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警告が現実になった

新聞記事より

引用始め


警告が現実になった
原発事故 集中審議  吉井議員質問

吉井氏は昨年5月26日の同委員会で、地震や津波による「電源喪失」が招く炉心溶融の危険性を指摘。これに対し経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は「論理的には考えうる」と述べ、現実には起こらないと答弁していました。

吉井議員 〝理論的な話〃ではなく、現実のものとなったのではないか。

寺坂院長 現実に、指摘のような事態が発生した。当時の認識に甘さがあったことは深く反省している。


2006年3月1日の衆院予算委員会で、当時の原子力安全委員長だった鈴木篤之氏(現・日本原子力研究開発機構理事長)は吉井氏に、外部電源やディーゼル発電機、蓄電池など多重、多様な電源設備があり、他の原発からの電力〝融通″も可能だから「大丈夫だ」と答えていました。

吉井 設計上〝大丈夫″だという話だったが、全ての電源が喪失したのではないか。

鈴木理事長 国民に大変な心配、心労、迷惑をかけていることを大変申し訳ないと思っており、痛恨の極みだ。


今回の事故について、管直人首相や東京電力の清水正孝社長は、「想定外」としています。吉井氏は、日本の原子力安全基盤機構(JNES)の研究報告でも、全電源喪失で0.6時間後に核燃料が落下、1.8時間後に圧力容器が破損、16.5時間後には格納容器が過温で破損すると警告されていたと述べました。

吉井 全電源喪失を考えて、いかなる場合にも今回のような事態を起こさせないといううのが、原子力安全行政であり、原子力安全委会の使命ではないか。

斑目春樹原子力安全委員長 おっしゃる通りだ。今回の事故を深く反省し、二度とこのようなことが起きないよう指導してまいりたい。

海江田万里経済産業相も、「想定を超えるものが現実の問題として起こったわけだから、(想定外というのは)使うべきではない」と答えました。




10時問以上対応に空白

大地震発生から約1時間後の3月日日午後3時42分、原子力安全・保安院はすでに全電源喪失による炉心溶融の可能性を認めていました。ところが、原子炉格納容器からのベント(蒸気排出)などの緊急措置が行われたのは翌12日の午前10時以降。

吉井 なぜ早い時点で東電を指導しなかったのか。あるいは、東電が指示に従わなかったのか。

海江田 法律にもとづく命令というのは、日をまたいでのことだった。

吉井 班目委員長と寺坂安全・保安委員長は、危機感を持って臨んだのか。

班目 どれぐらい緊急を要しているのか把握していなかった。


官邸の対応はどうだったか。

吉井 炉心溶融から危険な事態にすすみうることを認識して、はっきり東電に圧力容器の蒸気(を出して圧力)を下げろ、海水を含めて冷却水を入れろといわれたのか。

枝野 電力が回復しない、ベントもなされない、水も入れない状況が一定時間続いて、急がないといけないということを午前1時半の段階で行った。


こうした甘い認識によって、

結局、実際に1号機でベントが行われたのはそれから9時間後の午前10時17分。東電が最初の海水注入を実行したのはさらに10時間後の午後8時20分でした。

それもそのはず、そういう措置を判断する重大局面だったはずの12日午前6時すぎ、管直人首相と班目委員長はヘリコプターで福島第1原発に向かい、原子力災害対策本部を4時間半も離れてしまったのです。

吉井氏はさらに、原子力緊急事態宣言を出した12日午前7時45分から同日の午後8時5分に経産相が東電に海水注入を命令するまで、なんの対応もみられない〝空白の10時間″があったと指摘。

「東電がやらなかったら、やらせなきゃいけない。総理と原子力安全委員長が4時間半空白をつくっただけじゃなく、12日の7時45分(原子力緊急事態宣言)から空白の10時間がある。これだけ深刻なものだということが明らかになっているのに、きちんと対応しなかった責任はきわめて大きなものがある」と吉井氏はただしました。

                  引用終わり



お偉方には重大な責任がある。謝罪よりも先に、福島原発10km以内に直ちに入り、捜索活動に加わるべし。さらに、原発の冷却作業を「作業員」とともに自ら率先して行うべし!!

経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長と、当時の原子力安全委員長だった鈴木篤之氏(現・日本原子力研究開発機構理事長)を、私は許せない。

あんたら、どこに住んでんだよ!?自分は安全な生活してるんでしょ?
自宅を売って義捐金にして、避難所生活しながら、原発入りしろよ!!
そう、言いたい。