今日の帰宅時はとりわけ寒かったです。
積雪で大変なことになっている地域もあります。私の住む神戸は、雪は降っていませんが風が冷たく、ときおり吹く突風は身体を刺すようなイタイ感触でした。
帰宅途中、右上から呼ばれたような気がしてふっと目を遣ると、夜空の薄雲の向こう側に、まあるいお月様が。
正確な満月時間は明日の朝ですが、すでにほぼ満月です。
お月さまを見ると、私の脳内では、習慣的に占星術的思考が作動します。
いまは、「ししの月」。太陽はみずがめにあり、真っ向で向き合う位置のししにある月だから、満月を迎えるわけです。
ただ、さきほど夜空を見上げた私の感覚は、いつもと少し違っていました。
見上げた景色を、瞬間で、こんな風に受けとめたのです。
あなたを、「ししの月」と知る前、
あなたを、「月」と知る前に、
私はあなたと、『一緒だった』
私たちは、概念というプラットフォームの上で、現実といわれる世界を生きている設定です。
概念にはコトバがあり、対象となるものは、個別化をはかるために
「名づけ」がおこります。この世はコトバが支配している世界ともいえます。
夜空に輝くその天体は、「月」と名づけられ、私は「伊野華絵」と名づけられました。
名づけられた途端、それぞれ固有の軌道で動き続けます。まるでレールの上を走るように、名というラベル通りに動いてゆきます。
という設定なのですが、設定前は・・・きっと、分けられておらず、一緒だったのだ、と。
私はそれをどこかで知っているというか、まるで思いだしたような瞬間でした。
知識を得てゆくのは、とても楽しいものです。
占星術のおかげで、ワクワクが増えたことも事実です。 漢字をはじめとする文字の力に魅了されている私もいます。
そのことと同時に、
"月が月である前の景色" が 語りかけてくるこの感覚、
まるで相反するようなこれも同じように、とても大切にしたいのです。
ヘルメスは文字を司る神ですが、彼との遊びの中に、文字を超えるもっと深い何か・・・への気づきが含まれているように感じます。
私の星遊び(占星術)、文字遊び(姓名判断)は、まだまだ浅瀬での遊びなのかもしれません。
・・・と、今日は、寒すぎる夜道を歩きながらの不思議な気づきを綴りました。
金曜日の夜ですね。
みなさま銘々にお楽しみくださいね。そして暖かくしてお過ごしください。
おやすみなさい☆
ヘルメスの丘 伊野華絵(いのはなえ)
http://inohanae.world.coocan.jp/