国際的にはその国の偉人のお墓参りをし、献花するのは当然の礼儀と言える。
私たちは、まずはじめに「非暴力運動」を展開してインドを独立させたインドの父である「マハトマ・ガンジー」の墓(ラージガートという場所)に献花した。
次いで、ガンジーと共に活躍したインド初代首相のジャワハルラル・ネルー首相の墓にも献花した。
私はネルーの墓に、訪問団を代表して献花させていただいた。
旅立つ前に調べて驚いたことだが、ネルーが亡くなる5日前に私は誕生したのだ。勝手な思い込みだが、こうしてネルー首相のお墓に献花する役目を与えられたということは、偶然ではないような感じがした。
ネルーから「未来を頼むよ」と言われたような気がした。
献花の瞬間、ガンジーやネルーが目指した「非暴力」の世界を作ることに、自分の力を使わなくてはならない使命があるにちがいないと心に決めた。
インドは太平洋戦争後の東京裁判でも、日本に対して公平な立場で意見を主張した唯一の国である。
日本の文化は、インドを発祥として中国を伝わり日本へ着いたものが多い。
戦争中に毒殺された「かわいそうなゾウ」という話が有名であるが、戦後にネルー首相から「日本の子ども達のために」と上野動物園にゾウが贈られたことも有名である。
日本にとって、大きな恩のある国がインドである。
2006年12月に来日した現大統領のシン氏が、衆議院にて演説をした中で、「戦後、パール判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています」と語ったほど、戦後の日本支援へのインドの恩は大きい。
日本人は決して忘れてはいけない史実である。
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