P先生のこと。


今はもう無いけれど、家の近くに絵本の専門店があった。小さい頃、「お話のろうそく」なんて本を読み聞かせてもらったのをぼんやりと覚えている。


「幸せな子供時代を送った人にとって、大人の時代は余生のようなものだ」と誰かが言っていたけれど、本の世界に没頭した子供時代に比べれば、「現実」を生きる大人の時代はまるで余生のようだ。でも、それを生きることは人として課された仕事なんだろう。ならば、「できるだけより良く」そしてかなうなら「旺盛に」生きてみたいものだと思う。


お店に「はてしない物語」が入荷した時のことを今でも覚えている。カウンター左側の平台に積まれていた分厚い本に、私はたちまち夢中になった。


「モモ」と「はてしない物語」を読んだあと、うっかり「鏡の中の鏡」に手を出した。小学生には全く分からず、半分くらいで投げ出した。その時塾の教師だったP先生に「買ったけれど、わっぱりわからない!」と言ったところ、彼女から手紙をもらった。彼女の感想が書かれた手紙は、やっぱりちょっと難しかったけれど、絵本という具象の世界から、抽象を描く・・・詩のような文章・・・?というものに初めて目を向けることになった。


P先生は「見る」人で、当時流行した「こっくりさん」など大目に見つつ、個人授業の際には、「先生、見える!?」と好奇心むき出しで訪ねる私に、「今、君の足元にいて、手を離そうかどうか考えているよ」なんて言ってくれた。幽体離脱をするのだ、とか、気を回すにはどうすればいいか、など最初に教えてくれたのはこの人だ。


頭とつま先を底辺とするピラミッドをイメージし、まずその中に抜けるのだそうだ。また、両手の間に球体をイメージし、そこに気を注ぐ。次第に両手が反発していき、両手の間隔が開いていく。そんなトレーニングも教えてもらった。


私はP先生と別れた後も、相当長い間この動作を行っていた。後に、自己催眠の本を読んで実践する際にはかなり役に立ったと思う。小学生だった私は「心酔」という言葉以外にはないくらい、この人が好きだった。音楽も、絵画も、本も詩も、すべてにおいて、私の中に種をまいてくれた人である。



私はこの人との交流を通じて、精神世界に可能性を探っていく姿勢を身につけたと思う。見えない世界を受け入れ、そのレイヤーにいる人の恐怖や孤独も少し感じ取った。


・・・何かが私を通り過ぎるとき、私は切ないくらい不安になったり悲しくなったりする。「通りもの」という表現は本当にぴったりだと思う。(気持ちが悪くなることも多い。)


そして、世界はマーブル模様のようにごちゃまぜになる。頭の中にスクリーンがあるとすると、フィルターがなくなって、レイヤーを「すべて表示」にした描画ソフトみたいになる。仕方ないので、一点を必死に見つめて歩く。目の焦点をあわせているところ「だけ」を見つめながら歩く。


言い訳するわけじゃないけれど、そういう時は自分自身を「保つ」以外に、他人を受け入れる余力がない。平均台を歩いているときに、横腹をつつかれて話しかけられるようなものだ。結構むつかしい。


今、私が行っているのはレイヤーを分けることだ。前頭葉の未発達でも、刺激過多でも結構。ADHDでもHSPでもうつ病でも芸術家肌でもなんでもいいけれど。ただ、精神世界というレイヤーを設定したことで、私は「人を責める」ことから解放されたように思う。光と理性、私も信奉しているけれど、闇と感覚は、人を責める「根拠」をもあいまいにする。



2002年に公開された映画「白い船」。君はこの主人公に似ているよ、とDVDを貸してくれた人がいる。確かに、中村麻美さんのいくつかの写真はとっても私に似ていた。けれど、私は主人公の「静香先生」のキャラクターにより親近感をもってしまった。喜怒哀楽が今ひとつはっきりしない人なのである。


インタビュー映像の中で、中村さんが「この主人公は気難しいひとなんです。」という意味のことを言うのを聞いて、ハタと膝を打った。そうそう、私って気難しい人なんです。


上司に「君は感情の幅が狭すぎるんだ!」とキレられた事がある。何故だろう。私の中では、こんなにも激しい嵐が吹き荒れているというのに。


最初にイメージトレーニングのテープを買ったのは中学生のときだ。紀伊国屋で買った「ニューエイジ」系のCDは今でも持っている。(先日、先生のところで昔買ったCDが流れていて無性に懐かしかった。)お気に入りの雑誌は実はMy Birthdayだった!学生のころは、「寮の占い師」と言われ、タロットにはまっていた。催眠療法に言ったこともあるし、心療内科にも行った。ADHDかもしれないと疑ったし(そう言われた事もある。)、食事に気をつけてみたり、先祖にお参りしてみたり、つまり、自分を落ち着かせるためにできることは「何でも」やっているのである。


