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どこにでもいる化学好き

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 それでは第二回です。前回は私たちの血液の中に含まれている錯体,ヘモグロビンについてお話ししました。ヘモグロビンは人の体が作り出した錯体でしたが,今回は人工的に作られたかつ人の体に関係する錯体についてお話ししたいと思います。

 

 今回のテーマはずばり「抗がん剤」です。ガン治療のための薬ですね。薬というと有機化学の印象が強いですが,薬になる有機分子を合成する過程でけっこう有機金属錯体が使われていたりしますが,抗がん剤には有機金属錯体自体が使用されていたりします。

 

 現在,日本で抗がん剤として使用されている錯体は全部で5種類あります(下図)。いずれも白金(Pt)の錯体です。白金,別名プラチナ。ジュエリーとかの方がイメージが強いかと思いますが,実は抗がん剤としても活躍してたりします。この中で一番初めに発見された抗がん剤はシスプラチンですが,それの発見は実は偶然の産物でした。電場が大腸菌に与える影響を調べるという研究(なぜこんなことをしていたのだろう?)で大腸菌の増殖が抑制されることが発見され,原因を調べてみると電極に使われていた白金から偶然生成したシスプラチンが原因だったそうです。それ以降,このシスプラチンの構造をベースにしたカルボプラチン,ネダプラチン,オキサリプラチン,ミリプラチンの臨床使用が順次認められていきました。白金以外の金属を用いた抗がん剤開発の研究も行われていますが,まだ実用化には至っていないそうです。

 

 

これらの抗がん剤がなぜがんに効くのかは,まだ不明な点も多いですが,下図のように考えられています。シスプラチンを例に説明してみますと,まず体内に入ったシスプラチンは静脈の血流に乗りがん細胞に辿り着きます。細胞内に入ると,錯体がCl-を放出して,アクア錯体(中心金属に水分子がくっついた錯体)となります。これはCl-が金属から離れやすい性質を持っていることに加えて,細胞内では血液中と比べてCl-が少ないからです。白金にくっついた水分子は容易に他の物質と入れ替わりますが,細胞内ではこの水分子がDNA内の窒素原子に置換されるようです。こうして白金原子がDNA鎖に様々な形で取り付くことによってDNAの複製などが起きないようにすることで最終的にがん細胞を死滅させます。

この辺のメカニズムは文献によって細部が微妙に違ったりしていました。詳細が知りたい方は自分でもっと調べることをお勧めします。ただ,白金原子がDNAの窒素原子と結合してがん細胞の増殖を抑えるというのはどの文献でも共通した考えのようです。この一連の流れで白金原子の結合が次々と組み変わっていますが(Pt-Cl結合 → Pt-O結合 → Pt-N結合),こういうことは非金属元素(炭素,窒素など)ではこうも簡単に起こることではなく,金属原子の特性が存分に発揮されている点ではないかと思います。

 

 

 白金の抗がん剤にもまだ解決すべき課題があります。それは副作用です。というのも白金抗がん剤は上で説明したようにがん細胞のDNAを攻撃してがん細胞を死滅させますが,同じように健康な細胞も死滅させることができるからです。ただ,がん細胞は正常な細胞よりも圧倒的に早く細胞分裂を行うので,それだけ抗がん剤ががん細胞のDNAに取り付く機会は,正常な細胞のDNAに取り付く場合より多いそうですが。現在では抗がん剤の投与の仕方や他の治療法との併用などでこの副作用を小さくするようにしているそうです。そのため,より副作用の小さい抗がん剤の開発のために今も多くの研究が行われています。

 

今日はここまで。

 

参考文献

1. 植村雅子,米田誠治「白金制がん剤の今とこれから」Biomedical Research on Trace Elements 26 (4): 157-165, 2015.

2. 小谷明「新しい白金抗がん剤の開発の発想から現状まで」Biomed Res Trace Elements 22(1):22-26, 2011.

3. 佐治英郎編「生命科学のための無機化学・錯体化学」廣川書店,2006年,第2刷,254-255.

4. A. S. Abu-Surrah, M. Kettunen, Curr. Med. Chem. 2006, 13, 1337-1357.