この世は コトバで創られています。
言葉は 「あれ」と「これ」を分ける=分別、あるいは個別化するために使われます。
さて。 「名前」 は 自分のためにあるようでしょう?
ところが 違うんです。
名前は、あなたを取り囲む環境が あなたを○○ と 「個別化」するためにラベリングした結果です。
というわけで、
「わたしは 山田太郎です」
ということよりも
周囲が あなたのことを
「山田太郎さん」 と 認識して観る ということが
あなたの人生の 山田太郎さん的キャラクター設定 を強めているのです。
つまり、観察者が 被観察者を創っていくのですね。
本来あなたは オールマイティでなんにでもなれる存在なのですが、
山田太郎という 箱におさまった あるいは
山田太郎という 服を着た あるいは
山田太郎という 靴を履いた
そんな感じに想ってもらうと近いと思います(^-^)
これは、別になんにも悪いことではないです。
単に、この世での名前=この世でのキャラクター設定 です。
もし不都合だ、と思うことがあるとしたら その箱におさまったご本人が
そのキャラが好きになれない、、、というところでしょうか
以上、「この世はコトバでできている」 という概念の世界から観た景色でした♪
ヘルメスの丘 伊野華絵(いのはなえ)
http://inohanae.world.coocan.jp/