・・・自分で言うのもなんだが、十分に「ヤバイ」方の人である。自分のことは欠陥商品だと思っていたし、誰かをだまくらかして嫁に行くしかない・・・と思いつめてもいたのである。


反面、「しっかりして、かしこそうね。」とは幼稚園からの私に対する評価である。声を大にして主張したいけれど、「私はしっかりしてるって言われたくない!」


なぜなら、そのために多大な努力をして死にそうだから。しっかりしていると、かまってもらえなくて損な気分がするから。そして、甘えるのが下手だね、という口説き文句にはもはやぐっと来ることはない。そんな年齢だから。


この相反する自分の状態をどうやったら統合できるのだろう?自分を支えるのに必死で、他人に時間を割くことができない自分はどうなってしまうのだろう?


私は悩み、しっぽを噛んでぐるぐると回る犬のような気持ちで、日常は「常に」綱渡りだったわけだ。(今でもちょっとそうだけど。)


今、辛かった思い出はどんどん忘れていっていることに気がついた。地獄の釜のふちにいる自分を思い描いて眠れなかった夜。自分はこのままおかしくなるのではないか、と息が詰まった夜。何を投げ入れても埋まらない裂け目を心に感じて絶望した事。・・・幸せになっていくというのはそういうことだ。


対話というのは、私がとても好きな言葉だ。私は過去の自分と対話をし、リフレーミングし、自分を癒すことができる。過去の自分と対話し、事実と感情の間に架けられた偽りの橋を架け替える作業。


幸せになって、辛かった時期を忘れていくのはいいことだ。でも、幸せな今に満足して、過去との対話を怠ると、いつか来る新しい嵐のときに足をすくわれるのかもしれない。だから、私は先生の進めにしたがってこのブログを書いている。


何度もこのブログを読み返して、自分と対話をするためのツールである。あくまで私的なツールであることをお詫びしておく。そして、何度も心のかたち、ありようが変化していくことを許して欲しい。かたちは容とも書き、それは受け容れることを内包したことばだから。


それから。


しばらくは、何でも「憑いてる!?」と自問する日々が訪れた。ちょっとした高揚感と、罪悪感と、それでいて奇妙に自由な感覚。誰にも言えないけれど、黄門様の印籠を持った気分だった。


その期間、私は自分が信頼する人に「こんな事があったんだよ。」と話してみた。精神世界への関心があるタイプには「見えるの~!アタシには何かいる?」と聞かれて「見えません。」と答えたし、「それって宗教?」と聞くリアリストには「壷も印鑑も買ってないよ。」と答えた。


それって宗教?と聞いた友達は、「宗教とは世の中の見方のことだから、それは宗教なのでは?」という意見で、思わず納得してしまった。彼女としては、別に私がおかしくなった、とかは思わなかったようだ。それは、例えば私が道ならぬ恋をする人と、そのことを避けて会話をするような、礼儀正しい無関心だったりする。


友人で練習をした後、私は親にその話をした。結論から言うと、「この子にはそれもアリかな。」という雰囲気だった。むしろ、「私も見る・・・っているか感じるタイプだから。」という母と「お父さんは、昔お寺で暮らしてたんや。だからそういうことはいくらでも経験しとる。」という父に「そうだよね~。」という私。


父方の親類はお寺さんが多い。本家の人は教会の聖職者になっている。宗教的な環境としてはかなり濃い。母は、「私は送る人なのよ。」とサバサバと言う人で、「昔お父さん(私の祖父)を見取ったときには、おばあちゃんが来たと思うわ。」なんて聞いていたし。


ただ、どのくらい、私の状況を理解してくれたのかは謎。カミングアウトした後と前では、「この子は本当に本番に強くて、男みたいで、上がったりしなくて」という評価から「この子はガラスみたいにもろいところがあって」という評価に変わっていたから、少しは前進したのかもしれない。


踏み絵を踏んでみて一番変わったことは、自己主張できるようになったことかもしれない。


精神世界に足を踏み入れなければ自己主張ができなかったのかと思うと「やれやれ。」だ。つまり、そこまで追い詰められて初めて自己主張できるようになったわけだ。この一線を守れなかったら、どうなっていたんだろう。


理屈で考えると自己主張ができない「いい子ちゃん」が、「理屈ぬきなのよ!」と開き直った記念すべき出来事だ。世の中には、理屈で考えると自分を守れないことがどれほど多いことか。自分を切り売りして、自分がなくなってしまう。他人のコメントを寄せ集めてようやく自分の影を知ることができるような危うい世界だ。


何を達成しても浮き草のような気持ちが拭えずにいたけれど、私の世界の感じ方を「それもあり。」と言ってもらえて初めて自分自身と手を握った気がした。こういう感覚を、魂の飢え、というのではないか。