私は誰か | ヘルメスの丘 ~In Tune with Hermes~

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伊野華絵(いのはなえ)の世界へようこそ。
ヘルメス(水星)が誘う、人生を楽しむ術。

みなさま 新年あけましておめでとうございます。

 

2021年が始まりましたね。

 

この時期の朝はキリリと冷え込んで

お布団から離れるのが大変ですけれども、

えいやと起きて、カーテンを開けてみれば

 

抜けるような冬の青空で、実に気持ちがよいものです。

 

さて。

昨年(前回)からの続きです。

 

風の時代は「松」(=公の木)を意識した生き方をすると

心地よい風が吹く、という話ですが、それは

 

俯瞰的視点を「健全に」保ち生きること。

 

それには

「私とは誰か」に対峙することが大切。

 

と綴りました。

 

私とは?

私とは誰でしょう?

 

まず、社会的役割にもとづいた「私」は、複数あります。

自己紹介をするときに盛り込む要素でしょうか。

 

・職業上から見た私

・家庭生活での私

・住環境上から見た私

・何をしているか(BeではなくDo)

 

おっと・・・さらに大切な要素が。

 

・名前(名づけられた私)

 

自己紹介の際、まず名乗りから始めます。

占術の眼からすれば、何をおいてもこれがもっとも影響力を持ちます。

 

これらは、外的環境からの鋳型に沿う「私」です。

つまり、周囲から観察されることで形作られてゆく「私」です。

 

「私とは誰か」と問われた場合、まず

この観点から自分をみてゆくことが多いでしょう。

 

ところが、「私とは誰か」の問いを掘り下げる際、

これだけでは「半分」なのです。

つまり、「私の半身」しか見えていない。

 

残りの半身はどこへいったのでしょう???

 

観察されることで形作られてゆく「私」

がいるならば、

 

観測者そのものの「私」

 

が、もう一方の半身の私ではないでしょうか。

 

私たちの「私」は実は「ふたご」でできているのです。ふたりでひとつ。

なのに半身を忘れている。

 

もう一人の「私」を思い出すことで、「私」は「わたし」になり、

「松」(=公の木)としての生き方が見えてきます。

 

これを絶妙に表現している運動がこちらです。

 

 

 

下記、「連星とツインソウル」の記事でも綴りましたが、

「私とは誰か」を説明しようとすると、私の脳内ではこれなんです。

 

 

 

これらは我がヘルメス君(=水星)から長い時間をかけてじわじわと

伝授された事柄です。彼は、文字(言葉)・数・眠り・占術・天文担当ですから(^-^)

 

興味深いのが、タロットの世界にもこのことがしっかり表現されているのです。

 

続きはまた次回♪

 

 

伊野華絵(いのはなえ)

 

 

◆伊野華絵ブログ ヘルメスの丘

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