寂れた神社の宮司をしている初老の男性は、元祓い屋の呪い屋だった。

 

呪いがテーマのオリジナル小説の断片の続き。Part_02です。

Part_01はこちら。

 

 

 

Part_02

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 鳥居をくぐった瞬間、強風が吹きつけてきて息ができなくなるような感覚を味わった。

 それと同時に、とてつもなく広い空間の中央に自分がいるような心もとない不安を覚えた。

 そして、いつも側にあるはずのものが無いという初めての経験をした。

「なに……ここ、ありえない……こんな場所ありえない!」

 思わずそう声が漏れてしまうほどに、この神社は彼女にとって異様な空間だった。

「おや、君……来る場所を間違えていないかい?」

 社務所らしき小さな建物から姿を現した長身の男性は、鳥居の下に立つ長い髪を高いところで一つに束ねた女性を見てそう言った。ものすごく場違いなものを見る様な不可解そうな視線、まるで本屋に鮮魚が一匹陳列されているかのような違和感。男性がそう感じているということを、女性はまざまざと感じられた。そのこと自体も異様だった。

「ここ……神社よね? 鳥居あるし……」

 桜の咲く陽気であるにも関わらず、女性は真冬のような寒さを感じて体を抱えるように縮こまった。

「神社ですよ、地図にも載っているでしょう?」

「……なんで、なんでここ、こんなに『何も無い』の……?」

 木漏れ日の差す明るい境内。桜や桃、梅の花が咲く神社の敷地。それらがまるで目に入っていないかのように女性は言った。

「こんなに清浄な場所見たことない……なのに、なんでこんなに息苦しいの……?」

 この神社を訪れる人で、鈍い人はこの場所を「神々しい」と言う。

 鈍くも鋭くもない人はこの場所を「寒々しい」と言う。

 鋭い人は「静かすぎる」と言う。

 特に鈍い人は「穏やかで居心地がいい」と言う。

 特に鋭い人は「恐ろしい」と言う。

 例えば、祓い屋のような者が。

「動けるなら早くここを去った方が君にとってはいいのでは?」

 なぜここに来て、なぜ自身の異変を感じても出て行かないのか理解できないといった様子の男性が、首をかしげながらそう言った。それを挑戦のように感じた女性が、キッと男性を睨みつけて言う。

「なぜここは神社なのに神がいないんだ!? 神がいないのになぜ神社として認識されているんだ!?」

「神がいる場所が神社、ではなく、地図上のこの場所この土地が神社という敷地である、と認識している人が多いからでは?」

 女性の問いと男性の回答の温度の違いに女性は未だかつてない寒気を感じた。

「ありえない、神社は神の居所だ、神のいない神社などあるはずがない」

「あぁ、懐かしいですね、その『断ずる』手法。なんでもいいですがあなたはここの空気に合わない、早く出て行きなさい」

 珍しく命令するような言葉を男性が発すると、女性は一瞬まるで人形になったかのようにすべての表情を失って立ち尽くし、振り返ろうとしてたたらを踏んだ。

「おまえ……今、何をした……?」

「僕の思ったことを言葉にした、だけですよ」
「払呪(ふつじゅ)の手法と似ている……いや、同じ……? おまえ祓い屋か」
「仮に僕が祓い屋だったら、今あなたは祓われそうになった、ということになるけども」
 そうだ、確かに私は今「追い祓われ」そうになった。祓い屋である私が追い祓われるということは、つまり……
「おまえ……呪い屋か!?」
 男性は心底めんどうだと言わんばかりに肩を竦めて背中を向けると、ゆっくりと賽銭箱前の石段まで歩き、腰かけた。
「僕が何屋かはどうでもいいさ。ここは神社だけど神はいない、それで何も誰も困っていない。そこへ来て『神がいないのに神社を名乗るのはおかしい』と騒ぎ立ててる君は、一体何なんだい?」
「神がいない場所というのはありえない、あってはいけないんだよ!」
「なるほどなるほど、では連れてきたらいいじゃないか」
 男性の言葉に女性はきょとんとした。
「神はいなきゃいけない、ここにはいない。僕は神はいらないし、神なんて知らない。押し付けたいなら君が連れてくるしかないだろう?」
「神社に暮らしてて神を知らない、だと?」
「知らないね、いるんだったら連れてきなよ。見えない、聞こえない、触れられない、感じられない、そんなものを『いる』と僕は言えないなぁ」
 女性にとって神という存在はとても近かった。大体が不定形で、ごくまれに生命体に近い形で知覚できることもある、という程度の干渉ではあったが、神という存在を感じないということが今までになかったのだ。
「理解できない……いるのにいないと言うおまえが……」
「ところで君、家族はいるのかい?」
「は? いるが、それがどうした?」
「僕には親も兄弟も妻も子もいたけど今はいない。僕にとって家族がいないのは長年あたりまえなのに、なぜ君にはいるんだい? おかしくないかい? 家族がいるなんてありえないことなんだけど?」
「……? 何を言っているのか意味がわからないんだが」
「あれ、そうなんだ、これさっき君が言ってた神の話と一緒なんだけど。まぁいいや、神がいるなら連れてきなよ、僕は別に拒絶してるわけじゃないよ」
 連れてこいと言われて連れてこれるものでもない。つまり、いることを証明できないのだ。
「いない、という状態が理解できない……」
「僕はいるという状態が理解できないね。というか、なぜいなきゃいけないんだい?」
 その問いに即座に応えようと女性は口を開いたが、言葉が出てこなかった。
「………そんなこと考えたこともなかった」
「僕はそんなものより家族にいてほしかったんだけど、みんな死んでしまったよ。死人は神様の元へ行くんだっけ? じゃぁ連れ戻してきてよ、君は神の回し者なんだろう?」
 男性が少しからかうように、あざ笑うように言う。
「僕にとって家族はいて当たり前だったんだけど、奪われたんだよね。僕にとっての「いなきゃおかしい」は奪われたのに、なぜ君の「いなきゃおかしい」に合わせなきゃいけないんだい? 合わせたら僕の家族は戻ってくるのかな?」
 男性はゆっくり立ち上がって、とてもゆっくり女性に歩み寄っていった。
 途端に女性の全身に鳥肌が立ち、震えが止まらなくなった。恐ろしい、と全身が警報を発している。表情から憎しみも怒りも恨みも見て取れないのに、そういった敵意が見えないことがより一層恐ろしかった。
「あぁ、そうだ、君の家族も神様の元へ行けば、僕の気持ちがわかるんじゃないかな?」
 ごく自然に、ただアイデアが浮かんだだけといった表情で少し声を明るくして言う男性を見て恐怖が限界を超えた女性は、はじかれたように走り出して神社からまろび出て行った。
 あれ以上あそこにいては殺されると思ったのだ。
 
 家族を。
 
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長文読了感謝です。