(Oneness on the earth…こころの扉を開く旅より抜粋)
(Oneness on the earth…こころの扉を開く旅より抜粋)
質問者
なぜ恐れがあるのでしょうか?
バガバン
人間の核にあるのは恐れだとゆうことが分かりますか?恐れ以外には何もありません。質問はなぜ恐れがあるかとゆうことですが、真の理由はあなたが本当は存在していないことから来ています。
あなたは、詐欺師です。自分がいないのに、いるフリをしているのです。そのため、常にあなたは仮面がはがれるかもしれない、消滅するかもしれないとゆう状況にあると感じています。あなたは自分を失うのです。それが恐れです。
あなたが、インドの首相のフリをして、道を歩いる所を想像してみてください。あなたが首相ではないとゆうことに誰かが気付いてしまうかもしれない、とゆう恐れが常にあるでしょう。あなたが今質問している恐れとは何でしょうか?この恐れと同じ事です。
「自分」は存在しません。あなたはそこにいないのです。しかしあなたは何となく「自分」があるように感じています。そのため自分が失われるかもしれない、消えてしまうかもしれない、とゆうしつこい恐れが絶えず付きまとうのです。
この恐れから逃げるために、あなたは様々なことを試みますが、それは再び恐れを作り出すばかりなのです。すべての活動は基本的に苦しみから逃げるために行われています。これが「ほとんどの活動は苦しみのやりくりだ」と私達がゆう理由です。
苦しみは消滅することへの恐れです。この苦しみが「魂の闇夜(ダークナイト、オブ、ザ、ソウル)」の始まりに起こることです。
(Oneness on the earth…こころの扉を開く旅より抜粋)
考えがあなたの人生を支配しているかぎり、相反するものが存在し続けます。
完全さ、不完全さ、善、悪、正、邪、などです。なぜなら「考え」そのものが本質として分離的なのです。
考えの構造事態が比較するとゆうものです。比較が無ければ考えとゆうものは存在できません。
マインドは考えを手放す事はできません。考えは単に記憶であり、
もしあなたが記憶の本質を学べば、記憶が単なる思い出や連想ではなく、
比較をも伴ったものだとわかるでしょう。いつも相反するものを前提としているからです。
考えの中には、常に相反するものが存在する、とゆうことが問題なのです。
考えを超越した時に初めて、人はすべてのものをありのままに体験できるようになります。
そうなれば必要な時に考えを使うだけです。それ以外に考えはありません。
考えが必要でない時、そこには分離はありませんし、そうなれば葛藤も生じません。
ただ直接認識があるだけです。この状態では、どんなものも、そのままですばらしいのです。
マインドには獲得した機能的知性があり、それが学ぶことを避けようとプログラミングします。
そして、その目的を成し遂げるために、本の中の(そしてそれを越えた)あらゆるトリックを試そうとします。
そのような行動はサバイバルのモードから発します。マインドのトリックのひとつに、
常にぐずぐず延ばすという策に訴えて行動を遅らせる、というものがあります。
人生における重要な問題への取り組みに関連してしばしば、“まだ自分にとってその時期じゃない”という言葉が
発せられます。シュリ・バガヴァンは「延期はそれ自身の安全性を継続させるためにマインドが用いるトリックのひとつである」と述べています。
船は港に停泊していれば安全ですが、船はそこに停泊するために作られたのではありません。船としての本質
を満たすためには、航海しなければなりません。同様に、私たちはいつまでも学びのプロセスを避けて通ること
はできないのです。それは生じる必要があります。それは私たちが基本的に必要としているものです。避けるとい
うことは、逃避のプロセスです。何が差し出されようとも、私たちは人生の流れに沿って進む必要があります。こ
の“カルマ・ブーミ”に関しては、行動が本質的に求められます。
それから逃れることはできません。
人生を通じて私達は真実を隠しながら生きています。無意識の問題は子宮の中にる時から始まっています。そして、人生を通してずっと、嫌なことをすべて無意識の中に
押し込めています。そしてそれがその後の人生をコントロールしているのです。
まず無意識に気付かなければなりません。そうすれば、無意識は顕在意識に浮上します。それは人間関係において自分自身を観察した時におこります。
自分が母親や父親、夫や妻、子供に対してどのように関係しているかを見た時に、そこで自分自身をよく観察し続ければ、無意識の扱いかたを習得できます。無意識に深く入っていけばいくほど、徐々に解決していきます。
これがこの運動の中で人間関係を強調している理由です。
