「死にたい」に関する記事の続きです。
前回書いたのは、死にたい人は生きていることを罪だと感じており、死ななければならないと思っているのでは、ということでした。
そして「死にたい」と思うことを支えにどうにか生きているのではないか、と私は考えました。
これをもうちょっと紐解きたいと思います。
 
死にたい、というのは、おそらく0から生まれた気持ちではないと私は考えています。
眠いから寝たいとか、おいしいパンを食べたいとか、そういう最初の感情ではなく、何かしらの解決できないと感じている問題を強制的に処理するために死にたい、となっているのではと思います。
生きていることによって苛まれる罪悪感から逃れたいから死にたい」といった感じです。
 
この場合は、死にたいのではなく「罪悪感を無くしたい」なんですよね。
ただ罪悪感を無くす方法がわからない、そもそも罪悪感から死にたくなってることを認識できていない、罪悪感を無くすなんて無理、などなど死ぬ方が現実的でわかりやすい」ので、死ぬ以外ない、と思ってしまうのかなと考えています。
この罪悪感は自分が生み出しているので、無くすことができるのは自分だけなのですが、自分をコントロールするとか自分の無意識にアクセスするというのはとても難しいので、できるわけないと思うのもわからんでもないです。
できないわけじゃないんですが、できた経験が少ない(もしくは無い)と現実感はないかもですね。
 
 
そもそも「生きているのが罪」というのは、生まれたときから自分が持っていた認識ではないハズです。
ということは、誰かや何かとの関りの結果、自分の中にそういう自分だけの決まりを作ったんでしょう。
その決まりを監督している何かが自分の中にいて、そいつが「死ななければいけないのに生きてるなんて罪深いね、悪いヤツだね」と言ってきてる感じかなと思います。
そいつはおそらく「無意識の領域」にいるので、「意識の領域にある自分の意思」よりも強いです。
自分の意思を住人だとしたら、決まりの監督者は国家や法、王や為政者みたいなものかなと。
上位存在ってことですね。
 
ただその上位存在よりももっと強いのが「生きるという機能」です。
こっちは国とか法よりも更に上位の、「世界とか時間とか自然現象」みたいなものです。
変えることができない概念です。こちらからアクセスできない代わりに、悪意とかもなくただ在るだけです。
生きているのは自然現象みたいなものなので、良いとか悪いとかじゃないんです、本当は。
 
「死ななければいけないんだから生きてることは罪」と法律で決められて、自然現象を罪認定されても、死ななければいけないよりも、生命活動の方が上位なので、そこにアクセスするのはとても大変です。
「自分が生きていることが罪法」の方が実は手が届きやすいんです。
が、国や法や王といった上位の強者にアクセスするのも大変です。
クーデターや下剋上みたいなものです。
無意識を変えるというのはそれくらい決死のものです。内乱ですね。
できる気がしないどころか、思いつきもしないレベルのことなのです。
 
なので、自然現象の「生きてる」と、自分の中で決められている「死ななければならない法案」の板挟み状態なわけです。
自分の意思じゃないけど生きちゃってるんです、ごめんなさい、と思いながら生きてたらそりゃしんどいです。
アダルトチルドレンでよく出てくる事例なんですが、脳内親に対して「私はちゃんと未熟です、不幸でいます」とアピールするために無意識に何かを失敗したりすることがあります。
これと同じように、自分の中の法に「ちゃんと死にたいと思って苦しみながら生きてるので許してください」という姿勢を示すために「死にたい」と思って「死ぬという選択肢を常に持ち続けている」可能性もあるなと思いました。
 
これらのことは「全部自分の中のこと」なので、他者は関係ありません。
キッカケとして親や兄弟、学校や会社、友人やパートナー、見ず知らずの他人などはあると思いますが、自分が生きていることが罪という決まりを作ったのは自分です。
なぜなら、他人には作れないからです。
自分の気持ちも自分のルールも、周りの影響を受けて『自分が作っている』んです。
みんなルールが違うんです。
だから法律や文化というもので規制してるんでしょうが、規制しても現実世界はこんなものです。
社会のルールやマナーだって、みんな守ってるようで守っちゃいません。
遵守してるとしたら、それが正しいことだからという理由じゃありません。
その方が都合がいいから、です。
なので、自分の中のルールを守るのが自分にとって都合がよくないなら守らなくいいんです。
うぜぇなら書き換えたっていいんです、全部自分の中のことなので。
 
とはいえそれが難しいんですよね、わかります。
いきなり「よし、じゃぁ私が生きてることは罪ではないということにしよう!」なんてのはできないと思います。
できたらそれにこしたことはないですが。
とりあえずは「どうやらこんなに死にたいのは、自分の中の上位存在が自分にそういう決まりを課しているかららしい……」と思えたら十分だと思います。
なぜ十分かというと、切り離せるからです。
切り離せると、境界線ができます。
自分が自分を嫌いで殺したいのではなく、自分を嫌いでいさせて殺させようとしている『別の何か』がいるとわかると、まず「死にたいと思うことを許せる」ようになるのでは、と思っています。
死にたいと思うのは自分のせいではなく、自分の中の決まりに思わさせられてるだけなので、それ自体は罪ではありません。
 
生きていることを罪と定めているヤツがいる天守にまでアクセスするのはちょっと時間がかかると思いますが、まず死を望むことが罪ではない、というところまでこれたらとても素晴らしいです。
 
 
続きはまた書きます。