こんにちは!

 

 

 

「ピンチをチャンスに変えて、

幸運体質になれる専門家」

 

横山靖子です。

 

 

 

 

見えないものを感じながらの人生!

 

 

***「昭和オカルト女子」だった私が

「波動アップ・コーチ」になるまで***

 

 

ここからは

結婚してからのストーリーになります

 

 

 

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この世界観ブログは、

 自分の過去と向き合いながら、

 

今の自分がどう出来上がってきたかを

 確認するために始めました。

 

 

でも、実際にふたを開けると、

その時の、感情はまだ生きていて、

見つけてくれるのを待っていたようです。

 

私の体験が、誰かのお役に立てたら幸いです。

 

前回の話はこちらから

 

 

 

 

私たち夫婦が

最初に自宅を購入したのは、

 

バブルが終わって、

もう、これ以上は

不動産は下がらないといわれだした頃、

 

(実際は、何度も下がり、

その度にこのうたい文句)

 

 

 

 

長崎生まれの私は、

港や中華街がある横浜を気に入って、

主人も勤務先が近かったので、、

 

思い切って、

一戸建てを購入することにしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、

私達は、娘が3歳の3人家族でした。

 

横浜の暮らしは、

海も山もあり、動物園や公園も多く、

夢のように楽しい暮らしでした。

 

 

 

でも、1年後に転勤が決まり、

千葉に引っ越すことになりました。

 

住宅ローンもあるので、

自宅は賃貸に出すことにします。

 

 

 

8年千葉に暮して、

横浜に帰ることもなさそうなので、

横浜の家を売りに出そうと査定してもらいました。

 

 

その時は、

息子も生まれて、

4人家族になっていました。

 

 

 

いくらで売れるかな?

ワクワクして連絡を待ちました。

 

 

 

すると、驚愕の査定金額でした!

 

 

 

 

マイナス 1000万!!!

 

 ・・・

 

住宅ローン残高より、

1000万円も少ない査定額だったんです!

 

 

 

なんですと?!

 

 

 

 

・・・ 

・・・

 

確か、頭金を払って、

年間200万返済を8年返したので、

4000万は払ったはず!

 

なのに、今売ると1000万マイナス!

マイナス合計 5000万!

 

 

 

 

つまり、1000万払わないと、

自宅を売ることもできない状態です。

(主人は、真っ白な灰になりそうでした)

 

 

 

とりあえず自宅は、

そのまま賃貸を続けることにしました。

 

どうしようも、ありません…、

売るに売れない・・・。

 

 

 

私たちのように、

バブル後に、人生設計が狂った人は、

多かったんじゃないでしょうか?

 

 

 

それでも気を取り直して、

今あるお金を生かして、

どう、今後の収支を合わせていくのか、

私達は考えないといけません。

 

 

 

その当時話題になっていた、

「金持ち父さん、貧乏父さん」を、

読んでいたので、

私は、この不動産の損を埋めるのは、

不動産しかない! と、思いました。

 

 

 

主人は、

「大丈夫?」と不安そうでしたが、

その後も、元祖サラリーマン大家さんが

書籍を出していたので、

 

(藤山勇司さんや沢孝史さん)

 

 

利回りや予算を守れば、

回収できます!

 

 

 

 

何より転勤があるので、

管理会社に任せられるところが魅力でした。

 

 

わたしの長崎の祖父が

長屋をやっていたり、

 

東京の主人の親戚が、

学生アパートをやっていたので、

やれそうな気がしてきました。

 

大丈夫!やれる!

 

 

 

主人名義で買うことにして、

物件のリサーチと物件見学を始めました。

 

転勤先で土地勘がないので、

数をこなすことにしました。

 

 

 

この後、

 不動産購入や、

賃貸経営を始めていきます。

 

 

 

そのことで、

私たち家族の関係が、

浮き彫りになっていきます。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

第22話 不動産投資でリベンジ

 

へ続く。