質問

バガヴァン、たとえば私が盗みをしたとします。そして自分が盗みを働いたことを正直に自白します。私は自分自身に素直になります。ですがバガヴァン、このように振る舞うことは正しいことですか? 自分のしたいことをし、自分自身に素直になれば、内なる誠実さと言えるでしょうか?
 
バガヴァン 

あなたはそうやって自分自身に素直になろうとしています。それでどうなるのか見て下さい(笑)。どうなるかは別の話です。もしあなたが本当に自分に素直であればあなたが今話しているように行動することはとても難しいことでしょう。それは不可能です。あなたが自分に素直でないからこそ、そういったことを全部できるのです。ですからまずはやってみて下さい。真実を素直に話すことと自分自身に真実であることとはまったく違うと言うことを、あなた自身よく理解する必要があります。もしあなたが自分自身に誠実であれば、あなたの行動はその事態に対して完全で完璧なものになるでしょう。そこに悔いは残りません。それはカルマを作ることはありません。完全燃焼しているようなもので、燃焼後の煙も出てきません。まずやってみて下さい。推測したりあれこれ考えても無駄です。

質問:

あなたのバガヴァッド・ダルマは宗教ですか?


バガヴァン:

宗教とは、ひとりの人物または何らかの真理の表現形式に基づいて築かれたものです。
 たとえば、キリスト教は信念(信仰)に基づく宗教です。キリスト教徒は、『イエスは神の子である』『人々はイエスによって救われる』『イエスは人類の原罪のために犠牲になった』と信じなければなりません。
 イスラム教の場合も同じです。イスラム教徒は、マホメットが神によって送られた最後の預言者であると信じなければなりません。
 お分かりのように、宗教とは、ひとりの人物や信仰または神に基づいて築かれたものです。
 バガヴァッド・ダルマは、だれか人に基づいて築かれるものではありません。これは真理の道です。
 このダルマでは、神を礼拝するのに、あなたはどんな形でもどんな姿でも選べます。
 ラーマでも、アッラーでも、イエスでも、カルキでも、あなたの好きなどんな形式でも礼拝することができます。
 これこそが、古代のヒンズーの宗教だったのです。これは真実への一つの道です。
 
 あなたが好めばそれに従います。あるいは自分自身の独自の道に沿って進むこともできます。
 六十億の人々がムクティを達成するのに、六十億の道があります。私のダルマが唯一の道だと主張したいわけではありません。これも道の一つです、現代人向けの一つの道です。この道は『自由』に始まり、『自由』に終わります。この道のどの段階でも『自由』が基本です。なぜなら、バガバッド・ダルマ自体が『自由』なのです。従ってこれは宗教とはまったく異なるものです。


人を愛することを教えることは出来ません。
道徳や精神的な話をしても、人を愛することは出来ません。

人生には4つの段階があります。


1、自分のことだけを考える段階
 学生、独身として、人々は最初は自分のことを考えます。
 それが自然です。人生の成功などを考えます。


2,家族を支える段階
 自分自身のことだけを考えることが出来ません。 
 人生に他の人がはいってきます。
 家族、友人、労働などによって、自分が周りと溶け合って拡大していきます。


3,自分や家族のことなどだけを考えても満足できなくなる。
 もっとおおきなコミュニティと関係を持ちたくなります。
 何か活動することが始まります。
 社会のために、自分が何かをするようになっていきます。
 それは人によってそれぞれ異なります。
 政治、教育、生産、科学、事務、交通、芸術・・・
 
そして、ワンネスになっていきます。それが自然の状態です。
ワンネスを求めて、ワンネスになるのではありません。
1,2,3をうまく生きたときに、ワンネスになります。
2の段階がうまくいったときに、ハートが花開きます。
そのとき、周りの人達が癒されます。周囲の人達との絆を感じます。
そして、3つ目の段階に入っていきます。

自分がどの段階にいるのか気付く必要があります。


世界は鏡のようなものです。
自分自身に働きかけることで、周りが変わっていきます。

目の前の問題を無視して、次の段階に行こうとすると問題や

障害が起こります。拒絶して、その状態と向き合わなければ、

あなたは拒絶したものになります。


ご主人以外の人を好きになった人がいました。
そのご主人と別れて新しい人と一緒になっても、またしばらくして同じことを繰り返します。自分自身がまた癒されていません。

内側の恐れや傷ついた部分が癒されると、創造力や集中力がまして、ハートが開きます。


2007年6月 広島カンファレンスより抜粋


あなたが本当の意味で真実を話さない限り、深い意味での内なる誠実性を発展させることはできません。ただ話すことは簡単ですが、そこには深さが欠けています。


しかし、真実を話し始めるときはじめて、本当の意味であなたは内側で生じていることを知ることができるのです。その反対はありません。


あなたは深い所にはいるでしょう。すると奇跡が起きるのです。奇跡はあなたを根源へと導きます。すると全ては空であることがわかるでしょう。そのときあなたが発見する喜びは筆舌に尽くしがたいものとなります。そこにあるものは何でもよいのです。あなたはそこにあるものを見ることができますか?正直さとは、そこにあるものを見ることです。基本的に、内なる素直さとはそこにあるものを見ることです。


