津波 カメラ放さない
新聞記事より
津波 カメラ放さない
岩手の地元紙記者
「死ねねえよ」奇跡的に生還
岩手県釜石市の釜石港近くで、地元紙・若手東海新聞社の記者だった千葉東也さん(36)が津波にのみ込まれる場面を、国土交通省釜石港湾事務所職員が撮影していた。千葉さんは奇跡的にすり傷や打撲だけで生還。
写真は、何もかも容赦なくのみ込む津波の猛威を伝えている。
3月11日の地震発生時、千葉さんは釜石市の本社3階の編集室にいた。今まで経験したことのない揺れ。机が倒れないように押さえるので精いっぱいだった。揺れが収まると車で市内の実家に向かったが、渋滞で前に進まなかった。
車を捨て、走って実家にたどり着いた。母親(72)と、預けていた長男(1)が高台に避難していることを確認し、すぐに港湾事務所の近くを流れる大渡川の河口へ取材に行った。
写真を何枚か撮った。川の水位が上がっているのに気付いた。
「津波が来る。逃げろ」。
港湾事務所の屋上に避難した人が、拡声器から叫ぶ声が聞こえた。
直後、正面から津波が押し寄せた。そばにあった飲料メーカーの営業所の窓ガラスが水圧で割れた。一気に濁流にのまれた。国交省職員が千葉さんを撮影したのはこの時点に当たる。
「時間が止まったような感じ」で、不思議と恐怖感はあまりなかった。「死ぬかも」と思った。でも次の瞬間「死ねねえよ」と思い直した。現実を見届けようという気持ちが強く、驚くほど冷静な自分がいた。
30㍍ほど流され、山積みされた石炭の斜面に体が引っ掛かって、ようやく水面に顔を出せた。上から延びていたロープをつかみ、高さ約8㍍の石炭の山の上まではい上がった。助かった。
写真には、いくつもの車とともに流され、肩まで水に漬かりながらもカメラを手放さない千葉さんが生々しく写っている。最初に膝まで波を受け、その後、全身が流されるまで20秒足らずだった。
「あれほどの津波が来るとは正直、分からなかった。取材に行ったのは完全な判断ミスです」と干葉さん。一方、釜石港湾事務所の屋上から写真撮影した佐々木正一企画調整課長は「記録のために撮影していた。(千葉さんに気付いた段階で)既に助けに行ける状況ではなかったが、無事だと分かってほっとした」と話した。
× × ×
千葉さんが所属していた岩手東海新聞社は今回の震災で従業員19人のうち、宮古支局長(64)ら2人を失った。発行部数は約1万4千。釜石市や大槌町など津波で壊滅的な被害を受けた地域に購読世帯が多く、被害を受けていないのは推定で3千世帯という。
本社1階にあった輪転機は水没し新聞を発行できる見通しは立たない。同社は3月下旬に従業員全員に解雇を言い渡し、現在は休業状態。千葉さんは「取材しても記事を載せる場がないのはつらい。できれば記者を続けたい」と話している。

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津波 カメラ放さない
岩手の地元紙記者
「死ねねえよ」奇跡的に生還
岩手県釜石市の釜石港近くで、地元紙・若手東海新聞社の記者だった千葉東也さん(36)が津波にのみ込まれる場面を、国土交通省釜石港湾事務所職員が撮影していた。千葉さんは奇跡的にすり傷や打撲だけで生還。
写真は、何もかも容赦なくのみ込む津波の猛威を伝えている。
3月11日の地震発生時、千葉さんは釜石市の本社3階の編集室にいた。今まで経験したことのない揺れ。机が倒れないように押さえるので精いっぱいだった。揺れが収まると車で市内の実家に向かったが、渋滞で前に進まなかった。
車を捨て、走って実家にたどり着いた。母親(72)と、預けていた長男(1)が高台に避難していることを確認し、すぐに港湾事務所の近くを流れる大渡川の河口へ取材に行った。
写真を何枚か撮った。川の水位が上がっているのに気付いた。
「津波が来る。逃げろ」。
港湾事務所の屋上に避難した人が、拡声器から叫ぶ声が聞こえた。
直後、正面から津波が押し寄せた。そばにあった飲料メーカーの営業所の窓ガラスが水圧で割れた。一気に濁流にのまれた。国交省職員が千葉さんを撮影したのはこの時点に当たる。
「時間が止まったような感じ」で、不思議と恐怖感はあまりなかった。「死ぬかも」と思った。でも次の瞬間「死ねねえよ」と思い直した。現実を見届けようという気持ちが強く、驚くほど冷静な自分がいた。
30㍍ほど流され、山積みされた石炭の斜面に体が引っ掛かって、ようやく水面に顔を出せた。上から延びていたロープをつかみ、高さ約8㍍の石炭の山の上まではい上がった。助かった。
写真には、いくつもの車とともに流され、肩まで水に漬かりながらもカメラを手放さない千葉さんが生々しく写っている。最初に膝まで波を受け、その後、全身が流されるまで20秒足らずだった。
「あれほどの津波が来るとは正直、分からなかった。取材に行ったのは完全な判断ミスです」と干葉さん。一方、釜石港湾事務所の屋上から写真撮影した佐々木正一企画調整課長は「記録のために撮影していた。(千葉さんに気付いた段階で)既に助けに行ける状況ではなかったが、無事だと分かってほっとした」と話した。
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千葉さんが所属していた岩手東海新聞社は今回の震災で従業員19人のうち、宮古支局長(64)ら2人を失った。発行部数は約1万4千。釜石市や大槌町など津波で壊滅的な被害を受けた地域に購読世帯が多く、被害を受けていないのは推定で3千世帯という。
本社1階にあった輪転機は水没し新聞を発行できる見通しは立たない。同社は3月下旬に従業員全員に解雇を言い渡し、現在は休業状態。千葉さんは「取材しても記事を載せる場がないのはつらい。できれば記者を続けたい」と話している。

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