます。この酸素輸送中のプロセスでは鉄―酸素の結合が切れたりくっついたりしていますが,実はこれが何気に興味深い点なのです。一般に鉄は酸素と結びつきやすく(鉄くぎが錆びる,ホッカイロが暖かくなるなどはすべて鉄の酸化反応,つまり鉄と酸素が結びつく現象です。),一度鉄―酸素結合ができると容易には切れません。しかし,ヘモグロビンはそれを平然とやってのけています。そこにしびれるあこがれる!
酸素を運んでいないとき 酸素運搬時
ヘモグロビンに鉄が含まれている理由は,鉄が地球上でありふれた金属で利用しやすかったということ以外にも,上述の鉄と酸素が結びつきやすい性質と無縁ではないと思います。ヘモグロビンが誰か研究者に合成された化合物なら,その人は良く考えて作ったなあと感心する所ですが,実際は私たちの体の中で勝手にできるものなのですから,極端なことを言ってしまえば生きとし生ける人類,みな優秀な合成科学者なのかもしれません。
ちなみにここまではヘモグロビンの鉄の周りに注目してきましたが,実はヘモグロビンはとても巨大な分子で,分子量がなんと約64500もあります!ちなみに鉄の原子量は56,酸素分子の分子量32です。一応ヘモグロビン1分子で酸素4分子を運ぶことができるそうですが,それだけの重さのものを運ぶためだけに何と大層なと思わなくもないです。私が持っている教科書にはヘモグロビンの全体図は載っていませんでしたが,その1/4にあたる部分の図は載っていました(自分で同じような図を作る技量がありませんでした⤵)。
ぱっと見何が何だかという感じだと思いますが,白い,蛇のようにうねうねしている部分はタンパク質,つまり有機分子になります。図の真ん中の赤線で囲った部分が鉄原子の存在しているユニットになります。この図にあるような構造のものが,全部で4つ組み合わさることでヘモグロビンはできているそうです。「ヘモグロビンの構造はこうだ!」と決定した人には,本当に頭が下がります。ちなみにヘモグロビンのもう一つの役割であるCO2運搬ですが,実は鉄原子は全く関与しないで,このたんぱく質が運搬するそうです。ぱっと見,ぐちゃぐちゃな構造に見えますが,分子内での役割分担はとてもしっかりしているようです。
今回はここまで。
参考文献
F. A. Cotton, G. Wilkinson, P. L. Gaus, Basic Inorganic Chemistry, 3rd Ed., 1995, John Wiley & Sons, Inc., 733-739.
F. A. Cotton, G. Wilkinson, Advanced Inorganic Chemistry, 5th Ed., 1988, John Wiley & Sons, Inc., 1341-1348.


