忍者レッドのブログ -67ページ目

極限状態 涙の捜索

新聞記事より

極限状態 涙の捜索
           東日本大震災
  経験のない凄惨さ
  遺体収納苦悩深く


「ゆっくりだぞ、ゆっくり」。黄色いシートを広げ、焼け焦げた男性の遺体を大切そうに包み込む。目を伏せる陸上自衛隊員ら。
「こんな凄惨(せいさん)な現場は初めてだ」。
ベテランの中隊長がつぶやいた。震災から間もなく1カ月。
がれきの山が果てしなく広がる宮城県石巻市で続く陸自第44普通科連隊(福島市)の行方不明者の捜索に同行した。


「地獄だった。遺体は至るところにあったが、生存者の発見、救助を優先した」震災発生直後に石巻市に6個中隊(最大約650人)を派遣した44連隊は、津波で壊滅的被害を受け、腰の深さまで水に漬かった市街地をボートで回るなどして千人以上を救出した。

時間の経過とともに生存者がいる可能性が低くなると、任務は人命救助から行方不明者の捜索に移行。避難所での炊き出しなどと並行して、各中隊が交代で遺体収容の活動を続けている。
「遺族に(不明者の遺体を)返すのはわれわれの仕事。つらくても、そこを大事にしたい」。44連隊長の森脇良尚1佐(46)は力を込めた。

海岸から700㍍ほど入った石巻市門脇町5丁目。津波で粉々に砕かれ、火災で焼けた民家のがれき、原形をとどめない車などが辺りを埋め尽くし、焦げ臭さとヘドロの異臭が鼻を突く。

冷え込んだ早朝、捜索現場に着いた中隊長牧野桂治1尉(43)ら約40人は交代で、重機で取り除いたがれきの下を「とび口」と呼ばれる棒で黙々と探り続けた。

焼け焦げた男性の遺体をはじめ、約8時間の捜索で5丁目では6遺体が相次いで見つかった。

105体(3月19日)、81体(同20日)、59体(同21日)…。収容した遺体数を書き込んだ44連隊の活動記録。4月6日までに計585遺体に上ってもなお捜索は続く。

生後間もない赤ちゃんや、母親が子どもを抱き締めたままの遺体もあった。腕や頭部など一部だけのことも少なくない。

「放課後、津波にのまれたのだろうか」。
連隊幹部は、白転車と一緒に見つかったヘルメット姿の男児の遺体がまぶたに焼きついている。「あのときはつらかった」と、深いため息をついた。

「捜索する自分たちより見つけた遺体の方が多いこともあった。

寝ているときに思い出すのか、涙を流す隊員もいる。
地震や台風、航空機事故など数多くの悲惨な現場を踏んできた自衛隊にも、まるで経験がない極限状態の任務。被災地で死と向き合う隊員の精神的ダメージを懸念する自衛隊幹部は「今は気持ちが高ぶっているから大丈夫”だが、問題は活動を終えてからだ」と、長期的なメンタルケアの必要性を訴えた。 
                   (共同=吉田豊)