真実とはあなたが見るものを話すことです。事実を正確に話す必要はありませんが。しかし、2つのポイントしかありません。真実(を話すこと)は正直さにつながります、外側での正直さです。まず(内側にあるもの)を見て、そしてそれについて話すのです。一つは見ること、そして話すことは外側でのことです。


もしあなたが話すと、その効果がわかるでしょう。それは想像しがたいほどです。何も必要ありません。その後は自動的に生じます。やってみて下さい。人生におけるすべての瞬間が喜びとなります。もうそれだけで十分なのです。 他に何も欲しくなくなるでしょう。「これが欲しい、あれが欲しい」などと言わなくなるでしょう。


人生で生じていることをただ見るだけで、そのような喜びが来るのです。それが人生なのです。人生とは何でしょうか?内側で生じていることを見ることです。(やってみて)それがどんな感じかを私に話してください。あなたはそれを見ていないので退屈さを感じるのです。人生は無意味だと考え、目的を感じることができず、あれが欲しい、これが欲しいなどと思うのです。非常に多くの欲望が生じます。


しかし、もし実際に生じていることを見るなら、とても大きな喜びがわき起こります。もはや人生においてそれ以外の何物も欲しくなくなるでしょう。たとえ乞食であっても、ライ病患者であっても、ホームレスであっても問題は無くなります。ただ人生の瞬間瞬間を楽しむようになります。お金も名声も必要なくなります。安全すらも必要なくなり、死をも恐れなくなります。


そして不思議なことに人生そのものがあなたの面倒を見てくれるようになります。正直な人は誰でも、人生そのものが面倒を見てくれるのです。それを神、あるいは他のどんな名前で呼んでも構いませんが。


不正直な人々は死んでしまうでしょう。もしあなたが正直な人間であって食料が無いなら、食料があなたにやってくるでしょう。そのようなことが起こるのです。何らかの仕方であなたは支えられているのです。人生は奇跡となるでしょう。


あなたが正直でないゆえに、人生においてそのようなことが起こらないのです。しかし、正直になろうとしないで下さい。真の意味で正直な人間である必要があります。そのとき初めて奇跡が生じるでしょう。そのとき初めてあなたは偉大な存在となるのです。すると祝福があなたのところへ来ます。あなたの話すこと全てが真実となるのです。


あなたが人生で行き詰っているなら、それはあなたが真実ではなく、正直でないからです。それゆえあなたは真の意味で、内側で生じていることを見ていないのです。それゆえ、外側の世界だけで生きつづけるうになるのです。



第三回、バガヴァンのウエブダルシャンでの内容です。

高橋由美さん翻訳協力、大矢浩史さん翻訳監修


質問


私達はどのように劣等感を取り去ったらよいのでしょうか?



バガヴァン


マインドはいくつかのモード(心理的パターン)を持っていて、その中で機能しています。マインドが巻き込まれてしまう一つのモードは、比較モードです。たえず比較しています。

この比較から嫉妬が生まれます。さらには嫉妬から自己中心性が生じ、自己中心性は知性の欠如につながります。皆さんがすべきことは、これらすべてが起こっているのを、まさにそれが起きているときに「見る」ことです。

これが私たちが「気付き」と呼んでいるものです。何かを「意識する」とゆうことは、「そう、そう、それが起きています。」と言えることです。ですがここで「気付き」とゆうときには、実際にある一つのものによつて別のものが生じるとゆう、この連鎖メカニズムまでを「見る」とゆうことをさします。


例えば、比較によって嫉妬が生じ、嫉妬によって自己中心性が生じ、自己中心性によって知性の欠如が生まれ、知性の欠如によってあらゆる問題が発生するとゆうメカニズムです。

それが生じるのを「見る」のに、あまり時間はかかりません。そのことを説明するのに私は時間をかけてはいますが、一瞬のうちに「見る」ことが出来ます。


これが出来ると、ひとつメリットがあります。自分にとって有害だと思うどんなことであっても、皆さんが実際にそれを「見て」いる状態であれば、それに巻き込まれてしまうことはない、とゆうことです。そしてその瞬間に嫉妬は消え去ります。

しかし再び生じるかもしれません。その時はもう一度、何が生じているか「気付き」始めればよいのです。ある時間これが繰り返されれば、ふいに、すべての嫉妬が無くなっているのを皆さんは感じるでしょう。


脳が「これはあまり有益な動きではない」と学習したからです。そこに溺れてしまうことにメリットはないのです。



Oneness on the earth…地上の楽園〈vol.2〉こころの扉を開く旅